岸和田市の春木地区を中心に街の総合クラブとして活動するFC岸和田。その母体はフットボールクラブから。
中学、高校時代のあなたはクラブ活動に入っていましたか? 勉強はそっちのけ、夏休みは朝から晩まで真っ黒になってスポーツをしていた、なんて人もいると思います。
その、かつてはあたり前のようにあったクラブ活動が、今少しずつ消えゆく状況に立たされています。少子化に伴い、2009年〜2012年の間に全国で約1,000もの部が廃部、または休部になっているのです。都市部でもその傾向は顕著になっていて、顧問になる先生の不足も廃部・休部に拍車をかけています。
子どもたちがスポーツに親しみ、かけがえのない仲間をつくる機会を残していくには、どうすれば良いのでしょうか? 大阪府岸和田市にある「NPO法人FC岸和田」の取り組みは、そのひとつの回答です。学校の部活でもなく、エクササイズ・ジムでもない、地域に密着した総合スポーツクラブとしての活動を紹介します。
ブラジルのサッカークラブは、ボートクラブだった?!
「FC岸和田」は、小学生から社会人までの各世代のサッカーチームや、ヨガ教室、HIP-HOPダンス教室、テニスクラブ、登山クラブなど複数が活動している総合型の地域スポーツクラブです。
「FC(フットボールクラブ)」と名前がつくのは、当初サッカークラブから発足した名残。理事・クラブマネジャーでU—15の代表も務める河内さんはこう話してくれました。
ブラジルのサッカークラブに「Clube de Regatas do Flamengo」、「レガッタ・フラメンゴ(以下、「フラメンゴ」)というチームがあります。そこはもともとボート競技のレガッタのクラブだったんですね。今ではボートやバスケットやバレーボールチームもある総合クラブになっています。じゃあ、うちも「FC」と残してもええやろう、とね(笑)
理事の河内さん。河内さんが顧問をしていた部活動のサッカーの存続活動がクラブ発足のきっかけ。今、少子化や指導できる教員の不足による部活動の廃部や休部が進んでいるという。クラブハウスにはメンバーが持ち寄った日本代表やJリーグクラブのユニホームも飾られています。
「フラメンゴ」は元日本代表監督のジーコ氏も所属していたことがある、伝統あるクラブです。”部活動”というものがないヨーロッパや南米などのスポーツは「フラメンゴ」のような総合クラブに支えられている場合が一般的。
そうしたプロサッカークラブを母体にした”街クラブ”がそれぞれの街にあり、児童年代から、高齢者、そしてプロチームまで、生涯にわたってスポーツにかかわり楽しむことができます。一方、日本では、体育の延長である部活としてスポーツが発展してきました。どちらが良いとは一概にいえませんが、スポーツの歴史の違いから、日本には街クラブが生まれてこなかった背景があります。
顧問教員の移動で休部。その現状をなんとかしたい。
「FC岸和田」の始まりは2002年。当時、岸和田市春木中学校の教員で、サッカー部の顧問をしていた河内さんが異動することになったとき、後を引き継いでサッカーを教えられる先生がいなくなってしまいました。先生も悩みましたが、一番困ったのは子どもたちです。指導者がいなくなるばかりか、クラブがなくなるかもしれない。
地元で継続してサッカーができるようにするにはどうすればよいか考えた末、河内さんたちは地域の私設クラブ「FC岸和田」として、U-15のチームを起ち上げることしました。「当時から少子化や人員不足で、学校の部活動が休部や廃部になるケースが目立ってきていた」と河内さんはいいます。
河内さんは今も現役の教員ですが、学校だけで部活動を支えていくのは困難な時代になっていると感じています。これまでは顧問になる先生の熱意で成り立っていた部活動も、見方をかえればボランティアに近い関わり方であって、必ずしもサッカーならサッカーの経験者が指導に当たるわけでもありませんでした。
クラブユースや私設クラブのように指導者できる人が常にいるとは限らない学校の部活。子どもたちの夢をつないだのはNPOの設立でした。
ダンスもヨガもテニスもある、多世代・多種目クラブへ。
部活にかわる地域の子どもたちの受け皿としてスタートした「FC岸和田」は、2003年にNPO法人に。2006年には「日体協総合型地域スポーツクラブ育成指定クラブ」の認定を受け、翌2007年に「地域型総合スポーツクラブFC岸和田」としての設立総会を開きました。
最初は、総合型ってなんだろう?と手探りでした。まずは各世代をそろえようと、サッカーの社会人枠やU-12、女子サッカーなどをつくりました。練習場所を見つけては、手作りのナイター照明を付けたりと本当に手弁当的な活動からでしたね。
それで、サッカーの次には何をつくればいいか考えて、エアロビクスやヨガを学校の体育館などを借りながら加えていき、指導員は知り合いにお願いしていきました。
種目には幅がでてきましたが、当時の会員の割合は男性が多く、女性も30代以上の方に偏っていました。その偏りを解消するために加えたのがストリートダンスです。これがすぐに人気になり、また優れたインストラクターとの出会いもあって瞬く間に小中学世代の女子層が増えていきました。
お母さん方が積極的でね、子どもがダンスを練習しているのを待っているんです。そこで、今まで知らなかった地域の人同士のつながりが生まれていきました。
ダンススクールのジャンルはHIPHOP、JAZZ、BREAKINがあり、レベルも初級から上級まであります。「BEATBOX」という大規模なイベントも主催。
ヨガは野外での活動も。世代を超えて参加できるスポーツやエクササイズを少しづつ加えてきました。
バーカウンターのあるクラブハウスをサロンに。
その後、スポーツ振興クジtotoの助成金を申請して、2009年には自前のクラブハウス兼スタジオをオープンします。これはクラブに集まる人同士の交流をもっと深めたり、10クラスに拡大したストリートダンス教室の環境を充実させるためでした。
それまで会員同士がゆっくり話ができないまま帰ってしまうのは、もったいなあと思っていたんですよ。ヨーロッパに倣ってちょっとしたバーカウンターやシャワーも設けて、アフターを楽しめるようにしました。
その交流の流れで登山クラブができたりもして、山好きな40代と70代が、世代を超えて話ができる場になっていますね。ただ、あくまでスポーツクラブなので登山にしても指導者をつけるようにしています。それは同好会との大きな違いです。
クラブハウスにはヨーロッパのクラブにならってバーカウンターを設置。団らんの場所があることでつながりが深まります。
クラブハウス内のダンススタジオではときおり演奏会などのイベントも開催。
毎日通える場所としての「街クラブ」を目指して。
今後の活動として進めているのが、人工芝のグランドを持つことだそう。「ピッチサイドに家族が集まれるスペースもつくりたい!」と構想は広がっています。敷地の目処はついているそうで、もし人工芝のグランドを持てれば、大阪のプロサッカークラブについで3番目になるそうです!また文科省の委託事業で、トップアスリートを指導員として学校や団体に派遣する事業も加わりました。
ただね、規模がだんだん大きくなっても地元の人が楽しむためのクラブであることは変えません。今、一番会員を増やしたいのは中高年以上の男性です。
たとえば、定年した男の人って居場所がないことが多いんです。それまで職場中心の生活だったから、地元につながりがない。自前のグランドがあれば、そこを「FC岸和田村」にして、毎日通える場所にすることが夢ですね。
子どもから年配の方まで、自分の住む街のクラブで好きなスポーツを自由に楽しめる。そこで生まれる人のつながりが地域の暮らしを豊かに。
日本では数少ない総合型地域スポーツクラブの先駆けとして、全国から見学希望の問い合わせがあるFC岸和田ですが、その取り組みはまだ始まったばかりです。さらに10年後、20年後にどう地域に根付いているのか?その成果が「鍛える」スポーツから「楽しむ」スポーツへの橋渡しになっているように願います。