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悩んだら、”わけもなく惹かれる人”の近くに行ってみる。西村佳哲さんが“自分の仕事”をつくるまで [STORY OF MY DOTS]

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特集「STORY OF MY DOTS」は、“レイブル期”=「仕事はしていないけれど、将来のために種まきをしていた時期」にある若者を応援していく、レイブル応援プロジェクト大阪一丸との共同企画です。今回はリビングワールドの西村佳哲さんにお話を伺いました。

西村佳哲さんのお名前を聞いて、どんなことをイメージするでしょうか。

働き方の本を書いている人、美大で教鞭をとっている人、プロダクトデザインをしている人…。実は、どれも正解。西村さんはデザイナー、大学講師、働き方研究家といった肩書を持っています。

そのうち”働き方研究家”という仕事は、当然ながらもともとあった職業ではなく、西村さん自身が作ったもの。では、どのように作っていったのでしょうか。
 
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西村佳哲(にしむら・よしあき)
リビングワールド代表、プランニング・ディレクター、働き方研究家。
1964年東京生まれ。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、三種類の仕事。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。多摩美術大学、京都工芸繊維大学 非常勤講師。

得意技は「気になる人に会いに行くこと」

西村さんの原点は、子どもの頃に遡ります。

小学生のとき、勉強も運動もあまり得意ではなくて、学校にあまり居場所がないなぁと思っていました。私立に通っていたので、地元にも友達が少なくて。じゃぁどうやって居場所を得ていったかと言うと、気になる人に会いに行っていたんですね。

その一つが、国外から日本語でラジオ放送されるBCL(Broadcasting Listening)。

世界の裏側で喋っている放送をリアルタイムで聞けて、当時はまだインターネットがない時代でしたから、すっかり夢中になりました。

このBCLの専門雑誌に『短波』というのがあって、あるとき編集部に一人で遊びに行ったんです。「読者です」って言って(笑)。編集部の方は小学生が来たって喜んで、良くしてもらった記憶があります。

その後も何度か遊びに行き、そこにいる大人たちと時間を過ごしたそう。

小学生のときだとそんな感じだし、中学生になると今度は『ぱふ』という漫画専門誌の編集部に行って、入り浸っていました。

高校生の頃も自主映画を制作している人たちの活動に顔を出し、そのサークルにつながりのあった漫画家の人たちと交流するようになったことがきっかけで、美大への進学を目指すことに。
 
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高校三年生の頃、自主映画の撮影中

何をやっていいか分からずにエネルギーを持て余していて、居場所がないと感じたときは、気になる大人の近くへ行って、一緒に時間を過ごしているというのが得意技でした。

関心を持った人に会いに行くことは、さまざまな人に働き方についてインタビューをする「働き方研究家」にも通じているようです。

とにかく近くに行ってみる。そうすると様子が分かる。そこで会った人たちは、今の僕の原動力になっています。

僕が会った大人たちは、『ぱふ』なんていつも会社が潰れそうだったけど(笑)、『短波』にしても映画サークルの年上の人たちも、みんな好き好んでやっているというか、手を抜かないんですね。そういう人をたくさん見てきました。

鷲田清一さんが「最近の子どもは簡単に諦めるけれど、それは〝とことんやる〟大人の姿を見ていないからだと思う」と述べていて、そうだなぁと同感しました。僕はとことんやる人たちを見てきたから、恩返しをしないといけないなと思っています。

自分の中の“神様”になる

そういった大人たちと出会ったことを、西村さんは「自分の中にたくさん神様がいる」と表現していました。

自分に関わってくれた人や、お世話になった人が自分の中にいて、そういう人たちが自分の一挙一動を見ているような感じです。

とくに「デザインの仕事には神様が多い」と言います。

デザインの仕事をしていてよかったと思うのは、作り手がしている小さな工夫に気づけることです。身の回りにあるもの全部を誰かが作っていて、中には「こんなもんでいいか」と作られたものも少なからずあるけど、たいていのものはすごくよく考えられています。

車なんてすごいですよね。命を預かるものはとてもよくできています。こんな工夫がしてある、というのが見えてくると、それが全部神様になります。

コンサートに行くと大変ですよ。僕は手を抜いているコンサートって行ったことがないです。たった一時間とかのものを作るために、どれだけのことをしてきたか考えるとゾッとしますね。

このデザイナーが、あのミュージシャンが、という属人的なものではなく、一つひとつのもの全てが “神様”として西村さんの一部になっていくようです。
 
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西村さんのワークショップシリーズ「インタビューの教室」で使う道具たち (撮影:落合祥子)

何かを実現させるためには、ジャンプが必要

デザインの仕事とともに、「働き方」について文章を書いたり講演をしたりしている西村さんですが、建設会社に勤めていた会社員時代は、仕事に悩んでいた時期がありました。

それまで学校も就職もあまり深く考えずに決めてきたので、自分は何をしていくのか、何を大切にしていくのかということを、深く考えずに過ごしてきたツケが20代後半に来たんです。会社を辞める前の4年間くらいずっと、お前はどうしたいんだ?と自分に問われ続けていたような気がします。

自分は何をしたいのかが分からない。そこで自分を掴もうと、書くことを始めます。

自分はどんなときに喜びを感じていたか、何が得意か、とか客観的に書き出して、そこから考えられる新しいアイデアは何か…とか色々考えて。でも、やらないんですよね。動き出さないんですよ。それでまた落ち込んで(笑)。

たくさん選択肢は出るものの、「頭で考えたことでは力にならない」と気づいたと言います。

湘南に遊びに行ったとき、ある人が都心の会社に勤めていたけれど海の近くに住みたくて引っ越したと話していて。僕もその頃サーフィンをやっていたし、「だよね!」という感じで共感した。けどその瞬間に、自分が虚しいというか、相手との距離をすごく感じました。海の近くに住むことについて、同類なんかじゃ全然ないんですよ。

この人はある一線を越えたんだなと。選ぶということは、同時に何かを捨てることでもあるし。今何かをやっている人たちや、いいなと見上げる人たちには、ジャンプした日があるんだよなと改めて思いました。

何かを実現させるには、ジャンプすることが必要。
西村さんは会社を退職することで、次の道へとジャンプします。
 
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自分の仕事をつくる

会社の仕事って、自分ではなく基本的に会社の看板に来ているんですよね。それだと、振られた仕事をどうこなしていくかという筋肉だけが鍛えられると思いました。来たものを調理して、下手すると調理したくないものも、しなければいけないことがあるかもしれない。

納得のいかない仕事をするのは難しいですが、でもそういう依頼が来たら、自分は理屈を作って正当化させて、やるだろうなと思ったんです。その自分は嫌だな、と。このままだと自分はだめになる予感を覚えて、30歳のときに独立しました。

「僕の場合は」と西村さんは強調します。

自分は会社を辞めることで今の仕事へと展開していったけれど、会社を辞めればいいとは思っていないし、辞めることが是とは思いません。

当時はとにかく煮詰まっていたから、その後何をするか決めずに辞めているんですよ。「よく辞めたね」と言う人もいるけれど、不安は感じませんでしたね。今も行動原理はほとんど変わらない。少しでも光明が感じられる方へ行こうと思っています。

退職後は知人の事務所で外部スタッフとして働きながら、「自分の仕事をつくる」ということを考えながら形にしていきました。

「働き方研究家」と名乗るようになったのは、デザイン雑誌『AXIS』で、柳宗理さんやパタゴニア社といった西村さんが尊敬する作り手に働き方を聞いていく企画を始めたとき。この連載が、後に出版される最初の著書『自分の仕事をつくる』になり、今につながっています。
 
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「だれと」働くかを大切にしていく

こうして現在は「働き方研究家」としても活動している西村さんですが、自身はどんな働き方をしているのでしょうか。

今年の1月に「暮らしの教室」というイベントにゲストとして講演したときに、タイトルを「どこで・だれと・なにを」にしたんです。それで参加者に「みなさんは今、このどれにウェイトを置いていますか?」と聞いて。そのとき僕は「だれと」と言いました。

昔は「なにをするか」っていうことの方が大事で、それを一緒にやってくれる職人さんであるとか、人を探していましたが、今は「だれと」の方が先ですね。今すでに自分が出会っている人と、仕事を通じて何ができるかな? 関係を育てていくには? という発想が強くなっています。

違和感を大切にすることや、実感を大切にすることなど、「全体として働く上で大切にしていることは変わっていないですが」と続けます。

ジャンプをするときには衝動が必要なので、ちょっと昔の自分が考えたことよりも、今感じていることを大切にしています。それに掛けあわせて「だれと」を大切にしていきたいなと思っています。

この「だれと」というのは、デザイン事務所「リビングワールド」を奥様と運営していることが大きいようです。

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「リビングワールド」で手がけているのは、太陽の光と月の光が地球に届くまでの時間の砂時計など、魅力的な作品ばかり。

夫婦で働いていると、自分が何をしたいかということだけではまわらないんですよね。「なにを」のときは、極端な話、相手は交換可能で、その人がダメだったらまた別の人に頼むことができますが、妻は交換不可能なので(笑)その人と何ができるか考えるわけです。

妻と10年くらいリビングワールドをやってきて、自分たちも変化していきているし世の中も変化してきている中で何ができるかと考えたときに、アイデアから先に考えて自分たちを合わせていくのではなく、この組み合わせで何ができるか考えたほうが、効率もいいし無理もないし自然だし、大事にしたいと思っています。

考えてもわからないことは、考えてもわからない。

最後に、レイブルの方へのメッセージをいただきました。

糸井重里さんがどこかで、行き詰まったり、なにをすればいいかわからないようなときは、身体を動かして(たぶんスポーツなど)、あと本を読んでいればいいと思う、といったことを述べていました。僕も賛成です。

「考えてもわからないことは、考えてもわからない」ものだと思う。少なくとも短期的には。そんなときの考え方は「うーん…」と頭を捻るようなそれではなく、頭の片隅に置いておいたり、ねかせておいたり、あるいは「忘れずにいる」ことが考えることの別形態になると思う。

一つ加えるなら、 わけもなく惹かれる人の近くに行って、一秒でも長い時間をその傍らで過ごすといいと思います。 「インタビューさせてください」でも「タダ働きさせてください」でもいいから。たとえその人の仕事が、自分がやりたいと思っているものではなくても。存在に惹かれるものがあるなら。

「この世界に、こんなふうに居られるんだな」という、あり方に触れることができるので。で、自分自身はその人とはまた全然別の仕事や活動を通じて、そんな…というか自分なりのあり方、存在の仕方を形にしてゆけたら満足だろうと思うわけです。

興味のある人に近づいてみる。その様子を観察して感じ取ってみる。
これはどんな職業でも学びを深めることができそうですね。

みなさんは、どんな人に会いに行きたいですか?もし思いつかない方は、西村さんのワークショップに参加してみるのもおすすめです。何かに悩んだら、頭で考えているだけでなく、まず一歩踏み出してみると新たな扉が開くかもしれません。