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人生も、サーフィンで波乗りするように。小野寺愛さんが、海の上の保育園「子どもの家」をつくるまで [STORY OF MY DOTS]

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特集「STORY OF MY DOTS」は、“レイブル期”=「仕事はしていないけれど、将来のために種まきをしている時期にある若者を応援していく、レイブル応援プロジェクト大阪一丸との共同企画です。

今回は、3ヶ月の地球一周の船旅を通して国際交流と平和教育を行なう「ピースボート」スタッフの小野寺愛さんに、ピースボートで働くまでの道のりと、今取り組んでいることについて伺いました。

 
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小野寺愛さん
地球9周した船乗り、波乗り、2児の母。国際交流NGO「ピースボート」スタッフ、洋上のモンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」代表。 地元逗子で「海のようちえん」「こどものてしごと」を運営。共著に「紛争、貧困、環境破壊をなくすために世界の子どもたちが語った20のヒント」(合同出版)

ピースボートとの出会い

小野寺さんの学生時代はウィンドサーフィンに夢中になり、就職活動の時期も、全国大会に向けて練習に励んでいたそう。

大会が終わっても将来何をやりたいか分からず、アメリカへ留学したり、世界中をバックパックの旅に行ったり。「もっと旅をしたい!」という思いから出会ったのが、ピースボートでした。
 
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ウィンドサーフィンに夢中になっていた学生時代

最初は通訳スタッフとしてピースボートに参加しました。ブラジルのファヴェーラ(スラム)で子どもと遊んだり、難民キャンプを訪れたり、タヒチで先住民の長老に弟子入りしたり。バックパックの旅では会えないような人と接して、個人では行けないところを訪れることができました。

人生を変えられてしまったのは、イスラエルとパレスチナでそれぞれに友達ができたこと。自分と同じ年の二人と船で1ヶ月半共に過ごして、飲んで、笑って、踊って、二人が歴史認識についてケンカを重ねながらも最後、若者の対話の場をつくるに至るまでを間近で見ていました。

戦争をしているのは政府と政府であって、人と人ではないと気づき、初めて紛争を他人事ではないと考えるようになりました。

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タヒチの先住民長老、ガブリエル・ティティアラヒさんと

また、南アフリカでの出来事も印象に残っていると言います。

ある黒人家庭でホームステイをしたとき、そこで会った9歳の女の子が「いいなあ。日本からここまで旅してきたんだね。私も大きくなったら日本に行ける?」と言ったんです。

当時の南アフリカは、アパルトヘイトが廃止されても黒人への構造的な差別はまだ根強く残っていました。白人が住むプール付きの邸宅から車を20分も走らせれば、トイレもないプレハブの家々。私が訪れたタウンシップでも、失業率は8割。HIV感染率も成人の5人に1人。昼食は地元のNGOがスープのケータリングをするような場所でした。

その子は知的で、目がキラキラしていました。9歳にして、英語も話せました。それでも、これから彼女がどれだけ頑張ったって、今のままでは未来は明るくはないという現状。格差をつきつけられて、なんでこんなことになってるんだろう、と悲しくなりました。

大きくなったら日本に行けるか、という彼女の問いに対しては、「そうだね、あなたが大きくなって日本に来てくれるようなことがあったら嬉しい。そうなったらいいなと、本当に思うよ」と言うのがやっとだったそう。

貧富の格差をなくしたい、自分にできることは少なくても、せめてこんな格差を広げる側には回らないようにしよう、と心に決めました。

現実と理想の狭間で

「どうしたら世界を変えることができるのだろう?」

いろいろ考えた結果、世の中を大きく動かしているのは“お金“だと思った小野寺さんは、「お金が、社会や環境にいいことをしているところに流れるように仕組みを作ればいいんだ!」と、当時まだ新しかった社会的責任投資の夢を掲げてリーマンブラザーズへ就職。ところが、入社初日からその夢は敗れることに。

入社する二日前まで2度目のピースボートに乗っていたんです。地球の南周りを行く航路で、貝殻を地域通貨として使っているパプアニューギニアの村や、モノは少ないけれど暮らしは本当に豊かな地域ばかりを訪れていました。

人のあたたかさにとことん触れ続けた3ヶ月の旅の3日後、いきなり六本木ヒルズで働くようになり、配属先もヘッジファンドを売る仕事。ものすごく平たく言えば、お金持ちがさらにお金持ちになるのを手伝う仕事だと思いました。待遇もよくて同僚もいい人たちでしたが、自分の仕事への意味を見いだせなくて、初日から気分はナイーブでした。

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コロンビアの村で子どもたちとマングローブの苗を植えていたとき

さらに、当時はイラク戦争が始まろうとしていた頃。ピースボートのボランティア仲間たちは、職場からわずか2ブロック離れたアメリカ大使館前で反戦運動をしていました。小野寺さんも昼休みに手伝いに行っていたそう。

でも、会社に戻って話題になるのは、攻撃対象となるイラクの人々のこれからの暮らしへの心配ではなく、アラブ諸国にある会社の株価や石油の値段でした。もちろんそれが仕事なんだし、みんな悪気はないのですが、なんだか戦争で人の命を消費しているような気がしたんです。

会社に行くのが辛くて、どうしても電車に乗れずに駅のトイレで戻してしまったり、昼休みに一人で詩を書いたり(笑)。気持ちの上で、ぎりぎりでした。

小さくてもいいから、誰かの役に立つ実感を持ちたい。
そんな思いから、ピースボートの事務局へ転職します。

海の上に保育園をつくる

ピースボートは地球一周する船の上に、国内外から40〜50人の講師やパフォーマー、国際留学生を招き、平和・環境・文化をテーマとした講演やワークショップなどを行っています。小野寺さんはこの洋上プログラムをつくる仕事に、すぐにのめり込みました。

ピースボートに乗船している水先案内人は各界で活躍しているおもしろい方ばかり。社会を実際に変えようとしている素敵な人たちに、20代半ばの小娘である自分が魅力的な寄港地の名前を携えて、「一緒に◯◯へ行きませんか?」と名刺一枚で会いに行ける。

もちろん玉砕もたくさんありましたが、本当に楽しかったです。給料は少ないし終電で帰る日々でしたが、それでも喜んで働いていました。

一方で、課題もありました。平和教育、環境教育のプログラムをつくり、参加者は旅の間は「私も環境のために動きはじめます!」と言ってくれるけれど、帰国すると熱が冷め、もとの生活に戻る人も多い…。

どうしたら本当に平和な社会を作ることにもっと貢献できるのかを悩んでいた6年目、出産を経験します。
 
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今では二児の母となった小野寺さん。写真は次女を出産したときに。

子育てを機に、先入観も偏見もない子どもにこそ、世界を実体験してほしいと、親子でピースボートに参加できる教育プログラムを思いつきます。

「未就学児が世界を旅したって、どうせ忘れちゃうからもったいないでしょう?」とよく言われます。でも、人間の発達を医学的に観察したら決してそうじゃない。大人は体験したことを「記憶」して「知識」にしますが、6〜7歳くらいまでの子どもは皆、体験したことをそのまま「自分の一部として吸収」します。

子どもたちは、優しくしなさいと説教されても覚えていられないけれど、優しい人に囲まれていれば思いやりのある人になります。メディアで「世界」を知る前に、実際の世界がこんなにも多様で美しいことを体験して、訪れる各寄港地であたたかく受け入れられたら、どんな大人になるでしょうか。

差別も先入観もない幼い子ども時代に、異文化を体験し、親子で「わあっ!」と感動する体験を重ねる。それは間違いなくその子の一生の財産になるし、めぐりめぐって平和にもつながると思うんです。

こうして2009年から、海の上のモンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」が始まりました。
 
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「平和は子どもからはじまる」

「子どもの家」では6歳以下の子どもを対象に、洋上では9時から15時半までモンテッソーリ教育の保育園を運営し、子どもは子ども、親は親でたくさん学べるようになっています。そして、寄港地では親子で楽しめるプログラムを提案しています。

第1回目は5人ほどの子どもしか集まりませんでしたが、今では毎回、定員の15人が埋まるようになり、これまでに60人以上の子どもたちが大好きなお父さんやお母さんと一緒に地球一周をしてきたそうです。

「ピースボート子どもの家」のアドバイザーであり、国際モンテッソーリ協会公認講師の深津高子さんから「平和は子どもからはじまる」という言葉を聞いて、本当にそうだなと思っています。

例えばモロッコで、シングルマザーが自立のために経営している食堂に行ったときのこと。「かわいそうなことがあるんだな。でもみんな頑張っているな」という感じで、見たものを知識として自分に留める大人が多い中、6歳の男の子が「僕は子どもにあんなひどいことをする大人を許さない」と拳を握りしめて怒っていたと言います。

「大人になったらアラビア語を勉強して、こんな状況を変えに、モロッコに戻ってくるんだ」とつぶやいた彼に、ハッとさせられました。体験する世界のすべてを自分ごととして捉えることができる子どもたち。こんな風に、本当にこのプログラムをやってよかったと思う瞬間がたくさんあります。

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小野寺さんの娘さん(左)とヨルダンにあるイラク難民のキャンプを訪問

私は自分の娘たちとも3度、地球一周を共にしていますが、長女が4歳のときの旅で話してくれたことも印象的です。どこが楽しかったか聞くと、ヨルダンが一番楽しかったと言っていて。

理由を聞いてみると、現地家庭を訪問したときに出していただいたデイツがおいしかったとか、お祈りの時間になると町中で流れるコーランが魔法みたいで面白かったとか、ぎゅーっとハグしてくれた大柄のおばちゃんが優しかったとか…。

大人にイスラムのイメージを聞けば、残念ながら多くの場合メディアの影響からか、返ってくる答えは「戦争」「テロ」「危険」ということが多いです。先入観のない子どもたちがアラブ地域を体験すると、その文化にものすごくポジティブなイメージを持っていて、感激しました。

母の目線から、世界へ。

子どもと世界。ようやくライフワークとなる仕事に出会えたと感じている一方で、「ピースボート子どもの家」は3ヶ月という時間と旅にかかる費用に余裕がある人たちのための、限られた場になっていることも痛感しています。

そこで「もっと地域で役に立ちたい」と、地元・逗子で季節ごとの海や山を親子で楽しむ「海のようちえん」を運営したり、世界を舞台に働いてきたママ仲間たちと「グローバルママ・ネットワーク」を立ち上げたりと、試行錯誤も続けています。

現政権やビジネスの世界にいる人たちは「グローバルな人材育成が急務」と話しています。英語を話し、国際競争力を持ち、企業や国のために世界で戦うことができる人を指しているようですが、母親としては違和感があります。

否が応でもグローバル化が進むこの時代、子どもたちには本当の意味でグローバル化した世界を手渡したい。普通の人同士がお互いの「同じ」と「違う」をポジティブに理解して受け入れあい、多様な「ローカル」が尊重され、つながりあう幸せな世界を。

そして、そんな世界のどこにいてもたくましく地域に貢献することができる人材こそが本当の「グローバル人材」であると、母親の視点から政策提言していきたいと思っています。

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「海のようちえん」にて

目を輝かせて、まだまだ夢が膨らむ小野寺さん。
それでも悩むときは「色々な人と話すことが大切」だと言います。

就活や仕事に迷ったときは、自分の中で悶々としない。どんどん興味のある人に会いに行って、何でも聞きました。

学生のときはジャーナリストになりたいと思っていたので、新聞記者の方に頼み込んで取材に同行させていただいたこともあります。おかげで自分はジャーナリストに向いていないと気づきました(笑)

さまざまな人と接することで視野が広がり、本当に自分に合ったものや、求めているものに改めて気づけることも多いでしょう。

サーフィンと人生は似ています。いい波を見極めるセンス、波がきたら近づく努力、キャッチするタイミング。ひとたび乗ってしまえば、波に身体をゆだねるだけ。なかなか波がこなくても、楽しく待とうと思う姿勢が大事。今も波乗りは自分を切り替える時間です。

人生は出会いの連続。どの出会いが次につながるのか見極める力も大切です。もし、まだ“いい波”に出会っていないという人は、小野寺さんのように待つ時間も楽しんでみてはいかがでしょうか?