(C)スマスタ
使うほどに手になじむ、柔らかさ。
冷たい水に凍える手には、温かく。汗を拭えば、ひんやり涼しい。
しかも薄くて、乾きやすい、手ぬぐい。
明治時代にタオルが生まれるまで、手ぬぐいは湿度の多い日本の中で快適に日々を暮らすための、万能選手でした。そして、いくばくかの盛衰を経た今日、日本の伝統の暮らしや、道具を見直す人々が増える中で手ぬぐいは、新たな脚光を浴びています。
今日は“注染”で手ぬぐいや浴衣を染めながら、伝統を次の世代につなぐ「株式会社ナカニ」の中尾雄二さんに、お話を伺いました。
生産量は全国でもトップクラス
株式会社ナカニ社長の中尾雄二さん(C)スマスタ
「好きで “注染”を、始めたわけじゃないんですよ」。中尾さんの口からこの言葉が出たので、実はちょっと驚きました。
今や全国でも二十数軒といわれる注染工場の中で、屈指の規模をほこる株式会社ナカニの社長。オリジナルの手ぬぐいブランド「にじゆら」を立ち上げ、京阪神に3つの直営店を持ち「注染の現場を見て欲しいから、お客様に工場見学までしてもらう」という熱の入れよう、なのに。
その謎に迫るため、中尾さんの来し方と、ナカニの歴史に迫ってみましょう。でもその前に、まずは“注染”について、少し。
“注染”は、染めの技法のこと。その発祥を飛鳥時代の三けち染めにまでさかのぼる、と言われています。明治時代には大阪・淀川沿いを中心に、染織工場や精錬工場などが集い、産業として栄えました。しかし戦渦に巻き込まれたため、戦後は大阪府堺市を中心に再出発しました。
中尾さんが代表を務める「ナカニ」の創業は昭和41年。工場は堺市内を流れる石津川沿いにあります。中尾さんは家庭の事情もあいまって、大手企業を1年で辞職。昭和57年に、お父さんの代から続く工場に入社しました。
一般的に注染の会社は、メーカーから注文を受けて染める、いわゆる“委託加工”の形態をとります。しかも中尾さんの入社当時、手ぬぐいは企業の販促品として“配られる”もの。わざわざお金を出して買う“商品”ではありませんでした。
注文をもらって染める“委託加工”では、主な収入源は染め工賃です。しかしこの状態では、他の競合と比べられ、良いものをより安くつくることを求められる。そして利益は頭打ちの状態になってしまいます。バブル崩壊以降は、特に厳しい経済環境と安価な外国製品との狭間で、少しでも注文を多くもらい、数をたくさんこなすことで会社の経営を成り立たせてきました。でも中尾さんは「これでは職人のプライドは育たない」と言います。それはどうしてでしょうか。
その理由の一つに、「分業制」があげられます。伝統産業や工芸の世界では、効率良く生産するため、生産過程を分業制にすることが多いのです。注染の場合は、大まかに言うと
板場
1、布に型を置き、上から糊を置く
2、蛇腹状に折り畳み、1を繰り返す
壺人(つぼんど)
3、染料の色が混じらないように、糊で「土手」(堤防のようなもの)をつくる
4、土手からはみ出ないように、染料を注ぐ
川
5、糊や染料を洗う
伊達干し
6、干す
整理
7、綺麗にプレスされ、一定の長さにカットする
という工程があります。
1反20数mある布を、蛇腹状に折りたたみながら型を置き、刷毛で糊を置きます。写真のグレーの部分が糊。布の裏と表で、まったく同じ作業を繰り返します。(C)スマスタ
糊を絞り出し“土手”をつくります。(C)スマスタ
グレーの糊で囲っているのが“土手”。 “土手”から溢れないように、染めたい色の染料を注ぎます。(c)スマスタ
糊や染料などを洗った後、染め上がった反物を天井から吊るして乾燥させているところ。乾燥したものは一定の長さでカットし、最終加工します。(c)スマスタ
分業制を採用していた当時「注文が一番多いときは1日2千5百枚染めることもあった」と中尾さんは言います。つまり、糊置きを担当する職人は、その作業だけを朝から夕方まで2千5百回繰り返す、ということ。それを毎日、何年、何十年と繰り返すのです。「熟練の技」という言葉をよく耳にしますが、それは職人が仕事に注ぐ全時間と手間のこと。想像を絶する時間の厚みです。
こうした職人の仕事は、これまで成果がまったく目に見えない仕事やったんです。しかもうちらの仕事は工業生産なんで、なかなか評価されるもんじゃない。そんな状態では、物が豊かな時代に生まれてきた若い世代は、この世界に入りたいと思わない。すると後継者も育たないし、そのままでは注染もなくなってしまう。だから、注染を後々まで残すためにも、もっと職人が主役になれるようにしないと、と思っていたんです。
職人の常識を覆す“にじみ”が改革のきっかけに
ジレンマを抱えたまま、会社の経営を安定的に軌道に乗せることに奔走してきた中尾さん。転機は、今から7年前に訪れました。
ある時、京都の手ぬぐい屋さんから紅葉の柄を染めてくれ、と依頼を受けたのです。「赤く染まった紅葉の中に、まだ染まっていない葉っぱを表現したい。だから全体をオレンジ色に染めて、中に1点グリーンの色を落としてほしい」と。
注染では、ふつう糊で“土手”をつくり、染めたい色が混ざらないようにするのですが「色が混じっても構わない」と言うんです。私たち職人から見たら、色がにじんで混ざることは、きれいじゃないんですよ。結局、しぶる職人に「ええから」と言って染めてもらいました。
で、実際にお店で反応を聞いてみると「すごく売れている。お客さんはみんなグリーンのぼかしの部分が効いてる、と言って買ってくれるんです」と言われたんです。
職人たちは、誰一人想像もつかないくらい常識を覆した“にじみ”。「これだ。これこそ注染でしか、出せない味」と中尾さんは思いました。その味を最大限に活かすべく、2008年に「にじゆら」というオリジナル手ぬぐいブランドを立ち上げ、イラストレーターとタックを組み、次々と新しいデザインの手ぬぐいを発表し始めました。
すると、独特の温かみのあるデザインが人気となり、大手企業からもどんどんコラボレーションの依頼が舞い込むように。すぐさま社内で「にじゆら」専属デザイナーを抱えるように体制を整え、京都と大阪、神戸に次々と手ぬぐいの路面店もオープンさせました。こうして、これまで“販促”グッズだった手ぬぐいが、ユーザーがお金を出して求める“商品” になったのです。
中尾さんがイノベーションした点は、デザインだけではありません。先ほど、注染には1〜7までの工程があり、分業制だと説明しました。中尾さんはブランド設立と同時に1~4までの工程を、1人で手掛けるように、生産の体制を思い切って変えることにしたのです。こうすることで、生産効率は若干落ちるものの、作業の大半を1人が担うことで、自分の仕事に誇りを持てるようになる、と言います。
大阪中崎町本店のようす。手仕事でしか出せない“にじみ”は「にじゆら」の最大の特徴。ブランドのネーミングにもなりました。
JR東日本が鉄道博覧会を開催したときにノベルティとして作られた手ぬぐい。東京駅をモチーフにした幻想的な手ぬぐいは、世界中から訪れた来賓に配られました。
ブランド立ち上げから今年で5年目。以来、「にじゆら」を染めたいという若い職人志願者も増えた、と言います。「最終的には、お客さんが染める職人を指名できるようにしたい」と言う中尾さん。「にじゆら」は通常、社内デザイナーと外部の作家がデザインを手掛けていますが、今年は職人が自らデザインから染めまでを企画し、展示販売する機会をもうけるそうです。
「好きで始めたわけじゃない」。冒頭のセリフはこう続きます。「最初はね。でも今は注染を残そうという気持ちで、良いものをつくろうと思って一生懸命やってる」と。その注染の、一番面白いところは?と聞くと、またも返ってきた意外な答えに、私はすっかり心を奪われました。
苦しいところかな。やってもやっても、染めの色を安定させられない。その日の天候によっても変わる部分もある。「注染なんて嫌いや」と言ってるのは、本当はその道を極めることが難しいと知ってるから。それでも何十年もずっとやってきて、こうしていまだに冷めずにやっている。人は、それを好きと言うのかな……。
普段の生活でも、やっぱり手ぬぐいは身近なところにある中尾さん。「籐のかご1つには、手ぬぐいがぎっしり入っていて、しかも全部違う柄」なのだそう。手ぬぐいを使うことで、季節に敏感になった、と言います。
家にはいろんな柄の手ぬぐいがありますが、季節によって選ぶ柄や色も変わってきました。例えば真夏には、黒い色の手ぬぐいは持たずに、色や柄があっさりとした白っぽいものを選ぼう、とか。
暮らしの中に手ぬぐいを取り入れ始めると、日本人の暮らしはどう変わりますか?と聞くと、こう答えてくれました。
もっと生活全体に“動き”が出てくるんじゃないでしょうか。身体を動かすという意味で。僕は日本人の生活自体が、便利になり過ぎたな、と思ってるんですよ。今は掃除の道具も色々あるし、何でも買ってしまう時代です。
でも手ぬぐいって、最初は身体などを拭きますが、使い古せばぞうきんにもできる。昔の道具って身体を使いますよね。こんな風に、昔は生活に“動き”があったんです。道具に便利さを求めるだけじゃなくて、ユーザーが1つの道具の使い方の幅を広げていたけら良いですね。
今の時代に伝統をつないでいくには、つくり手にきちんと光を当て、消費者が「素晴らしい」という声を届けること。何よりも大切なのは、多分そういうことだと痛感しました。伝統を担うって、きっとものすごく地道な作業の繰り返し。好きという気持ちだけでは続かない。時には悔しくてしんどいこともあるのかもしれない。その葛藤も、すべてをひっくるめて、それでも続けるということ。ひょっとして、これが「愛」なのでは?
ナカニでは手ぬぐいを買ったお客さんを対象に、2月に1回、工場見学も受け入れています。現場を見たい!と思ったあなたは、ぜひ応募してみてください。