©Hideaki Hamada
アートが美術館を飛び出し、過疎・高齢化で人口流出に歯止めがかからない“地方”を舞台にした芸術祭。2000年からスタートした越後妻有の「大地の芸術祭」を皮切りに、都市部も含め、日本各地で開催されるようになりました。2013年だけでも「瀬戸内国際芸術祭」「あいちトリエンナーレ」「中之条ビエンナーレ」「神戸ビエンナーレ」などが開幕。いまや気づけば芸術祭の百花繚乱期。アートファンならずとも「一度は行ったことがある」という人も多いのではないでしょうか。
今回は「瀬戸内国際芸術祭2013」の、小豆島「醤の郷+坂手港プロジェクト」でエリアディレクターを務めたアーティストの椿昇さんに、”サステナブルな芸術祭”をつくる秘訣を伺いました。
コンテンポラリー・アーティスト。1953年京都市生まれ。京都造形芸術大学教授、美術工芸学科学科長。平和で持続可能な未来に向けて、現代社会に問いをたて、時に鋭くかつユーモアのあるメッセージを潜ませた作品を発表。主な個展に「国連少年展」(水戸芸術館、2003年)、
「椿昇 2004-2009:GOLD/WHITE/BLACK」(京都国立近代美術館、2009年)、「椿昇展“PREHISTORIC_PH”」(霧島アートの森、2012年)。「瀬戸内国際芸術祭2013」では、小豆島の「醤の郷+坂手港プロジェクト」において「観光から関係へ」というビジョンを打ち出し、約20組の参加クリエイターのディレクションを手掛けた。©柳瀬安里
「観光は、やめませんか?」で始まったプロジェクト
「瀬戸内国際芸術祭」(以下、「瀬戸芸」)は、岡山・香川県に点在する瀬戸内海の島々を舞台とし、3年に1回開かれるアートのトリエンナーレ。2回目となった2013年は、12の島と高松港・宇野港を会場に、春(3月20日~4月21日)、夏(7月20日~9月1日)、秋(10月5日~11月4日)と会期を分け、計108日にわたって開催されました。
展示作品およびプロジェクト数は合計で約200。国内でも最大規模の芸術祭のひとつ、となりました。会場となった瀬戸内海の島々は、古来から交通の要所として栄え、固有の文化が残ります。しかし人口減少、島民の高齢化にともなう活力の低下は、いなめません。
小豆島には、約400年の歴史を有する醤油、手延べそうめんなどの伝統産業、明治期から始まったオリーブの栽培、1300万年前の火山活動でできた“寒霞渓”などがあり、地域資源は豊富です。しかし16年前に、関西から坂手港へのフェリー定期航行が途絶えてから、若者の都会への流出なども進んで、産業は徐々に衰退。人口は毎年500人のペースで減っていきました。
「持続可能社会に向け、いまアートに何ができるのか」。椿さんの鶴のひと声で、現代社会に危機感を持ち合わせた志を同じくするクリエイター約20組が、「醤の郷+坂手港プロジェクト」に集いました。
「小豆島縁起絵巻」/ヤノベケンジ(絵師岡村美紀)
坂手港でフェリーを降りて、最初にお出迎えしてくれるのは、全長35mの壁画絵巻。旧約聖書の”ノアの箱船”の物語をもとに、「瀬戸芸」で設置された作品群と、小豆島に伝わる逸話が描かれている。ヤノべケンジさんから「1ヶ月で壁画、描けるか?」と、突然の依頼に「描けます」と即答した、当時椿ゼミ4年生の岡村美紀さんが壁画を制作。岡村さんは卒業と同時に2013年の4月から地域おこし協力隊として小豆島に移住。「瀬戸芸」終了後も、島に留まり絵画教室やワークショップなどを開催し、アートによる地域おこしを実践している。©Yoshiro Masuda
「ANGER from the Bottom(アンガー・フロム・ザ・ボトム)」/ビートたけし×ヤノベケンジ
ビートたけしの着想をもとに、ヤノベケンジがそのメッセージを読みとって、京都造形芸術大学の学生らとともに制作。1時間に1回だけ井戸から出現する巨大彫刻を、もともと古井戸があった場所に展示した。井戸周辺の環境づくりから、そのメンテナンスなど、島の人と恊働でつくりあげた作品。©Yoshiro Masuda
2010年の第1回目の「瀬戸芸」で、椿さんは高松市民と恊働で、巨大なあかりをつくる「高松うみあかりプロジェクト」を指揮。それに感銘を受けた小豆島の住民から「先生、うちでも地域おこしのために、“ゆるキャラ”のデザインをして」とお誘いがかかるものの、「もっと品格のあることしませんか? 僕が“未来図”を描きましょう」と逆に提案。
何度も小豆島に足を運び、地元の人達と街を歩き、話に耳を傾け、リサーチに時間とエネルギーを費やしました。時は2011年。こうして描かれた”未来図”と称する企画書には、今回のプロジェクトの要となったビッグビジョン、「観光から関係へ」が記されていました。
一番最初から小豆島の人達に「観光はやめませんか?」って言いました。ぱっと人が来て、結局何も買わずに観光バスで帰っていくような一過性の観光は、やめにしましょう、と。それよりも、1回しか来ていないけど、それからずっと「醤油は小豆島産のものを買う、という”関係人口”を増やしましょう」と提案していました。そのためにはいっさい嘘を言わず、偽装はやめましょうねと言いながら。だって、そこには本当に良いものがたくさん残っていたから。
成功の鍵は”スーパードット”が作れるかどうか
こうしたアートイベントを成功させる秘訣は、「すべてロジスティックスの問題です」と言う椿さん。まず検討したのは、大阪や神戸など近郊の大都市から、小豆島をいかに可視化するか。いまは途絶えているフェリーの航路変更までを、”未来図”に盛り込みました。弟1回目の「瀬戸芸」の盛況ぶりを見て、2回目の開催に前向きだった小豆島町長も、椿さんの企画書を受けて「やりましょう」と即決。
こうした様々な働きかけと呼応するように、2011年の7月に神戸と高松を直結していたジャンボフェリーの坂手寄港への迂回が決定しました。これは貨物トラックの輸送時間が延びるというハンデを考えると企業としては大英断だったのです。しかし、成功の秘訣はこれだけじゃ、ありません。「芸術祭が成立するには、より複雑なファクターがある」と椿さんは言います。
地元の人と話をしながらリサーチして、そこで見つかった”ドット”をつないで、それが”スーパードット(星座)”になるかどうか。”ドット”とは、地域社会で人々が属しているJAや、商工会といった大きな組織に、距離を置く人たちのこと。
例えば、無農薬で農業をやろうと思うと、JAからはじかれたりするでしょ。組織の中でなんやかんや言われる人を集めたら、だいたいクリエイティブなんです(笑)。だから、農業や食などの異分野で、他の人と違うことを始めた人たちをつないで、星座をつくっちゃうんです。
椿さんが現地をリサーチして、すぐ目にとまったいくつかの”ドット”とは?「伝統の木桶製法にこだわる若手のお醤油屋さん、島外からわざわざ移住して始めたカフェ、減農薬にこだわったオリーブ農家さん、などなど。こうした“ドット”が集うエリアに、アート作品群を配置。アートを見に訪れた人と、地域の産業が出会える仕組みをつくりました。
そして、さらに重要なのが、一つひとつの作品間の移動手段。「徒歩か、自転車か、公共交通機関なのか。それによって人のアクセス数が全然ちがう」と椿さんは言います。そこでアーティストの作品配置に、ある”仕掛け”を仕込みました。
「studio-L」、「dot architects」そして「graf」という、今をときめく地域デザインのトップクリエイターたちを、あえて徒歩でまわれる近い位置に配置したのです。すると作品制作の段階から、地元の人がずっと近くで見ることになる。住民もだんだん目が肥えてくるから「あそこのデザインは良かったな」なんて言ったりする。それによって良い意味で競合関係が発生して、みんな手を抜けなくなる。こうすることでそれぞれのポテンシャルが上がり、全体のしきい値も上がる。自分たちの了解事項の中だけでやると、“驚き”って絶対にうまれない。僕ら自身を裏切らないと、つまり“創造的破綻”がないと、見慣れたものしか出てこないんです。
「小豆島町コミュニティアートプロジェクト」/小豆島町民+山崎亮+「studio-L」
濃度の異なる醤油を容器に入れ、グラーデーションを描くようなインスタレーションを展示。作品内容を決める段階から、作業まで、住民参加型のワークショップで制作し、3歳児からお年寄りまで約350人の島民が参加。合計約8万個の醤油入れが壁にずらりと並ぶ様子は圧巻でした。
©Hideaki Hamada
「Umaki camp」/dot architects
大きな経済的負担を背負うことになる「家」。でも「それ以外の選択肢はないの?」という疑問に端を発し「300万円で家を建てる」ことを、誰もが参加できるかたちで行ったプロジェクト。完成した家は、キッチン、ラジオ局、映画鑑賞スペースとして、観賞者と島民が新たな関係を築くコミュニティスペースになりました。参加クリエイターのひとり、向井達也さんも、2013年12月から地域おこし協力隊として小豆島に移住し、「醤の郷+坂手港プロジェクト」の作品補修や管理などを行っています。©Yoshiro Masuda
「小豆島カタチラボ」/graf
「“カタチ”には理由がある。なぜそこに生まれ、根付いたのか。そして時とともに、どう変わるのか」がテーマ。あらゆるモノの“カタチ”を調査・検証・解体・編集・再構築という、デザインが生まれるまでの過程を作品に昇華させて展示。小豆島特産のそうめんや地元の食材を用いたイベントやワークショップを何度も開催。集客数アップにひと役も、ふた役も買いました。©Hideaki Hamada
「瀬戸芸」を谷間に!島の“関係人口”をぐっと底上げ
人気クリエイターの作品は“散らす“のではなく、“凝縮”させる。椿さんのコペルニクス的発想の転回が効を奏してか、小豆島における「瀬戸芸」夏会期中の消費経済効果額は(※1)15.2億円、来島観光客は約11万人。また、他の島も含めた「瀬戸芸」全体の経済波及効果は、全会期を通して、(※2)132億円という数字をはじき出しました。
しかし「『瀬戸芸』良かったね、で終わりにしたくない」という椿さん。本当のサステナブルな芸術祭は、祭りが終わった谷間の時期が勝負。ここでも椿さんの“逆転の発想”が炸裂しています。
※1「瀬戸内国際芸術祭夏期の小豆島観光消費に伴う経済効果/小豆島町役場
※2「瀬戸内国際芸術祭2013」開催に伴う経済波及効果/(株)日本政策投資銀行・瀬戸内国際芸術祭実行委員会
3年に1回「瀬戸芸」がある。その1回に“山が来る”と期待すると、人々は残りの2年を谷とイメージしてしまいます。すると元あった高い山も次第に低くなってしまうのです。だから「瀬戸芸」の直後に、最初の谷を別の山にしてしまう。谷という概念を払拭するのです。
今後はアートを目的に島に来る人たちとは、また違う人に来てもらいたい。次の「瀬戸芸」までの2年間で、食やアウトドアをテーマに、世界的なトップクリエイターや企業を招致して、新しい山が創造できるといいなと思います。
常に異なるジャンルの多様な創造的生活者が来島し、地域の産業や小商いが成立する状況をつくる。こうやって、全体の底上げができて初めて、島への安定した移住も可能になってくる。複合的な山脈を創造しないで単発にアートを持ってきたって、いずれ消えちゃうから。
「今や買えないものはない、というくらい何でもあるネットショッピング。そしてどんどん巨大化し、それ自体がシティ(街)化していくショッピングモール。『瀬戸芸』は、この”2大消費テーマパーク“の狭間で、いかに勝負するか。小豆島をネオ・サバーブ(新郊外)とみたて、アートを巡礼しながら美味しいものを食べる、新たなお遍路さんとしての”ツーリズム“をつくるのです。アートの芸術祭を地域おこしのために農村部で行うのは、世界的に見ても先駆的なのですよ。物真似から創造へ、日本を取り戻すのではなく、日本を新たに生み出しましょう」と椿さん。©柳瀬安里
「瀬戸芸」最終日の坂手港。地元の方々の意向で開催された、盛大なクロージングパーティの様子。参加アーティストが勢揃いする、とても贅沢な島日和になりました。地域の人と参加者が入り交じるこの盛況ぶりを見れば、「瀬戸芸」が結んだ絆の強さがよくわかるはず。写真中央奥は、展示作品のひとつ「スター・アンガー」/ヤノベケンジ©Hideaki Hamada
「瀬戸芸」をきっかけのひとつとして、小豆島では2013年の4月から11月までの間、約80名の若者が移住。また「瀬戸芸」に参加した2名の若いアーティストも、地域おこし協力隊として小豆島に移住し、絵画教室を開いたり、「瀬戸芸」後の作品メンテナンスに取り組んでいます。椿さんが描いた「観光から関係へ」は、もはや“未来図”ではなく、いまこうして“現実”となりつつあります。
不意をつくような奇想天外なアイデア。そして逆転の発想で、既存のフレームや言説をひるがえし、最初の目標にリーチする。椿さんの手腕はまるで“メビウスの輪”。
新しいことをしようと狙ったとき、それはもうすでに様式化されているんです。今を疑って、人生をかけて何かをつくっていくこと。そうすることが結果として新しいのです。前に進むためには、137億年くらい前まで遡って、どのように生命が誕生して、変遷したのかという歴史や、過去のデータベースを振り返らないと。そして「今の時代に必要な絵って何?」って問わないと。自分の言葉で、徹底的に考え抜くこと。その哲学がないと、すべては空疎になるんです。
椿さんはこのとき、アーティストとして、作品づくりのお話をされていました。けれどその言葉は、さまざまなフィールドで「未来をつくりたい」と行動する、全ての人に勇気とヒントを与えてくれます。
望遠鏡を覗くとき、未来の光を見ている気になるけれど、あれは全部過去の光。もう今はない星から来たのかもしれない。未来を見ているようで、実は”過去”を見ているんです。
そう言われて、目が覚めました。みなさんも、次の一手を打つその前に、もう一度後ろを振り向いてみませんか。最も新しい発見は、最も古いものの中にある、のかも。だって、椿さん曰く「全てはパラドキシカル」なのですから。