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教育で変わる、子どもたちの未来。行政と連携し、不登校の子どもが自立するまでを支援する「トイボックス」

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特集「マイプロSHOWCASE関西編」は、「関西をもっと元気に!」をテーマに、関西を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介していく、大阪ガスとの共同企画です。

あなたはどんな小学校へ通い、どんな子ども時代を送っていましたか?

私の通っていた小学校では、30数名分の椅子がお行儀よく並び、みんな赤か黒のランドセルを背負い、時間通りに登校して、授業を受け、基本的にルールを守りながら規律正しく日々を過ごしていました。そんな中で、みんなとは少しペースが違い「ちょっと変わってる」と感じる友達の姿が想い出に残っています。

子どもたちの中には、身体的には健常でも、「発達障害」を持っている場合があることが分かっています。行政では特別支援教育を実施していますがまだサポートが不足していることもあり、民間の中にも、行政や公立の学校と連携して子どもたちが自立できるようなサポートを行う機関があります。

大阪にある「NPO法人トイボックス」は、不登校、発達障害児を専門とする居場所づくりや、教育プログラムを実施してきてこの道10年。NPO代表理事の白井智子さんにお話を伺いました。

発達障害について

これからの学校教育には、発達障害に関する理解は欠かせません。現在文部科学省が発表する発達障害児の割合は6.5%とされていますが、現場感覚では、1割を越えています。

発達障害には、自閉症などの広汎性発達障害、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(AD/HD)などの様々なケースがありますが、日本の学校教育では「勉強ができる子は、障害を持っていても見過ごされがち」です。仮に1割だとすると、30〜40人学級に3〜4人いる割合になります。

トイボックスは、今の公教育の中におさまりきらない子どもたちが学び、一般社会の中で自立した生活を送れるようになるための教育サポート「スマイルファクトリー」事業を実施しています。

2003年9月に大阪の池田市から要請を受け、不登校、発達障害の子どもたちが学ぶ「池田市立山の家」という新しい学校をオープンさせ、10年に渡って運営してきました。

山の家

「山の家」というだけあって、緑に囲まれ見晴らしのよい素晴らしい立地です。 「山の家」というだけあって、緑に囲まれ見晴らしのよい素晴らしい立地です。

スクーリングについて

授業内容は、読み書き、計算、家庭科が中心です。「ホームレス」になる大人の中で発達障害を持つ人のパーセンテージが高いと言われており、これを避けるためにも、仕事に就く上で基礎力を身につける授業を行なっています。

家庭科の時間にごはんやお菓子をつくる食堂。この日は自分達で育てた丹波篠山の新米でおむすびを握りました。 家庭科の時間にごはんやお菓子をつくる食堂。この日は自分達で育てた丹波篠山の新米でおむすびを握りました。

江戸時代の寺子屋と似てるかも(笑)。子どもたちも、学びの必要性が分かると頑張れるんですよ。

学校へ通うペースは、保護者と子供と相談しながら決めます。池田市の子どもたちは、全員原籍学校に籍を置いたまま「山の家」へ通い、ここでの出席日数は校長先生の判断で原籍学校の出席としてカウントされ、授業料も無料で入学できます。

見学会でここを気に入られて、池田市へ引っ越して来られる方もいます。でも、もう、ここは飽和状態に近い。問題を根本から解決するには、発達障害の知識を持った専門家の養成や、さらなるサポートシステムが必要不可欠です。

今の教育システムに合わない子どもたちが1割以上もいる、ということは、今の教育システムを変える必要がある、ということです。今後は、国へ教育制度そのものを見直してもらうような活動も本格化していきたいと思います。

「山の家」の教室へお邪魔しました

放課後のホームルームにお邪魔しました。ホームルームでは、「その日に良いことをした人」を発表する時間があります。

山の家ホームルーム

「今日、楽しいハロウィーンの動画をたくさん見せて笑わせてくれました。」
「校長先生がお仕事をしている間、横でじぃっと終わるのを待ってくれていました。」
「パンくずをこぼしている時に、素早くゴミ箱を差し出してくれました。」

教室内は温かいムードで満たされていきます。

発達障害の子どもの中には、“空気が読めない”、“相手の気持ちを想像できない”、“感謝の気持ちが薄い”などの特徴がある子がいます。ここでは、良いことをした人はもちろん、相手の良いところを見つけた人にもポイントが入り、毎学期MVPを決めているんですよ。

山の家の黒板

学校のルールとしては、「挙手しない人は絶対に当てない」ことを実践しています。

先生にいきなり当てられた時に、上手に答えられず、クラスみんなの前で恥ずかしい思いをしたことがトラウマになっている子も多いのです。中には、高校3年間、学校ではほぼ一言も話さずに卒業していった生徒もいます。

大人であっても、健常者であっても、人によって物を見るモノサシや心の深度、気になるポイントは違いますが、発達障害の子供たちの特徴を捉えた細かな気配りは、やはり専門家によるもの。安心感があります。

さらに、「山の家」には「絶対にイジメをしない」という規則があります。
 
山の家掲示板

…それでも、イジメが起きてしまったらどうするのでしょうか?

徹底的に両者を隔離します。登下校時間も別にして、絶対に会わないようにします。そして加害者側は個別授業へ切り替え、スタッフとマンツーマンで内省の時間を取ります。必ず静かに振り返る時間が必要なんです。

隔離することで、被害者も“先生がきちんと罰を与えてくれる”という安心感を得ます。でも、実は、決して罰を与えているわけではなく、加害者側へも同じくらい寄り添っているんです。“らしくなかったんじゃない?どうしたの?”という具合に。

「しかるべき時に踏み込むと、その子の人生が変わる」と白井さんは言います。何か事が起こったときに、しっかりと向き合うこと。そして、信頼関係を結ぶこと。信頼できる大人がいることを、子供たちに知ってもらうこと。

なぜ、人の足を引っ張ったり、いじめたりするのか。加害者側も“自信がない”等の不安の現れなんですよね。同じ空間の中、片方でイジメ問題を抱えながら、片方で通常授業を進行するなんて絶対にできません。

発達障害を持たず、エリートの素養を持っている子供たちも、クラスにイジメや不和がない状態になると、学習効率が高まると言われています。 “落ちこぼれを作らない”ことは結果的にエリートを伸ばすことにも繋がると思います。

山の家では、常勤、非常勤合わせて約20名の先生他、大学の教育学部からやって来る実習生たちも子ども達に関わっていますが、更にOBやOGも「将来は教育関連の仕事に就きたい」と、授業やイベントの手伝いにやって来ます。

発達障害は“生まれ持った障害”ですが、適した手法で教育すれば、自立して、今度は人を支える立場へと育っていくのです。

常勤の先生や、大学から来ている実習生と一緒に。 常勤の先生や、大学から来ている実習生と一緒に。


小学2年生の落ちこぼれ体験

高学歴の白井智子さん。発達障害の児童を専門に、教育へ携わろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

4歳〜8歳まで、オーストラリアに住んでいました。オーストラリアは移民がとても多い国で “みんな違ってみんないい”という価値観が根付いており、授業も得意分野を生かす方向性なんです。ところが小学2年生で日本へ帰って来た時に、日本の勉強方法に全く付いていけず、落ちこぼれてしまったんです。

日本では、勉強が出来ないことが“弱者”と見なされることに傷ついたという白井さん。その後日本の勉強方法を習得して学力を回復していきます。

クラスの中で成績が上がると、分かりやすく周りの反応が変わり、その経験がまたトラウマになり、ずっと心から離れませんでした。

白井さんの頑張りは続き、ついに東京大学法学部へ進学します。大学卒業後は、出版社への就職を断り、松下政経塾へ。さらに「クラスメイト」という設定で小学5年生のクラスへ入れてもらった経験から、議員秘書や、政策に携わるのではなく、直接子供に関わる形を目指すようになりました。

卒業後は沖縄でフリースクールの立ち上げに携わり、校長として2年間を過ごし、結婚を機に訪れた大阪の地で仲間と一緒にNPO法人トイボックスを立ち上げます。

今ある学校は必要なものだし、学校の先生方は皆さん頑張っておられます。私たちが志しているのは、今の教育制度を「変える」ことではなく、「ちょっとずつ修正をかけていく」ということなんです。

堀江にある事務所にて。職場には、NPO理事であり、旦那さんでもある栗田拓さんの姿も。ご自身は3児の母親でもあります。 堀江にある事務所にて。職場には、NPO理事であり、旦那さんでもある栗田拓さんの姿も。ご自身は3児の母親でもあります。

トイボックスでは、ビジョンを共有した理事がそれぞれ専門で、別の事業を展開しています。その一人、牧野アンナさんは「ラブジャンクス」というダウン症の子どもたちのダンスプロジェクトを運営しています。

ラブジャンクス

また、震災直後には福島県南相馬市で行政と連携して「みなみそうまラーニングセンター ふみだす未来の教室」を立ち上げて様々な児童を受け入れています。

みなみそうまラーニングセンター

もうすぐ震災から3年が経とうとし、現地から撤退するNPOも多い中、白井さんたちは力強く活動を続けています。

発達障害を持った子どもは、環境の変化に弱いので、すぐに居場所が必要だと思ったんです。大事なのは続けること。教育やソーシャルビジネスは、何があっても大人の都合で辞めてはいけないと思うんです。東北でも現地スタッフや先生を引き続き募集しています。

“目の前で困っている子どもたちを何とかしたい”という思いで活動をスタートし、西へ東へと駆け回る白井さん。全ての活動は、信頼関係をつくることからスタートすると言います。日本では、“効率化”を追い求めるにあたり、一番手間暇がかかって然るべき“教育”がどこかシステマチックなものへ変化してしまったのではないでしょうか。

手間暇をかけ、心を使った教育へ。子どもたちとしっかり向き合いながら発達障害児の自立を支えてきた白井さんたちの活動が国へ届き、行政・学校・親が一体となり社会みんなで役割を背負い、みんなで育てるシステムへ。

ひとりでも多くの笑顔が増えることを願います。