\11/12オンライン開催/ネイバーフッドデザインを仕事にする 〜まちを楽しみ、助け合う、「暮らしのコミュニティ」をつくる〜

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“誕生”への願いを込めて。母と子を結ぶ「たろうベビーハンモック」

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ものづくりからはじまる復興の物語」は、東日本大震災後、東北で0からはじまったものづくりを紹介する連載企画です。「もの」の背景にある人々の営みや想いを掘り下げ、伝えていきたいと思います。

海の青と希望の黄色、うまれるいのちの白とお母さんの愛のピンク。4色の糸が織りなす「たろうベビーハンモック」は、お母さんと赤ちゃんをしっかりと結ぶハンモックスリング(抱っこ紐)です。岩手県宮古市田老(たろう)のお母さんたちが一つひとつ手づくりしています。

この製品は、田老出身で現在は東京で暮らす山本智子さんと友人たちが何度も現地に足を運び、お母さんたちにハンモックの編み方を教えることで生まれました。そこには、「たくさんのいのちを失ったからこそ、新しく生まれてくるいのちのための製品をつくりたい」という想いが込められています。

「田老のために何かしたい」山本さんの想いに東京の友人たちが共感した

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田老は海と山に囲まれた豊かな土地ですが、一方で「津波太郎」という異名を持つほど古くから津波被害に見舞われてきた地域でもあります。地上高7.7mの大堤防が建てられ、住民の防災意識も高く「防災の町」として有名でしたが、東日本大震災による大津波は堤防を越えて町を襲い、多くのものを飲み込んでいきました。

東京で暮らしていた山本さんは命こそ無事でしたが、実家も家族も失って大きなショックを受けしばらくは呆然としていたといいます。しかし、時間が経つにつれ、「地元のために何かしたい」と思うようになりました。具体的に何ができるかはわからないけれど、本当に町のためになるような「何か」。山本さんを心配していた東京の友人たちはその想いを受け取り、自分たちにできることを考え始めました。

そうして出てきたアイデアが、「田老の人にハンモックスリングの編み方を教え、製品をつくってもらう」というものでした。仲間のひとりに、ハンモックの製作やワークショップの企画を行うハンモッククリエイターの山本忠道(通称:みちやま)さんがいたからです。

みちやまさん:ぼく自身、「東北のために何かしたい」とずっと思っていました。だから、提案をもらって「ぼくにできることがあるなら」とやってみることにしたんです。

コーディネーターとして活動していたヨガインストラクターの伊藤万菜美さん、コンサルタントの兼安さとるさん、デザイナーの木村真理子さん、そしてもちろん山本さんとぼく。この5人で、お互いの得意分野を活かしながらプロジェクトを進めることになりました。

実行部隊を務めるのは、フリーランスで比較的時間が自由になるみちやまさんと万菜美さん。2011年12月から田老へ通い始め、地元のお母さんたちにハンモックのつくりかたを教えていきました。

ものづくりが、町の人と仮設の人の距離を近づけた

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田老では、津波で家を流された人々が、町の中心部から車で20分ほど離れた「グリーンピア三陸みやこ」敷地内の仮設住宅で暮らしていて、津波を免れて町に残っている人と、仮設で暮らす人の距離が離れてしまっていました。

建物は残ったものの、人が減ってがらんとした町に暮らす寂しさ。人が集う場がある一方、帰る家を失った悲しみ。それぞれ抱えているものが違い、気軽に行き来できない雰囲気が漂っていたのです。

みちやまさん:最初は仮設住宅だけで活動していましたが、町のほうがこうした活動を必要としているのかもしれない、と思いました。それで、町でも講習会を開くことになったんです。

基本的に行き来はなかったんですが、次第に「あっちはどんな状態?」「あの人元気にしているかな」と聞かれるようになって。最終日には町の人が仮設の作業日にも来てくれました。久しぶりに顔を合わせている姿を見て、なんとも言えない気持ちでしたね。

万菜美さん:もしかすると、それが私たちにできることだったのかもしれません。ベビーハンモックは、地元の素材を使っているわけでも、仮設住宅に届けられた物資を使っているわけでもありません。だからこそ、町の人と仮設の人、両方に気兼ねなく使ってもらうことができた。ものが人の心をちょっとだけ近づけた、と今になって思います。

¥taro_.work2 中央にいるのがみちやまさん、万菜美さん

自分の手で編んだもので赤ちゃんが育つ喜び

講習会を重ねてお母さんたちの技術にも製品としての品質にも自信がついたので、2011年4月から、いよいよ「たろうベビーハンモック」の受注販売を開始しました。

「たろうベビーハンモック」の糸は肌に優しいオーガニックコットンで、天然の草木染めによる優しいパステルカラーです。赤ちゃんをすっぽり包むゆりかご設計で、お母さんのおなかの中にいるような心地よさを赤ちゃんに与えます。

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このベビーハンモックには、「津波でたくさんのものを失ったからこそ、新しく生まれてくるいのちのための製品をつくりたい」という想いが込められています。つくり手のお母さんたちも、「自分の手で編んだもので赤ちゃんが育つ」ということに喜びを感じているそう。

「3人の子どもを育て上げた私が編みました。赤ちゃん、元気に育ってね」「楽しく編んだので、楽しい人生を送ってください」製品には一つひとつ、つくり手のお母さんからの手書きメッセージが添えられています。

智子さん:盛岡で復興バザーに出展したとき、嬉しいことがあったんです。つくり手のひとり、秋子さんが店番をしていたら、ちょうどたろうベビーハンモックをつけたお母さんが来てくれて。しかもそれは、秋子さんがつくったハンモックだったんです。感動してみんなで手を取り合って泣いてしまいました。

お金以上の大きなものを得ることができた

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「大きなハンモックブランコをつくって子どもの遊び場にしようよ」「バッグの形にして製品化できないかしら?」一度ハンモックの編み方を覚えたお母さんたちは、自分たちで工夫を重ね、提案もするようになりました。

みちやまさん:ハンモックや“つくる”という行為そのものの持つ可能性に改めて気づかされました。一度編み方を覚えると、人はどんどん成長していくんだなって。新たな発見がたくさんありました。

これまでのことを振り返り、みちやまさんは「想像していたことと、実際に飛び込んでみて感じたことは全く違った」と話します。震災後にどういった問題が起こり、人はどんなことを思うのか。それに対して何をしていけばいいのか。行ってみないと、会ってみないとわからなかったことがたくさんありました。

みちやまさん:たくさんの学びがあったし、田老のお母さんたちとの縁もできました。「たろうベビーハンモック」を始めてよかったと、本当に思っています。

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仕事があるから、東北に長く滞在することはできない。でも、1度きりのボランティアではなく、自分の得意なことやスキルを活かして継続的に東北に関わりたい。そう考えている人は多いのではないでしょうか。「たろうベビーハンモック」の取り組みは、そんな人にとって参考になる事例だと思います。

震災から2年半が経った今だからこそできること、求められていることはたくさんあります。ぜひ、あなたも自分なりの関わり方を見つけて下さい。