おそろいの緑色のギブスを着て掃除します
2003年に産声をあげたソーシャルアクションの仕掛人に、打ち水大作戦の真田武幸さんがそのルーツをインタビューする「ソーシャルアクション元年への旅」。
「打ち水大作戦」や「100万人のキャンドルナイト」と同じくして、2003年に原宿・表参道から発信し、いまでは全国で年間3万人以上のボランティアが参加しているのが「greenbird」です。「ゴミのポイ捨てかっこ悪いぜ。」のメッセージを掲げ、自分たちが住む街をもっとキレイで、もっとカッコイイ街にするために、と個人や企業・団体がgreenbirdのチームとして活動しています。
どのようにしてgreenbirdは生まれ、全国に広がっていったのか。渋谷区議会議員でgreenbirdの仕掛人、ハセベケンさんに聞きました。
(左)真田武幸さん(右)ハセベケンさん
1972年東京都渋谷区生まれ。広告代理店・博報堂で6年間営業職を務め、2002年退職。2003年NPO法人greenbirdを設立。原宿・表参道を中心にゴミのポイ捨てに関するプロモーションを開始する。同年、渋谷区議会議員選挙にトップで初当選。これまでシブヤ大学の設立や表参道イルミネーション復活、アースディマーケット開催、宮下公園リニューアルなど、様々な活動を行ってきている。今後は特色のある保育園・幼稚園づくりやピープルデザイン都市シブヤ計画など、シブヤから世界を変えようと、理想の街づくり目指している。現在、渋谷区議会議員3期目。
http://www.hasebeken.net/
始めたのは、選挙に初めて立候補したとき。
真田 2003年には夏至に「100万人のキャンドルナイト」がはじまり、その2カ月後「打ち水大作戦」があったんですけど、greenbirdはその先陣を切るように2003年1月に設立しているんですよね。
もともと関心の高い人や活動家のものだった社会貢献のアクションが、2003年から一般の僕みたいなオタクみたいな人まで巻き込まれて、楽しいものになっていった。ある意味での社会貢献のキャズムを超えた年だったのではと思うようになったんです。
ハセベ そういわれると2003年って、いろいろあったんですね。
真田 情報インフラが相当、変革期にあったのかなってオタクの視点で思っているんです。調べてみたら、2003年はインターネットの普及率が9割を超えるか超えないかぐらいまでいったタイミングなんですよ。思い返してみると、僕は2001年に小さい広告制作会社に入社したんですけど、当時はひとり1台パソコンがなかった。
ハセベ えー、ほんと?
真田 2003年ぐらいになってようやく会社から支給されたパソコンが全員に行き渡るようになった。博報堂はもっと前からあったと思いますけど。
ハセベ そうだね。俺の入社のときはひとり1台ありましたね。俺が2003年にgreenbirdを設立したのは偶然なんですよ。その年は最初に渋谷区議会議員の選挙に出た年でもあるんです。
その頃、ソトコトだったり、社会貢献に関する情報について、ちょっと気にして読んだりしていて、そこに打ち水大作戦の池田さんやキャンドルナイトのマエキタさんも出ていました。今思うと、10歳くらい上の世代からだんだん、自分と同じぐらい世代にアクションの役割がおりてきた感じがしますね。自然と運良く始めたぼくも、等身大でその波に乗れたっていうことなのかなと思います。
green birdの掃除に参加するハセベさん
渋谷・表参道のプロデューサーになってほしい!
真田 以前ハセベさんのソトコト連載の対談で、「浅草生まれ秋葉原育ちで、秋葉原が大好きだから秋葉原で社会貢献を行う市民の会リコリタを始めました」って話したら「僕と似てるね。結局、生まれて遊んできた地元でなにかしたいというのがきっかけになってるんだね」っていってくださったのが印象深くて。今日はその部分を教えてもらいたいです。
ハセベ 俺が博報堂を辞めたのは、区議会議員に立候補しようと思ったから。それを担いでくれたのが、表参道の商店街の仲間なんですよ。実は立候補する3年くらい前から話はあったんだけど、その頃は合コンで博報堂の名刺みせるのと、区議会議員の名刺みせるのとだったら、博報堂のほうがモテるし(笑)、政治家なんてかっこ悪いって真剣に思っていたんです。
だけど、会社の同僚とは、いつ独立するかってことをいつも話していて。ちょうどその頃、社会貢献に関する広告が世界の賞をとっていたんですよ。
真田 そうなんですか。それはどういうのが?
ハセベ 例えばだけど、ベネトンのストップエイズの広告とか。でも、日本の公共広告っていまいちかっこよくなくて、行政の分厚い壁があるから、ああなるんだろうなと。でも、これからはそういう時代じゃなくなっていくだろうし、日本で社会貢献にエッジの効いたクリエイティブ・エージェンシーみたいなのができたらいいよねって、なんとなく話していたんです。
真田 普通にそういう会話が生まれるのは面白いですね。
ハセベ そういう意味では、社会貢献とか強いメッセージをつくるというのは興味があったんですよね。
真田 ところで、同級生のみなさんは、なぜハセベさんに議員をやってもらいたいと思うようになったんですか?
ハセベ いろんな理由があるけど、表参道の商店会にはこの街をもっとプロモーションできるはず…という思いがあって、地元で広告代理店のスキルがあって、面白いやつはいないかっていうことで、どうも白羽の矢がたったようです。
さっき話したように最初は政治家に興味はなかったけど、「渋谷や表参道のプロデューサーになってほしんだよ」って言われて、ちょっとそれは面白いなと思ったんです。
例えば、バレンタインの日に表参道を歩行者天国にして、「こんな日だからこそ、手をつないで歩こう」ってコピーで、車会社が初めて車に乗るなっていう環境広告を出したら、賞をとっちゃうんじゃない?とか。パッとイメージが湧いたんです。地元は居心地のいい場所だし、ここで一旗揚げてやろうと、ちょうど30歳になった年に決意しました。
選挙のため、まず始めたのが掃除に参加すること。
真田 それで博報堂を辞めたのが2002年10月。選挙が2003年の4月だったんですよね。
ハセベ そう。でも、最初はなにをしたらいいか、わからなくて。当時、同級生たち5人ぐらいで表参道商店会の青年部をやっていて、僕が参加する3カ月くらい前から表参道の掃除を始めていたんですよ。その掃除から始めようと参加してやってみたら、これがけっこう面白かったんです、大変なんだけど。
真田 結構、距離ありますよね。
ハセベ 往復2キロ。当時45lで20袋ぐらいとれるから、5人だと2時間半くらいかかったりして。でも時間もあったし、もくもくと拾うのは、達成感があって楽しかった。それにいろんな人が声をかけてくれるんですよ。おはようとか、えらいわねー、がんばってねとか。ハッピーな気分になったし、振り向いたら、掃除してきたところがきれいになっているわけです。それがすごい気持ちよくて。
だけど、掃除道具を片付けた頃には、もうゴミが落ちている。捨てる人がいるからね。これはいたちごっこだと思いました。街のプロデューサーとして名乗るからには、こういうことをコミュニケーションで解決できる方法があるんじゃないかと考えて、商店街のクリーンキャンペーンの企画書を書いたんです。それがgreenbird。
真田 そうだったんですか!街に参加するきっかけがお掃除ということが、ハセベさんの実体験としてあったんですね。
ハセベ その企画書を商店会に提案したら盛り上がって。実施は商店会の人がやればいいと思っていたけど、なかなかリーダーが決まらない。このキャンペーンはうまくいくと思ったから、「最初は僕やりますよ」ということで始めたんです。
真田 最初からgreenbirdという名前はつけていたんですか?
ハセベ 企画書の内容は簡単にいうと「ポイ捨てしない人を増やすキャンペーン」なんです。一度掃除に参加するとポイ捨てしなくなるから、それを呼びかけようと。それで、ちょっとおしゃれなユニホームでロゴマークをつくって、そのマークをもっている人がポイ捨てしない人になるといいなというビジョン。
それと平行して、ポイ捨てしない人をこの街で仕掛けられたら面白いんじゃないかっていう企画書だったんです。最初はお金はないんだけど、アパレルの人はいっぱいいるから、余ったTシャツにロゴマークをすって着用していました。それをしているうちに、ナイキと知り合って、ビブスをもらえる話になった。そのくらいから、これはNPO法人としていけるなっていう感触に変わってきて申請したんです。
初の選挙で、トップ当選!
真田 その4月に選挙が行われて、区議会も通ったんですよね。そのときは、どのように選挙に出て行ったんですか?
ハセベ 一つは街をきれいにすることから始めること。もう一つは、企業と行政と区民の三角形がちゃんと三角形になっていない気がしたので、その関係性づくり。汗をかいて一生懸命いいことをしたいと思っている人がいても、そこに行政が認可を与えなかったり。また、行政が企業に委託するときも金儲け=悪いと思っている節があって、なかなかそのタッグもうまくいかないところもあって。
真田 入札にしかならないとか、ですよね。
ハセベ そう。だから、そういうのを超えた仕掛けをやるのにNPOというしくみは使えると思って、シブヤ大学はNPOの市民大学にしようとか、考えていました。あとは、条例を審査するのが政治家の仕事のひとつなんだけど、もう少し空気作りみたいなのをしたほうがいいじゃないかと思ったんです。今までやってきたキャンペーンのようなアクション。渋谷区はそれができる場所だから。
真田 それを主張されて、区民の皆さんの反応はどうでした?
ハセベ 無所属で、泡沫候補とうたわれながらも、結果は驚くべき1等賞。自分と等身大のことを語って、伝わったんだなと思います。それは今でも変わらないです。
表参道なら、ポイ捨てしない街にできる
真田 greenbirdの話に戻りますけど、立ち上げの企画書を書いているとき、コピーとか、クリエイティブの部分で、ハセベさんのまわりにそういうことをやったら絶対いいよねって言ってくれる仲間はいましたか?
ハセベ 企画書は、プロジェクトを起こす仕事のフローで考えていました。ポイ捨てしない人のマークを作りたいというのがあって、名前がないとマークにできないから、中村聖子さんというコピーライターに頼みました。
ロボコップからとったゴミコップとか、表参道清掃隊とかいくつかあった中から、幸せを運ぶ青い鳥じゃないけど、街をきれいにする緑の鳥ってちょっと絵になるかもしれないと考え、「greenbird」に。それを博報堂時代にJTの「大人たばこ養成講座」を一緒にやっていた寄藤文平に相談して、ああでもないこうでもない、バカバカしさが足りないとか言い合いながら、鳥人間のロゴマークができあがったんです。
真田 普通に企業のマーケティングや商品を売るということで仕事をやるよりも、モチベーションがあがるようなところはありましたか?
ハセベ 一応、社会貢献に関することを仕事にしようと思っていたのと、ちょうどたばこのポイ捨てに罰金が始まった頃で、ニュースで「2000円払ったから良いでしょ」って女性が怒鳴っていたのを見たとき、モラルの上に法律がのっている感じがすごく情けなくて。ポイ捨てぐらい、みんなしなきゃいいじゃん。
ディズニーランドみたいに罰金にしなくても、みんなが掃除したり、捨てにくい空気をつくればできるわけでしょ。ゼロにはならないかもしれないけど、表参道だったら、そういうことができるんじゃないかって、自分が生まれ育った街はそういう街でいてほしいなって、ちょっと青臭いことを思ったんですよね。
真田 2002年でしたっけ、千代田区のポイ捨て条例ができたのは。それをひとりで思っただけではなくて、そういうことを一緒にやっていこうという仲間が街にたくさんいたのもあるでしょうし、そういうことを作りたいといってくれるクリエイティブの人間もハセベさんの周りにいたんですよね。
ハセベ そうですね。それに世の中がそういう空気になり始めたときだったんでしょうね。非常に運が良かったですよ。全国に広がるかはわからなかったけど、この街で流行ったら広がるかもねーぐらいの感じで始めたんです。
捨てる前に分別もきちんとします
greenbirdはリアルなミクシィ
真田 街の清掃活動って、よくあるのはお店の人がある一定の時間に出てきて、きれいにしましょうってやっていますけど、ボランティアを募集して、チームになってやるとなると、誰もこないということもあるのでは?
ハセベ 始めた頃、すごい雪が降り始めたときがあって、参加者1人というのがあったけど、でも1人はそれきりかな。あと当時ホームページが作れたのは大きかったですね。
真田 ネットなんですよね、きっと。90年代はホームページがいろんなところに点在していて、リンクを貼り合ったり、バナーの広告をつけていって、それをクリックしないとそっちにいかなかったり。ちょうど掲示板みたいなのが、そこにくっついていて、そこでやりとりをする人たちがいても、それだけでおしまい。
小さいコミュニティの粒だけだったのが、2001〜02年頃に、2ちゃんねるみたいなのが流行って、そこに集約されていくような感じと、2002年ぐらいからブログの人気がでてきて、トラックバックしあって、メッセージしたりとか。人と人とがインターネットを介して、ほんとの意味でつながりはじめたのは、SNSやブログのインフラが整ってきた環境があったからかなと思い始めています。
ハセベ greenbirdはリアルなミクシィみたいな感じだろうね。その街が好きで、掃除したくて、興味があるという人が集まってきていて、そこにコミュニティができてきて、またその人たちの影響でコミュニティが濃くなって広がっていく。そうして結果的にgreenbirdのチームが増えていったわけですからね。
表参道チームには毎回20人ほどが参加
真田 いま、何チームあるんですか?
ハセベ 50チームぐらいです。
真田 すごいですね。法人や団体じゃないとダメとかルールはあるんですか?
ハセベ いや、まったくないです。個人もいれば、友だち同士やお店、企業だったり、いろんなパターンがあります。連絡をもらったら、まずgreenbirdの掃除にきてもらって、体験した上でもやりたいと思えるかなど、ちょっとした面接をします。ある程度仲良くなってから、暖簾分けじゃないですけど、ビブス一式を渡し、掃除の仕方を伝授して、活動内容をホームページで更新できるようにしてもらいます。
真田 50チームだと、全国に広がっているんですね。
ハセベ 東京がすごく多いですね。逆にない県もあるけど、地方へ仕事で出かけたときにgreenbird のビブスを着て活動しているのを見つけると、嬉しいですよ。
真田 みんなが集まることは?
ハセベ 年に1回、表参道に集まってリーダー会をしています。こんなことでうまくいったとか、今度横でつながってみるといいかもとか、それぞれのチームの状況を交換します。リアルでみんなが飲みながら会える場があったほうがいいですからね。
真田 ある意味ローカルのコミュニティですよね。参加している人たちは自分たちが元気になれるからやってるというのもあると思うし、街も元気になるかもしれないという期待もある。火付け役になりたい人たちがいろんな場所で生まれていて、それがいい感じで連携して、どんどん輪が広がってるってことですよね。
ハセベ まあね、よく解釈すれば、そういうことですね。後付けだけど(笑)。
真田 でもそれって、やろうと思ってできることではないじゃないですか。
ハセベ 確かに、コンビニみたいに提携してフランチャイズしていくことではなかった。そのときどきは、そんなに深くは考えていなくて、10年も経ってしまったなあって感じ。今思うと、そのくらいのゆるい感じでやっていたから、こういう風になったのかなと。
greenbird活動が、道徳の教科書に掲載
真田 意志が伝達していくんでしょうね。10年間やっていて、びっくりしたことはありました?
ハセベ 夏休みに来てくれて賞状をあげていた小学生が立派に成人しているんですよ。今度就職ですと言って、この街でバイトしているんです。それはびっくりしますね。でもいまだにゴミのポイ捨てはしないですからね。不思議ですよ。greenbird自体、道徳の教科書に載ったりもしてますから。
掲載された道徳の教科書
真田 へえ!そういう広がりってすごいですね。
ハセベ 俺が教科書に出ていいのかと思うけど(笑)。10年も経つと面白い予想もしなかったことがありますね。
真田 ポイ捨てかっこ悪いぜと、街の人たちが楽しく参加できるアクションを俺もやりたい、私もやりたいって広がっていて、その人たちが幸せになっているというこの10年間、どう感じますか?
ハセベ 広がっているのは僕も嬉しいし、楽しいですよ。それだけポイ捨てしない人が増えているということですし、友だちが増えて行くような感覚がしますよね。
ルーツは地元愛
真田 ハセベさんの活動の中心は原宿・表参道が大好きというところですか?
ハセベ 地元ですからね。
真田 地元を愛そうということだけではなく、アクションに転換して仲間を増やしていくことが、ほかの地域の人からも共感を生んだのかなって思います。
ハセベ 仲間を増やそうと、計算はしてないんだけどね。単純に、たくさん人が集まると掃除がラクじゃん(笑)。
真田 お掃除合コンというのもありましたね。あの発想は、やっていて生まれたんですか?
ハセベ そうですね。人を呼ぶときに、口説き文句として「朝ゴミを拾いながら、愛語ってる奴がいるんだよ」とかいうと、間違ってきちゃったりする若い子がいたりして。
真田 若い男女が集まってきて、ゴミ拾いをやってみたらけっこう、楽しかったり?
ハセベ 実際、結婚した人もいるしね。
真田 これからやっていきたいことは?
ハセベ greenbirdはこんな感じで続けていきたいですね。10歳下の世代がでてきているから、彼らをもり立てながら、僕はピープルデザイン都市シブヤ(ハセベさんが議会活動で掲げている、みんながフラットに楽しめる街づくり)などをやっていきます。
真田 誰かが旗立てて、この旗がかっこいいでしょ、面白いでしょって、共感が生まれて、自分も旗を立てたいなと思う人がどんどん生まれるっていうのは大事なことですね。
ハセベ これで世代が変わって行くと、よりいいんですよ。
真田 そうですね。ローカルを愛して元気にする、そのスピリッツがルーツだとわかって、すごく腹におちました。ありがとうございました!
ハセベさんが街のプロデューサーとして最初に仕掛けた、ポイ捨てはかっこ悪いぜ。キャンペーンgreenbird。真田さんと共通して地元への思いがアクションのきっかけになっているというのも興味深いお話でした。4回にわたってご紹介してきた対談、いかがでしたでしょうか?
8月23日には、打ち水大作戦10周年を記念して「ソーシャルアクションフォーラム」を日本財団で開催します。打ち水大作戦、100万人のキャンドルナイト、グリーンバードの10年に学ぶソーシャルアクションのトークやみんなで体験するゴミ拾いや打ち水大作戦などを予定していますので、ぜひ遊びに来て下さい!
(Text:魚見幸代)