みなさんは“森”と聞くと、どんな森をイメージされるでしょうか?
旅先で訪れた太古の森、家の近くのきれいに整備された森、メディアを通して目にしただけの森が思い浮かぶという方もいるかもしれません。一口に“森”と言っても、原生林もあれば植林によるものなど、実にさまざまな状態で存在しています。
今回の主役である三浦豊さんは大学で建築を学んだ後、庭師として働く中で、その“森”の素晴らしさや不思議さに魅せられ、「心地よい庭とは?」という自問への答えを探して、日本中の森を訪ねる旅に出かけました。「森のただ中に身を置きたい」という衝動に従って、5年ものあいだ旅を続け、これまでに訪れた場所はなんと2,000カ所以上!
そして長旅に一区切りがついた3年前、2010年から「森の案内人」として日本全国の森のガイドを始め、同時に、庭を心地よい森にするための“森づくり”をスタート。その活動の背景には「森を好きになってほしい」という切な思いと、「全ての森が誰かの大切な庭になれる」というユニークな確信がありました。
三浦さんのホームページ。日本地図上の白い点全てが、三浦さんが訪れた森を示しています
着地点は「元気になってもらうこと」
三浦さんが森をガイドする場合、自ら企画して募集する、旅行会社から依頼される、個人客から依頼が入るという3つのパターンがあります。料金は人数や条件にもよりますが、一人当たり半日で4千円〜5千円、一日で8千円〜1万円というのが多いそう。個人で依頼する場合は、「ここを案内してほしい」といった具体的なオーダーから、「原生林へ行きたい」「森を知りたい」「癒されたい」といったざっくりとした依頼でもいいと三浦さんは話します。
(c)ヨシダミナコ
僕がガイドをしているのは、知識の共有がしたいわけではなくて、単純に森を楽しんでもらいたい、好きになってもらいたいからなんです。もちろん植物の名前とか特徴、土地の歴史や物語を伝えたり資料を配ったりして「おお!」と思ってもらえるように“驚き”を組み込む工夫はしていますが、着地点は植物を通じて元気になってもらうこと。
そのためにはお客さんとの会話がとても大事です。何を楽しいと思うかは相手の知識量や経験値などによって違うので、最初はマイペースにしゃべらせてもらって、お客さんが話しやすい・聞きやすい状況をつくるようにしています。相手に合わせて森の中で昼寝をすることもありますし、どうすれば自然の中を散策するのが楽しくなるのか、人と人と森で考え、つくりあげていく感じですね。
三浦さんがつくる、カラフルでとてもかわいらしい資料
森と庭の境目がない場づくり=森づくり
ガイドをする一方で、三浦さんは“森づくり”をする庭師としても活動を行っています。“庭づくり”ではなく“森づくり”。いったいどんな活動なのか一言ではよくわかりません。でも写真を見せてもらうと、それは一目瞭然でした。
2010年、三浦さんが今住んでいる家に越してきたときの風景
同年、鉢でさまざまな植物を育て始めます
翌年には彩り豊かな森が出現しました
2004年、三浦さんのご実家の屋上の風景
2010年、同じ場所とは思えないほど、いろんな種類の植物が力強く育っています
三浦さんが最近手がけたお庭。元々生えていた木が活躍できるよう植え替えたりトレリスにしたり。植物好きの依頼主がたくさん植物を植えられるよう、光と風がふんだんに入るつくりになっています。
“森づくり”って勝手に呼んでいるだけなんですけど、要するに、森なのか庭なのか分からない、境目がなくなるような場所をつくりたいんです。
そもそも、旅に出た理由は、心地よい庭って人間の力だけでつくるものじゃないって確信があって、もっと森の力を借りられるんじゃないかとか、森ともっと仲良くなりたいと思ったからなんです。森のただ中に行けばその方法が見つかるんじゃないかって。
でもすぐには見つかりませんでした。だから5年もまともに家に帰れなかったんです(笑)。まだまださせていただいたのは7カ所程度なのですが、これからもどんどんそんな場所を増やしていけたらなと思っています。
冬の三浦さんの自宅の庭。植物を見ていると、町中というのを忘れそうになりませんか?
お客さんから“森づくり”の仕事を受けた場合、三浦さんは徹底的なヒアリングと周りの環境を把握することから始めます。
庭に植える木を選んでくれとか、庭全体をつくってくれとか、オーダーの内容はさまざまですが、まずやるのはヒアリングと近所の散策ですね。どういう木が生えていて、どういう土地か、周りの環境を把握した上でお客さんをガイドして、何を植えるのが良いか、一緒に選ぶ作業をするんです。
そして、大きさや環境などを踏まえた、その場所にふさわしい種類の庭木・苗木を植えます。難しいのが、もともと日本の森に生えている植物はあまり流通していないので、“ふさわしい木”が思うように手に入らないんですね。庭木でいろんな種類が売っていればいいんですが、お店も在庫を持つのは当然怖いですし、売れる木ばっかり販売するので、決まった木が流通する。だから、どこも同じような庭になってしまうんです。
では、その“ふさわしい木”をどこで手に入れるのでしょうか?
中には志の高い庭木屋さんというのもいて、そういうところから購入したり、ネットで小さな苗木を買ったり、森から種を取ってきて育てることもあります。庭は、できたときが完成ではなくて、「こうなっていく」と未来の姿をイメージできるほうが楽しいと思うんですね。
そして、大切なのは人と木の両方にとって心地いい場所であること。場所にふさわしくない木を植えてしまったら、それは悲劇なんですよ。それから、僕は手入れありきで森をつくることはしません。庭師をやっていたら、どうしても維持管理コストを稼げるので手入れありきになりがちなのですが、僕はそこに利害がないので(笑)。植えっぱなしでいい森が理想です。
森は大地の代弁者
そんな三浦さんですが、実は大学を卒業するまではひまわりと桜ぐらいしか植物の名前を知らなかったそう。三浦さんの衝動を駆り立てた森の魅力とはどんなところにあるのでしょうか。
(c)ヨシダミナコ
同じ種類の木は一見同じに見えるかもしれませんが、それぞれがとても個性的です。意図して幹を一本枯らしたり、生きるために形を変えたり。潜在植生(元々そこに生えていた)の木もあれば、植栽(人が植えた)の木もある。木の種類で、そこがもともとどんな場所だったのか、どんな意図でここに植えたのか、人の行動や心も見えてくる。森は大地の代弁者なんですよ。
インディアンは「石や木のひとつひとつに物語がある」という思想を持っているそうですが、そういうことだと思うんです。自分も壮大な流れの中にいて、何か物語を共有しているような、そんな気がしてくる。キラキラしてワクワクしてくるんです。事実を知ってこんなことがあったのかなと想像すると、4次元を旅しているようで本当におもしろいですよ。
「しんどい」から「で?どうしたいの?」へ
森を歩き始めた頃、人間がしてきた破壊の営みを目の当たりにして、ネガティブな気持ちに支配されることが度々あったそうです。しかし、その後にひとつの問いかけが三浦さんの頭に浮かびます。
最初はしんどかったですね。「よくこんなにも森をつぶしたなぁ…」って。でもしばらくしてから、「で?どうしたいの?」って思いがやってきたんです。人間が森をたくさんつぶしてきた事実はよくわかったけど、その営みを批判できるほど自分は素晴らしくも何ともない。喪失の物語を知って人を責めても何も楽しくないんですよ。
だから僕は、とにかく“楽しい”とか“美しい”とか“素晴らしい”という、自然に流れているうれしい感情を共有していこうと思ったんです。そもそもね、ネガティブな訳がないんですよね。生きているだけでポジティブなんですから。
森が全ての答えとは思わない
森の案内人という見慣れない肩書きも手伝って、都会に否定的な人なのかと思われてしまいそうな三浦さんですが、そんなことはありません。学生時代を東京で過ごし、東京を離れるとは露ほども考えなかったという都会好きの一面も持っています。
僕は大学は東京ですし、今でも町が大好きです。だから、町が好きな人の気持ちも分かるつもりなんですが、「さあ町を森に戻しましょう!」って言われたら、普通「う〜ん…」って二の足踏みますよね。でも、きっとこれからは町だけの理論では成り立たなくなってくると思うんです。反対に、田舎だけの理論にも違和感があるんですよね。近所のことだけで世界が完結しているところとか、田舎のよさが全然分かっていなかったりとか。
僕ね、世界は良くなるって信じていたいんです。だから、これはこうだって言い切りたくない。言い切ったらそこで止まってしまう気がしません? だから森は好きなんですけど、森が全ての答えだとは思っていません。町とか田舎とか決めつけるのではなくて、両方バランスよくある、良い意味でごちゃごちゃな状態がいいんじゃないかって気がしています。
人が楽しみだせば、森はどんどんよくなる
三浦さんはニュージーランドを訪れたときに、小さな町の郊外の森で理想の風景に出会います。そこには、老若男女が思い思いの方法で森を楽しんでいる姿があったそうです。
歩いていたり、敷物をしいて寝そべっていたり、みんなとても楽しそうなんですよ。そして森もすごく元気なんです。そのときね、森に行くことに意味付けなんていらないんだって思いました。“心にいいから”とか意味付けると急に堅苦しくなる。音楽と同じですけど、“楽しいな”“気持ちいいな”って感じたら好きになるでしょ? 好きな場所に変なことしないじゃないですか。だから人が楽しみだせば森は良くなる。これは絶対ですよ。
三浦さんが大好きな、ご自宅近くの森を案内していただきました
そして今、三浦さんは“みんなで森を買う”という新しい取り組みを構想中とのこと。
追々なんですけどね、みんなで森を買うとかできないかなって思っているんです。植林で放置されて荒れている森とか、ただ同然の場所を、森を思う人たちでお金を出し合って買う。週末にみんなで手入れをしたりする。それぞれが“わたしの森”を持つ、オーナーになる。そうして人が関わる森が増えていけば、日本中の森が誰かの庭になれるって思うんです。
今も国が税金を使って森をなんとかしようとしていますけど、人のぬくもりがなかったら、経済的にはうまくいったとしても、何も感じない森になるだけ。そのあいだの方法があるはず。これは森だけに限らず、そういう、今まで意識が向いていない物事の“あいだ”に新しい発見がある気がしてならないんです。
これだけたくさんの人がいるんだから、その人たちが少しだけ“あいだ”を見ることができれば、きっととんでもなく素晴らしいことになる。そのきっかけをつくるお手伝いができたらなって思っています。
想像してみてください。日本中の庭という庭が森になったとしたら。森という森が庭になったとしたら。人にも森にも心地よい場所になったとしたら。多様な種類の木が生える元気な森の中で、たくさんの人が思い思いに過ごす姿を想像してみてください。素敵な風景がイメージできた方。あなたが意識をすれば、それが実現できるかもしれません。
今、ぜひ画面から目を離して周りを見回してみてください。あなたの視界の中にもきっとなにかしらの植物の姿が目に入ったのではないでしょうか? それはどんな植物ですか? 大きな木ですか? 道端のコンクリートを突き破る雑草ですか? それが何にせよ、この意識を向けるという行為が、三浦さんの言う“あいだ”を見ることなのだと思います。ぜひ意識するということを意識して、森を訪れてみてください。
(Text:赤司研介)