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「不器用に機能を追求することで、予想を超えたアイデアが生まれる」FINAL HOME 津村耕佑さんインタビュー [LIFE by MEDIA]

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憧れの津村耕佑さん(左)と出会って興奮気味の編集長YOSH(右)

こんにちは!greenz.jp編集長のYOSHです。

グリーンズの読者なら、ほとんどの方が興味があるだろう”これからの生き方”。今年10周年を迎える山口情報芸術センター[YCAM]では、まさに「メディアによるこれからの生き方/暮らし方の提案」というテーマで初の公募展示が行わることになりました。その名も「LIFE by MEDIA」。

審査員には、坂本龍一さん(音楽家)、青木淳さん(建築家)、江渡浩一郎さん(メディアアーティスト)、津村耕佑さん(FINAL HOMEディレクター)、山崎亮さん(コミュニティデザイナー)という各方面の日本代表クラスの方々。それに加えて、僭越ながら私も担当させていただくことに…まずは勉強からということで、今回greenz.jpで審査員の方々のインタビューをお届けさせていただきます。第一弾は津村耕佑さん!

コンペの受付は3月1日(月)〜15日(金)。採用されると作品制作費1,000,000円(別途交通費支給)のほか、山口を拠点に活動するための住宅の提供もあるとか!インプットとアウトプットは呼吸のようなもの。みなさんの日頃のアイデアを、この機会にぜひ世に問いてみませんか?

メディア=「賑わいやコミュニケーションを生み出すこと」

少しコンペのおさらいを。”メディアアート”というとハイテクノロジーを想像してしまいますが、「賑わいやコミュニケーションを生み出すこと」と広く捉えているのがひとつの特徴です。また、実際に山口の地域コミュニティに根ざすことを目的としているのも魅力的ですね。アートの領域を超えた、まさにソーシャルデザイナーのための公募展だと思います。

「シェア」や「ノマド」、「モバイルハウス」など、近年変わりつつある「生き方」「暮らし方」のかたちの未来を問うプランを募集します。震災をきっかけに、情報の取り方や編集能力に飛躍的な多様性が生まれました。それは一方でわたしたちが生きる土台となる社会や地域社会との直接的な関係の築き方を問い直すきっかけとなったとも言えます。これからの地域社会において、メディアおよび情報を通したコミュニケーションはどう有機的に働きかけることができるでしょうか。近年問い直されている、生きることや暮らしへの根源的な探究に対して、メディアや情報といった考え方によって継続的なプラットフォームが身近に生み出されるアイデアを、山口の地域コミュニティにおいて実現させてください。

メディアといっても、メディアテクノロジーに限らず、賑わいやコミュニケーションを生み出すことをここでは指しています。街の風景を一変させる仕掛け、街の人たちが集いたくなる公園、新しいコミュニケーションを生み出す移動式サービスなど、彫刻や映像、建築、インスタレーション、プロジェクト、ワークショップなど、アートやデザインにおけるジャンルを超えた表現形態を対象とします。

お待たせしました!津村耕佑さんインタビュー

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59年生まれ。三宅一生氏の下、主にパリコレに関わる。「究極の家は服である」というサバイバルウエアー「FINAL HOME」ディレクター。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授。82年第52回装苑賞受賞、92年「第21回現代日本美術展」準大賞受賞、94年第12回毎日ファッション大賞新人賞、資生堂奨励賞受賞、01年織部賞受賞、00年「ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展」、02年「上海ビエンナーレ」、05年「SAFE DESIGN TAKES ON RISK」(ニューヨーク近代美術館)、12年「ドクメンタ13」(カッセル)など数々の美術展にも参加。

「FINAL HOME」とメディア

YOSH  今日はお会いできて本当に嬉しく思っています。実は僕の価値観を変えたプロジェクトのひとつが津村さんの「FINAL HOME」だったんです。

津村 そうだったんですね。それは嬉しいです。

YOSH  僕が20歳のころ、渋谷で「FINAL HOME」の赤いジャケットを着た集団が、ラジオを担ぎながらゴミ拾いをしていて、すごくかっこよかったんです。

そのおしゃれな感じに惹かれて、何気なくゴミ拾いに参加するようになったんですが、そのとき初めて、いかに街を汚すのが簡単で、綺麗にするのが大変かということを知って、それを機にポイ捨てできなくなったんです。新聞紙を入れたりカスタムできる「FINAL HOME」のジャケットをまとっていると、街を眺める解像度が一気に変わっていくのが印象的でした。

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2012年3月11日に行われた「FINAL HOME PROJECT」。日本中に愛を届けたい、そしてFINAL HOMEの使い方をたくさんの人に知ってもらいたい、そんな想いからFINAL HOMEを着てラブレターを配りました。

津村  「FINAL HOME」の服はいろんな機能を持っているんですが、僕だって最初は「ポケットに何か入るだろうな」くらいの感覚でつくったんですよ。あとになって「これもできる」「あれもできる」と気付かされて、色んなことを吸収しやすくなる。自分でつくった服から、いろんなことを教わっている感覚です。

YOSH 例えばどんなことですか?

津村  「隙間とは何か?」とかですね。ちょっと哲学的ですが、あれはポケットではなく隙間なんです。ファッションには細く見せたいとか、がっちり見せたいとかメッセージが含まれるのですが、「FINAL HOME」の服は、どのものをどの隙間に入れるかによって、体の外観が変わる。そうするとその服を着て何を表現しようとしているのか、服がメディアとなって伝わるわけです。例えばパフォーマンス集団の「GRINDER-MAN」が、服に鉄板をつけて火花を飛ばしてましたね(笑)

YOSH ある意味、ハックですね(笑)

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今年1月〜6月まで金沢21世紀美術館で開かれている「FINAL HOME」の展覧会

津村  今、金沢21世紀美術館で展示をしているのですが、「ペットボトルを何個入れたら水に浮くのか」とか、試してみたいことはいろいろあります。最初から「かっこいいもの」をつくろうとすると、予定調和になってしまう。それよりも不器用に機能を追求することで、ふと見たことのない新鮮なアイデアに出会えたり、予想を超えた副産物が生まれると思っています。

YOSH これまではアーティストが作品を囲い込むのが普通だったかもしれませんが、ハックされるのを喜びとするオープンソースの考えも定着しつつありますね。

津村  そもそもファッションは人が着ていくわけだから絶えず変化していきますよね。自分のつくった服がどう着られるのかはコントロールできないし、そもそも自由に着ていいと思っていますよ。制限したら僕の感覚を開発できない。全部、受け入れています(笑)

ただオープンであるといっても、ひとつの服という基本があるから成立するんです。ポケットは仏教でいう空のようなもの。むしろマイナスを着ていて、そこにみんなが入れる余地があるということかもしれません。

これからの生き方って?

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YOSH このコンペのテーマは「メディアによるこれからの生き方・暮らし方の提案」となっていますが、津村さんは新しいメディアの登場で暮らしが変わったという実感はありますか?

津村  あえて気づかないくらい変わってしまったと思いますよ。面白いなあと思うのは、みんながうつむきながら携帯電話を見ている姿勢を異様だと思う一方で、俳人が俳句を書く姿勢にも見える。そうすると、人間が手の中にある情報と向き合うというのは、意外とクラシックなポーズなのかも、と思ったりもしますね。

YOSH その視点はなかったです(笑)ちなみに僕は、「新しいメディアは暮らしを”本当に”変えたんだっけ?」と思うところがあります。それは”本物の”情報なのか、僕たちが過去から受け継ぎ、未来につなげていけるような、文化としてちゃんと残るものになっているのか。

津村  文化というものが変わってきているのかもしれません。Facebookが普及して、写真を撮るという行為を通して日常のささいな行為を切り取るようになりましたよね。すごいニュースだけじゃなくて、そういう小さな情報の方にも目を向けるようになってきた。

昔は写真はすごい大事で、アルバムに貼ったりしていましたが、今は写真に対する気持ちが軽くなってきたじゃないですか。極端に言うと、その分、いのちも軽くなっているように思える。人とつながりやすくなったことで、懐かしさを感じなくなってきているからかもしれません。

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田中  この企画を考える上で参考になると思うのが、アーティストの川俣正さんが岩手で行った、テーブルとベンチをつくるワークショップなんです。プロジェクトが進む中で、ただテーブルをつくるだけでなく、せっかくだからと地元の人と一緒に鍋をつくって食べることになったそうです。それだけで、仮設住宅でぎくしゃくしていた近所の人同士がちょっと打ちとけることができた。

川俣さんが最初に考えていたよりも、結果としてすごく充実したものになったと話され、そういう機会も「メディア」と言えるのかもしれません。

津村  そう考えると、祭りもそうですよね。この前、山車っていいなと思ったんですよ。学生が「移動マクベス」という演劇をやったんですけど、ステージがリヤカーで運ばれてきて、その上で演じている。そもそも山車は動く展示台だったんですよね。昔はもっと単純に、「大きな大根がとれたよ」って、地域の人と共有するものだったのかもしれません。

田中  山口市では唯一あった映画館もなくなってしまい、とても残念なことだと感じています。

津村 共有というのはただ一緒に見るだけでなくて、例えば映画を見るのに「ポップコーン買ってこよう」とか、みんなでその気持ちになることですよね。子どものときに田舎の映画館で見ていた怪獣映画がすごく怖かったんですが、それってとなりに怖い人が座っていたり、妙に薄暗かったり、子どもにとって映画館がスリリングだったからだと思うんです。そこには匂いとか空気感がある。

メディアと言うと現代ではインターネットとかに特化して考えてしまいがちですが、今になって始まったことではなくてメディアは太古の昔からあった。愛情とかコミュニケーションの発露が伝播して届く方法、すべてひっくるめて「メディア」だと思います。

いずれにせよ、どの情報を受け取りたいのか、ダウンロードする側の気持ちを開くことが大事ですよね。日本人の持っていた”見立て”ではないですが、ものがどこに置かれるのかによって意味が変わる。受け手もひっくるめての一つの表現になるのでしょうね。

メディアの自由な定義

YOSH お話を伺っていて、人それぞれメディア観が違うのが面白いなとますます思いました。少しだけ僕が今回のテーマで頭に浮かんだ事例を紹介させてください。


スウェーデンで行われた、車のスピードを守った人に宝くじが当たるというキャンペーン

ひとつめはスウェーデンで行われた、車のスピードを守った人に宝くじが当たるというキャンペーン。罰するのではなく褒める仕組みにしてみたら、みんなスピードを守るようになったんです。普通はスピード違反を取り締まるために設置されたカメラが、文脈を変えることと違う意味を持ち出すのが面白いなと。


心地良い朝を迎えるためにデザインされた目覚まし時計「dreamtime」

あと、何かを伝えるというときに、この目覚まし水時計の時を告げるコミュニケーションが素敵です。夜、寝る前に水を入れると、その雫がたまっていって朝に美しい音が鳴る。朝の目覚めは毎日の営みですし、こんな具体的なシチュエーション一つひとつをどう豊かにできるのかに興味があります。

津村  日常生活であればあるほど、ルーティーンになってしまってよりよくしようとは気づきにくいものかもしれませんね。それをどう楽しめるものにするのかというのは、クリエイティビティの根本だと思います。嫌なことを忘れようとしたり逃げ込もうとせず変換する。

さっきのスウェーデンの話もアイロニカルですよね。やっぱりユーモアはすごい大切、笑いは毒ですから(笑)ふだんの人間は甘やかされているから、何かを気づかせるには毒が必要だと思います。

YOSH  スウェーデンの事例は「人はそもそもいい奴かもしれない」という信頼を感じるんです。これまではそれこそメディアを通じて、「未来は暗い」というメッセージが多かった。それに引きづられるように、退廃的なデカダンスな表現も多かった。でも、いまグリーンズを通じて感じているのは、「ほしい未来は、つくろう」という気分の変化なんです。

津村  大切なのはメディアに振り回されないことですね。今は飽きられるのが早いし、売れるか売れないかで判断してしまうこともあると思う。本当は好きなのに、もっとやりたいのに、言い訳をしてしまったり。そうではなくて、受け手としての自分に情報を取捨する判断の基準をつくる。その環境づくりを促すような提案があれば、みてみたいですね。

(対談終わり)

対談を終えて

津村耕佑さんへのインタビューいかがでしたでしょうか?私ごとで恐縮ですが、FINAL HOMEとの出会いがなければグリーンズもなかったと思うと、この10年後しの出会いはとても感慨深いものでした。改めて津村さん、YCAMの田中さんに感謝をお伝えします。

今回学んだことのひとつが、「メディア思考でつくる服」ということでした。いつの時代も注目のキーワードとして存在する”メディア”という言葉ですが、もともとの意味はミディアム=”中間にあるもの”の複数形。何かと何かのあいだにあって、それらをつなげるものだとすれば、”メディア”ほどほどあいまいな概念は他にないのかもしれません。その”便利な言葉”に甘んじるのではなく、実際にファッションを参加型の枠組みとして展開し、新しい可能性を切り拓いていく津村さんの真摯な姿勢に心を打たれました。

津村さんと僕とでは、きっと”メディア”という言葉にこめた思いは微妙に違います。それぞれが自分なりの解釈を持ちながら、何となく多くの人が同じような方向性を共有している。”ソーシャルデザイン”というキーワードもそうですが、時代を規定するスローガンは、つくづくそういうものなのかもしれません。

ただ、グリーンズの場合も、記事の本文ではなるべく、カタカナ語のような”便利な言葉”に逃げないようにする、ということを鉄則にしています。例えばソーシャルデザインなら、「ほしい未来を自分たちの手でつくること」。今の時代、簡単にファストに理解できるようにみえるからこそ、わかったようにならないことが肝心なのかなと。

だからこそ、「”メディア”という便利な言葉を、どう自分の言葉で言い換えるのか」まずはそれがスタート地点なのかもしれません。このインタビューが、みなさんの発想のヒントになれば幸いです。ご応募お待ちしています!

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