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与那国探訪記(1)

与那国探訪記(1)

本州が梅雨明けする7月の19〜21日にかけて、日本のジャス界で異才を放つサックス奏者の坂田明さんと、巨魚が踊る日本最西端の島、与那国島に行ってきました。その時の話を全4回に分けて綴ります。

坂田さんの目的は、10年ぶりにカジキの一本釣り漁師の玉城正太郎さんに会うため。僕はその取材。石垣空港から与那国島行きの飛行機に乗ると、眼下に雲はなくただただ紺碧の海が続いていた。石垣空港からほぼ真西に120キロ。西表島までは小さな島々や名も無い環礁が淡いブルーを飾っていたが、飛び立って15分もすると、風に砕ける白い波しぶき以外なにも見えない。離陸から30分、双発のジェット旅客機はゆっくりと高度を下げ旋回を始めた。すると、北緯24度27分、東経123度00分。黒潮の北側に位置し、急峻な岸壁に守られた孤島、与那国島が浮かんでいた。

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与那国島は急峻な断崖が多い
与那国島の久部良漁港がカジキマグロの水揚げ日本一

琉球王国が日本に組み込まれ、その後、第2次大戦を経てアメリカとなり、本土に復帰してから33年。台湾から111キロという与那国島は、日本という国の最西端の地、台湾との国境の島としての歴史を刻んできた。しかし、以前から台湾との交易が盛んだった島民にとって、国境は単なる線でしかなく、台風が通り過ぎ空気が澄んだ日には、肉眼で台湾を望むことができるほど近いお隣の島だ。

島の中心地である祖納地区には、かつて鰹節工場が建設され台湾からの漁船も頻繁に入港したという。現在の総人口は1800人弱。しかし、当時はこの地区だけでも7000人以上の住民が住んでいたというのだから、かなりの賑わいが偲ばれる。

与那国島の島内では馬も牛も放し飼いされている
牛たちの親子がまるで水牛のように水浴びをしていた

現在、与那国島の主な産業は、酪農、農業、漁業など。1年を通して温暖な気候は枯れることのない良質な牧草を育て、その牧草により石垣牛や松坂牛、但馬牛などの幼牛を育て全国に出荷している。また、水の豊富な立地が幸いし、記録的には西暦1400年代から米作が行なわれ、現在でも島内消費の大半を賄うほど。そして、ここには一本釣りで沖縄県随一のカジキの漁獲高を誇る屈強な海人たちがいる。

到着早々、その屈強な海人のひとり、玉城正太郎さんに電話を入れると、「まだ海の上で夕方、久部良の港に帰ります」とのこと。そこで僕らはひとまず港の脇の民宿に荷物を置き、港で玉城氏の帰りを待つことにした。(つづく)

与那国島特産品の長命草。健康食品として加工されている