ISSUE ☆日本と世界のソーシャルデザイン

6 months ago - 2016.01.21

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自分で人生を変えられる人になってほしい。難民が働くネイルサロン「Arusha」岩瀬香奈子さんに学ぶ、厳しさと愛の自立支援って?

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昨今、ヨーロッパの難民問題がテレビやネットでも取り上げられ、関心を集めています。その一方で、日本にも難民がいることを知っている人々は、まだ少ないのではないでしょうか。

日本政府に難民と認定されると、強制送還されることなく日本での生活が保障されますが、2014年に難民と認定された人はわずか11人。難民申請をした5,000人のうちわずか0.2%という現状で、先進国の中で極めて少ない数字です。(出典元:日本経済新聞)また、前年・前々年、もっと前から申請中のままステイタスが変わらない方も多くいるため、その割合はもっと少ないのが実態であるといわれています。

そして2015年については、日本で難民申請をした外国人は10月末時点で6,160人に上り、5年連続で過去最多を更新したと発表されました。(出典元:REUTERS ロイター

実際に日本でも、難民認定されずに不安定な日々を過ごしている人々はたくさんいます。また、認定を受けたとしても、異国で生活するには様々な困難が待ち受けています。難民問題は遠い国の話ではなく、ここ日本でも大きな社会的課題なのです。

そんな難民の方々が仕事を得て自立し、安心して暮らせるようになってほしい。そんな思いで展開しているネイルサロンが、神谷町にある「Arusha」です。今回はArushaを立ち上げた岩瀬香奈子さんに、厳しさと愛の自立支援についてお話を伺いました。
 
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株式会社アルーシャ 代表取締役 岩瀬香奈子さん

アルーシャってどんな会社?

岩瀬さんが代表を務める「株式会社アルーシャ」は、日本にいる難民のネイリストが働くネイルサロンを展開している会社です。2009年の設立以降、ネイルサロンはさまざまなメディアに取り上げられ、難民やネイル事業に関する講演活動も行っています。

他にも、食器やアクセサリーなどを取り扱う難民支援のためのショッピングサイトの運営や、文化庁からの助成を受けた、外国人のための日本語教室なども展開しています。

岩瀬さん 難民に限らず日本語を話せない外国人の方は、病院での意思疎通やゴミ出しといった地域のルールなど、日常生活に不安を感じています。日本語を覚えることで、地域の住民の方との会話も増えていくんですね。

中には難民のシングルマザーの方がいらしたのですが、保育園で保育士さんとコミュニケーションを図れるようになったり、母国語ではなく日本語が上手な子どもと話すときにも役立っていると、喜んでくださっていました。

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日本語教師の方との打ち合わせ風景

これらの収益の一部は、日本にいる難民支援にも活用されています。例えば、就労が許可されない難民申請中に、今日食べるものにさえ困っている方や帰る家がない方へのサポート。

特に冬の時期は厳しく、まずは食べ物や毛布の支給といった短期的な支援に注力せざるを得ません。まずは目の前の状況を改善しながら、長期的な自立支援につなげていきたいと岩瀬さんは話します。

このように、さまざまな事業を展開しているアルーシャですが、ネイルサロンに関しては「高いスキルを持つ難民出身のネイリストに恵まれて、手離れしつつある」と岩瀬さん。そのうちの一人が、ミャンマー出身のノンノンさんです。
 
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ネイル施述中のノンノンさん

1988年、当時学生だったノンノンさんは、民主化を求める反軍政デモに参加するも、仲間が逮捕されてしまう事態に。ノンノンさんもひとりでタイまで逃れたものの、すぐにビザが失効し、行き先を探していたときに日本のビザを取得したそうです。

岩瀬さんとの出会いは、難民支援センターがきっかけでした。もともとネイル技術を取得していたノンノンさんは、「アルーシャが自分の居場所をつくってくれた」と話します。

ノンノンさん 小さい頃から人を綺麗にすることが好きでした。特にネイルは大好きで、それを仕事にできているのでとても楽しいです。

岩瀬さんは、時に悩みを相談できる友だち、時に社長、そして時に親のような存在です。親が子を育てるように、ただお金を与えるだけでなく、自分でできるように手助けをしてくれます。

ノンノンさんの将来の夢は、自分でネイルサロンを開くこと。岩瀬さんの支援によって好きなことを仕事にし、さらに大きな夢のために日々がんばるノンノンさんは、難民の方々のロールモデルになっています。
 
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会社員生活にピリオドを打ち、「アルーシャ」を立ち上げるまで

難民の方々に希望を届けている岩瀬さんですが、アルーシャを立ち上げる前は、ベンチャーの立ち上げやヘッドハンティングに関わったり、イギリスのビジネススクールに留学したりと、積極的にビジネススキルを磨いてきたそう。

だからこそ、もともと関心が高かった社会貢献事業を営利企業として展開することは、「ごく自然だった」と振り返ります。

転機となったのは、まだ会社勤めをしていた2008年の頃。タンザニアでマイクロファイナンス事業を準備していた、慶応大学名誉教授・岩男壽美子先生との出会いでした。

岩男先生の話を聞いて「一緒にタンザニアに行きたい!」と決意するほど、そのビジョンに惹かれた岩瀬さんは、タンザニアの方々がつくったものを日本で展開するフェアトレード事業をするため、起業します。そのときの社名が、タンザニアの街の名前「アルーシャ」だったのです。
 
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ネイルサロンの一角にあるフェアトレードコーナー

こうして一歩踏み出した岩瀬さんのもとに、さらに大きな出会いが訪れます。それは「NPO法人REN(Refugee Empowerment Network 難民自立支援ネットワーク)」代表の石谷尚子さん。

NPO法人RENでは難民の方がつくったビーズアクセサリーを販売することで、自立を支援していました。そのアクセサリーを実際に見せてもらったとき、その精巧さに驚いた岩瀬さんは、ふと「こんなに器用ならネイルもできるのでは?」と提案を持ちかけます。

岩瀬さん 石谷さんも「その案、素晴らしいです! ぜひやってください!」と言っていただいて。後日さらに別の方から、「ネイル事業を始められるのですね! 詳細をお聞かせください」という連絡まできたんです(笑)もう慌てて企画書を書いて、説明を始めました。

”あなたの人生を変えるのは、あなた自身”

関係者の勘違いなのか、意図的なのかは分かりませんが、「やるなんて言ってません」と断るのではなく、「まずやってみる」のが岩瀬さん流。

最初は本当に思いつきだったものの、考えれば考えるほど、「難民の自立にネイルは合っている」と思うようになっていました。

岩瀬さん 手先の器用さはビーズアクセサリーで実証されていますし、ネイル事業はビジネスとしての収益率も高いんです。在庫もなく、初期投資も少なく、爪がのびればリピートが見込めます。

私はもともと、ハンデを背負った人こそ、収益率の高いビジネスに参加するべきだと考えていました。料金設定を低くしても、高い収益率でカバーできますから。特にネイルは、一度技術を身につければ、どこにいても活かせます。

ネイルサロンは突然閃いたようにも見えますが、実は今まで培ってきた経験を無意識に整理したことで生まれたアイデアだったのかもしれません。

とはいえ、ネイル業界の経験は一切なかった岩瀬さん。「できるかな?」「うまくいくかな?」という不安はなかったのでしょうか?

岩瀬さん まずは自分が教えられるようになろうと、ネイルレッスンに通いました。元々ネイルは好きだったので、ウキウキでした(笑)

持って生まれた性格なのかもしれませんが、「うまくいく」という絶対的な自信があるんです。何に対してもそうで、もしネイル事業じゃなかったとしても、同じように思ったと思います。

こうして2010年2月には難民へのネイル研修がスタート。日本で有効な就労ビザを持っている方のみ限定でしたが、定員の8人を大幅に超える20人以上の難民の方々が参加しました。

とはいえ、世界各国から日本にやってきた難民たちへの研修には、「苦労もいっぱいあった」と岩瀬さんは言います。

最初にぶち当たったのが、「言葉の壁」。長年日本に住んでいたとしても、家族や仲間としか接点を持っていなかったり、一人で来た難民の方は友だちもいなくて引きこもりになってしまったり、英語も日本語も話せず、フランス語のみ話せるという方も多かったそう。

さらにもうひとつ、「文化の壁」も悩みのひとつでした。

岩瀬さん 仕事に対する感覚が全く違うんです。中には「ネイルが爪からはみ出しても平気」という人もいて、注意するとむくれてしまう。

お客様が来てから帰るときまでサービスをするという、日本では当たり前の接客がなかなか理解してもらえず、本当に大変でした。結果的に3週間の予定だった研修は、3ヶ月もつづいてしまったんです。

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相手が誰であろうと、岩瀬さんはときに厳しい言葉を投げかけることを大切にしています。そこには「自分の人生は自分でつくってほしい」という岩瀬さんの強い思いがありました。

岩瀬さん 遅刻してきたのに、自分の要求は通そうとする。サポートを待つだけで、誰かを責めてばかり。たとえ難民だとしても、甘えてしまうのはよくないと思うんです。

文化の違いや期待と違った日本の現状に、失望する気持ちも分かりますが、私は「難民にだって力がある」と信じています。

私がしているのは魚を与えるのではなく、釣り方を教えること。日本には頑張ればしっかり稼げる土俵があります。その土俵は私が準備するから、あとは自分で頑張りなさい、と。

実現したいことは口にし続ける

そして3ヶ月後の2010年5月、特に優秀だった3人の女性とともに、天王洲アイルで第一歩を踏み出します。場所はなんと家具屋さんの一角。知り合いの紹介で無料で間借りすることができました。

その後、都心部の物件を探していたときも、使われていなかったオフィスを無料で間借りできたことも。「実現したいこと」を岩瀬さんが口にし続けることで、協力してくれる方がどんどん増えていったのです。

また、サロンの場所に加えて、ネイル関連商品の仕入れも大きな課題でした。そこでインターネットで見つけた卸会社に直接赴くと、担当の方がとても丁寧に商品のことを教えてくれたそう。こうしてよい人間関係を築き、継続的に安く仕入れることができました。
 
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こうして順調に事業を拡大してきたアルーシャは、2013年に今の場所に移転。より広い空間でリラックスして施術を受けられる環境を実現することができました。

そして、このタイミングで、岩瀬さんはある決断をします。高いサービスレベルを維持するために常勤のネイリストを2人に絞り、今後も現在のネイリストのレベルの人が現れない限り、拡大しないことにしたのです。

岩瀬さん 多いときは8名ほどいた時期もあり、アットホームな雰囲気を楽しんでくださるお客様もいましたが、やはり技術力の高いネイリストに予約は偏ってしまって。「○○さん以外のネイリストで」というような予約が入ってしまうこともありました。

このとき、「日本のサービスレベルの高さとそれを外国人に教え込む難しさを改めて痛感した」という岩瀬さん。さらにこう続けます。

岩瀬さん 私語は慎み、笑顔で接客し、お客様の満足度を高めるためにあらゆる努力をする。そんな日本のサービス業の”普通”を理解できないのは、しょうがないことなのかもしれません。

低価格のネイルサロンも増え、競争も厳しくなる中で、マイナス要素は克服していかなくてはいけません。ネイリストにも改善すべきところは何度も何度も伝え、改善を試みましたが”文化の壁”は厚く…「あなたにお願いしたいお客様が極めて少ない」という事実を伝えざるを得ない方もいました。

それでも頑張りたい意思のある方には教え続けましたが、そのタイミングで契約を終了する方もいました。

とはいえ、アルーシャで経験を積んだ難民の方は、自分で未来を切り開く力を培っていました。

契約を終了した方の一人は、その後、日本の飲食業に就いたそうですが、祖国を訪れるときは孤児院の子どもたちにネイルを教えているそう。それを知った岩瀬さんは、ネイルの道具や材料を提供するなど、その挑戦を応援しています。

岩瀬さんには、「頑張る人には全面的に支援をする。働く場も提供するし、働くことができるように研修もするし、練習のための道具も用意する。でも実際に努力するかは自分次第」という明確なスタンスがあります。

難民支援のために始まったネイル事業ですが、困っているけどやる気のある人には来るもの拒まずの岩瀬さん。今では難民以外にも門戸を開き、児童施設の方やDV被害者の方など、さまざまなハンデのある方を受け入れています。

まずは、知ってほしい。

アルーシャのストーリーからも、難民の方が日本で自立することがどれだけ難しいか分かります。それでも頑張る意思のある方にはチャンスが訪れる国であってほしいと願わずにいられません。

そんなとき、私たちがすぐ始められることとはなんでしょうか?

岩瀬さん まずは知ってほしい、そして理解してほしい。そのあとできることは人それぞれでいいと思います。

難民の方は、人それぞれ事情は違いますが、祖国から迫害を受けて逃げてきています。そのため今の居場所が祖国に知られると強制送還されてしまう恐れもあり、声を上げづらいんですね。そういう事情でなかなか認知が広まらず、自立のためのサポートが足りないのが現状なのです。

このままでは「日本はひどい国だ」と思ってしまう難民の方も増えるかもしれません。将来、日本にたどり着いた難民に適切なサポートを提供できるような、日本人の認知度向上とサポート体制の改善の両方が、進んでいくといいですね。

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「難民問題」と聞くだけで、私たちはついつい「難しい」と考えてしまいがちなのかもしれません。でも、それぞれが、自分の特技や知恵、人脈などを使ってできることをしていけば、現在よりも難民への理解や支援が増えていくのではないでしょうか。

地道なことかもしれませんが、まずみなさんも、この記事をきっかけに難民問題の現状を知るところから始めてみませんか?

難民ネイルサロン「Arusha」でネイルをしてみよう!
Arusha

writer ライターリスト

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hitomi.n

greenz ジュニアライター 株式会社リクルート(現 株式会社リクルートコミュニケーションズ)のマーケティング担当を経て、現在は一児の母ときどきライター、たまにイベントプロデューサー。 インタビューで、人生の先輩からヒントや刺激をいただきながら、自分にできる社会貢献の形を探していきたいです。

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