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カフェは文化の大地である。日常を豊かにするお店「cafe galleria(カフェ・ガレリア)」斉藤裕輔さんに聞く、みんなが成長する場のつくり方

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特集「マイプロSHOWCASE福岡編」は、「“20年後の天神“を一緒につくろう!」をテーマに、福岡を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介していく、西鉄天神委員会との共同企画です。

九州を代表する繁華街・天神に隣接する大名。ここに斉藤裕輔さんが兄の大輔さんとともに、「cafe galleria(カフェ・ガレリア)」を構えたのは1999年のこと。

カフェであり、食堂であり、ときにはライブやトークイベントの会場にもなるガレリア。福岡の日常にしっくりと溶け込みながらも、「ここに行けば何やら楽しい「こと」や「ひと」に出会えそう!」という気持ちにさせてくれる場所です。

当時23歳だった斉藤さんが、カフェを開くことになった経緯、この「場」を通しての様々な活動、これからについて、お話を聞きました。
 
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斉藤裕輔(さいとう・ゆうすけ)
「cafe galleria」代表。1975年生まれ。福岡市出身。
地元の高校を卒業後、アメリカ・ヒューストンの大学へ留学。帰国後、1999年に「cafe galleria」をオープン。「人々の日常を豊かにする」ことを理念とし、アートイベントのプロデュースや新規事業のコンサルティングなども手掛ける。東北震災復興 NPO法人「底上げ」理事。

さまざまな人が行き交う場所

高感度なショップやレストランが並ぶ天神西通りから少し入ったところ。横に広く存在感のある大きな階段を上ったところに、カフェ・ガレリアはあります。

通は人々で賑わっているにもかかわらず、店内に足を踏み入れた瞬間、ここが大名という街の中にあることを忘れてしまいそうになるほど、ゆったりとした空間が広がります。

食事を楽しんだり、コーヒーを飲みながら本を読んだり、カウンター席でスタッフとの会話を楽しんだり。学生が集まってミーティングを開いているというのも、この店の日常的な風景です。
 
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店内の様子

ガレリアの特徴は、「音楽」「食」「アート」だけでなく、さまざまな「活動」が行われていること。

「アート」は斉藤さんの専門分野で、MADSAKI(TOKYO)&UFO907(NY)などアーティストの作品を展示したり、アジアのアートを発信するイベントを開催したり。様々な発信をしています。
 
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東京・ニューヨークからアーティストを招き、旧風呂場に巨大なキャンバスを設営しホテルと風呂場を1週間行き来しながら描かれたストリートアートの無料エキシビジョン『Bathroom Art Exhibition~MADSAKI×UFO907~』

「音楽」に関しては、オープン当初から様々なアーティストのLIVEを手掛け、その数は「ROOMS」でのライブを合わせると、数千本を超えるとも!

同ビル3階には兄・大輔さんが手掛けるイベントホール「ROOMS」がありますが、同じアーティストでも、ご飯を食べながら音を楽しむ場合は「cafe galleria」で、徹底的に音楽に集中したい場合は「ROOMS」と、うまく使い分けているのだそう。

また、「食」に関しては、生産者から直接仕入れた野菜や魚介を使っています。

福岡県糟屋郡を拠点に活動する若手農家のグループ「かすやグンジーズ」から、規格外の野菜を買取ったり、宮崎県高千穂の無農薬野菜を仕入れたり。お魚もスタッフの友人で、鹿児島県甑島の漁師さんから。

生産者の顔が見えて、新鮮な野菜が使えることは、僕らも安全でおいしいものが食べられるわけですし、彼らにとっても販路が拡がるきっかけになります。

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JUNN & 小池龍平のLIVE(2012年5月31日開催)

現在、福岡の人口は150万人を突破。さらに「街を楽しくしよう!」「魅力的なものにしよう!」というコラボレーションが各方面で始まるなど、ますます勢いを増しています。

とはいえ斉藤さんがこだわっているのは、あくまで「独自のものを提供していくこと」。

コラボ、コラボって言うけれど、足りないものを補い合うだけのものが多いと感じています。僕は、それで街がよくなるとは全然思っていないんですね。どちらかといえば、その中には入りたくないというか。

大切なのは、街に必要とされるDNAを残していくこと。各々がそんな店をつくっていけば、自然にいい店が増えて、そこに信頼性が生まれ、何度も何度も人が足を運ぶようになるはず。その状況ができてからコラボを始めれば、より強くて魅力的な街になるのではないでしょうか。

まずは自分を磨くこと、自分の城を築くこと。斉藤さんはこのことをとても大事にしているのです。

家業存続の危機に留学からの帰国を決意!

今でこそ大名になくてはならない存在となったカフェ・ガレリアですが、オープンしたきっかけは”家業存続の危機”でした。

高校を卒業後、アメリカ南部のヒューストン(テキサス州)の大学に留学し、美術を学んでいた斉藤さん。そんな彼の耳にそのニュースが届いたのは、あと1学期で卒業というタイミングでした。

このビルは、家業としてサウナを経営していた場所だったんです。ただスーパー銭湯のあおりを受け、サウナの経営が難しくなったので、業態変更をすることが決まったんですよね。

それで当時、東京の大学に通っていた兄と留学中だった私は、大学卒業を待たずに福岡に戻ることを決めたのです。

ちょうどそのころ、斉藤さん自身も「福岡に面白い”場”がないな」と感じていたそう。

たまに日本に帰国しても、友人との待ち合わせがファミレスやファストフード店ばかり。一方ヒューストンでの暮らしは、毎朝、お決まりのカフェに寄って、学校が終わるとまた別のカフェに寄って。

そこに行けば何人かの友達が必ずいて、そこからベビーシッターのアルバイトへ行き、アルバイトが終わったらまたそのカフェに戻って、勉強したり、ご飯を食べたり。

当時、ヒューストンにもスターバックスは席巻していたけれど、個人経営のお店に入り浸っていましたね。

そこには地元のアーティストの作品が飾られていて、いつ行っても生演奏があって、隅の方ではマイクを持って詩の朗読をしている女性がいることもありました。

福岡にもそういう場がほしいと、カフェをつくることを決意した斉藤さん。とはいえふたりとも、飲食どころか、そもそも社会人として働くことも未経験でした。

準備は本当に大変でしたね。とりあえず空間をスケルトンにして、デザイナーなどを入れず、自分たちの手で内装をつくっていきました。厨房計画も家具も全く考えず、まずはハコだけできた感じで。

計算違いのこともたくさんありましたけど、最終的にはうまくハマっていったという感じです。

数ヶ月後、なんとかオープンを迎えたものの、「最初は全てがダメだった」と斉藤さん。従業員の雇い方、メニュー構成、PRの仕方…経営も運営も全く素人からのスタート。

現在の賑わいからは考えられませんが、お客様が1日10人以下という日もあったそうです。

そこから慌てて経営の勉強を始めました。幸いなことに、料理人もバーテンダーも有能な子がいてくれたので、その子たちと一緒にお店の土台をつくっていったという感じ。

当時のスタッフも、それ以降のスタッフも、嬉しいことに今でも出入りしてくれているんです。今思えば、その状態も、みんなが成長していくための”場”づくりだったのかもしれません。

場があるからこそ”リユニオン”できる

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Downtown Houston Skyline(Wikipediaより

高校時代からアウトドアが大好きだった斉藤さんが、留学先としてヒューストンを選んだのは、「都市としての規模も大きく、ちゃんと文化があって、アウトドアライフが楽しめる場所」だったからでした。

留学のためにアメリカに渡ったときも、まずは北部のシカゴに入り、ミシシッピー川沿いを南下。アトランタを経由してヒューストンまで、すべて自転車で移動したそうです。走行距離は1カ月間で約3,000km!

釣りに行って、学校に行って、カフェに行って、アルバイトに行って、友達と遊んで。「この4年間の経験が、その後の人生を決めた」というくらい、充実した学生生活を送っていました。

当時の友人たちがよく遊びに来てくれるんです。つい先日も、僕が20年前にシッターをしていた男の子が遊びに来て、うちの仕事を手伝ってくれたり。

いろんな友人たちが帰省するたびに、「ガレリアに行けば斉藤がいる」と言ってここに来てくれる。仲が良かった奴らは、みんなここで結婚式の二次会をしてくれる。

こうやって”リユニオン”できるのは、カフェ・ガレリアという”場”をつくったというのが大きいですよね。

そんな斉藤さんのこだわりは、何かを始めるとき、仲間を集めたり、構想を練るよりも、まずは”場づくり”を最優先すること。そうすれば自ずと仲間や賛同者が集まり、活動が生まれていくのです。
 
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synapseのFacebookより

10年ほど前に、約11坪のスペースで始めた「synapse(CAFE x PUB x Multi Spaceが融合した空間)」もそう。第1期「synapse」は約4年間で活動を終え、2013年に一時復活。

LIVEやアートの展示、イベントなど、様々な活動を発信する「場」として多くの人たちが訪れ、交流を楽しみました。

ガレリアと違って、synapseではお酒にこだわりました。その方が、人の素の部分が見えて、生身の人と人として付き合えるんじゃないかって思って。

いま実は、ガレリアの夜の営業をsynapseのスタイルに変える予定です。キャッシュオンデリバリーでお酒やフードを買って、好きな席で、好きなことを楽しんでもらう。

かなり自由な使い方ができるパブリックな「場」にしていこうと思っているんですよ。

福岡から東北のためにできること


震災後の気仙沼の街

福岡・大名でカフェ・ガレリアを運営する斉藤さんですが、もうひとつ、東北・気仙沼の震災復興に関わるNPO法人「底上げ」の理事という顔も持っています。

特に時間を割いているのが、東北復興のために活動する福岡の学生たちのサポート。九州大学と西南学院大学の学生団体「このゆび」が発足したのも、斉藤さんがきっかけでした。

子どもの頃、お母さんに連れられてうちに来ていた男の子が、いつしか“裕輔にいちゃん”って慕ってくれるようになっていて。

彼が高校を卒業し、アメリカ留学に出発する直前に、「大阪から福岡の大学に来た友人です。彼のことよろしく頼みます」と、九州大学の医学部に通っている友人を紹介してくれたんです。

部活が終わるとカフェ・ガレリアにご飯を食べにくるようになったその友人は、東日本大震災直後、気仙沼へボランティアに行ったそう。

その後、福岡に戻ってきたとき、彼から「自分が見てきたことを裕輔さんのところで伝えることができませんか?」と相談されたんですね。「だったら一緒に企画しよう」ってなって、「このゆび」の活動が始まりました。

その頃の斉藤さん自身は、「寄付もしたし、それ以上できることはない」と思っていたそうですが、彼からの相談があったことで、東北の支援活動に携わることになったのです。

自分も陸前髙田や気仙沼に行きました。とはいえ自分の店もあるし、そんなに頻繁に行けないので、最初は中途半端に足を突っ込んでいる感じがして、ストレスも感じましたね。

ただ、東日本大震災に限らず、天災や事故、事件はこれからも起こります。そうしたときに「何かをしよう!」という人たちがカフェ・ガレリアに集い、活動の拠点になればいいと思うようになりました。

こうして、東北支援に携わる学生たちを徹底して後方支援するという、継続的な支援のしかたを見つけたのです。美味しいご飯を安く食べられるように、学食制も導入しています。

風化されないようにするには、みんなが集える”場”が絶対的です。そこに僕のようなおじちゃんがいれば、“裕輔さ〜ん”って、学生たちはいつでも相談に来ることができる。毎日、メンバーの誰かがここにいますし、今、僕が一緒に過ごす時間がいちばん長いのも学生ですね。

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アフリカのスーダン、東北の仙台市や名取市を拠点に支援活動を展開するNPO法人「ロシナンテス」代表・川原尚行氏と、東京から気仙沼へ移住し支援活動を行っているNPO法人「底上げ」代表・矢部寛明氏を招き、東北の現状を知ることを目的に開催された『〜肩の力を抜いて対話するワールドカフェミーティング〜「我々の地からできる復興支援策を考えよう」』(2012年6月19日開催)

卒業メンバーを含めると、総勢30人ほどが関わってきた「このゆび」の活動。彼らは斉藤さんのDNAを受け継ぎ、社会支援ができる「場」、そして東北の現状を伝える「場」をつくり続けています。

ときには、街の防災を学んだり、カンボジアの地雷撤去のボランティアに行ったりと活動の幅を拡げ、そこで学んだこと、感じたことをフィードバックする取り組みを通して、東北支援を継続していこうとしているのです。

何かを始めたとき、彼らはギブアップしないんですよね。非常に勤勉だし、怒られても怒られても立ち向かってくる。

僕は彼らを常に心から尊敬しているし、そんな学生たちと過ごす時間は自分にとっても楽しいんです。一緒にいると、老けませんしね(笑)

中小企業こそ、積極的な障がい者雇用を!

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知的障害を抱える障がい者スタッフも一緒に働いている

「自分らしく、ひっそりと長く続けていきたい」と話す斉藤さんですが、「これだけは積極的に伝えていきたい」と考えていることがあります。それは、障がい者を雇用することの素晴らしさ。

近年、カフェ・ガレリアでは、障がい者を積極的に雇用しています。そのきっかけは、ハローワークからの問合せでした。

「ここで働きたいと言っている障がい者の子がいます」と相談を受けたものの、「サービス業なんで」と一度お断りしたんですね。当時は障がい者のことを全く知らなくて。

でも、そのときの担当者の方が「お話だけでも聞いてもらえませんか?」ともう一度連絡をくださって。だったらと、統合失調症の女の子を面接したんです。

斉藤さんが採用を決めたのは、彼女に会った瞬間でした。

スタッフの中に障がい者がいると、空気の循環が凄くよくなるんです。入ってきてすぐは「大丈夫かな」と心配になるけれど、徐々に彼らを全面サポートしようというエネルギーが生まれていく。

ピーク時にバタバタしていても、ゆっくりとした口調で「裕輔さ〜ん、これ、どうすればいいんですかぁ?」と聞かれるだけで、パッと空気が和んで冷静さを取り戻すこともあるんです。

障がい者はサービス業で働くことはできないという偏見があったという斉藤さん。彼女を雇用したことがきっかけで、その後、知的障害の子とアスペルガー症候群の子を採用するなど、常に障がい者を採用したいと考えています。

スタッフたちの観察力、ケア能力が凄く向上したんです。一人の存在が、あれほどまでに周りに影響を及ぼすことを経験したことは初めて。

また、障がいを抱えている子たちもこの環境の中でしっかり成長していくんですね。ここで働いていた子の一人は、今、地元である沖縄に帰って実家の仕事を任されているんですよ。

賃金をはじめ、行政からの様々なサポートもありますし、彼らを雇い入れることはメリットしかありません。中小企業こそ、障がい者雇用を推進して欲しいですし、これからは、このことをどんどん発信していきたいと思っています。

学生の支援も障がいを持つ子の雇用も、「いつも外からきっかけがやってくるんです」と斉藤さんは謙遜しますが、すべては「カフェ・ガレリア」という、ゆるぎない場があったから。

2歳になる息子の名前は文陸(ぶんろく)と言います。店に対しても、僕の仕事に対しても、息子に対しても、すべてが文化・文学の大地(陸)になりたいという想いがあって。

カフェ・ガレリアの理念は、人々の「日常を豊かにするお店」であること。これからもその大地となる活動を続けていきたいですね。

みなさんの周りには、気軽に相談にいける場所がありますか? もしまだないようであれば、その「場」をつくることから始めてみませんか?

何かがはじまるきっかけは、みんなが集まる場から生まれていくはずです。