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3.11から3年… RCF復興支援チーム藤沢烈さんに聞きました。今だからこそ、僕たちにできることは? 被災地支援から始まる「未来づくり」ってどんなもの?

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あの日から早くも3年。東北沿岸部を訪ねても、復興が進んでいるとはいえないようです。また、3年という節目に、活動を切り上げるNPOも出始めているとか。被災地には、NPOもボランティアも必要ないのでしょうか? 今だからこそ、私たちにできることは、なんでしょうか?

その答えを探るため、「Links for Good」とグリーンズの共同企画として、グリーンズ代表の鈴木菜央さんが、復興コーディネイターとして震災直後から走り続けてきた「RCF復興支援チーム」代表理事の藤沢烈さんに話を聞きました。その答えは、希望に満ちたものでした。


 
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藤沢烈(ふじさわ れつ)
RCF復興支援チーム 代表理事 一橋大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て独立。 NPO・社会事業等に特化したコンサルティング会社を経営。東日本大震災後、RCF復興支援チームを設立し、情報分析や事業創造に取り組む。文部科学省教育復興支援員も兼務。

私が復興支援を始めた理由 〜藤沢烈さんの場合〜

鈴木 あの日から、3年が経ちましたね。藤沢さんは、どのように一般社団法人RCF復興支援チームの立ち上げに至ったのですか?

藤沢 社会起業家の仲間達がすぐに被災地の現場に入りましたが、次々と連絡がなくなっていきました。「みんなどうしたんだ?!」と。それぞれの現場が大変で、現場の情報を発信する余裕がなかったのです。とにかく今回の震災は範囲が広くて状況もニーズも多様ですから、コンサルタントをしていた自分は、現地の情報を集めて分析する役目に徹しようと決めました。

鈴木 具体的には、どのようなことを?

藤沢  縁があって内閣官房震災ボランティア連携室に入り、現地NPOの情報を政府に伝えていました。RCF復興支援チームもそのころ立ち上げ、約10人のボランティアとひたすら被災状況についてのリサーチをする毎日でした。

鈴木 ブログによると、そのうちに、限界を感じたとか……。

藤沢 そうです。東京で分析をするだけで現場に触れていませんでしたから。 そこで夏頃に、企業の支援を得て岩手県釜石市に入り、雇用問題に焦点を絞って現地調査を始めました。

鈴木 被災された方に直接寄り添って状況を把握し、その情報を伝える仕事をされていたわけですね。

藤沢 はい。現場に入って初めて分かったことがありました。例えば今必要なことを何でもすぐやれば良いわけではなく、長い時間軸で復興を見ることが大切ということです。全体感を持って復興に関わることがすごく必要でした。

4年目からの支援のあり方とは

鈴木 震災から3年経ちましたが、NPOの役割は、どう変わっていくんでしょうか?

藤沢 4年目から大きく役割は変わります。ここまでは費用や人材面も含めて、「太く短い」支援が中心だった。でも今後は、この3年間のようにお金が入ってこない前提で、「細く長い」支援にシフトする必要があります。

次の区切りは震災から約10年後の2020年になります。期間限定省庁である復興庁も、その年をもって廃止となります。オリンピックで世界からも注目される2020年には、東北が自立し、「あの東北がここまで回復した」と言える状況にするためにも、NPOの支援が変わる必要があると感じています。
 
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釜石市でのコミュニティ支援として、岩手県釜石市の唐丹小学校で行われたお別れ会の様子。RCFの現地メンバーは小さな地域活動にも顔を出し、住民の方々とコミュニケーションを取っている

鈴木 阪神淡路大震災の場合だと、5年、10年後くらいに問題になったのは自殺だったと思うんです。その防止についても、今から考えてやっていかなきゃいけないですよね。

藤沢 自殺に関して言えば、現場の支援者による取組みが重要です。現場での支援で意識したいキーワードは、「ラストワンマイル」。例えば、仮設住宅と借り上げ住宅に同じようにカラオケ大会の案内ちらしを出したとしても、仮設住宅の方ばかりが集まります。借り上げ住宅には近くに避難者がいないため、本人が情報を見つけなければ情報がわからない。一方、仮設住宅では、隣近所の避難者から「あんたに必要な情報があるよ」と教えてくれるのです。

鈴木 なるほど。長屋的なつながりですねぇ。

藤沢 まさにその通りです。情報を届けるだけではダメで、本人に伝えるための「ラストワンマイル」が、仮設住宅にはあって、借り上げ住宅にはないのです。

鈴木 人員不足などで、そこをつなげられない地域が多いんですね。

藤沢 そう。国や自治体だけではできず、さまざまなNPOや支援者が補い合ってラストワンマイルを埋める必要があり、そのことが自殺や孤独死の防止にもつながります。

鈴木 NPOを含む人同士がつながった生態系のようなものが豊かにならないと、いくらNPO単体で努力しても、越えられない複雑な問題があると。
 
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藤沢 地域社会や家族のつながりが弱まり、近年の社会はもろくなっています。NPO単独でも解決はできず、地域社会ともつながった有機的な存在になることが必要です。

鈴木 単体だと無機的だけど、つなげて役割を生かしていくと有機的になっていく。この生態系は、NPOや行政や民生委員など、担い手がたくさんいないと成り立たないですね。

藤沢 あと、担い手たちの目線をそろえるのも課題です。しかし、長い目線で見ると、目的にズレがないのが復興事業のいいところでもあります。目の前のトラブルでは意見が合わなかったりしますが、「この街を持続可能にする」というゴールは全員共通ですから。それを認識した上で役割分担して、あとは情報を共有する。このことを徹底することで、社会を支える仕組みができあがります。そして、これを行政じゃない立ち位置でリードできるのは、NPOならではです。

鈴木 いいNPOと、そうでないNPOを見分けるにはどうしたらいいんでしょうか? 最近ネガティブなニュースも聞きますが。

藤沢 トラブルを起こしたり、不祥事を起こすようなNPOも東北に確かに存在していましたが、淘汰もされました。ほとんどのNPOは、地域の活動にも参加し、 地元との信頼関係を結べています。現地の方の評判を聞けば、活動を続けられている団体かそうではないかはよくわかります。

ひとりの力は結構大きい

鈴木 NPOには4年後も相当重要な役割があるようですが、ボランティアはどうなんでしょう。

藤沢 「この3年でやることは終わったんでしょ」「もう遅いでしょ」って言う人もいますが、違います。ここからもう一度個人の力が必要になります。ようやく復旧がひと段落して、行政も住民も落ち着いて先を見るようになってきている。そうすると、「自分たちだけではダメだ、外のいろいろな力を借りたい」という話も出始めています。

鈴木 それは勇気付けられますね。では具体的に、どんなことをしたらいいのでしょうか。

藤沢 現地に数年間滞在する方は全国でも数千人で良いと思っています。一方で、現地にあまり行けないけど関わるという人は、実は、何万人といてほしいと思います。

鈴木 下支えする人たちにもいてほしい。さっきの生態系の話ですね。

藤沢 そうです。実際は行けない人のほうが多いでしょうから、そういう方々には、具体的な支援先を探してもらいたい。例えば、一事業者、一地域という単位でファンになってずっと見続けるイメージです。ツイッターやフェイスブックで情報を受け取りながら、月に一回モノを買い、年に一回現地に行く。そうして何万という細い線が被災地とつながっていき、細いけど長い支援が実現できます。

鈴木 細く長く。それぞれが、特定のところとつながるんですね。

藤沢 ヤフーさんの「復興デパートメント」もそうですが、○○商店の○○が欲しいという応援の仕方です。ネットの可能性って圧倒的に大きい。細く長くできるのはネットのおかげですよ。検索でも友達の口コミでも、Links for Goodみたいなものでも、きっかけは何であっても、個人の方には応援したい現地NPOや自治会や事業者を見つけてほしいです。

鈴木 心でつながるんですね。
 
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復興デパートメントのトップ画面。ハンドメイド品から産地直送品、伝統工芸品など、復興を目指す人たちによるさまざまなモノが集まる総合百貨店。

藤沢 そう。現地の商店は無理して開業しているのです。地域をなんとかしようと、義援金やら生活支援金などを投資して、店を作り直したりしています。皆さんからすると、一商店の商品を一個買うことで復興するの?と思うかもしれませんが、なります。被災地の人たちは、多少の無理をして被災地で営業を再開させたから、都市に住む一人の主婦が商品を買ってくれたという事実が勇気になります。

自分で納得できたかどうか自問自答を

藤沢 3年前の3月11日には、多くの人が何かをしたいと思ったはずです。では、それを本当にやりきれましたか?と問いたいのです。みなさんの心に、自分自身で何ができたのかを改めて問うて、4年目以降の東北でできることを考えて欲しいですね。

鈴木 マスメディアで報道が減ったとしても、ですね。

藤沢 そうですね。メディアの報道を鵜呑みにせず、自分から情報を取りにいってほしい。NPOの情報でも生の声でも、もちろんグリーンズやヤフーもそうですが、なにか自分が納得できる情報源をひとつ持つと違います。結構現地の関係者もブログやツィッターなどで頑張って発信していますよ。
 
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私がgreenz.jpを始めた理由 〜鈴木菜央さんの場合〜

鈴木 グリーンズの話が出ましたが、実は、僕がグリーンズを立ち上げたきっかけも震災なんです。高校を卒業して一浪しているときに阪神淡路大震災があったんですね。東京にいて大学に合格もしたけど、友達に誘われて水と食糧をもって現地に入って、結局5月まで入学式にも出ずに神戸にいた。

この経験で、社会に対する見方が変わったんです。それまでは、みんなグレーのスーツを着てネクタイを締めて会社星人みたいになるのが大人なんだと思っていた。ところが、神戸で寝泊りした小学校で出会った大人たちは違った。ありとあらゆる職種や年齢の有象無象の集団でしたが、それぞれが自分のフィットする仕事にスッと入っていって、輝いているわけですよ。

人間ってこんなパワーがあるんだ!僕が見ていたネクタイ星人の世界はなんだったんだ!と驚きました。同時に、こういうパワーが、どうして世の中の普通の社会で発揮されないのかという疑問がわいたんです。それで、いろいろな種類のNPO活動に参加して、一人ひとりが可能性を発揮して幸せになれない時は、必ず、その邪魔をしている社会的な課題があると知った。

90年代後半には、環境の問題や社会的な課題に取り組む人が増えつつありました。ボランティアのイメージも、「面白くて楽しくて人の役にも立つなんて最高」というポジティブな感じに変わってきた。その文脈をさらに推し進めたいと思ったことが、グリーンズの活動につながっていくわけです。

今、東北3県とかいろいろなところで活動している人たちというのは、多くを感じて学んでいるはずです。それが花開く人もたくさんいると考えると、これは社会にとって、結構すごいインパクトを持つことだという気がするんですね。

藤沢 そうだったのですね。鈴木さんは高校と大学の間という何者でもない時期に行けたのが良かったのでしょう。今、転機を迎えている人は、1〜2年間でもいいから、どんどん現場に入ってもらいたい。

鈴木 そういう意味では、RCFでも、みなさん良い学びをされていると思うんですが、スタッフさんは、今、何人いるんですか?

RCFは復興コーディネイター集団

藤沢 40人になりました。

鈴木 40人も! 具体的には、どんなことをされているんですか?
 
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2014年2月に行われたRCF復興支援チーム採用説明会の様子。まだまだ復興課題は多く、多くの方の参画を待っているという

藤沢 僕らは「復興コーディネイター」と呼んでいて、行政と被災者、あるいは行政と民間企業がうまく連携するように調整役を担っています。実は行政は復興は自分達だけではできないことを強く自覚しており、外の企業やNPOなどと組みたいと考えていますが、仕事の進め方の作法が異なる。だから僕らが間を取り持つ。また、東京から現地のNPOに復興支援制度などの情報を送って、彼らをサポートしています。

鈴木 情報を渡して必要なところをつなげ、制度設計を手伝い、場づくりを手伝う。RCFのような中間支援としてのNPOの役割も非常に重要なんですね。皆さん普段は現地ですか?

藤沢 いや、現地には10人のみ駐在しています。その他20人が東京と行ったりきたりしています。感情移入し過ぎないで限られたリソース(資源)を効果的につなげるには、東北の外から冷静に見極める目も必要な時があります。お金にしても何しても、リソースは外にありますから。
 
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2013年12月、岩手県野田村にて役場・漁師・漁協・第三セクターが一丸になって復興に向かう様子を伺う

鈴木 効率良くつなげるコツってあるんでしょうか。

藤沢 こちらの言葉の使い方ひとつで全然違ってくるんですよ。復興に関わる人はみんな本気ですが、言語がちょっとずつ違うんです。例えば行政は、議会や法律にのっとって動かなければいけないので、「復興計画に書いてあるこの部分は、NPOに関わってもらうことで実現できますよ」と、彼らが認めやすい言葉を使います。現地に入る前は「行政は全くわかってくれない」と聞いていましたが、彼らの決まりごとを理解して、その文脈で話せば、実はすごくオープンです!

そもそもNPOは被災地で何をしているのか

藤沢 現地に入って明確に分かったのは、NPOのような、非営利で専門的なチームが、とても必要だということです。驚いたことに、被災地には予想以上にコミュニティ間のつながりがなくて、隣の集落のことすら意外と知らない。あるのは、小学校の校区くらいの、昭和の大合併以前の町村単位のコミュニティです。今のくくりは広過ぎるから、まず住民同士がつながる場を用意しなければならず、それは行政も不得意なんです。

鈴木 なるほど。それで、第三者的な立場の人たちが不可欠だと。

藤沢 阪神淡路大震災後に支援した方に聞くと、自治会が機能したのは初めの5年で、徐々に高齢化が進み人が集まらなくなって孤独な方が増えたそうです。初期のニーズに即応することが正しいとは限らない。例えば、今ならニーズの多くは住宅建設ですが、そこに資源が集中し過ぎると、次のニーズであるコミュニティをつくる集会所のための予算は残らない。
 
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釜石市コミュニティ支援の様子。現地のRCFメンバーが地域の人達を集めてスカットボール大会を企画運営。地域の人達のコミュニケーションを築く場を作っている

鈴木 支援する側は一歩も二歩も先を読まないといけないんですね。

藤沢 コミュニティは壊れやすいものだから、サポートし続けるNPOの存在が大切なんです。それがないと、結局はすべて行政のコストに跳ね返る。仮設住宅の苦情で市役所の電話が鳴りっぱなしだった大船渡で、支援員を入れてコミュニティ形成を図ったところ、結果、役所への問い合わせが大きく減りました。ほとんどの苦情はコミュニティの力で解決できたのです。

鈴木 緊急雇用によって、それまでにはなかった生態系ができたんですね。

藤沢 大船渡では、市民セクターが連携できるセンターもできました。医療や健康支援、ITや教育支援など専門性をもったNPOが集まって情報共有する場です。認識合わせをした上で支援する、そして、市民セクターで担えないところは行政がやる。この役割分担をマネジメントするのが、ものすごく大事なんです。そして、これを仕掛けていくのがNPOなんですよ。

鈴木 まさに調整役ですね。場づくりのための場づくりまでやるっていう。

藤沢 そうですね。行政主導で地域の社会づくりをやるのは案外難しいんですよ。行政が会合を開くと、商工会の会長も町議会議員さんも呼んでおこうなんていって結局おじいさんだらけになって(笑)。フラットな感じで人を集めて行政にはオブザーバーで来てもらって、さあ本音で話そう!なんてできるのはNPOだからこそなんです。

鈴木 被災地支援のNPOというと、現場で活動する場面しかイメージできないのですが、お話を聞いてると、本当に多様な役割を果たしているんですね。

藤沢 民間側が成熟すれば、うまくいくことって多いんです。コストがかかりやすい行政は簡素化して、コミュニティを代表する組織を作って民主的なやり方で運営していく、そのほうがいいように感じますね。基本は自分たちでやり、専門的なところを行政に補完してもらう。岐阜県山岡町のように、市町村合併で町が消えかかったところをNPO法人化して町を存続させたケースがあります。今なら全国からクラウドファンディングで資金を集めることだってできますよね。

鈴木 面白いですね。日本の新しい姿が見えてくるようです。

藤沢 そう!すごく面白いですよ。成功事例が世界中にあることを僕らは知っていますし、そのコンセプトを共有できる仲間も増え続けています。NPOにかぎらず、企業にだって政府にだって仲間はいます。特に、復興支援員という立場で全国から東北に入っている100人に私は注目しています。20代から30代で現地に入る復興支援員は、そのあたりの感覚が分かった上で、現地に直接触れているハイブリッドな存在です。

鈴木 そういう経験をして、知恵を得た人材は、これからの日本にとっても本当に貴重ですね。

藤沢 はい。僕は、彼らのそういう経験がキャリアップにつながることを証明したいんです。NPOと企業と行政の間で、人材の流動化を促進していきたいと思っています。
 
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被災地は日本のこれからを映す

藤沢 今の日本全国はもちろん先進国の中でも、変化がものすごく大きくてゼロから新しくモノが作られていく、しかも行政も企業も民間も一体化してやっている場所って、被災地以外に、なかなかない。課題が多いから、皆の知恵を結集しないとできない。こんな面白い場所はない!とも言えます。福島も都心から1時間で行けます。決して茶化しているわけではないんですよ。なにかのせいにして思考停止しているのは違う、と言いたいんです。

鈴木 マイナスな状況でも、そこからプラスを取り出すことはできますもんね。もともと弱体化しているところに大きな災害が起きた。そして、住人と行政とNPOとみんなでつながって新しいあり方を考えて実行できる状況がある。そんな中で、やれることはやったぞって、みんなが思えるかどうか、ですよね。

藤沢 やり方は、いくらでもありますから。4年目に入り、集団移転などで、3県で300カ所に新しい町ができ始めます。1000人規模の町もつくられ、町の名前も自分たちで決めたケースもあります。日本の社会は硬直的だと言われますが、それも思い込みかもしれませんよ。ちゃんとルールや手順を踏めば、できることは多いんです。僕は、実は、日本は堅苦しくないんじゃないかと思っている。

鈴木 実は、日本はゆるい(笑)!!新しい提案ですねぇ。

藤沢 そう(笑)。ワザはあるんです。新しいやり方を見いだしていく場としても、それを丸ごと経験できる場としても、これからの東北は面白くなる。そこでキャリアも積める。

鈴木 そのキャリアは、これから日本中で必要になりますね。限界集落も増えていますし。

藤沢 人生が変わる、ひいては社会が変わる、そんなチャンスが今の東北にはいっぱいあるんです。

鈴木 本当にそうですね。ワクワクしますね。私たちも、継続して被災地の様々な活動とか変わっていきたいと、改めて思いました。今日は、ありがとうございました。

藤沢 ありがとうございました!

(インタビューここまで)



「被災地」は、実は希望に満ちたステージだったんですね。今からボランティアに行っても遅くはない、小さな買い物ひとつでも支援になる、自分の胸に手を当ててやり残した気持ちがあるなら何かしたほうがいい――震災後の東北をずっと見つめてきた藤沢さんの言葉だからこそ、一つ一つが心に響きました。

4年目からは、細く長くがポイント。今だからできることが、きっとあります。

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