「BMC本部」も入る”いいビル”「大阪ニット会館」
街中でふとレトロなビルを見つけて「なんかいいな」と思った経験は皆さんにもあるのではないでしょうか?そんな素敵なビルの中にいい雰囲気のお店があったり、運良く自らが入居することができたりという幸運な出会いがある一方で、気に入っていたビルがある日取り壊されてしまったという悲しい現実を目にすることも少なくありません。
そろそろ更新時期を迎える戦後期に建てられたビルの中には、まだ使えるにもかかわらず使用者の不在などによる解体といった危機に直面するものも少なくありません。そんな中、素晴らしいビルへの愛の強さゆえ、使う人にも持っている人にもそのビルのよさをしっかりと伝えたい、と活動するビル好き5人組が大阪にいます。それが今回ご紹介する「ビルマニアカフェ(BMC)」の皆さんです。
BMCの皆さん。左から高岡さん、阪口さん、姉崎さん、夜長堂さん、そして岩田さん
空きビルの「いい使い方」を実践。元キャバレーで500人が盆踊り!
主な活動は、空きビルを使ったイベントやリトルプレス『月刊ビル』の出版など。発足のいきさつは、2008年にメンバーの一人である設計者の岩田雅希さんと、大学講師を務めながらご自身の設計事務所を主宰される高岡伸一さんのビル好きトークからはじまります。
岩田さんが同僚や身の回りにいたビル好きに声をかけ、街の不動産屋の阪口大介さん、モダンペーパーの制作販売などを手がけられる夜長堂さん、デザイナーの姉崎由美子さんとともにBMCが誕生。ビルマニア「カフェ」というちょっと不思議なグループ名は、最初に行ったイベントがお気に入りのビルの一室をカフェにするというもので、そのときに付けた名前がそのまま残ったため。
「どこそこのビルの一室が空いた」と聞くと、何かできないかということで一日だけのバーを開いたり、ビルの外ではお花見ならぬ「おビル見」ということもしました。
2010年にスタートした「トロピカルビルパラダイス」というイベントでは、「味園ビル」というビルの屋上を使って盆踊りをしました。そのときは「盆踊りならこの人!」ということで、河内家菊水丸さんにも来てもらったんです。建築関係者というわけでもないのに、二日で500人くらいの方が来て下さいました。ただ、みんな盆踊りは全然踊れなかったんですが(笑)。
「トロピカルビルパラダイス」の様子
場所を元キャバレー「ユニバース」に変えた2011年には、一日開催にも関わらず下は赤ちゃんから上は80代まで約500名が参加。フロアに踊れないほど人が集まるほどの集客力を誇るイベントになっています。そこでは盆踊りだけでなく、そのビルの資料展示やビル内ツアーも行われました。
「西谷ビル」で開催された「ビルマニアカフェ2008」でのビル内ツアーの様子
ただのビル好きというにはあまりにもフットワークが軽く、イベントのメッセージとして「素晴らしいビルを紹介したい」以外を多く語らないBMCのみなさん。ビルが空いたと知るやその使い方を一番手で実演する、「いい使い手」のロールモデルを担っているように感じます。
持ち主にビルの魅力を伝え、潜在的な使い手を増やす『月刊ビル』
『月刊ビル』1号から6号
そんなBMCの活動はイベントだけにとどまりません。もしかしたら一度はそのインパクトあるタイトルに目を止めたことがあるかもしれないリトルプレス『月刊ビル』の出版を行っているのも彼らです。「月刊といいつつ全然月刊じゃない」というこの冊子も、これまでに6冊が出版され現在新刊を準備中。「トロピカルビルパラダイス」の開催ビルである「味園ビル」や彼らが拠点とする「大阪ニット会館」など、毎号ひとつのビルを紹介するという一貫した編集方針のもとに制作されています。2012年には同冊子でも取り上げたビルを含む関西の”いいビル”を紹介する、はじめての書籍『いいビルの写真集 west』が刊行されました。
彼らが取り上げるビルは必ずしも著名な建築家によって設計された有名建築、というわけではないため、ビルの持ち主さんには「なぜこのビルが?」とビックリされることも。
最初はみなさん判で押したように「ただ古いだけのビルですけど」って謙遜されるんです。でも僕たちがどんどん褒めるから段々「へー、これいいビルなんや…」「いいかも…」「いいやろ!」って自分のビルの見方が変わっていくんです。
飛び込みで取材依頼を行い、ときに門前払いを受けながらも持ち主さんの理解を得ることから『月刊ビル』の制作がはじまります。最新号で特集するとあるビルのオーナーさんには、手紙までしたため粘り強く取材交渉をされたとのこと。
窓口の方からは怪訝な目で取材お断りをされることも多いようですが、トップの方には思い入れも強いせいかご理解をいただきやすいようで、「こんな写真も出てきた」「こんな資料もあった」と、冊子の完成が近づくに連れオーナーさんが段々乗り気になっていくことも。建物の持ち主さんにとっても自社ビルを冊子で特集してもらうことに感慨もひとしお。なかには多くの部数を購入して知り合いに配る方もいるそうです。
『月刊ビル』取材時の様子
意識しないうちに持っていた価値観を目に見えるようにする
今や全国津々浦々で販売されている『月刊ビル』。噂が噂を呼んで、日本中の書店さんの方から「売りたい!」の声がどんどん舞い込み、出版するほとんどの号が売り切れになる人気雑誌になっています。充実の内容にも関わらず210円というリーズナブルさも理由のひとつでしょうが、実際にどんな反響があったかをおうかがいすると……
読んでくれた若い人の中に「実は私もこんなビル好きだったんです。でも、これまで周りの人にどう言っていいか分かりませんでした。」と言ってくれる人がいました。近代建築ではない「この感じのビル」というモヤモヤとしたところをひとつ具体化することができたのかなと思っています。
書籍の名前にもある”いいビル”のオーナーさんに、自らが持つビルのよさを認識してもらうことはもちろん、『月刊ビル』はその使い手になるかもしれない人々が意識しないうちに持っていた「こういう建物が好きだった」というモヤモヤとした気持ちに、ひとつの「拠り所」をつくっています。
ここで浮かんでくる疑問は、彼らが取り上げる”いいビル”ってどんなビルなんだろう、ということ。
とりあえず戦後経済成長期から1970年代の初頭までという年代しか決めていません。高度経済成長期は工業化も終わりプレハブ化によって効率化が進んだビル建設ラッシュの時代だった、というイメージが一般的にはあるようですが、よく見るとそうでもないんです。もちろん工業化は進んでいましたが、逆に言えば手仕事が残っていた最後の時期でもあるんです。人件費もまだ安かったので、工業製品と職人の手仕事の幸福な関係があった。そんな時代のビルに愛着を持っています。
すでに歴史的価値がはっきりとした寺社仏閣や、保存の機運が高まりつつある戦前の建物に比べて、戦後から70年代に建てられた”いいビル”は放っておくとドンドン壊されてしまうという厳しい現実に直面しています。
誤った一般的なイメージを変え、特定の時代背景の中で生み出された”いいビル”という価値観をより多くの人の目に見えるようにすること。そして「こんなビルを使いたい」というニーズに対し、そのビルを持つ人が「こんな古いビルより新しいものがいい」と思い込んでしまうという「すれ違い」を「幸福な出会い」に変えていくこと。肩肘張らないBMCの皆さんですが、こうした強い思いを持って”いいビル”を伝え、使い続けられています。
インタビューの様子
建物の保存だけではなく、語られる「歴史」も保存していくこと
ただ、彼らにとって建物「だけ」が大事かといえば、そうではありません。
単純に建築のことだけを紹介したいわけじゃなくて、それを使ってきた人たちの生の歴史も含めてビルの魅力だと思っています。最初は「そんなに話すことないけどな」と言いながらも、どんどんお話が出て来るし、その人たちのお話が毎回面白い。彼らも僕らが話を聞くことで、喋りながら段々思い出すんですよね。いつも「これを上回ることはない」と思いながら、毎回「また面白い!」と思うんです。
“いいビル”の直面する問題は、一般的な誤解や取り壊しの危機だけではありません。むしろ、その建物に思い入れを持つ人がそのビルからいなくなる、ということもそのひとつです。たとえ素晴らしいビルが残っていても、それを使う人がそのよさに全く気づかないままならば、それはいつか手放されてしまう危険信号に変わりありません。
実際、BMCが取り上げるビルに新入社員として入社した人も、今ではほとんど定年間近。そのビルの建設に携わった人となると、すでにご存命でない方も多くいます。彼らの声をいま残していくことの意義は想像以上に大きいのではないでしょうか。
建物保存が進む戦前の建築物も、10年程前までは「ただの古い建物」という見られ方しかされていませんでした。BMCの取り組みは、ただ “いいビル” が空いたからそこを使う、ということを超えて、それを持つ人と使う人の意識を変えることから建物の保存を考えていくところがユニークです。
ある時には”いいビル”や使用者の方々のお話を聞き、またある時には自らがいい使用者となっていい使われ方を伝えていくBMCの活動は、普段の見慣れた風景に新しい眼差しを提供してくれます。ぜひみなさんも身の回りの “いいビル” を探してみませんか?
(Text:榊原 充大)
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