宮城県の北東端の太平洋沿岸に位置する気仙沼市。その気仙沼市の中に「唐桑」という地域があります。複雑な海岸線が特徴的なリアス式海岸に囲まれる唐桑半島にあるその地域では、昔から漁業を中心に栄えてきました。
海岸沿いに町が点在する唐桑は、東日本大震災によって引き起こされた大津波により壊滅的な被害を受けます。
あれから一年。押し流されてしまった唐桑の町を元に戻すには、これからも長くて険しい道のりがあります。しかし、地域には確実に「希望の種」が芽を出しはじめています。
今回ご紹介するのは、唐桑に暮らす人びとの復興への想いを集め、唐桑に伝える地域密着フリーペーパー「KECKARA けっから。」です。“よそ”から来た若者のマイプロジェクトが、唐桑の人びとの想いを繋いでいます。
「KECKARA けっから。- からくわ未来予報誌」は2月12日に第一号が発行されました。手がけるのは兵庫県出身23歳の加藤拓馬さん。
加藤さんは震災直後の2011年4月から唐桑に入り、津波の被害が出た地域のガレキ撤去を行ってきました。当初は自らもボランティアの一人として現地で活動していましたが、現地入りするボランティアの人たちや団体をマネジメントする必要が出てきたために、現地のボランティア事務局を運営する側に回ります。その後は、唐桑全体の被害状況を把握しながらボランティアを指揮して、地域のガレキ撤去をすすめていきます。
唐桑に暮らす人びとの、それぞれの立場と、行き違う想い
唐桑の海と、加藤拓馬さん
ガレキ撤去のメドがつき始めた夏ごろ、仮設住宅で暮らす地元の人たちの気持ちが弱っているのを加藤さんは目の当たりにします。被災地入りしてからこれまで目の前の活動に追われていましたが「今回の震災は夢じゃなかったんだ」と、改めて気づく機会となります。
その後「唐桑の人たちの本当の意味での復興をサポートしたい」と考え、地元の人たちの会議などに積極的に参加するようになります。復興を目指して動く唐桑の人たちの話を聞いて次第に分かってきたことを、彼はこう話します。
唐桑では町全体の高台移転の話がある。その土地に暮らす人たちの生活に大きな影響を及ぼすテーマなだけに、意見も激しく分かれてしまう。よそ者の僕が口出しできる内容ではない。それだけではなく、仮設住宅に暮らす人、避難所で暮らす人、自宅で暮らす人にはそれぞれの不満があり、それぞれに対しての批判がある。
また、地区同士の意識の違いもある。唐桑半島の先端の地域では地形上あまり大きな被害が出なかったが、港町の地域は壊滅状態。一方にとっては「他人事」となってしまっている感もある。
それぞれの立場の違いから生まれてしまう、地域の歪み。そのような話を加藤さんは毎日、毎日、地元の人から聞かされたそうです。しかし、具体的な解決策は無く、日々、無力感をつのらせていきました。
唐桑の人びとの夢をすくい上げ、未来を描くフリーペーパー
編集部の「けっから。」への想い
そんな中、他の被災地域で「未来の町の地図を描く」というプロジェクトがあることを知ります。津波によって多くのものが流されてしまった町の未来の姿を描くことで、これからの復興への希望にすることを目的とするプロジェクトです。
加藤さんも同じことを唐桑でも行いたいと思い、自分のメモ帳に「未来の唐桑の地図」を描きます。しかし、地元に暮らす人たちの現実的な話を日頃から聞いているせいで、自らが描いた地図の非現実的な部分に目がいってしまい、この地図を描くことを断念します。
しかし、これをヒントに「唐桑のみんなに、唐桑の未来、そして夢について語ってもらえばよいのでは?」ということを思いつきます。自らが地元の人を取材し、未来への声をすくい上げ、地元の人に届ける媒体。それを実現するために、加藤さんは唐桑限定のフリーペーパーを発行することにします。
地元の未来を語ることで繋がる、唐桑の人びとの想い
地元・小原木中の子どもたちのメッセージ特集
「けっから」とは「(タダで)あげるから」という地元の方言です。唐桑の「から」という意味も掛けています。フリーペーパーのタイトルはうまく決まりましたが、発行までの道のりは厳しいものでした。
「これまでの人生で一度も、メディアづくりやライター業務を行ったことがなかった」そんな彼の挑戦は、本当にゼロからのスタート。同じように現地で支援活動をしていたデザイナーのJay Horinouchiさんと二人三脚で一歩を踏み出します。地元の人への取材を繰り返しながらも、自ら広告の営業もこなすような状況もありましたが、応援してくれる人たちのサポートもあり、今年2月12日に創刊することができました。
「からくわ未来予報誌 – KECKARA けっから。」の第一号には、唐桑に暮らすさまざまな立場の人のインタビュー記事が掲載されています。仮設住宅・避難所・自宅で暮らす人びとや、年配の方から子どもまでの、それぞれの考えとそれぞれの想い。
これまで唐桑の中で行き違ってしまっていた考えと想いが、ひとつの媒体によって発信されることで、確実に良い変化が生まれていると、加藤さんは話します。
“けっから。”が、在宅生活の人が仮設住宅の人の暮らしを知ったり、仮設住宅の人が在宅生活の人も頑張っていることを知るきかっけになっている。また、高台移転についての記事は、対立する中で議論のタネになっています。
また、「とても嬉しかった」と言って取材する私に見せてくれたのは一通の手紙。その中には、唐桑から一旦離れて暮らしている女性から「また地元に戻って暮らしたくなった」と綴られていました。“けっから。”には、地元の子どもたちによる10年後の唐桑への希望のメッセージが紹介されています。紙面に描かれる未来の唐桑の姿が、その女性に響いたのかもしれません。
“けっから。”の表紙には、地元の小学生が描いた絵が使われています。それぞれのお母さんを描いた絵の背景には、唐桑の風景が描かれています。入り組んだ海岸線の先に広がる青い海や、将来家族が住む3階建ての家。
唐桑はいまもなお復旧作業の続いている地域です。復興までの道のりはまだまだ険しいです。しかし、夢を語り、希望を抱き続ければ、いつか子どもたちの絵のような「唐桑」が戻ってくるはずです。“未来予報誌”として「けっから。」が描きつづける唐桑の姿が、これからも楽しみです。
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