「耕作放棄地」というと、どんな風景を思い浮かべますか。人が離れてしまった里山でほったらかしにされた、雑草生え放題の草っ原といったところでしょうか。そんな耕作放棄地のイメージを覆すようなチャレンジングな取り組みが、千葉県の鴨川ではじまっています。
一般社団法人Soil to Soulが運営する「Soil to Soul FARMPARK KAMOGAWA」は、なんと、耕作放棄地を公園のように生まれ変わらせたフィールド。雑草ではなくハーブやエディブルフラワーがいきいきと育ち、子どもたちが思い思いに走り回る……。実際に足を運んでみると、もともと耕作放棄地であったことが信じられないような美しい風景が広がっています。
竹で組まれたエントランスをくぐり、丸太でできた階段を降りていくと、まず目に入ってくるのが大きな屋根のカラフルな小屋。その周りにはぐるっと植栽のような畑が広がり、ポニーがのんびり走る小さな牧場も。
Soil to Soul FARMPARK KAMOGAWAは、どんな想いで生まれたのか。他にない取り組みを、どのようにして実現させたのか。Soil to Soulのメンバーであり、株式会社苗目の代表取締役でもある井上隆太郎(いのうえ・りゅうたろう)さんにお話を伺いました。
園芸をめぐるさまざまなビジネスを東京で展開
高校を卒業後、園芸の業界で働くようになった井上さん。葬儀用の花の手配からキャリアをスタートさせ、園芸専門店のバイヤー、駅ナカの花屋の運営などを手がけたのち、29歳で独立。2006年に恵比寿で花と古着のお店を、南青山でバーを開業します。
井上さん 日本の花屋さんって、たとえばパートナーが誕生日だから花を贈ろうみたいな目的をもった人がきて花束を買うって感じでしょう。でも、もっとカジュアルに、そもそも花に興味がなかったり花を買う習慣がない人たちに花を売るようなことがしたいなあと思ったんですよね。
バーでお客さんとおしゃべりしながら、『実は昼は花の仕事やってるんですよ』みたいな感じで営業をしていたら、徐々に飲みに来ている社長さんなんかに『うちの会社で、ちょっとなんかやってくれよ』みたいに声がかかるようになっていったんですよ。
やがて井上さんは花を売っていた恵比寿の店舗をたたみ、企業のイベントなどに花を卸してディスプレイする仕事をメインにするようになります。
井上さん イベント系の仕事をガッツリ10年以上やったんだけど、まあ辛いわけです。夜中に施工して早朝に草花の仕入れをして……ってことを繰り返して、なんなんだろうこれは、と。一夜限りのイベントのために何千本ものバラを仕入れて廃棄するなんてこともあって心も痛む。植物が好きでこの業界に入ったわけですから違和感を感じるようになって、もういいかなという気持ちになってきたんです。
農業へチャレンジ、そして鴨川に移住
東京での仕事に疑問を感じるようになってきたタイミングで、それまでも漠然と農業をやりたいと思っていた井上さんは、2014年に千葉県の鴨川市に土地を借りて、東京から通いながら畑を耕すように。なぜ鴨川の地を選んだのでしょうか?
井上さん 当時の僕は、畑を借りるにしても農業をやるにしても、どうしたらいいのかわからない状態。周りの人に聞いていたら、いろんなところから『うちのあの土地使っていいよ』という話をいただいて、お声がけをいただいたところは全部見に行った。条件は、東京から通いやすくて豊かな自然が近くにあること。で、鴨川に来たときに『ここ以外ないな』と。すごく環境もいいし、何より人がいい。即決でした。
2014年から鴨川に畑を借り、週末に東京から畑作業に通う生活を始めた井上さんは、2015年についに移住。きっかけは、お子さんの誕生でした。
井上さん 僕自身は東京で育ったから、自分の子どもは自然が豊かなところで育ってほしいという思いがあったんだよね。東京にいると、飲食店では子連れに対する目線が厳しかったり、家の周りで子どもが騒いだら近所の人が文句を言ってきたり、子育てするのは窮屈だなと。それで思い切って移住して、今度は逆に週に4、5日は鴨川から東京に仕事に通うというライフスタイルになった。
畑で農業をするといっても、井上さんは単に野菜を栽培して収穫することは考えてはいませんでした。めざしていたのは、長らく園芸業界にいた審美眼を活かして、美しく、見ていて楽しい気持ちになる、庭のような畑。まずはハーブを少しずつ栽培しはじめましたが、しばらくして、これまでのつながりから新しい道が開けることに……。
井上さん 花をディスプレイする仕事として入っていた展示会やパーティの会場に、一流のシェフがケータリングで入っていることがあって。それで顔見知りになったシェフたちから、『エディブルフラワーがほしいんだけど』って問い合わせが来るようになった。当時はエディブルフラワーなんて知らなかったんですけど、調べてみて、これならできるなと。それで、ハーブといっしょに栽培することにしたんです。
「苗目」を設立し、見えてきた耕作放棄地の問題
移住したことから東京でのディスプレイの仕事は絞られて来たこともあり、井上さんは本格的に農業に取り組むことを決意。しかし、畑を広げようとした井上さんに、農地法(※)という法律の壁が立ちはだかります。農地を借りられるのは原則として農業者に限られており、農地を購入するには農地所有適格法人になる必要があるのです。
※農地法 第3条
井上さん 農地所有適格法人になるための要件を尋ねてみたら、農業の研修を受けることが必要だったり、農地を取得しての営農計画を出さないといけなかったりと、とにかく厳しい。農家の跡取りとか地元の土地持ちしか取得できないんじゃないかと思うくらい。それでも、これまでの園芸の知識とネットワークを活かして計画を立てたり、農業を辞められた地元の方から農地をお借りする約束を取りつけたりすることで、ようやく、なんとかクリアできたわけです。
千葉県の大多喜町で「mitosaya薬草園蒸留所」を営む蒸留家江口宏志さんから、蒸留酒づくりで使うハーブの引き合いがあったこともあり、共同で「農業法人(農地所有適格法人)株式会社 苗目」を設立。苗目というネーミングは、ビニルハウスごと借りた農地がある集落の名称が由来ですが、自然が芽吹き育っていくという意味も込められています。
ハーブとエディブルフラワーの栽培が軌道に乗り出してきた2019年、巨大な台風が房総半島を襲います。農地も壊滅的な被害を受ける中、追い討ちをかけるように、新型コロナウイルス感染症が広がります。感染症対策として人が多く集まるイベントは開かれなくなり、農業とともに井上さんの収入源であったディスプレイの仕事は激減しました。
ハーブとエディブルフラワーの一般の方向けECサイトで新たな販路を開拓したものの、大きな仕事は止まったまま。でもそのぶん時間はたっぷりあります。改めて周りの環境に目を向けた井上さんは、たくさんの耕作放棄地が気になって仕方なくなります。
井上さん 引っ越した当時は気になっていなかったんだけど、見回してみると手が入っていない田んぼや畑が本当にいっぱいある。荒れていて景色もよくないし、獣害もひどい。気になり出すと、どうにかしたくなるんですよね。僕自身が経験したように、法律が立ち塞がって農地を借りたり買ったりするのが難しいということも、耕作放棄地が増える原因のひとつ。運よく農地所有適格法人の資格を取れたからには、ほったらかしになった農地をなんとかするのが僕の使命なんじゃないかと。
未来につづく農業のあり方とは…を考える日々
農作物の価格崩壊や農業をめぐる政策の不備、少子高齢化や都市への人口集中など、さまざまな要因で増え続けている耕作放棄地(※)。耕作放棄地を再生するにあたって井上さんが常々考えているのが、未来型の農業のあり方です。
これまでの農業のかたちや都市との関係が耕作放棄地の増加につながっているとしたら、これまでにないあり方を模索していかないといけない。都会で生まれ育ち、さまざまな業種のビジネスパートナーと仕事をしてきた井上さんは、そんな自分だからできる農業はどういうものなのか考え続け、実践し続けているのです。
※参照:内閣府 農地・耕作放棄地面積の推移
井上さん ほとんどの野菜農家は、たとえば春に種を蒔いて秋に収穫して、また翌年、一から種を蒔いて……という、いわば海の家のような経営スタイル。お金を稼ぐのは収穫期のみで、すごく不安定だなと。さらに、災害で全て失ったときのために高い保険に入らないといけないし、効率よく収量を増やすためには高いお金を借りて機械を買わなくてはいけない。これではキツいですよ。
野菜や米を栽培する一方で、井上さんがハーブやエディブルフラワーに力を入れようと考えたのは、持続可能なかたちで生産し続けることができて、たくさんの人と景観をつくることができるから。
井上さん ハーブの多くは、一年草ではなく宿根草。伸びたところを収穫したら、2週間ほどでまた収穫できる。季節ものに加えて1年中収穫できるものも含めて200種類くらいつくっていると、1年中なんかしら出荷するものがある。ハーブや花は、収穫して箱に詰めて運ぶという作業も力がそれほどいらないから女性でも高齢でも楽しみながら仕事ができますよね。お腹がいっぱいになる農業はこれまでのやり方でうまくやっている人に任せて、僕は仲間たちと景観をつくるための農業をやろうと。
農村には…公園がない?じゃあ、つくろう!
苗目は、農業だけではなく、都市の人や企業と農村をつなぐためにカフェやシェアファームも展開するようになりました。人が集まることで自然とコミュニティのようなものができあがり、鴨川のフィールドをどうしていきたいか、というような会話が生まれるように。そこで浮かび上がってきたのが、「農村って公園がないよね」という問い。
井上さん 耕作放棄地をなんとかしたいと思っているタイミングで、僕自身は子育てをしている中で子どもたちの遊び場が少ないことも気になり出していたんです。せっかく自然はいっぱいあるのに、思いっきり遊べる公園がない。放課後は学童や塾、習い事で、遊ぶといっても家の中でゲーム。自然の中で人といっしょに体を動かして心を働かせて遊べる場所をつくろうと思ったんですよね。
目星をつけたのは、自社のビニールハウスそばにある耕作放棄地。近くで作業をしている大人がいるから、何かあれば駆けつけられる。学校にも病院にも近く、無印良品の店もそばにあるので、大人が買い物をしている間に子どもを遊ばせることもできます。
めざす公園のあり方として井上さんが大切に考えたのは、まず景観として美しいこと。そして、再びたくさんの作物を栽培する農地に戻すことができること。何より、子どもたちがさまざまな命と触れ合いながら遊び回ることができること。
しかし、公園をつくるといっても、農地として取得した土地です。農地以外の用途に転用するのではなく農地のままいかすためには、作物を栽培しないといけない、建物は建ててはいけないといった農地法上のルール(※)を守った上で、子どもたちが遊べるフィールドをつくらないといけません。
※農地法 第4条・第5条
そこで井上さんは、農場の一部を子どもたちに解放する場というイメージを固めます。だれもが気軽に楽しめる公園にするとなると、入場料はとりたくない。寄付も受け付けながら運営していくために、井上さんは仲間たちと「一般社団法人Soil to Soul」を設立。ハーブやエディブルフラワーや果実など食べられる植物があって、子どもたちが自然と触れ合いながら遊べる広場をオープンさせるファームパークという構想を地域の人たちに伝え、実現のための地ならしに奔走します。
井上さん やるぞと決めたときに、まずは思い切って県知事と市長にプレゼンしに行って構想を伝えたところすごく共感していただいて。教育委員会にも相談して、小学生向けの説明プリントを配ってもらって、どんな公園をつくりたいか絵を描くよう呼びかけたり。
子どもたちにファームパークができたら何がやりたいか、何があったらうれしいかを描いてもらったらまず、動物がいるといいという意見が多かった。コアラとかクジラとか、むちゃくちゃ(苦笑)。ザリガニ釣りがしたいという声もあったから池もいるなと。とにかく走り回れればいいという子もけっこういたんですね。
公園というと遊具があるイメージがありますが、子どもに聞いてみると、必ずしも遊具で遊びたいということではない。遊具しかないから遊具で遊ぶのかもしれない。井上さんは、子どもたちがもっと自由に、自分たちで遊びをつくり出せる場をつくろうと考えるようになりました。
井上さん ファームパークの畑は、丸い輪のような形に配置してるんです。丸い形になっているだけで、子どもたちはぐるぐるぐるぐる走り回る。畑の周りでリレーをするようになったりね。籾殻の山があればその上で飛び跳ねたりゴロンとなったりする。子どもたちの話を聞いたり、子どもたちの遊ぶ様子を見たりして、自分が遊びを編み出せる余地をつくっていくようにしたんです。
何かシンボリックなものがあればと思ったものの、農地には建物も建てられず、遊具を置くこともできません。そこで井上さんは耕作放棄地の真ん中に物置小屋のような小さな小屋を置きます。屋根から伸びるひさしは地面につながり、坂を駆け上るように屋根のてっぺんまで走れるような構造に。遊具ではないですが、遊べる小屋が完成し、ついに2024年、「Soil to Soul FARMPARK KAMOGAWA」がオープンします。
井上さん オープンの日、小屋のペインティングは子どもたちにお願いしたんです。好きな色を好きなように好きなところに塗ったらいい。描きたいものを描いたらいい。もう、むちゃくちゃだよ。最高。真新しい小屋だから親御さんは「そんなとこに描いちゃダメ」とか「きれいに塗ってね」とか注意するんだけど、僕は好きに塗って、描いていいよって言って見守ってたな。
ファームパークで遊ぶ上での注意事項は「おともだちとなかよくする」「どうぶつをいじめない」「しょくぶつをきずつけない」「ごみをすてない」といった、人として大切にしないといけない事柄だけ。遊びを制限するような決まりはありません。失敗やケガを通して、子どもたち自身が学び、育つ場所であることをめざしています。
動物と触れ合いたいという子どもたちの声に応えるためにファームパークに入れたのは、ポニー。歴史を紐解くと、苗目あたりの地域はその昔、馬が放牧されていたそうで、土地の風土にも合うだろうということで飼育するようになりました。井上さんは、地域の自然と特色を生かした公園としてファームパークをさまざまな地域で展開したいと考えています。
井上さん どこにでもあるような普通の公園をつくる意義は、自分としては感じてなくて。それぞれの地域の風景となるような遊び場をつくりたいんです。ここでは、柵の材料も、地元の間伐材や、耕作放棄地の敷地に生えている竹を使ってる。古くなったら竹を伐ってつくるってことを繰り返していたら、竹林もどんどんきれいになる。近隣のおじさんに『細かい竹があったら持ってきて』ってお願いしたら、喜んで持ってきてもらえるよ。地域の材を使うことで、地域のみんなでつくっている場という感じに育ってます。
人と人、そして経済とのつながりで里山を再生させる
平日は近所の子どもたち、休日はそばにある無印良品のお店に買い物にくる人たちで賑わうFARMPARK KAMOGAWA。年に4回、春夏秋冬の季節ごとに開かれるお祭り的なイベントには、遠方からもたくさんの人が訪れます。
井上さん イベントには、たくさんの地域事業者さんたちがブースを出してくれます。子どもたちが参加できるワークショップはもちろん、子どもたちが店を出すこともできる。アクセサリーとかジュースとかを売ったり、フェイスペインティングをやったり絵を描いたりね。お小遣い稼ぎに面白いことをいっぱいやってくれる。
子どもたちを真ん中に、地域の人たち同士はもちろん、地域の外から来る人たちも楽しくつながっていく。地域の資源が生かされ、自然環境がより健やかになっていく……。ファームパークの先に井上さんが見つめているのは、里山の再生です。
井上さん 今日は耕作放棄地の話をしたけど、農地も大事だけど、山もきれいにしていきたい。栽培と採取、そしてコミュニティ育成をバランスよく進めて、都市のマーケットとつなぐことで、里山を再生していきたい。里山から人が少なくなったのは、結局、お金を生み出さないと思われたからなんじゃないかと。でも、僕からすると里山は宝の山。きちんと価値化させて、人を呼び込んで里山を再生させる。鴨川にきてから僕がやっていることは全てつながっていて、ファームパークもそのひとつだね。
里山に向き合っていているだけでは、里山の風景を保つことは難しい。美しさや楽しさ、喜びといった人の気持ちを大切にする。社会やお金の動きを冷静に見つめる。井上さんの、自然への深い想いと未来への広い視野がつくり出す景色を想像すると、心にあたたかい興奮が広がっていきました。
ハーブが香るファームパークで遊び回る子どもたちが育てる里山の未来は、どんなに楽しいものになるでしょう。
(編集:池田美砂子)
(撮影:松井良寛)













