岡山駅から車で2時間ほど。
目の前には、広い空と雄大な山々、青々とした草原。
心なしか、まわりに流れる時間をゆっくりと感じます。
岡山県真庭市北部に位置する蒜山(ひるぜん)高原。標高400〜600mのこの場所は、西日本有数の高原リゾート地として知られています。この地ならではの景観や豊かな自然資源のみならず、数百年にわたり受け継がれてきた「山焼き」の慣習や伝統工芸の「がま細工」など、人と自然が共生してきた生活の知恵が今なお残っているのが魅力です。
それらの知恵は、蒜山の人びとが厳しい自然環境と向き合う中で生まれてきたものばかり。日々の暮らしを通して人が自然資源をいかしたり、手を加えたりすることは、蒜山の自然環境や生態系を守ることにつながってきました。
しかし近年、時代とともに生活スタイルが変化し、そうした文化の担い手が減り、蒜山の豊かな自然資源を守り続けることが難しくなっているのが現状です。
そんな中、新たに始まった挑戦が、今年で3年目を迎える「ひるぜんアクションツーリズム(以下、アクションツーリズム)」です。全国からビジネスパーソンが蒜山を訪れ、この地域特有の自然資源とビジネスの視点を掛け合わせたプロジェクトが生まれることを目指します。
このプログラムを開催するのは、全国でコワーキングスペースを運営し起業家やコミュニティのチャレンジを応援してきたBa&Co(バ・アンド・コー)株式会社と、真庭市。昨年度までの参加者が提案したプロジェクトのうち、いくつかはブラッシュアップを重ね、すでに動き出しています。

2024年度の蒜山アクションツーリズムにて、草原を見学する様子。現地ツアーを通して、蒜山地域の資源や課題に自身のビジネスを掛け合わせ、最終日にプロジェクトを提案した(写真提供:バ・アンド・コー株式会社)
仕事や、これまでの経験を通して身についた知識や技術、そして自分ならではの視点。それらをもって、蒜山地域の自然環境や、人と自然が共生しながら紡いできた文化を見つめたとき、どんなアイデアが湧くのでしょう。
私たちは、“自然環境”と“ビジネス”をどこか対極に考えてしまうところがあります。でも、生活スタイルが変わった今、ビジネスの視点で自然環境を見つめることで、現代らしい自然共生のあり方が見つけられるかもしれません。自然環境とビジネスを掛け合わせる新たな挑戦、アクションツーリズムでの経験はきっと、あなたの人生をも豊かにしてくれるはずです。
では、蒜山には一体どのような自然資源や、自然と共生する文化があり、それらはどのようにこの地で育まれてきたのでしょうか。前編では、蒜山の歴史の中で根付いてきた文化や現在起きている変化、自然資源とビジネスを掛け合わせることの可能性などについて、蒜山地域をフィールドに活躍する3人にお話を聞いてきました。
2つ先の季節を考える、蒜山の人びとの暮らし
自然と共生する、蒜山特有の文化や慣習が生まれた背景の大前提にあるのが、蒜山高原の厳しい環境です。
蒜山地域の土壌は、約100万年前からの度重なる地殻変動による火山灰が堆積してできたもの。火山から流れでた溶岩流が川を堰き止め、約35万年前から1.5万年前までの期間、蒜山地域全体は湖だったそうです。そのため蒜山には湿原が多く、また「黒ボク土」と言われる土は火山灰の影響で酸性が強いことから、稲作や農業には不向きな土地でした。加えて冬の寒さは厳しく、日本海側から冷たく強い風が吹き下ろし、外での労働が全くできなくなるほど深い雪に覆われるため、「蒜山百日雪の下」という言葉も伝わるほどです。
真庭市蒜山郷土博物館の館長・前原茂雄(まえばら・しげお)さんは、蒜山地域の自然環境と人との関係について、歴史とともに教えてくれました。

歴史学者の前原さんは岡山県津山市出身。九州大学で真庭市湯原地域の集落の調査研究をしていたことがきっかけになり、2014年に蒜山郷土博物館の館長として招かれた。以降、まだ明文化されていない蒜山の文化や歴史の聞き取り調査をして発信している
前原さん 「蒜山の人たちは2つ先の季節を考えて暮らす」とよく言われていて、いつ、どんな作業をすることが次の季節のためになるかを心得ているんです。
現在にまでつながる蒜山の集落景観がつくられたのは約800年前。雪が深く積もると外で作業ができなくなるので、長い冬をどう生き抜くかは、地域の特に大きな課題でした。だから、冬への蓄えとして少しでも良い農作物を多く収穫できるよう、春にはみんなで山の表面を焼く「山焼き」をし、その後に生えてくる多様な草を刈って田畑にすき込んだり、牛の飼料にした後に糞と草を混ぜて堆肥化して土に戻したり。そして秋には良質な茅を刈って屋根に葺いて利用してきました。また、湿原に生えるガマの茎を夏の終わりに刈り取って乾燥させ、長い冬の間は家の中で籠や草鞋を編んで次の季節に備えるんです。
そういう風に、自然の恵みをいただいて、使い終われば自然に返す、自然循環型の暮らしを繰り返してきました。

「黒ボク土」は、火山灰が風化してできた土壌。有機物が多く含まれるため黒色に見える土は、サラサラしていて水捌けが良い。酸性が強い性質を、地域の人は山焼きや草刈りをして長い時間をかけて土壌改良に取り組んできた。昼夜の寒暖差が大きい蒜山の気候や水捌けの良い土壌は、キャベツや大根などの栽培に適している
このような蒜山の人びとの自然観は、地域特有の大衆文化にも色濃く表れています。例えば、自然の影響を大きく受ける土地に暮らしながら生きていくために、人間の力ではどうにもできないことを神仏に祈る慣習として生まれた盆踊り「大宮踊」は、2022年にユネスコ無形文化遺産に登録されています。現在は担い手が減ってはいるものの、毎年お盆の時期には蒜山各地の神社やお寺、辻堂で踊られるなど、地域の人に受け継がれています。

大宮踊の輪の中心にある灯籠に飾り付ける、切り絵細工の「シリゲ」。かつては冬からつくり始められたそう。現在は、小学校の授業で子どもたちがシリゲ製作に取り組むことも。取材の日は、ちょうど大宮踊りの練習開始日だった
また、蒜山で発展してきた産業には、おのずと自然の恵みをいかしたものが多くあります。
例えば、1930年代から採掘されるようになった珪藻土は、かつて湖だった期間が長いことから、湖の底で植物性プランクトンが化石化し、堆積してできたもの。蒜山地域には、約100mにも及ぶ珪藻土層が残っています。何万年もの時間をかけて生まれた自然の産物は、濾過性をいかしてビールやワイン、醤油などの製造工程で使われたり、調湿性・断熱性をいかして建材に活用されたりしてきました。

かつて湖の底に植物性プランクトンが堆積し化石化してできた珪藻土。これが100mにも及ぶ珪藻土層として残り、一つの地域産業になっている。1mmの珪藻土層ができるのに約2年要するので、写真にある10cm厚の珪藻土ができるまで、約200年の時間がかかっている
しかし中には、自然環境と経済的合理性のバランスが崩れ、衰退してしまった産業も。代表的な例が、伝統工芸品である郷原(ごうばら)漆器です。この漆器は、約400年もの間、蒜山地域で受け継がれてきましたが、1945年ごろに一度途絶えています。
郷原漆器の材料は酸性の土壌にも強い栗の木。表面に塗る漆は湿気があるほど早く乾く性質があるため、蒜山高原の気候は漆器の生産に適していました。一見不利に見える土地の環境を、自分たちの暮らしにいかす知恵から生まれた産業ですが、他の漆器と比べて安価で、かつ丈夫な郷原漆器は爆発的に売れ、製造量を増やしすぎた結果、原材料である木材や漆が不足。戦時中で職人が少なくなったことも影響して、郷原漆器の伝統はいったん幕を閉じてしまいました。
前原さん 湿気が多い気候を逆手にとって郷原漆器という産業が生まれたように、人びとは、不利な自然環境をもいかして暮らしに取り入れる知恵と工夫を身につけてきました。蒜山地域は大自然に囲まれているから、いいも悪いも丸ごと受け止める以外なかった。人びとは、冬という絶対に動かし難い長い沈黙の期間を、どう有効に過ごすか、苦労しながら、工夫して暮らしてきたのです。
蒜山の人たちは、ずっと自然と共生して、自然をいかした暮らしを続けてきましたが、郷原漆器のように、経済的合理性を優先するあまり、自然とのバランスを崩してしまった歴史もあるんです。歴史は、これからの地域をよくしていくために、どういうヒントがあるか、どういう過ちをしたからダメになったかを見通すための反面教師や鏡になります。
戦後、蒜山は高原の景観をいかした観光産業に注力するようになり、日帰りバスツアーの名所に。また、国の草地酪農の推進計画に手を挙げてジャージー牛の飼育を導入して、乳製品の産地としても名を馳せ、多くの人が訪れる、馴染みのある地域に発展しました。
新たな産業が生まれたことで、蒜山の農業人口は大きく減少。さらに、時代とともに生活スタイルがガラリと変わったことで、生きていくために必要だった人びとの慣習は、次第にそれ自体の必要性がなくなっていきました。
例えば、近代化に伴い牛を使った作業が減ったことや、ジャージー牛は管理生産された牧草を食べることから、草の需要がなくなったため、蒜山高原全体で行われていた山焼きは年々規模が縮小。今ではかつての10分の1ほどの面積でしか行われていません。また、耕作放棄地もどんどん増え、現在、人が自然に手を入れることで長い時間をかけて育まれてきた豊かな自然環境が失われつつあります。
前原さん 今、草原や畑といった、かつての「蒜山らしい」自然景観と自然環境は失われていっています。
自然と自分の関係性や、自然の恵を受けていることを、もう一歩意識して暮らすことが大切なのかと思っています。例えば、再生された郷原漆器や、茅でつくられた商品を使ってみるのもいいと思うんです。自分が自然を守るために、直接的な行動はできなくても、応援する側に回ったり、自然に目を向ける動きをつくっていくことが大事じゃないかなと。
生活スタイルが変わり、昔と同じような暮らしはできないのだから、今できる身の丈に合った自然との共生をしていく。目指す方向性をしっかり決めて、地域の自然環境をどうするか、蒜山らしい景観とは何か、みんなでもう一度考えることが必要だと思っています。
脈々と続いてきた歴史に学び、私たちが今できる形で、自然と共生する暮らし方を考えていくことは、これから何百年もつづいていく地域の未来をつくる一歩になる。そう感じながら、蒜山郷土博物館を後にしました。
蒜山の自然への関わりしろを増やす
続いてお話を伺ったのは、蒜山自然再生協議会(以下、自然再生協議会)の千布拓生(ちぶ・たくお)さん。千布さんは、蒜山高原ならではの自然環境や文化の再生を進めています。2021年〜2024年の間、真庭市地域おこし協力隊として活動。自然再生協議会の設立に関わり、2022年1月に設立されて以降は、その事務局として、地域の外から来た立場ならではの視点も取り入れながら、さまざまな取り組みを推進しています。
自然再生協議会では、事務局と所属している委員の人たちが相談・連携しながら、山焼きや茅刈りイベントを通じた草原の保全活動や、自然資源の新たな活用方法の提案、エコツアーなどを実施し、地域内外の人が蒜山高原に関わるきっかけをつくっています。
中でも一大イベントは、なんといっても毎年4月に行われる山焼き。かつてのように農業のために行うものではなく、現代でもできる自然と共生する方法を模索しながら、毎回ボランティアを募っています。ボランティアとして関わる人は年々増えており、2025年4月は3回の開催でスタッフとボランティア合わせて200名ほどが参加しました。地域住民だけでなく、県内の他地域や近隣の県、遠くは関西からの参加もあったそうです。
千布さん 蒜山高原では、何百年も前から自然資源を上手に使って生業にし、人と自然が共生することで文化を育んできました。僕たちは、自然を守ることも大切にしているし、自然と共生することで生まれた地域のアイデンティティである歴史や文化、景観を守っていくことも大切にしています。
春は山焼き、初夏は草刈り、秋はガマの収穫や山焼きに向けた防火帯の準備と茅刈り、6月から12月にかけては登山道の整備と、自然再生協議会では、蒜山で暮らす人たちが800年前からやってきたように、年間を通じて自然に手を入れることによって、蒜山の豊かな自然環境の再生を目指しながら、今の生活スタイルの中でも自然資源を活用できるような、新たな取り組みにも挑戦しています。
その一つが、収穫した茅の新しい使い道です。農業や屋根材における需要がほとんどなくなった今の時代に、山焼き後に生える良質な茅の、屋根以外での活用や販売経路を提案して、経済的な価値を生む取り組みです。茅の収穫時期は農作業の閑散期なので、地域の人が積雪前の仕事として茅を刈り、販売収益を分配する仕組みも生まれています。
千布さん 蒜山の自然や文化を残すことに、しっかりとした動機や目的を持たせたいんです。良質な茅に経済的価値が生まれることは、質のいい草原の維持にもつながる。環境保全が第一の目的じゃなくても、経済を目的に蒜山の自然に関わることや、地域外の人の関わりしろを増やすことにもつながります。
かつては茅葺き屋根として利用してきた茅ですが、現在の建築基準法では、燃えやすい茅は耐火性能の基準を満たしておらず、「住居」用途である新築の建築物を茅葺き屋根にすることはできません。茅の使い道が古民家や文化財の屋根の葺き替えに限られてしまう状況で、今後も茅葺きの文化を継続していけるように、茅の産地として職人さんと協力し、新たな活用方法を模索しています。
例えば、蒜山の自然共生に関する行為やものを紹介する「GREENable HIRUZEN」のサイクリングセンターには、軒裏や天井、壁などの内装に至るまで茅がふんだんに使われています。下から見上げた時に断面が見えるこの葺き方は、珍しい工法だそう。また、今回のアクションツーリズムの拠点にもなる「シェアオフィス蒜山ひととき」に置かれているのは、茅葺の椅子。建築の内装や家具への活用など、既存の方法にとらわれないアイデアで挑戦しています。

GREENable HIRUZEN(グリーナブルヒルゼン)のサイクリングセンター。室内の天井や受付カウンターなどにも、茅が使われている

シェアオフィス蒜山ひとときに置かれている椅子。おそるおそる座ると、意外にもほどよく体が沈み、快適な座り心地
「日本は雨が多く温暖な気候のため、人が介在しない草原は10〜20年で森になってしまうんです」と千布さん。現に、山焼きをやめてしまった場所は森林化が進み、草原の面積は大きく減少しています。蒜山の山焼きや、田畑の土壌改良や肥料として用いるための草刈り・採草、屋根材や雪囲いのために用いる茅の収穫は、同時に草原の森林化を防ぎ、草原ならではの生態系を守っていたのです。
千布さん 日本にはいろいろな生き物がいろいろな場所で暮らしています。一般的には、豊かな自然の象徴として白神山地や屋久島などの巨木が林立する手つかずの深い森のイメージが定着していますが、それだけがあればいいわけではない。深い森に適応する生き物もいれば、草原にしか住めない生きものや、草原と森を行き来する生きものもいる。日本の自然って、いろいろなタイプの自然がうまく人の暮らしと共生しながら形成された「自然の豊かさの集合体」だと僕は捉えています。
この日、千布さんが草原で見せてくれたのは、世界中で蒜山高原だけで生息が確認されている絶滅危惧種の「フサヒゲルリカミキリ」。環境省の種の保存法(※)において「国内希少野生動植物種」に指定され、蒜山高原は保護増殖の実践場所になっています。
※国内に生育・生息する、又は外国産の希少な野生動物を保全するための必要な措置が定められている。保護対象を捕獲すると懲役もしくは罰金が科せられる。
そんな蒜山の草原ならではの生態系を守るためにも、山焼き後の初夏の草刈りは最低限欠かせません。ユウスゲより背の高いススキを刈り、ユウスゲに日光が届くようにするのです。千布さんは、草刈りもイベント化して地域内外からボランティアを募り、たくさんの人とともに取り組んでいます。
千布さん 蒜山のように、人が自然を手入れしながら共生してきた里山の自然は、管理をせずに放っておくとすぐ悪くなりますが、良くするにはすごく時間がかかります。蒜山地域は人口流出が進んでいますが、自然と関わりの深い歴史や文化は、人がいないと成り立たない。僕たちの活動の根本は、経済的にも続く仕組みをつくって、活動を地域に根付かせることです。活動が長く続かないと、効果は見えないし、検証もできない。たくさんの方が参加できる機会をつくって、蒜山地域の自然のファンとなり、一緒に活動してくれる方が増えていくことが大事だと思っています。
蒜山の自然資源にビジネスの視点を掛け合わせる
前原さんと千布さんはそれぞれ、蒜山特有の、自然と共生してきた慣習や文化を、現代にできる形で取り戻していくことの必要性を唱えていました。そのためには、地域内外で継続的な関わり手を増やし、経済的にも持続可能な仕組みをつくっていくことが重要になります。
林業がさかんで西日本有数の木材産地である真庭市では、2015年にバイオマス発電所が稼働するなど、行政が自然資源を持続可能な産業に活用することに積極的です。では、その視点で蒜山地域の自然環境をどのように捉え、そこにビジネスの視点を掛け合わせることにどのような可能性を見出しているのでしょう。今回のアクションツーリズムを担当している、真庭市産業観光部産業政策課回る経済推進係長・平澤洋輔(ひらさわ・ようすけ)さんにお話を伺いました。

真庭市 産業観光部 産業政策課 回る経済推進係長・平澤さん。湘南で生まれ育ち、広告制作プロダクションを経て、電通に就職。JAグループの担当として、国産農畜産物の消費拡大PRなどを手掛ける。出張の際に出会った西粟倉村のサーキュラーエコノミーの取り組みがきっかけで、地方でマーケティングスキルを生かしたいという思いから、2017年に家族で岡山県に移住した
平澤さんは、蒜山高原を「自然のストーリーが今の暮らしに残っている場所」と話します。
平澤さん ストーリーが理解できる自然ってあまりないと思っているんですが、蒜山高原は、かつて湖だったことや、人びとが暮らしの中で自然に手を入れてきたこと、世界中でここにしかいないフサヒゲルリカミキリがいることなど、この地に暮らす人たちが地域の自然環境の生い立ちをきちんと把握できる環境が揃っています。
自然の延長に暮らしが生まれた歴史は郷土博物館に行けば学べるし、千布さんと草原に行けば山焼きで生まれた景観や生態系を実際に知ることができ、意味や文脈を知ることができる。また、人びとの暮らしが自然と密接につながっていたことや、それを象徴する慣習や工芸も残っていて、郷原漆器にしてもがま細工にしても、今もちゃんと使われている。自然のストーリーが今の暮らしに残っているのは、蒜山地域の面白さだと思います。
蒜山地域では従来、市民ボランティア団体が山焼きや環境保全の活動を続けており、どちらかというと真庭市の行政としての自然環境に対する関わり方は、環境保全の担当部署による、市民の動きを支援する取り組みだったそう。
ところが、2021年に真庭市と株式会社阪急阪神百貨店が協働してGREENable HIRUZEN(グリーナブルヒルゼン)、翌年には自然再生協議会を立ち上げ、続いてシェアオフィス蒜山ひとときをオープンしてBa&Co(バ・アンド・コー)株式会社とともに利用促進に向けた事業に取り組み、地域外から訪れた人たちや地域内の事業者と意見交換をする中で、自然資源を守りながらも、産業として活用することで、自然環境にとってポジティブな状態を生み出せる可能性に気づきました。
平澤さん 行政は新たにビジネスという観点から自然環境を見つめ、自然再生協議会はこの地に根付くやり方で自然を再生させる取り組みを進め、前原さんは歴史を紐解いて見えた課題から前に進める方法を見ていて。出発点とアプローチの方法は違いますが、「自然」というフィールドをどう地域資源として見ていくか、試行錯誤をしているのが、現在の蒜山の状況だと思います。
また、平澤さんは、蒜山の古くから外部の人を受け入れてきた地域性にも、今後の可能性を見出します。
冬に雪で閉ざされやすい地理的条件や、かつて大山や出雲に向かう旅人の宿場町として栄えていた集落もあることから、蒜山には外から来た人を歓迎する風土が根付いています。だからこそ、外の人を迎える観光業や、海外から来たジャージー酪農を取り入れたり、前原さんや千布さんなど外から来た人の視点やアイデアを積極的に取り入れたりしながら、地域として発展を続けているのです。今の蒜山に、地域の外からビジネスの視点が加わることで、どんな展開が期待できるのでしょう。
平澤さん 今の蒜山には、自然環境にはたらきかける人がいて、それがどんな背景で行われているかを解説できる人もいて、とてもいい関係性があると思うんです。だからこそ、地域の外の人が蒜山の人と自然の共生のあり方についてそういった現状を認識したうえで、ビジネスの視点で関わり、自然に対するポジティブな影響を見える化できるようなことが起きると、再び自然と人との距離が近づいていくのかなという風に思います。
蒜山地域は観光の文脈で見られることが多いですが、文化的背景で見ても面白いものがたくさんあるので、見渡すとたくさんの視点が生まれる状況になるんじゃないかな。イノベーションもアイデアも掛け算から生まれるものだと思うので、蒜山高原には何か見つけられる可能性がまだまだあるし、いろいろな掛け算ができる場所だと思っています。
お話を伺って感じたのは、みなさんがそれぞれの視点から蒜山地域の自然資源を見つめ、過去の歴史からの学びを踏まえて未来を見ていることでした。何百年もの時間をかけて育まれ、今なお続く自然と共生する暮らしの知恵や文化は、人それぞれの感じ方で、心を震わせる力を持っているのだと確信しました。
そんな蒜山の自然に心を寄せながら、ビジネスの視点を掛け合わせることは、新しいアイデアや考え方を生み、地域の新しいストーリーを紡ぎはじめるはずです。
2025年秋にも開催されるアクションツーリズムは、まさにそのような機会。さまざまな視点を持った人が集い、蒜山地域の自然と共生してきた歴史を知り、今を見て、それぞれの専門分野や経験から地域の未来を考えます。蒜山の自然にあなたの視点が加わることは、これから何百年後にも続いていく蒜山地域の景色をつくることにつながるかもしれません。
後編では、アクションツーリズムの企画・運営に携わるみなさんに、蒜山でアクションツーリズムを始めた背景や、今年のテーマ「ネイチャーポジティブ」に込められた思いなどをお伺いします。
(撮影:小黒恵太朗)
(編集:村崎恭子)
– INFORMATION –
地域共創で生み出すネイチャーポジティブ 〜 産官学連携で生物多様性を回復する方法~

今回ご紹介した蒜山地域の「ネイチャーポジティブ」をより深く掘り下げるオンラインイベントを開催します。2025年10月に開催される「ひるぜんネイチャーウィーク」を前に、東北大学・近藤倫生さん、真庭市・平澤洋輔さんらをゲストにお迎えし、地域でネイチャーポジティブに取り組む可能性に迫ります。
蒜山エリアでの事例に関心がある方はもちろん、地域×ネイチャーポジティブに関心のある方にもおすすめの内容です。
日時:2025年9月9日(月) 20:00〜21:30
参加費:無料
– INFORMATION –
全国で自然資源を活かしながらプロジェクトに取り組む企業・自治体担当者・専門家による講演やクロストークを通して、ネイチャーポジティブを考えるカンファレンスおよびアクションツーリズムを開催いたします。
真庭市・蒜山での取り組みに関心のある方は、どなたでもご参加いただけます。
日時:2025年10月7日(火) 〜10月11日(土)
会場:会場:シェアオフィス「ひととき」(岡山県真庭市蒜山上福田1205番 780)
主催:岡山県真庭市















