募集要項は記事末をご覧ください。
「地方で暮らしたい」と考えるあなたの脳裏に、駿馬にまたがる勇ましい戦国武将のごとく突如として現れ、数々の移住候補地をぐっと抑えて、颯爽と一番に踊り出る…!
今回ご紹介したいのは、そんな移住のダークホースのような和歌山県九度山町(くどやまちょう)です。
「地方」と一口で言っても、そのローカル度合いは実にさまざま。大きく分類するなら2つのタイプに分けられます。都心へのアクセスが良好で、高度経済成長期の影響をある程度受けた地方と、交通インフラが乏しいからこそ手付かずの自然や何百年と続く歴史・伝統が色濃く残る地方です。
九度山町は、なんとその良いとこどり。それにもかかわらず、都心へのアクセスの良さから今まで「移住候補地」ではなく「日帰りで楽しめる地方」というポジションに収まりがちでした。
しかし、2020〜2023年をピークとした国内のコロナ禍以降、九度山町が注目されはじめています。今では移住希望者の問い合わせは、2020年以前と比較して年間70〜80件と倍増し、問い合わせから移住に至った件数は、5倍近くにまで急増しているそうです。
そんな九度山町で初となる地域おこし協力隊の募集がスタートしたと聞き、取材に伺いました。
世界遺産・高野山の麓にありながらも、都会にほど近い町
和歌山県北東部に位置する面積約44㎢、人口約3,800人の九度山町。1200年前に弘法大師・空海が開創した日本仏教の聖地・高野山の麓にあります。
高野参詣道町石道・黒河道や慈尊院、丹生官省符神社などの世界遺産・日本遺産が多数現存し、戦国時代の武将である真田昌幸・幸村親子のゆかりの地としても有名です。2016年に放映されたNHK大河ドラマ「真田丸」をきっかけに九度山町のことを知った! という人もいるのではないでしょうか。
毎年5月になると、真田父娘を偲ぶ伝統行事「紀州九度山真田まつり」が開催されます。甲冑姿で馬にまたがる真田親子役が率いる武者たちが町を練り歩く武者行列、鉄砲部隊演武、子どもも楽しめるショーやゲーム大会まで開かれ、毎年大勢の来客者で賑わうそうです。
真田家の象徴である真紅の鎧兜と六文銭の家紋にちなんで、町のあちらこちらに家紋入りの真紅ののぼりが旗めいています。とりわけ、町の玄関口である南海電鉄・九度山駅は色鮮やかです。
白を基調とした築100年の木造づくりの駅舎を彩る真紅の装飾はもちろんのこと、上りのホームの一面にパッチワークのようなデザインの売店「おむすびスタンド『くど』」が構えられているため、「レトロで可愛い駅のある町」として九度山町を認識している人は多いかもしれません。
和歌山県内の人口ランキングは、1位が県庁所在地の和歌山市で約35.4万人、2位が近畿地方で最大の面積を持つ田辺市で約6.8万人、3位が大阪・奈良に隣接する橋本市で約5.9万人ですが、九度山町はその橋本市の隣町。紀の川をひとつ隔てただけで、人口密度が5倍以上も違うのです。
九度山町の東部には丹生川、西部には不動谷川が貫流し、それらが合わさって北部の紀の川に流れついています。九度山町を訪れてまず驚くのは、その透き通った川の水の美しさ! 毎年夏になると、川遊びを目的とした県外ナンバーの車が一気に増えるというのも納得です。
「1956年に九度山中学校のプールができるまで、子どもたちは川の天然プールで泳いでいました。今でも飛び込み台が残っています。この地域の人たちは幼い頃から川遊びを日常的にしている人ばかりですね」と話すのは、九度山町役場産業振興課 課長補佐の梅下哲弘(うめした・てつひろ)さんと、企画公室係長の松岡芳弘(まつおか・よしひろ)さんです。
100年以上の歴史を誇る特産品「富有柿」が抱える後継者問題
生まれも育ちも九度山町のお二人が「この町の産業を語るうえで欠かせないもののひとつ」として開口一番に教えてくれたのが、柿です。
柿の生産量全国一の和歌山県内でも、九度山町は屈指の柿の産地。なかでも「甘柿の王様」とされる高級ブランド「富有柿(ふゆうがき)」が特産品で、その栽培の歴史は1910年頃にさかのぼります。
本州最古の地層が育む良質な土壌や、丘陵地帯の傾斜地による日照時間の長さ、高野山の麓ゆえの寒暖差のある気候など、さまざまな好条件が重なり、九度山町の富有柿はその糖度の高さから日本トップクラスの品質と賞賛されるほどです。
梅下さん 九度山町の農家のうち、約9割が柿農家です。専業や兼業など、みなさん何かしらの形で柿づくりに携わっています。そのなかで最も多い年齢層が70歳前後。だいたい80〜90歳頃に農業をリタイアされる傾向にあるので、後継者不足は町全体にとって喫緊の課題なんです。
柿農家が忙しいのは旬の時期だけにとどまりません。枝を切って形を整える「剪定(せんてい)」をし、豊かな実に育つようにつぼみや花の数を制限する「摘蕾(てきらい)」や「摘果(てきか)」を行い、肥料や水をまき、さらには獣害や病虫害、雑草との終わりなき戦いもあり、1年中ずっと畑を守り育て、ようやく収穫・出荷に至っています。
ほとんどの農園が傾斜地にあるため、高齢になるほど農具や柿を運ぶような力仕事が難しくなります。また、植え付けから最初の収穫まで少なくとも3年はかかるため、新規就農をして市場にすぐ出荷できるわけではありません。
つまり、今が町の伝統農業を途絶えさせないためのタイムリミット寸前。すでに現在、後継者不足から耕作放棄地が増えはじめ、近隣農園におよぶ獣害や病虫害の深刻化も懸念されています。
地域おこし協力隊により、未来の柿農家を育てる
そこで今回、九度山町がはじめて募集に踏み切ったのが、地域おこし協力隊です。
地域おこし協力隊とは、過疎化や少子高齢化といった課題を抱える地方自治体が、最大3年間の任期のもと、都市から移住者を迎え入れる総務省の制度のこと。採用された隊員は、地域ブランドや地場産品の開発といった「地域協力活動」を行いつつ、地域への定住・定着を目指します。
松岡さん 今まで地域おこし協力隊の制度は知っていましたが、任期満了後も定住しつづけることができる生業って何だろう? ということがイメージできず、募集に踏み切れずにいました。だけど、柿農家の後継者問題を考えるうちに、この制度が若手柿農家の育成にぴったりだと気付いたんです。
九度山町には柿農家がたくさんいます。周囲の方々から柿の栽培技術について学び、地域に溶け込む3年間にできれば、任期満了後もスムーズに就農しやすい。町の人にとっても、全く知らない人に農地を託すのは不安でしょうけど、3年間の活動を通じて協力隊の人となりを知って関係性が築ければ、きっと安心して農地を貸し出すことができるんじゃないかと思っています。
地域おこし協力隊の仕事内容として、1年目は、地域の人々と関係性を深めることを目的に、果樹研究会や青年農業経営者協議会といった町内に複数ある農業生産団体の事務局業務を担い、JA(農業協同組合)で農業の知識を得るところからスタートします。
2年目は、事務局の業務を続けながら、農業については知識を得る段階から実践へステップアップ。JAを卒業して町内の柿農家のもとで就農します。3年目は、翌年の任期満了を見据え、独立後の農地探しや、次年度も協力隊を募集する場合はその引継ぎの準備も行っていく予定だといいます。
毎年11月になると、町をあげて富有柿の収穫を祝う「大収穫祭」が2日間にわたり開催されます。事務局として、そういったイベントの運営にも関わることができるそうです。
おためし協力隊から、九度山町の心の距離の近さに触れてみる
地域おこし協力隊の募集人数は1人ですが、役場の産業振興課の職員として採用されるため、梅下さんをはじめとする役場の先輩たちのサポートを受けながら業務に取り組めるので安心です。
とはいえ、誰だっていきなり知らない地域に1人で飛び込むには、勇気がいるもの。「興味はあるけど、もう少し九度山町のことを知ってから応募したい…」という人に朗報です。
松岡さん 地域おこし協力隊の応募前に、2泊3日で九度山町を体験できる「おためし地域おこし協力隊」という制度も活用いただけます。11月中旬の金曜日に富有柿品評会、続く土日に大収穫祭を開催するので、例えばその3日間のお手伝いに関わって、九度山町での暮らしのイメージが少し湧いたところで応募いただけるといいかなと考えています。
「柿農家を目指して若い移住者が来てくれたら、きっと町のみんなが親身に接してくれるでしょうね」と、梅下さんと松岡さんは口を揃えます。
お二人いわく、九度山町は穏やかな人が多く、初対面の人には警戒するかもしれませんが、地域の輪に入ってしまえば気遣ってくれる親切な人ばかりなのだそう。
人と人のつながりが強く、その分「あの人、がんばってるみたいだよ」と本人の努力が風の噂ですぐに広まって評価されやすく、その逆も然りだと言います。
松岡さん 僕らもそうですけど、「役場の職員と住民」という割り切った関係ではなくて。人と人の距離の近さや、仕事やプライベートでも助け合える関係性が九度山町の良さであり、人によってはその境目のなさが大変だと感じるかもしれません。
急に「打ち上げしよら!」と電話がかかってきて、農家さんたちの飲み会に誘ってもらえたりするんですよ。和歌山県の南部に釣りに行って良い魚がとれたからって、農家さんが魚を捌いて寿司にしてくれたり、イノシシ鍋を出してくれたり。仕事でもプライベートでも世話を焼いてくれる人が多いので、そういう濃い人間関係が嫌いじゃないなら、きっと楽しいと思いますよ。
視点の異なる発想力から、この地域の伝統農業をともに大切に
九度山町の柿農家についてもっと詳しく知るため、お二人から「若手農家さんを代表するひとりです」とご紹介いただいた前田貴史(まえだ・たかし)さんにお話を伺いました。
九度山町の山手にある青渕地区で、富有柿と平核無柿(ひらたねなしがき)を中心とした150アールの農園を営んでいる前田さん。次世代が農業と積極的に向き合えるように「これからの農業はおしゃれでありたい」という思いを込めて、イタリア語の農園と青空をつなげた「FATTORIA AZZURRO(ファットリア・アズーロ)」を屋号に掲げています。
果樹研究会の会長でもあるため、地域おこし協力隊になる方とは事務局の業務を通じて関わることになります。
九度山町の柿農家のもとで生まれた前田さんは、一見すると柿農家のサラブレッドですが、実は本格的に就農したのは2019年から。以前は、橋本市の特別支援学校で教師をしていたそうです。
前田さん 長男なので、家族から「お前が畑を継がなあかんよ」と言われて育ったんです。若い頃は、どうして自分には職業選択の自由がないんだ! と憤っていました。25歳の結婚のタイミングで隣町に移り住んで教師になって、休みの日だけ家業を手伝っていたんですけど、年を重ねるたびに地元の自然の魅力に気付くようになって。親が高齢になったこともあって家業を継ぐことにしました。
春になれば天然のワラビを摘んでタケノコを堀り、夏になれば宿題そっちのけで清流に飛び込み、秋には家族が育てた甘い富有柿をほおばり、冬は雪遊びのあとでホクホクの焼き芋を味合う。少年時代に当たり前に過ごした日々がいかに貴重であるかを、大人になって思い知ったといいます。
地域の魅力を実感している前田さんですが、九度山町の柿農家における魅力は何ですか?
前田さん 会社員として組織で働いていると、自分の思い通りにいかないことってありますよね。だけど、農業は自分で決めて進めていくしかない。言い換えれば、栽培から販路に至るまで、自分のこだわりを大切にして挑戦できる。まず、それが僕にとっての農業の魅力です。
そのうえで、町内のいろんな柿農家さんが気にかけてくれて「うちの剪定部隊があるから、よかったら勉強においでよ」と声をかけてくれたり、松岡さんが言うように「飲み会するぞ」とか「釣りに行かんか」とか、今ではそんな電話もしょっちゅうです(笑)。就農したときは、こんなに地域との関係性が深まるとは想像できていなかったから、この環境はほんまにありがたいですね。
そんな前田さんが、地域おこし協力隊に期待することや、一緒に目指したいことは何ですか?
前田さん 何事においても若い人の発想力は大事だと思うんです。僕らには当然のことでも、外から訪れる若い人から見れば、価値を感じたり、もっとこうしたらいいのにと気付くことがあるかもしれない。いろんな視点で、九度山町を、柿農家を、一緒に良くしていけたら嬉しいです。
ブランド柿として「富有柿」が市場で高い評価を受けているのは、100年以上にわたる先人たちの努力あってこそ。長年続くこの地域の文化をともに大切にしていきたいですね。
同じ移住者として、ありたい暮らしを考える仲間が増えたら
先輩農家の声を聞き、さらに欲が出て聞きたくなるのが、先輩移住者の声。梅下さんと松岡さんから「子育て世帯のIターン移住者なので、きっと参考になる話をしてくれるはず」とご紹介いただいたのが、西山碧(にしやま・みどり)さんです。
2023年に西山さんは、台湾出身の建築家の夫と子どもと、家族3人で大阪から移住してきました。「自然豊かな環境で子育てがしたい」という思いから、おでかけを兼ねて京都や鳥取といった移住候補地を訪れるなかで、2021年に九度山町と出会ったといいます。
西山さん 実家が大阪なので、やっぱり関西圏がいいかなと、和歌山県を移住候補地のひとつに考えていました。はじめて九度山町を訪れたときは「子どもに川遊びをさせたいな」くらいの気持ちだったんです。実際に来てみたら、開けた明るい町の雰囲気がとてもよくて。川が綺麗で空気も澄んでいて、ここで暮らしたら気持ちいいだろうなと感じたのが第一印象でした。
その後、九度山町について調べたところ、大阪に近いだけでなく、町の中心部から車で15〜30分圏内に大きな病院や商業施設が複数あり、日常の利便性も優れていると知った西山さん。「わかやま空き家バンク」でイメージに合う物件も見つかり、とんとん拍子に移住が決まりました。
現在、その購入した物件をカフェ兼宿泊施設にしようと、朝は飲食店で働き、仕事が終わったあとはDIYに励んでいます。完成の目標は数年後ということなので、オープンが楽しみですね。
移住して丸1年が経つ西山さんに、「九度山町のいいところは何ですか? 」と尋ねてみたところ、「うーん…全部! 」と満面の笑みで答えてくれました。
西山さん なんといっても、四季を感じながらのびのびと生活ができるところ。大阪から約1時間の近さで、人口の多い町と隣接しているのに、こんなに綺麗な川や山があるなんて、すごいです。家の近くに川があるので、今は毎日、川遊びをしています。子どもの人口は多くないですが、そのぶん待機児童問題に悩まされることがないので、安心して幼稚園に通わせられています。
西山さん 九度山町には親切で優しい人が多くて。移住後に家庭菜園をはじめたんですけど、近所のおじいさんが、野菜の育て方から自然との付き合い方まで教えてくれて、孫のように娘を可愛がってもくれているんですよ。他にも、町の保健師さんが「新しい生活には慣れた? 」と子育てのこと以外でも親身になってくれたり。親戚みたいな関わりが増えました。
私が暮らす地区では、おみこしを担いで盆踊りを踊る夏祭りや秋祭りもあります。九度山町には神社が多いから、今も伝統行事がたくさん残っているんですよね。町民カラオケ大会もあって、大会に参加したあとは「舞台で歌ってたね! 」と声をかけてもらえるようになりました。楽しみながら心の距離が近づいていく行事やイベントが多いのも、この町のいいところじゃないかな。
そして「地域おこし協力隊をきっかけに、お互いのやりたいことやありたい暮らしを一緒に考えて話し合える、そんな仲間が増えたら嬉しいです」と、西山さんは笑顔で言葉を添えてくれました。
移住者・就農者のロールモデルは「農業を真剣に続けられる人」
最後に、梅下さんは今回の地域おこし協力隊の募集に込めた思いをこう話します。
梅下さん 後継者問題を考えると若い人がいいなとか、地域に子どもの人数が増えるようにファミリーだといいなとか、思い描く人物像を語り出せばいろいろあります。だけど、なにより「農業を真剣に続けられる人」、これに尽きます。その姿が移住者・就農者のロールモデルとなり、あとに続く人たちが現れ、町がより心豊かな場所になる。その最初の一歩につながったらいいですね。
町役場の梅下さんと松岡さん、先輩農家の前田さん、先輩移住者の西山さん、この4人を取材するなかで共通して感じられたのは、晴れ晴れと澄み渡るような寛大さ。
九度山駅は、高野山への代表的な入山ルートである高野参詣道石道のはじまりの駅。その九度山駅を玄関口とする九度山町。長きにわたり、世界中の旅人たちを迎えてきた九度山町の歴史が、他者を快く受け入れ、ともに歩もうとする町の人々の寛大さを育んできたのではないでしょうか。
さらに、その町民性に共鳴するように、近しい感性の移住者が増えつつあるのかもしれません。
「地方で暮らしたい」と考えるあなたの脳裏に、九度山町という選択肢はよぎりましたか?
そうはいっても、「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ 」ということわざがあるように、何事も自ら体験してみなければ自分自身との相性はわからないものです。
なので、もし九度山町の柿農家に興味があれば、まず2泊3日の「おためし地域協力隊」からはじめてみませんか? あなたと町との馬が合うことを心から願っています。
(写真:黒岩正和)
(編集:山中散歩)
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