「福島は、日本の閉塞感をブレイクスルーする、唯一で最後のフィールドになるかもしれない」
これは、「小高ワーカーズベース」の和田智行(わだ・ともゆき)さんにお話を聞く中で、和田さんご自身からいただいた言葉です。福島県南相馬市の小高区には、震災復興や被災地支援といった文脈ではなく、軽やかに「自分にとって起業に最適な場所が、この地域だった」と話す起業家たちが集まりつつあります。福島にはいま、どのような可能性があるのか、現地の起業家にインタビューをすることでその輪郭をつかめたらと、再び南相馬市に足を運びました。
日本酒とクラフトビールを掛け合わせた新たなジャンルのお酒をつくる「ぷくぷく醸造」の立川哲之(たちかわ・てつゆき)さんも、そこで出会った起業家のうちのひとり。自分の醸造設備を持たないブルワリーを意味する、ファントムブルワリー(ファントムとは英語で「幽霊」という意味)形式で日本酒だけでなく“ホップサケ”や“ネオどぶろく”と呼ばれる新しいジャンルのお酒をつくる立川さんは、「お酒を通して、福島の沿岸に田畑を増やす」というビジョンを描き、事業づくりに奔走しています。立川さんが福島県南相馬市で事業を行う理由や、その先に見据えていることについて立川さんにお話を聞きました。
「ぷくぷく醸造」代表
1993年東京生まれ。筑波大学生命環境学群卒業。学生時代に東北にボランティアで通う中、日本酒に心を奪われ「食と酒 東北祭り」を立ち上げる。「株式会社ユーグレナ」に就職するも、日本酒の道へ進むため退職。宮城県名取市の「佐々木酒造店」にて酒造りを3年学び、福島県南相馬にてクラフトサケ醸造所「haccoba」を初代醸造責任者として設立。酒造りの傍ら”日本酒を醸す全ての蔵をめぐる旅”(現在627蔵)を実施(コロナ禍で休止中)。2022年、日本酒にクラフトビールの技術を掛け合わせたお酒をつくるファントムブルワリー「ぷくぷく醸造」を南相馬市小高で立ち上げる。2023年、東京駒形のクラフトサケ醸造所「木花之醸造所」の技術顧問に就任。同年、京都芸術大学の非常勤講師に就任し、”クラフトサケ学”を開講。
実体のないブルワリーから生まれる、新しいジャンルのお酒
発酵する泡の様子「ぷくぷく」と福島の「ふく」をかけているという「ぷくぷく醸造」は、愛らしいたぬきのキャラクターがトレードマーク。南相馬市という地域の素朴さと、「お米を化かして酒を造る」という酒づくりをする人たちの独特な表現の文化をかたどっています。
立川さん たぬきが魔法をつかってお米をお酒に変えていくこと、また、実体のないファントムブルワリーとして、いろいろな場所に現れてはドロンするという事業のあり方を表現をしています。
“ファントムブルワリー”とは、自分たちの醸造設備を持たないブルワリーのこと。既存の工場を借りて醸造を行うこの方法は、伝統的な製法や独自のレシピを使用しながら小規模に製造されるクラフトビールの業界などでは既に一般的で、この形式を採用する世界的に有名なブルワリーとしてはデンマークのコペンハーゲンで誕生した「ミッケラー」などがあります。
立川さん 今までに醸造をさせていただいている酒蔵は全国で7カ所で、遠いところだと佐渡島の酒蔵などもあります。日本酒の発酵期間はだいたい1〜1.5ヶ月くらいなので、その期間は酒蔵に通ったり滞在しながら集中して酒づくりを行います。それをいくつかの酒蔵で繰り返しながら、年間で約12,000本を醸造しています。
「ぷくぷく醸造」でリリースしているお酒のうち、約3割は米の個性を活かした純米酒。残りの約7割は、日本酒とクラフトビールを掛け合わせた“クラフトサケ”というジャンルのお酒です。何本か見本を持ってきていただきました。
立川さん 受け売りの表現ですが、『日本酒にマイナスかプラスかしたお酒』というふうに説明しています。日本酒からマイナスをするというのはどぶろく。日本酒は製造工程でできた醪(もろみ)を濾(こ)す作業をしますが、どぶろくの場合は濾す作業を一切行いません。また、プラスするというのは、ホップなど米以外の原料を入れて発酵させるものですね。つまり、日本酒の醸造技術をベースに、免許上は日本酒に属さないお酒のことを“クラフトサケ”と定義しています。
「ぷくぷく醸造」では、特定の醸造設備をもたないからこそ、各地を旅しながらさまざまな酒蔵とのコラボレーションでつくるお酒をたくさんリリースしてきました。しかし、いくらファントムブルワリーだからといって、歴史ある酒蔵の醸造設備を誰でもいきなり使わせてもらえるとは限りません。
立川さん 酒づくりは信頼関係がないと、一緒にはできません。特に間借りで醸造させてもらうとなると、既に信頼関係がある程度構築されている人たちとやることが多いですね。僕は24歳くらいでこの業界に入りましたが、20代で製造や発信をどちらもやっている人が少ないこともあって、蔵元の知り合いなどが多いのかもしれません。
若くして日本酒の業界を志すようになった立川さん。日本酒との出会いの原点は、大学時代に運営をしていた、とあるイベントにまで遡ります。
醸造家になるきっかけをくれた酒
立川さん 僕が高校2年生の時に東日本大震災があり、大学に入ってからはボランティア活動で東北に頻繁に通うようになりました。当時、耳に入ってくるのはどうしてもネガティブな情報が多く、震災から数年経って、風化も叫ばれるようになった頃でした。東北の暮らしや風景の中で戻っていないものはたくさんありましたが、実際に自分が現場で出会った生産者の方々は本当にいいものつくっている人たちがたくさんいることを肌で感じたので、東北の食べ物やお酒の美味しさを通して生産者のことを伝えたり、盛り上げる活動として『食と酒 東北祭り』というお祭りを企画し、運営していました。
活動を通して日本酒が大好きになったという立川さんでしたが、当時は「日本酒は仕事ではなく趣味で楽しむもの」と考え、卒業後は民間企業に就職します。しかし、働くうちに学生時代に自分が熱中していた日本酒への思いが沸々と湧き上がってきたのだそう。結果、会社は1年半程度で退職し、「地域に眠っている、なかなか手に入らない良い日本酒を全国に届けていく」ことを目標に、酒屋を目指すことに。酒屋をやるためには、日本酒づくりの基礎的な知識が必要だと考え、大学時代の活動を通して知り合った酒蔵の方にお願いして、酒づくりの研修を始めました。
立川さん 本当は研修を2ヶ月やってから酒屋を立ち上げる予定が、やっていくうちに楽しくなってしまい、気がついたらあっという間に3年が経過していました。酒ができるプロセスは本当に神秘的です。考えてみれば、日本酒って米と水と微生物だけでできているんですよね。なかでも、微生物の働きがすごい。麹をつくるにも、お酒をつくるにも、状態が刻一刻と本当にドラスティックに変わっていきます。米がどんどん甘くなったり、酒づくりにしても、見た目はおかゆみたいなのに、香りも味も、日ごとに変わっていくので、見ているだけで面白いんです。
また、酒づくりの研修と同時に、全国の酒蔵を見て回りたいと思った立川さんは、1,500カ所ほどあるという日本酒の酒蔵をすべて巡る旅として「全蔵めぐり(日本酒を醸す全ての蔵をめぐる旅)」を開始。現時点で訪れた酒蔵は627蔵、つまり東日本にある酒蔵はすべて回ることができたといいます。最初の2年間は楽しみながらもまだ気持ちは酒屋の方に向いていたという立川さんですが、3年目に1本のタンクをまるごと任せてもらうことに。
立川さん お米、酵母、麹、仕込み配合まですべて自分で選んで、管理してというのは初めての経験でした。頭では最終的にお酒になるとわかっていても、美味しくならなかったらどうしようとか、販売できるレベルにならなかったらどうしようという不安もあるなか、全身全霊、とにかくつくることに必死でしたね。それでできた1本を飲んでみたら、ものすごく美味しかったんです。
そこから4年経って、技術的には絶対に今のほうが向上しているはずなんですが、自分の中では最初につくったお酒をまだ超えられていない感覚があります。微生物のきまぐれとか、天候とかで味が左右されるところもあるので、“つくった”というよりは、“つくらせてもらった”に近いかもしれません。でも、あの最初のお酒が美味しかったからこそ、今も酒づくりを続けているような気がします。
自分でつくったお酒の美味しさに触れ、本格的に酒づくり人生を歩むことを決めたという立川さん。しかし、その最中に発生したのが新型コロナウイルスの感染拡大でした。これによって酒づくりを教えてもらっていた酒造店の経営にも影響があり、酒蔵を巡る旅もストップ。次のステップを模索していた矢先、立川さんに舞い込んできたのが福島県南相馬市で新たに立ち上がるクラフトサケの醸造所「haccoba」で醸造家を募集しているという話でした。
酒づくりを通して、浜通りの田畑を増やしたい
立川さん もともと学生の頃からボランティアで福島に来ていたこともあり、酒屋を目指していた頃から、ゆくゆくは浜通りで酒蔵の復活を手伝うか、自分で酒蔵を経営したいと思っていました。そうしたら、どうやら『haccoba』の佐藤太亮(さとうたいすけ)さんが南相馬市の小高区で酒蔵をつくろうとしていて、醸造責任者を募集しているという話を聞いたんです。まさか同世代でそんなことを思っている人が僕以外にいるとは全く思っていなかったので驚きました。ちょうど自分が醸造家として生きていくと決意したタイミングとも重なり、一緒に『haccoba』を立ち上げることになりました。
2020年から準備を始め、2021年2月に「haccoba」をオープン。立川さんは、そこで2シーズンほど醸造を担当します。そして2022年、ついに立川さんは自分の会社を立ち上げるべく独立。もともと日本酒メディアでのライターを経験したりなど、すでに個人事業主の経験があった立川さんにとって、起業に対してのハードルはあまり感じていなかったといいますが、全国各地のさまざまな日本酒の酒蔵の現場をみてきた立川さんは、若き醸造家として特別な思いを持って起業したといいます。
立川さん 僕は28歳で独立しましたが、全国の酒蔵のうち、20代で酒づくりをしている杜氏は10人もいないくらいだと思います。また、蔵を持たずに旅をしながら酒づくりをしているのも自分くらい。『ぷくぷく醸造』を立ち上げる時に思っていたのは、僕のような若手で日本酒の醸造をしたいと思う人たちが、ローリスクで事業をやっていくことのできる世界を日本酒の業界の中につくりたかったということでした。
伝統ある日本酒業界は、年功序列や長い労働時間など、未だに旧態依然とした体制が残っているところもあるといいます。また、法的な要件もあり日本酒の製造免許を新規で取得することはほぼ不可能とされているため、新規参入もなかなか難しい状態が続いています(※)。こうした状況を打破する、オルタナティブな起業の形として立川さんが行き着いたのが、特定の醸造所を持たないファントムブルワリーという在り方でした。
また、「ぷくぷく醸造」をたちあげるにあたって、立川さんが掲げたのは「浜通りの田畑を増やす」というビジョンでした。
立川さん 2020年のある論文によると、福島県内の避難地域だった12市町村では、田畑の復旧率が8%というデータがあるんです。南相馬市の小高区でも実際に避難が解除されても戻ってきている人口は震災前の3分の1といわれ、田畑をやる人も確実に減ってきている現状があります。美しい田園風景は農家の営みがあるからこそだと思うので、こうした状況を打開したいという思いが大前提としてあります。
そのために決めた事業方針は、「酒づくりに使うお米は、浜通りのお米だけ」というもの。だからこそ、立川さんが事業を行う上で重要視するのは売れた本数よりも、使った浜通りのお米の総量だといいます。
(※) 現行の酒税法においては、「酒税の保全上酒類の需給の均衡を維持する必要がある」とされ、日本酒製造免許の新規交付も原則認められていないという。クラフトサケやどぶろくなどは「その他の醸造酒」の扱いとなり、米を原料としながらも清酒製造免許は必要ない。「ぷくぷく醸造」では「その他の醸造酒」と「発泡酒」の製造免許を活用している。
立川さん 現在は4.5トンくらいお米を購入していますが、近い将来には12トンくらいまで購入できるようにしたいんです。取引する量が増えれば増えるほど金額を抑えたいという人もいるかもしれませんが、農家のみなさんの収入にもつながるよう、適正価格で取引ができるようにしたいと思います。そのために、浜通りの米しか使わない『ぷくぷく醸造』をしっかりと認知していただいて、『ぷくぷく醸造』のブランド力が上がっていくにつれて浜通りの農作物のブランド力も上がっていけばいいなと思っています。
日本酒とクラフトビールの掛け合わせで唯一無二な味わいをつくりだす
こうした農地の回復や保全、発展のための切り札の一つになると立川さんが考えるのが“クラフトサケ”などの新ジャンルのお酒の開発です。高付加価値な商品を展開することで、浜通りのお米やそこからつくったお酒を、きちんとした価格帯で売り、ファンを増やしていくことも可能になります。
立川さん 僕らは、日本酒とクラフトビールの技術を掛け合わせてつくる“クラフトサケ”をメインで醸造しています。なぜ、クラフトビールなのかというと、ブームとも相まって、今一番世界で研究開発がされていて、かつ進歩が早いアルコール飲料はビールだと思っているからです。かたや、日本酒は日本で2,000年以上前からつくられてきたお酒で、伝統的な技術が整っています。そこで、最新のクラフトビールの先端の技術と、日本酒の伝統的な技術を掛け合わせていくことで、日本酒をさらに進化させ、他のお酒では味わえない唯一無二な味わいをつくり出していくことができるのではないかと考えているんです。
立川さん 例えば、ホップはクラフトビールのIPA(※)に入っているようなホップのイメージで使っていて、トロピカルであり、シトラシーで柑橘っぽいアロマがお酒についていながら、苦味もついてくるようにしています。日本酒は酵母が出す香りがほとんどだったのですが、そこにホップの香りを加えることで植物由来の薬草のようなアロマや苦味を出すことができ、今までの日本酒と比べるとすごく新しい味わいをつくることができていると思います。
これまで、「ぷくぷく醸造」ではこうした斬新な味わいをつくりだすため、ホップごとの味わいの違いを楽しめる“クラフトサケ”のシリーズのほか、ホップや果皮などの副原料を入れず酵母だけでフルーティーさを表現した日本酒など、さまざまなお酒をつくってきました。浜通りの米を使う以外に、商品としての一貫性と技術の向上を考えて、「ぷくぷく醸造」では、商品をつくる際に「乳酸無添加」、「低精白」、「低アルコール」という3つを指針として持っています。
(※)IPAとは、India Pale Ale(インディア・ペールエール)の略。ホップのもつ香りや苦味が、一般的なビールと比べるとかなり強く、アルコール度数も5.5~7.5%と高めとなるが特徴のクラフトビールを指す
立川さん 醸造用乳酸を使わず、微生物の力だけでつくっていくという『乳酸無添加』のほか、米をなるべく削らないという『低精白』は、米本来の旨味を損なわずに引き出していくためのものです。また、伝統的なつくり方では日本酒のアルコール度数はもともと低いんです。新しい飲み手を増やして日本酒をもう少しカジュアルにポップに楽しんでいただくためにも、つくり手としての心地よさから考えても、今のところ『低アルコール』でつくっています。
現在「ぷくぷく醸造」に携わるのは、デザイナーチームや役員、業務委託でお願いしている人などを合わせて6人ほど。このほか、立川さんは浅草にある醸造所の技術顧問に就任したり、京都芸術大学の”クラフトサケ学”を担当しながら学生たちと商品開発を行っています。しかし、多方面で活動する立川さんの勢いはとどまるところを知りません。ファントムブルワリーとしての活動も続けながらも、2024年夏には、南相馬市の小高区で自前の酒蔵をつくる予定で動いています。
醸造家が目指すまちの風景が続いていく未来
立川さん 小規模からでもお酒をつくれるようにしておきたいんです。50Lから1,000Lをつくれる酒蔵を構えたいのですが、50Lだとだいたい500mlを100本くらいと、小ロットしかつくれません。ただ、実験をするには適した分量だと思いますし、例えば、20キロの米さえあれば、農家さん自身がどぶろく(※)をつくることもできるようになります。そういう小回りがきくような酒蔵にできたらいいなと思います。
(※)もともとどぶろくは、農家が自分たちがつくり収穫したお米を、農家のご褒美として醸造してよく自家消費していたもの。立川さん曰く、「お酒が好きな農家ならなおさら、自分がつくった米からつくられた酒をみんなで飲んでみたいと思うはず。」近い将来、醸造所を起点に農家が自らどぶろくをつくる文化を再生することができたらと、立川さんは願う。
「小高ワーカーズベース」の和田さんたちが運営する起業家コミュニティスペース「小高パイオニアヴィレッジ」などを皮切りに、業種を超えた起業家たちの横のつながりも生まれ、この地域に移住し、新たな事業を立ち上げる人も増えてきています。
立川さん 移住して事業をやりたい人たちのコミュニティがしっかりとあるので、みんな毎日のように顔を合わせますし、横のつながりも強いですね。この地域の人たちは、震災で一度はみんな避難して、戻ってきたという背景があります。特に、避難指示が解除されて戻ってきた人たちはこの小高を存続させていきたいという思いがあると思っているのですが、本当に移住者や起業家の人たちに優しいんです。ボランティア支援などで近辺を訪れることはあっても住んだことはなかったので、移住する前はどういう生活になるかはわかっていなかったのですが、今はただただ、毎日楽しく過ごしています。
しかし、移住や起業する人が徐々に増えつつあるこのまちでも、確実に高齢化が進んでいます。2023年、地元民から愛されるラーメン屋「双葉食堂(南相馬市小高区)」が店じまいをしたのは、この地域でも衝撃的な出来事でした。
立川さん「震災前から事業をやってきた地域のプレーヤーの方々がご高齢というのもあって、地元の名店が姿を消してしまったり、まちとしての魅力的なものが減っていってしまうことに対する危機感や寂しさはあります。移住者や起業する人は増えてきてはいますが、本当にまちを変えるレベルで増えているかというとわからないので、自分がやりたいことと、目指したいビジョン、それからまちの持続性を考えながらも、今はとにかく目の前の風景から変えていくことを目指して日々奔走しています。」
自分ひとりでできることは限られていたとしても、誰かの行動に触発されてアイデアが派生していったり、つながりを通して変化が生まれていくこともあるでしょう。立川さんは、現状に対しての現実的な目線を持ちながらも、まちの未来に向かってひたむきに事業を行っていました。
魚屋があって八百屋があって、豆腐屋がある。自分たちが暮らす生活圏の中で、日々の豊かな営みのなかでつくられたものが日常の風景となって現れるような世界。立川さんが南相馬市の小高区で立ち上げる酒蔵も、その風景の一部となってまちの人々の暮らしを変えていくのではないでしょうか。
(撮影:中村幸稚)
(編集:増村江利子)
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