去る、2017年9月10日、greenz.jpファウンダーのひとりで、NPO法人「BeGood Cafe」代表理事のシキタ純さんが急逝されました。この場を借りて、NPO法人グリーンズメンバー一同、ご冥福をお祈りします。
今回は、代表理事で編集長の鈴木菜央と、理事で元編集長の兼松佳宏からのコメントと、以前にメールマガジンでシキタさんに取材したときの記事を再掲載し、追悼記事をお送りします。
シキタ純
NPO法人BeGood Cafe 代表理事
東京都出身。1999年から「持続可能な社会と平和」に関する情報と知恵を共有するイベントBeGood Cafeをスタート。エコビレッジ国際会議の開催や放置農園再生などのアクションを続けている。
NPO法人グリーンズ代表理事 / 編集長・鈴木菜央より
シキタさんに出会った日はいまでも鮮明に覚えている。2002年6月のよく晴れた土曜、代官山のBALL ROOM(現THE ROOM)で行われていたイベント「BeGood Cafe」を取材したのだ。当時ソトコトに入社したてだった僕は、これからは新しい感覚の社会活動が増えるに違いないと思い、その最先端を走っていたシキタさんにインタビューを申し込んだのだ。
ソトコトの2002年9月号から、引用する。
「BeGood Cafe」を始めたとき、おしゃれな空間で社会貢献の話をしたいというのがあった。クリエイティブなことが好きだし、それを面白がって人が集まってくれる。そしてここに来ている人たちは自分たちが楽しいから人のためになることをしたいっていう。僕らはそういう場をどんどんつくってあげればいいと思うんです。
カフェっていうのはもともとは人が情報や思いを持ち寄って交換する場だと思います。パリにカフェが根付いていたのも最強の情報交換の場だったから。そこから芸術が生まれ、革命が始まった。人と情報と思いを持ち寄るってこと自体が狙っていたことだし、そこから革命が生まれてほしいと思っている。
「BeGood Cafe」の風景は、とても衝撃的だった。シキタさんもよく言ってたけど、90年代後半当時は「市民活動の場は公民館の畳の部屋」だった時代。バンドによる生演奏、トークライブ、DJによる選曲、VJによる映像、ワークショップ、オープンマイク。今ではあたりまえの風景が、当時は破壊的なイノベーションだった。
2000年代まで環境問題や社会問題を解決することと、アート、カルチャーやライフスタイル、もっと言えば、「個人が幸せになること」みたいなことはまったくの対局、というかむしろ同じにしてはいけないと思われていたところ、シキタさんはそれらを鮮やかに一つのものとして表現した。
僕を含めたたくさんの人が、「BeGood Cafe」という場で、自分のこと、社会のこと、未来のことがひとつの自分としてつながっていく体験をした。
「これからどうやって生きていこう」という超個人的な悩みから、社会問題、遠くで起きている環境問題までを、ポエトリーリーディング、ラップ、音楽表現、映像表現、ファッション、トークライブ、ありとあらゆるやり方で表現する自由がそこにはあった。どんな社会的なマイノリティでも、そこでは存在を認められ、生のエネルギーを放出することを応援してくれているようだった。「生きていていいんだよ」と言ってくれているようだった。
そしてその体験は、ずっと自分が求めていたけれど得られなかった、自分が受け入れられる感覚、自分を表現していいんだ、という感覚。そのことと、自分が心を痛めている社会の問題は地続きなんだ、という感覚。泣きたくなって、思わずイベント中に何度も泣いた。
ベレー帽に蝶ネクタイ、サスペンダーといういつもの出で立ちで現れたシキタさんは、「BeGood Cafe」の開会を高らかに宣言した。「あなたの人生の主役は、あなたです」。その言葉は、イベントがあるごとに繰り返し繰り返し語られて、僕らに染み込んでいき、生き方そのものになっていった。
その後関係はつづき、2006年4月から「BeGood Cafe」に社員として入り、新プロジェクトとして、2006年7月、greenz.jpがうまれた。
最初の会議の時、ホワイトボードに「greenz.jp」と大きく書いて、こう言った。
名前は「グリーンズ」がいいと思うんだよね。最後がsだと緑の党だけど、zがいい。斜めな感じがかっこいいでしょ? ドメインももう取ってあるから。
僕はあまりの勢いに、「あ、はい」としか言えなかった。いい名前だと思ったけど。
YOSHを僕に紹介してくれたのもシキタさんだった。greenz.jpに惹かれて集まってきたメンバーはみんな個性が濃くて、本当に楽しかった。残念ながら半年後にスピンアウトしたけれど、あの時間がなかったら、今はなかった。
greenz.jpのタグライン「ほしい未来は、つくろう」の底に流れているのは、シキタさんがみんなに伝えたかった「あなたの人生の主役は、あなたです」というメッセージだ。若い子たちはシキタさんのことを知らないだろうけど、シキタさんのメッセージは確実に次の世代、その次の世代と受け継がれていっていると感じる。
最後に、シキタさんへのメッセージ。
シキタさん、あなたは時代をつくりました。僕らの生きる空気をつくってくれました。あなたがいなければ、僕らはずっと違う世界にいたはずです。僕の生き方は、あなたの作品だと言っても過言ではありません。心から、感謝します。
あの世で、楽しくやってください。いつかわかりませんが、向こうで会えるのを楽しみにしています。
鈴木菜央 拝
NPO法人グリーンズ理事 / 元編集長・兼松佳宏より
導かれるように10代から20代、そして30代になって、このわたしにしかできなさそうな、いまやるべきことが絞られていけばいくほど、それはそれは大きな、もはや不可逆的な影響を与えてくれた方々の顔が浮かんでくる。
感動のままに吸収して、斜に構えて反発して、めぐりめぐって同じことを言っている自分に気付いて焦ったりする。その偉大さに圧倒されるのではなく、しっかりと自分の中で相対化できたとき、私たちは自らの成長を知る。
その人たちはきっと、僕がそんなふうに思っていることを知らない。折り入って伝える機会もなかなかない。とすれば、その思いは伝わることのないまま宙を漂っている。それをつかまえて言葉にできるのなら、しておいたほうがいいんだろうな、とこういうときにつくづく思う。
「素敵ないいこと始めよう」と、日本にソーシャルデザインの文化を根付かせたシキタさんは、数少ない恩師のひとりだった。出会っていなければ、まったく違う人生になっていたと本当に思う。
それくらいの存在のシキタさんなのに、しっかりと思いを伝えることができていただろうか? うーん、もっと話したかったことがたくさんあったなあ。
鈴木菜央くんが編集長、僕がウェブデザイナーとして立ち上げた「greenz.jp」は、シキタさんが代表を務めるNPO法人「BeGood Cafe」の新プロジェクトだった。
当時の僕は会社勤めをしながら、NPOのウェブサイトをつくるプロボノをしていて、「BeGood Cafe」もそのひとつだった。社会的にはいかんともしがたい閉塞感があり、グローバルには宗教対立や資源を巡る戦争があり、地球温暖化は進み、明るい未来の話をすれば馬鹿にされるような、そんな空気だったように思う。
その中で出会ったひとつの光が「BeGood Cafe」であり、そこで話されていた「トランジション・タウン」「エコビレッジ」「パーマカルチャー」「シュタイナー教育」といったコンセプトは、僕の意識がアップデートされるには十分すぎた。大げさに言えば、やっと長く生きることに希望を持つことができた。この時代に生まれたからこそ、その変化の一部としてしかと見届けたいと。
しかも、そこに集っていたのは、かつて出会うことのなかった、でも、本当は出会いたかった人たちばかりだった。そして何より、これからの時代の「カッコよさ」が詰まっている感じがした。背伸びとともに、そこにいる自分が何だか誇らしかった。
37歳となった今も、もっとも僕らしい人生は「greenz.jp」とともにある。今ある家族も親友も仲間も、そのご縁から流れ出たものだとすれば、シキタさんからいただいた恵みのあまりの大きさに、何度もからだが震える。泣きそうになる。泣いている。いつか、僕も、誰かにとってそんな存在になっていること。40代になりそうな今の僕への、シキタさんからの最後の教え。
改めて、シキタさん、僕の進むべき道を照らしていただき、ありがとうございました。最後の最後まで人のために尽くす、とても忙しい日々だったと思います。まずはゆっくりご自愛ください。そしてまたどこかで、またちがうかたちで、笑顔でお会いできるよう、僕の方も精進してゆきたいと思います。
兼松佳宏 拝
蔵出し対談: シキタ純さんと鈴木菜央が語る
「グリーンズができた頃の話」
ここからは、2013年7月にgreenz people限定で配信したメールマガジンで公開した、シキタ純さんと鈴木菜央の対談を復刻掲載します。
当時は、虎ノ門にリトルトーキョーをオープンし、『日本をソーシャルデザインする』が発行された頃でした。設立から7年のあいだにグリーンズが経験したのは、ソーシャルメディアの台頭や金融危機、東日本大震災など。人びとの価値観を揺さぶるこれらの出来事により、自分ごとから新しい社会をつくるソーシャルデザインが広がっていきました。
この対談では、greenz.jpの発起人であるシキタさんと鈴木菜央が、2006年設立間もない頃のグリーンズを振り返ります。
菜央 お久しぶりですね。今日はよろしくお願いします!
シキタさん こちらこそ、よろしくお願いします。
菜央 おかげさまで、グリーンズは7月16日で7周年になるんですよ。
シキタさん もう7年か、早いね。
菜央 シキタさんと初めて会ったのは、2002年ごろでしたね。
シキタさん 「BeGood Cafe」のイベントかな?
菜央 そうです。
僕が「ソトコト」の編集部に入社するときに、市民が主役の新しい形の活動が広まるだろう、という企画書を持って行ったら、編集のへの字も知らないのにいきなり、その特集を任されることになって。いろいろ調べているうちにBeGood Cafeを知って、イベントの取材に行ったんです。
そしたら参加者が100人くらいいて、面白い人がいっぱい来ていて、「そうそう、これなんだよ、次の時代はこういうところから生まれてくるんだよ!」って思いました。その後も足繁く通いましたね。
シキタさん ソトコトの販売コーナーもあったね。
菜央 仕事としてなら毎回参加できると思って、ソトコトを持って行って、売っていましたね。
そのうちにみんなと顔見知りになって、ケータリングをやっている人とか、占いとかミュージシャンの人とか、これまでの「環境」という文脈とは全然ちがう人たちばっかり集まっていて、これは面白いと思いました。
菜央 「BeGood Cafe」は1999年からでしたっけ?
シキタさん はい。1998年の秋に獅子座流星群が見れるって聞いて、友人と八ヶ岳に見に行ったんです。流れ星をいっぱい見ようという不思議な状況で、みんなで横になって夜空を見ていて、これから地球がどうなるとか、そういう話になって。
それで自分のできることからはじめようと思って、翌年の1月から毎月1回、地球上の問題をみんなでシェアするイベントを開くことにしました。
それまで地球の問題を考えようというと、区民会館の和室3号室でやろうみたいなイメージだったので、それじゃぁ誰も来ない。
僕は若者と語りたかったから、それなら原宿だと思って、当時ラフォーレの前にあったカフェが、木曜なら空いていると聞いて、木曜の夜に奥の席で始めました。
菜央 木曜日! 僕たちが開催している「green drinks Tokyo(*)」も木曜日なんですよね。最初はどのくらい集まったんですか?
(*)本取材当時は、毎月第2木曜日にgreen drinks Tokyoを開催していた
シキタさん 20人くらいだったけど、そういう地球のことについて話す機会が当時はなかったから、だんだん増えていって、80人くらいになったかな。
2000年からは代官山に場所を移して、そのときは毎回150人くらい来ていました。
菜央 ゲストトークのほかに、ライブとかもありましたね。
シキタさん 地球を考える会だけど、発想を変えて、DJとかVJも入れて思いっきりクリエイティブにオシャレにやりました。いまでもあそこまでのイベントはないのでは?
で、昼すぎから夜までやっていたからお腹が空くだろうと、美味しいオーガニックフードのケータリングも頼んで。
あとお店をやりたい人が出てきたからブースをつくって、じゃあそれを地域通貨でやろうとなったり。来場者は一番多いときで450人来ましたね。
菜央 すごいですよね〜。すごく華やかでクリエイティブな雰囲気があって、初めて来た人はノックアウトされるようなすてきなイベントでした。
シキタさん 100回やろうと思って続けていたんだけど、 99回で止めているんだよね。いつかまた100回目をやろうと思っているんだけど。
菜央 「BeGood Cafe」は新しいことを実験する人にチャンスを与える存在でしたね。実験してうまくいったことも、うまくいかなかったことも、活用して次のステップに進んでいく場というか。
そこでつながった人たちとは、今でも会うと共有している何かがある感じがします。
シキタさん 「A SEED JAPAN」とか、環境の活動をしている団体は僕らの前からあったけど、「BeGood Cafe」が始まった1999年頃はいわば「ソーシャル2.0」の時代でした。「Think the Earth」とか「ナマケモノ倶楽部」も同じころに始まったんじゃないかな。
菜央 「ソトコト」も99年からです。
シキタさん そう、ちょうど流れの転換点で、21世紀間近にしてそろそろ変わらないとって思ったんじゃないかな。
僕らがソーシャル2.0なら、グリーンズは3.0で、今は4.0が生まれているんだろうね。
菜央 「個人が主役」とか「個人で発信する」とか、今は当たり前に思われているけど、「BeGood Cafe」が、新しい文化のはじまりでしたね。
ソトコト辞めたときも、これからは個人が力を持って発信できる時代だから、そういうことをやりたいと思っていたけど、お金も技術もないしどうしようかなと思っていたときにシキタさんが「うちでやりなよ」って言ってくれたんです。
シキタさん もともとは2004年くらいのブログブームが始まったころに、菜央くんに「発信力がパーソナルなものになっているから、これから個人の力がもっとパワフルになる」って言われて、ネット発信の可能性を感じていました。
菜央 それで2006年に最初の打ち合わせがあって、YOSHと初めて会った。いや、二度目の再会だったかな。
初期メンバーの松原広美もちょうどその頃に「BeGood Cafe」に入って、「greenz.jp」がスピンアウトしたときに一緒にやらない?と声をかけました。
でもそのときYOSHは海外に行ったまま帰ってこなくて(笑)、まずはひろみと二人で独立することになりました。
菜央 そういえば、「greenz.jp」って名前も、シキタさんが名付け親ですよね。
シキタさん そうそう。「グリーン」がいいと思ったんだけど、お名前.comで調べたら「greens」は緑の党じゃないですか。同じ意識を持ってるけど、同じじゃない。だからZ(ゼッド)をつけて、「greenz」にしようと。このロゴも気に入っています。
菜央 いいですよね。勾玉にも見えるし、おなかにいる赤ちゃんにも見えるし、いろんな捉え方ができる。
シキタさん 「green drinks」も続けているんでしょう?
菜央 はい。「BeGood Cafe」にたくさん参加した経験から、おいしいとこだけとりましたって感じです(笑)
まず音楽関係はかっこいいけど僕たちには大変だからDJとかライブはやめて、ケータリングとオープンマイクは取り入れました。
トークライブも最初は「BeGood Cafe」のスタイルでやって、最近は来た人が主役のワークショップをやっています。あと平日の夜、月に1回っていうのも同じですね。開催日も、木曜日が同じなのにびっくりしました。
シキタさん 毎月ずっと続けているの?
菜央 続けてます。2009年からだから、もう70回くらいですね。とにかく少ない体力で継続していくことを大事にしています。
green drinksを全国に広げていこうというのも、ある意味「BeGood Cafe」からのDNAを受け継いでいますね。
菜央 「BeGood Cafe」はイベントを核にしながらコミュニティをつくっていましたが、グリーンズもウェブとしては成立して、コミュニティもできてきて、次はムーブメントかなと思っています。
まず取り組もうとしているのが、政治とエネルギーを取り戻すこと、ですね。
シキタさん 時代もそういう方向を向いているし、いい火付け役になれそうだね。これからも、楽しみにしています!
菜央 はい、がんばります! 今日はいろいろと懐かしい話ができてよかったです。ありがとうございました!
実はこの記事が、greenz.jp、6000本目。
これからグリーンズが向かう先とは?
菜央 2006年7月16日に創刊したgreenz.jpが、ついに6000本目を数えることとなりました。本当にありがとうございます。
記事を読んでくれる読者、シェアしたり、コメントを下さる人。思いに共感してスポンサーをしてくれるNPO、自治体、企業。記事の原資を出してくださるgreenz people。エネルギーを注ぎ込んで制作してくれたライター、エディター、プロマネ、コアメンバー。それらのみなさんの力があってこその6000本です。心から感謝します!
今後greenz.jpとしては、より多様な記事をお届けしたり、出版にチャレンジしたり、greenz peopleのコミュニティ化にチャレンジしたりしていきたいと考えています。お楽しみに。
それにしても、まさか6000本目の記事が、greenz.jpを始めるきっかけをつくってくれたシキタさんの追悼記事になろうとは、まったく思わなかったですね…。