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従業員を解雇せず、助成金も使わず、震災前の2倍の売り上げを実現! 南三陸の「アストロ・テック」に見た、地方の町工場の底力

「ものづくりからはじまる復興の物語」は、東日本大震災後、東北で0からはじまったものづくりを紹介する連載企画です。「もの」の背景にある人々の営みや想いを掘り下げ、伝えていきたいと思います。

みなさんは、東北のさまざまな復興プロジェクトを、どんな風に見ていますか? 純粋に応援している人もいれば、「うちの地域でも参考にできるかもしれない」と関心を持っている人もいるでしょう。中には、「助成金や寄付のおかげで続いているだけ」と少々冷めた目で眺めている人もいるかもしれませんね。

そんな方にぜひ紹介したいのが、南三陸の電子部品工場「アストロ・テック」です。「アストロ・テック」は津波により工場が流されましたが、社員をひとりも解雇せず翌月には業務を再開。

「復興とは新しいものを生み出し地域をより良くすること」という佐藤秋夫社長の信念から、未経験のレザーバッグ製作に乗り出しました。それも、助成金は一切使わず、機械の寄付も断って!

そうして完成した手織りのレザーバッグは繊細で美しく、なんと皇后陛下も愛用されているといいます。

従業員を雇っている者の責任として、せめて職場だけは守りたい

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「アストロ・テック」の創業は平成15年7月。佐藤さんはそれまで時計メーカーで働いていましたが、何百人もの社員をリストラしなければならなくなり、「部下の人生を変えておいて自分だけ会社に残るわけにはいかない」と自身も退職。

それまで培ってきた経験と技術を活かし、部下3人と一緒に電子部品を製造する会社を立ち上げました。

数年かかって従業員を数十人抱える会社に成長させますが、2011年3月11日、津波は佐藤さんの家も工場も飲み込んでいきました。しかし、前職での経験から、佐藤さんは「従業員をひとりも解雇しない」と決意したといいます。

解雇してしまえば楽だったかもしれません。でも、家も失う、家族も失う、仕事も失うでは、生きる道がなくなってしまうでしょう。従業員を雇っている者の責任として、せめて職場だけは守らないと、と思いました。

翌月3日には内陸の登米市に工場を借りて業務を再開。引っ越しなどさまざまな事情で自ら退職していった従業員もいましたが、残った従業員にはその月の利益を開示して、全員できっちり均等に分けました。

避難所にいると、落ち込むだけなんですよ。昼間はまちの惨状を見たくないから、早く夜になればいいいと思う。夜は夜で、早く朝が来ないかと思う。

そんな状態で何もせずにいるよりも、1時間でも2時間でも働いて、1000円でも2000円でも自分の手で稼ぎたいと思いました。あれがないこれがないと嘆いていたってしょうがない。残ったものでできることをしないと、と。

元の状態に戻すのではなく、新しいものを生み出し、より良くしていく

会社の再建に力を注いでいた同年7月、佐藤さんは地域の会合で、「一般社団法人LOOM NIPPON」を立ち上げた加賀美由加里さんと出会いました。

加賀美さんは、高級服地ブランド「ドーメル・ジャポン」とファッションブランド「MCMファッショングループ」の2社で代表を務める、ファッション界の重鎮です。東北を訪問して活動するうちに「復興で一番大事なことは女性の仕事をつくること」だと考えるようになり、南三陸でバッグを製作するプロジェクトを始めようとしていました。
 
LOOM NIPPON代表の加賀美さん。LOOMでは、南三陸に3千本の桜を植樹しようとしています。
LOOM NIPPON代表の加賀美さん。LOOMでは、南三陸に3千本の桜を植樹しようとしています。

「一緒に取り組んでくれる人はいませんか」という加賀美さんの呼びかけに、佐藤さんはすぐに立候補しました。「新しい仕事が生まれれば、ひとりでもふたりでも新しく人を雇うことができる」と考えたからです。

震災前からずっと、「南三陸は一次産業が盛んなまちだけど、それだけじゃ駄目なんじゃないか」と考えていたんです。若者が外に出ていってしまう傾向があるし、もっと若い人が就きたいと思える仕事が必要なんじゃないかと。

でも、いかんせんきっかけも何もない。それが、震災をきっかけにして、加賀美さんのような通常ではお目にかかれないような方が南三陸に来てくれて、何かしたいと言ってくれる。道が開けた気がしました。

元に戻すことが復興じゃない。新しいものを生み出して、前より良くしていくのが復興だーー佐藤さんはそんな考えを持っていました。もともと、「アストロ・テック」という社名は「明日を取ろう」と名付けたもの。社名の通り、明日に向かって新しいことに挑戦してこうと考えたといいます。「アストロ・テック」の女性社員たちはバッグメーカーから技術指導を受け、製作に乗り出しました。

3.11の夜、人々の心を慰め励ました星空をイメージして

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“Love Of Our Motherland(郷土愛)”の頭文字から取ったLOOMという名前には、“織機”という意味もあります。「私たちは、愛のタペストリーを織る織機でありたい」という加賀美さんの想いを体現するため、製品は手織りのレザーバッグにしました。第一弾のデザインは、3月11日の夜の星空をイメージしています。

3月11日、佐藤さんは津波から逃れるために車を捨ててかけ登った山で、どこを歩いているのかわからない不安に襲われました。日が落ちてもいつものようなまち灯りはひとつもなく、あたりは雪で真っ白。しかし、雲間から星の光が差してきたおかげで自分のいる場所と方向がわかり、家族と再会することができたといいます。

人工的な光が消えた暗闇の中、星空は普段よりも一層きらきらと輝いていて、佐藤さんだけでなくたくさんの人の心を慰め励ましました。後になって、この星空のことを作文に書く生徒も多かったそう。
 
「LOOM BAG」の第一弾、「ALTAIR」シリーズ。売上の一部は、南三陸に桜を植える資金になります。
「LOOM BAG」の第一弾、「ALTAIR」シリーズ。売上の一部は、南三陸に桜を植える資金になります。

濃紺に白いラインで、たくさんの人に希望を与えた星空を表現した「LOOM BAG」は、小さな電子部品を扱っていた技術を活かし、1ミリの狂いもなく仕上げています。その繊細な美しさと質の高さから、静かに評判を呼びました。

どこかでその評判が耳に入ったのでしょうか、2013年の春に皇后陛下が被災地を慰問された際、その手にはLOOM BAGがありました。佐藤さんはニュースを見て、家族や社員と涙を流して喜び合ったといいます。

まさか皇后さまが持ってくださるなんて想像もしていなかったから、本当に驚きました。

でも、それだけ皇后さまが被災地に心を寄せてくれているということだと思います。たまたまお買い上げいただいたのがうちのバッグだったということ。使ってくださっているということだけで、もう大満足です。何も言うことはありません。

復興は誰かからもらうものじゃない。
自分の足で立って歩いていくことが復興だ

「LOOM BAG」の製作で得た技術を元に、「アストロ・テック」では「Ordinaire(オルディネール)」という新しいブランドも立ち上げました。少し高価な「LOOM BAG」に対して、こちらは日常使いできる手頃な価格です。

電子部品の製造の仕事には、忙しいときと暇なときで波があります。そこに「LOOM BAG」と「Ordinaire」の製作が加わったことによって授業員の手が空くことがなくなり、効率よく工場を回せるようになりました。「アストロ・テック」の売上は、なんと震災前の2倍を超えているといいます。
 
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津波で何もかも流されながら従業員をひとりも解雇せず、未経験のことに挑戦して売上を倍増させる。それだけでもすごいことですが、その過程で助成金や補助金を一切使っていないというから驚きます。2012年には、借金をして南三陸に自社工場を再建しました。

一銭もない状態だったから喉から手が出るほど欲しかったけど、「助成金が入らなければやっていけない」というのでは経営者として駄目だと思いまして。ただ、うちは貸してくれる銀行さんがいたから、恵まれていたと思います。みなさんに支えてもらったおかげです。

土地や家屋も、期限付きなら無料で借りられるという話もあったんです。でも、数年経ったらまた場所を探して移転しなければいけない。そう考えると、苦しくても最初からちゃんとしたお金を払おうと思いました。あとは借金を返せばいいだけなので、そういう意味では気が楽ですね。

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また、バッグを製造するにあたって、加賀美さんのつながりから必要な機械を譲ってもらえるという話もありましたが、佐藤さんは「時間はかかるかもしれないけど、購入させてください」と申し出たといいます。

仕事はもらう、機械はもらう、では自分の気が済まなくて。「無理するな」と言われましたが、少しずつでもお支払いしなければ、と思いました。

いただいてしまうと、どうしても甘えが出てしまう。「タダでもらったものだから」と気が緩んで機械の扱いが雑になるかもしれません。月々苦労してお金を払っているんだと思うと、自然と大事に扱うようになるでしょう。

加賀美さんもこうした佐藤さんの姿勢に信頼を寄せ、「“復興を手伝う”なんておこがましくて言えません。“一緒に復興していく”という意識で取り組んでいます」と話します。ふたりの様子から、お互いを尊敬し合っていることが見て取れました。
 
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「復興プロジェクトを立ち上げるために助成金を使ったけど、そのうち助成金を得るために無理矢理プロジェクトを行うようになり、助成金が切れたら活動がなくなってしまった」——東北ではよくそんな話を聞きます。

助成金を活用することが悪いわけでは決してありません。上手く使えば、新しいことを始める大きな助けになってくれることでしょう。ただ、助成金を受けるためには申請時と報告時に膨大な書類を提出しなければいけないことが多く、手間と時間が取られます。

更に、震災という未曾有の状況下では、1ヶ月後どうなっているかさえわからず、計画を立てるのも一苦労です。最初は「徐々に自力で回していく仕組みをつくろう」と考えていても、できないことが多いようです。

また、自分の懐を痛めていないことで、どこか気の弛みが出てしまうのかもしれません。助成金は諸刃の剣と言えそうです。

震災後の東北では、助成金に限らずさまざまな支援を受けることができる状況にありました。しかし佐藤さんは「復興は誰かからもらうものじゃない。自分の足で立って、歩いていかないとだめなんだ」という信念からそれらを頼りませんでした。

短期的に見て利益になることには飛びつかず、長期的な視野を持って必要なことを選択する地に足のついた姿勢に、地道にコツコツと技術を磨いて勝負してきた地方の町工場の誇りと底力を感じます。

佐藤さんは「支えてくださった方々のおかげです」と謙遜しますが、そうした自主自立の精神が人を惹き付け、良い出会いをもたらしたのではないでしょうか。
 
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佐藤さんの密かな目標は、南三陸をファッションのまちにしていくことだといいます。「バッグを皮切りに、コートや靴も南三陸で製造し、ひとりでも多くの若者を雇用したい」と瞳を輝かせます。

政治がいけないとか経済がだめだとか、誰かのせいにして悲嘆に暮れるのは楽だけど、そうしていれば誰かが解決してくれるわけじゃない。じゃあその中でどうやって生き残っていくかを考えなければ。

人が出ていくのは止められない、それなら外から新しく人を呼び込もう。来たいと思ってもらえるような魅力ある仕事をつくろう。

大量生産の土俵に乗ったら勝てないけど、丁寧にひとつひとつ手づくりしていることに価値を感じてもらえる人に届けよう。そんな風に考えて行動していけばいい。状況は厳しいかもしれないけれど、悲観はしていません。

苦しい状況でも諦めず、信念を貫いて立ち上がった「アストロ・テック」。その軌跡は、3.11の夜に暗闇を照らした星空のように、たくさんの人に希望を与えるに違いありません。

(編集協力:東北マニュファクチュール・ストーリー)