現在のDUG店内。カルチャーの空気が漂う場所に身を浸したい人々が、昼夜問わず訪れる
みなさんの街に、ジャズ喫茶はありますか?
コーヒーに舌鼓を打ちながら、店内に流れるレコードに耳を傾ける。音楽をこよなく愛する人たちの集う喫茶店です。
そんなジャズ喫茶の名店として知られるのが、かつて新宿「スタジオアルタ」の裏で賑わっていた「DIG(ディグ)」、そして「DIG」のDNAを引き継いで誕生し、現在まで続く「DUG(ダグ)」です。
1960年代初頭に開店し、寺山修司氏や植草甚一氏をはじめ、村上春樹氏、和田誠氏、内田繁氏といった文化人が足繁く通った「DIG」と「DUG」。1964年に東京オリンピックの開催が決まり、まさに日本が成長の兆しに沸き立った時代に、音楽を中心とした“コミュニティ×カルチャー”の熱を醸成する場所になっていました。
一方、2020年に2度目のオリンピック・パラリンピックが決まった東京も、急速に変化を続けています。コワーキングスペースやシェアオフィスなどの”サードプレイス”が増え、新しい人と人とのつながりが育まれているなかで、今こそ50年も続く名店から学ぶべきことは多いはず。
そこで今回は「DIG」と「DUG」の創立者・中平穂積さんを訪ね、時代の最先端を行く人びとを魅了してきたその歩みについて、お話を伺いました。
1936年和歌山県本宮町生まれ。写真家、60年日本大学芸術学部写真学科卒業。61年、25歳でアート・ブレイキー初来日を撮影。同年、新宿にてジャズ喫茶「DIG」開店。66年アメリカ「ニューポート・ジャズ祭」でジョン・コルトレーンを撮影、以後、ニューヨーク「ニューポート・ジャズ祭」、ヨーロッパのジャズ・シーンを取材。67年JAZZ BAR「DUG」を新宿紀伊国屋裏に開店。77年新宿靖国通りに「New DUG」開店。2000年2月新宿靖国通りにJAZZ BAR「DUG」再オープン、現在に至る。
「ファン心理」から生まれたジャズの名店
1960年、日本大学芸術学部写真学科の学生だった中平さんは、ジャズをはじめとした音楽に夢中でした。
でも当時住んでいた木造アパートの一室は薄い壁一枚で仕切られ、隣人の声が聞こえてしまうほど。レコードを聴くにも、本当にわずかな音量でしか掛けることができなかったそうです。
「もっと大きな音量で聴きたい」。昂る気持ちを抑え切れず、中平さんは日本全国のジャズ喫茶に通いました。
ジャズが好きだったから、東京のジャズ喫茶だけでなく横浜、群馬、大阪などでジャズ喫茶を探したりしていたんですよ。当時、それぞれの街には必ずジャズ喫茶がありましたから。
ただ、どこに行っても人があふれるくらい流行ってはいたんだけど、良い部分が何もなかったんですね。
まずレコードが揃ってない。音は悪いし、コーヒーはまずい。雰囲気だけでなく、店員の態度さえ悪い。だから、「ジャズファンのために、もっといいジャズ喫茶があればいいのに」と思っていたんですよ。
純粋に、ジャズを楽しめる場所がほしい。その強い思いが、文化人の集まる名店「DIG」と「DUG」につながっていきます。
本物の音に人は集まった
1961年2月、中平さんはお父さんを説得して開店資金を受け取り、すべての始まりとなる「DIG」をオープンします。周囲からは「大学まで出て写真を勉強して、どうしてジャズ喫茶を始めるのか」といぶかしがられたそうです。
水商売なんかはじめたって、成功するわけがない…そんな周りの予想に反して、「DIG」はオープン当初から大盛況となりました。
やっぱり思惑通り。ぼくにしてみれば、全部条件がダメなのにお客さんが集まっていたわけだからね。レコードやオーディオ機器にこだわったり、音楽を聴く環境を良くすれば人が来るに決まっているでしょう。
このとき実は、大学の学部長以下、教授の皆さんも来てくれました。ぼくのことを落第させたのに、「おお、さすが中平くん。学生時分から変わっていると思っていたけど、こんなことを企んでいたのか」なんて言いながら(笑)
朝11時に開店し、夜12時まで常に満席。ビルの3階に開店した「DIG」への入店を待つ人の列は、2階までずっと続いていたそう。1日に100〜150人が入店し、その倍のお客さんが諦めて帰ってしまうほどの人気店となりました。
日本のカルチャーの祖ともいえる植草甚一氏との親交についても、とてもリラックスした雰囲気でお話しいただきました。
「DIG」に集まったお客さんは、大学関係者や一般のジャズファンだけではありません。ジャズや映画の評論家であり、雑誌『平凡パンチデラックス』をはじめとしたサブカルチャーの伝説ともいえる中心人物・植草甚一氏もその一人でした。
あるジャズ喫茶で席が隣になって、植草先生と知り合ったんです。でも「DIG」を始めるとき、植草先生からは止められていました。「水商売は素人にできない」、「知り合いばかりが来て、ろくに代金を支払ってもらえないものだ」と。
その後も気にかけてくださっていて、開店後は毎日、レジ近くのカウンター席に座ってくれていたんですよ。
代金を支払いそうにないお客さんを見つけると、「中平さん、だから言ったでしょう。親戚でも、お金をもらわないとダメですよ。あなた、お金を払いなさい」って言ってくれていましたね。
まあ、当の植草先生は生涯1度も支払いませんでしたけど(笑)
本物の音楽のもとに自然と人々が集う。こうして「DIG」は日本のジャズシーンに確固たる地位を築いていきました。
その後、渋谷での2店舗目のオープンとクローズを経て、1967年に、お酒を飲みながら会話も楽しめる「DUG」をオープン、1977年に新宿の現在の場所に移転しました。
建築、デザイン、演劇、映画。カルチャーの集合点
ジャズフォトの第一人者である中平さんが撮影した数々の作品は伝説的なものに。
「DIG」の開店後から、写真家としての活動を並行していた中平さんは、日本のジャズ写真界でもパイオニアとして知られています。
写真展を開けば大盛況、カレンダーを作成すれば、1,500部が完売。その後、カレンダーは毎年5,000部を刷るまでになったそうです。
カレンダーは和田誠さん(*1)がデザインしてくれました。実は「DUG」のロゴも和田さんにお願いしたものです。
店内の設計は建築家の岩淵活輝さん(*2)。そのおかげもありまして、デザイナー、建築家はもちろん、今で言う文化人と呼ばれる人たちがたくさん集まってくれました。
*1 和田誠さん
イラストレーター。ご自身の絵を使った装丁を数多く手がける。エッセイ、映画も手がけるなど、多方面で活躍するクリエイターとしての顔も持つ日本を代表する文化人の一人
*2 岩淵活輝さん
建築家、インテリアデザイナー。インテリアデザインに関する論文も著す。現在までDUGの内装を担当する、日本を代表する文化人の一人
その他にも、劇作家の寺山修司氏や小説家の三島由紀夫氏をはじめ、写真関係者に劇団員、映画関係者、ミュージシャンなど挙げていけばきりがありません。時代の最先端が、ここに体現されていたのです。
ぼくは知らなかったんだけど、村上春樹さんも来ていたようです。従業員がサインを持っていて。
村上さんはご自身で、千駄ヶ谷にジャズ喫茶をオープンしましてね。「あくまでも目標は『DUG』。だけど『DUG』を越えちゃいけない」って言ってくれていたそうです。
村上春樹さんの代表作『ノルウェイの森』には「DUG」の記述があります。翻訳され、海外でも人気を集める同作の外国人ファンが、店舗所在地を移した今でも「DUG」を訪れているそう。
日本に広がった「DIG」「DUG」カルチャー
そんな一時代を築いてきた中平さんは、2013年、出身地・和歌山県の文化功労賞を受賞します。しかし最初はお断りしたのだとか。その理由は?
「ジャズという1ジャンルを、50年撮り続けているから賞をあげます」と言われてもね。「そんな写真家なんて、日本にはいっくらでもいるよ」って思ったの。でも、それは理由の半分だって言うから、引き受けることにしました。
そう、実は中平さんのもう一つの功績を、選考委員は高く評価していたのです。
ジャズ喫茶やジャズバーを続けてきたこと。そして、そこに集まった文化人が田舎に帰ったりして、日本中にアーティストやクリエイターが散らばったこと。
つまり、昔「DIG」や「DUG」に集まった人たちが、今の音楽や写真、デザイン、イラスト、建築といった文化を日本中で築いたことを評価してくれたんです。「それならば賞をいただいてもよいのかな」と思ったんですね。
好きからつながる音楽×街×人
中平さんの話を聞くと、いまの日本が世界的に見てもジャズ大国なのだということがわかります。例えば、御茶ノ水にある「jazzTOKYO」に行けば手に入らないレコードはなく、海外からジャズ好きがレコードを買いにくるのだそう。
東京には毎日ジャズのライブをやっている店が20軒ぐらいあるんです。ニューヨークでも3、4軒、うちアメリカのミュージシャンが出ているのは1、2軒ぐらいだと言うのにね。
発祥の国に引けを取らないほど、ジャズは日本の文化になりました。逆に本国にはもっとがんばってもらわないといけないのかもしれないけれど。
一人のジャズ青年が抱いた音楽ファンとしての情熱が、こうして50年の時を経て、日本にジャズ文化を根づかせたのかもしれない。
つい、そんな壮大な物語を描いてしまうけれど、中平さんがインタビューを始める前に口にしてくれたのは、もっとシンプルな言葉でした。
最初に言っておきますけど、ぼくは街や文化のためにジャズ喫茶をはじめようとは、毛頭思っていませんでした。時代が違いますからね。
ただ、ひたすらジャズファンのために、もっといいジャズ喫茶があればいいと思っただけなんです。
だからこそ感じる、音楽と人との関係性。音楽は穏やかに、いつも人が集う中心にあるものなんだと、改めて気付かされます。
インターネットが生まれて、ますます文化や人が混ざり合い、街を変えていく中、その中心に音楽さえあれば、肩肘張らずに関係性を築くことができるのかもしれません。
新宿靖国通り沿いの地下、DUGのネオンサイン。あなたも扉を叩いてみてはいかがでしょうか?
街のため、社会のため。大きなテーマを掲げて始めるプロジェクトはたくさんありますが、その背景にはきっと、ただ「これが好きだ!」という純粋な気持ちから始まっているものが多いのでしょう。
自分が愛してやまないもののために続けていくことで、街や文化を育むことに結果的につながっていく。中平さんの生み出した「DIG」や「DUG」は、そんなシンプルながらとても大切なことを教えてくれています。
最後に、中平さんから「今、注目しているアーティスト」を聞いていると…
「ZAZ(ザーズ)」って知っています? フランスのシャンソン歌手です。僕はNHKのBSで初めてみて、「これは面白いな」と思いました。赤坂ブリッツでライブをやると言うから、観に行きましたし。彼女の魅力は、やっぱりハスキーな声と、あとは……
好きな音楽を語る時、中平さんは止まりません。音楽への情熱は未だに燃えたぎっています。
「負けないくらい自分も音楽が好き!」と思ったあなた、ぜひ音楽の力を使って何か動き出してみませんか? あなたの熱い思いがこもった小さな一歩が半世紀後、日本に欠かせない”文化”になっているかもしれません。
(Text: 新井優佑)
(撮影: マスモトサヤカ)