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祝・SOS子どもの村JAPANの広報誌『かぞく』創刊! 編集長の田北雅裕さんに聞く「子どもと家族の問題を解決するために、デザインができること」

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特集「マイプロSHOWCASE福岡編」は、「“20年後の天神“を一緒につくろう!」をテーマに、福岡を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介していく、西鉄天神委員会との共同企画です。

グリーンズでも以前ご紹介した「SOS子どもの村JAPAN」は、家族と暮らすことができない、あるいはその危機にある子どもと家族をサポートするNPO法人です。

子どもたちを社会の責任で公的に育てることは、“社会的養護”と呼ばれています。あまり聞き慣れないそのキーワードを、もっと当たり前のものとするために、広報アドバイザーとして支援しているのが、まちづくりの専門家で九州大学専任講師の田北雅裕さんです。

12月に創刊したばかりという、SOS子どもの村JAPANの広報誌『かぞく』の編集長も務めている田北さん。もともと空間デザイナーを目指していたそうですが、そこから子どもの福祉に深く関わるようになった理由は何だったのでしょうか。

今回は田北さんに、社会的な課題とデザインとの接点について、たっぷりお話を伺いました。
 
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田北雅裕さん(たきた・まさひろ)
九州大学大学院人間環境学研究院専任講師、まちづくりプランナー / デザイナー
1975年 熊本市生まれ。2000年、学生の傍らデザイン活動triviaを開始。「まちづくり」という切り口から様々なプロジェクトに携わる。09年4月より九州大学専任講師。ALBUSディレクター、福岡市里親委託等推進委員会 委員、AAF(アサヒ・アート・フェスティバル)2013-14選考委員、NPO法人SOS子どもの村JAPAN 広報アドバイザーなども務める。

「SOS子どもの村JAPAN」広報誌『かぞく』創刊。

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特集は『子どもにとっての家族』王貞治さん、鷲田清一さんも協力

2014年12月1日に創刊された『かぞく』は、家族と暮らせない子どもたちや社会的養護の現状について、多くの方に身近な問題として伝えること、そして支援の輪をひろげることを目的としています。

国際NGO「SOS子どもの村インターナショナル」への加盟をめざし、NPO法人「子どもの村福岡」と「日本SOS子どもの村」とが合流、「SOS子どもの村JAPAN」と名称を変え、新たにスタートしたのが2014年7月。『かぞく』創刊は、今後の広報活動について模索する中で生まれた企画でした。

今までも社会的擁護にある子どもたちの現状を伝えてきたものの、広報スキームが固定化しつつある状況を懸念。もっと多様な人に関心を持ってもらうために選んだのが広報誌というツールでした。

社会的養護や里親という制度的な言葉から語っちゃうと身近に感じづらいかもしれないけれど、家族と暮らせなかったり、関係がうまくいかなかったりする状況は、どんな家族にでも共通するストーリーを含んでいます。決して“特殊”で片付けられるものではないんですね。

そして、子どもの福祉の情報を発信する側、つまり私たちにとっても、もっと一般的な感性に歩み寄る必要があると感じていました。

特に日本の場合、福祉に関する事柄を制度的な言葉で語っちゃう傾向があるんです。そこで、社会的養護について語るというよりも、これからの“家族”のあり方をみんなで一緒に考えていくような、そういう方向に辿り着きました。

パンフレット等ではなく、あえて広報誌として販売を決断したのは、特に関心の薄い人たちでも目に触れやすい状況をつくること、そして巷にあふれるデータよりも、現実にある固有のストーリーを感じてもらいたいという理由から。

直接的な寄付だけではなく、「購入」という新たな関わり・接点をつくるという、ファンドレイジングとしての戦略もあります。
 
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イラスト・装画は絵本作家きくちちきさん。『誌上絵本』というコンセプトで全体にわたって描かれる。

虐待、孤立、貧困といった社会的養護に関するテーマは、あまり一般的には知られていません。中には社会的養護を必要とする子どもの数を疑問視する声さえあるそう。

家庭的、経済的に恵まれている人もいれば、ギリギリの局面に立っている人もいる。その中で、どんな取り組みがフェアといえるのでしょうか。

家族への思いは多様です。そしてその問題は、ナイーブで内部に抱え込まれがちです。「家族っていいよね」と心から言える人は、たまたま恵まれた環境にあったケースだと思います。

だから「家族はこうであるべき」と押しつけるのではなく、それぞれの家族で問題が起こったときに、外に開かれた逃げ道や支えがあればと思うのです。

例えば、まちの人、近所の人に頼れる環境があるだけで救われる人もいるはず。『かぞく』を通じて、そういう奥行きを感じられる家族のあり方について考えてもらいながら、困難を抱えている子どもへの支援につながればうれしいです。

幸せなイメージだけでなく、家族の中での孤立など、多くの切り口がある家族というキーワード。『かぞく』においても、そのテーマ選びは大きなチャレンジだったそう。

特に懸念されたことは“子どもの権利”です。語られる言葉によっては過激に聞こえたりするし、誤解が生じるかもしれない。かといってオブラートに包んだ表現では、リアリティから遠のいてしまう。

もちろん子どもの村に関わるスタッフやサポートしてくださる方々誰もが、子どものことを最優先に思っています。だからこそ子どもの現状をどう表現するのか、その考え方の差から、ときに熱い議論になりました。

ついには「厳しい財政の中、本当にここまで時間と労力をかけた広報誌は必要なのか」という話が持ち上がり、頓挫しそうになったことも。

そんな苦境を乗り越え、制作スタッフだけでなく、協賛企業や取材に協力を頂いたみなさん等、志を持った人たちの力を結集して完成したのが『かぞく』創刊号なのです。

発行からわずか2日で3桁の注文が入るなど、滑り出しは順調。福岡では「ブックスキューブリック」や田北さんがディレクターを務める「ALBUS」などで入手可能ですが、取り扱っていただける本屋さんは大歓迎とのことなので、ご興味のある方はぜひ問い合わせてみてください。

子どもの福祉の充実には“まちづくり”と“デザイン”を見直す必要がある。

今でこそ子どもの福祉のために活動する田北さんですが、そのきっかけは、実は「まちづくり」との出会いからでした。

学生時代、公共空間のデザインを学んでいたんですが、ハード整備をするだけではなく、より住民の立場に立って課題を解決していきたいと思うようになったんです。

メディアを通じて、日々の“暮らし”を別のものに見立てることができれば、今いる場所がもっと素敵に感じられる。物理的な空間のデザインだけでなく、そんなコミュニケーションや情報デザインのスキルも同時に必要なのではないかと感じるようになりました。

不特定多数の人たちを対象とする中で、こぼれ落ちる切実な想いを汲み取ったり、そこで生まれる課題に対して、専門家というよりも、当事者に近い立場で解決していきたい。

そんな思いから田北さんは、15年前に「trivia(ちっぽけなこと)」という屋号を掲げ、まちのあらゆる問題に対応するという意味での「まちづくり」を切り口に、さまざまなプロジェクトを実践していきます。
 
杖立に移住し、空き家をリノベーションして事務所に。
杖立に移住し、空き家をリノベーションして事務所に。


trivia時代の活動の様子。今まで公開されていなかった景観整備のプロセスを公開し、皆で整備のあり方を検討。

2004年には、地域コミュニティに課題を抱えていた熊本県杖立温泉街に移住し、住民としてまちづくり機関を設立。

「南阿蘇えほんのくに」事務局長を担うなど、その地域に入りこみ、主に地域活性化に関わるプロジェクトに取り組んできた田北さんですが、あるときふと気付いたのは、まちづくりに関わる人々の間で“家族”の課題がほとんど出てこないということでした。

コミュニケーションが大事、第三者が大事と言いながら、もっとも閉じられた家族に触れないことに、違和感を感じたんです。

まちづくりの会合ではプライベートな問題を対象にすることがなく、暮らしの基礎である家族の問題を無視して“社会的合意形成”を導いていく。それは実は根深い問題なのではないかと。

ちょうどその頃、田北さんの方向性を決定付けたのは、熊本・慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」の設置でした。田北さんも結婚し、子どもが生まれた頃とあって、そのニュースは衝撃的だったそう。
 
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子どもを持つ親としてだけでなく、まちづくりの視点からも注目し、検証報告書をチェックしていると、田北さんはある問題を発見します。それは、情報デザインの視点が決定的に欠けているという点でした。

例えば、慈恵病院には全国から多様な相談電話があり、助産師3人で受け応えするだけでいっぱいいっぱいでした。

報告書では、その現状に対して相談体制の充実が指摘される一方で、その相談者と相談を受ける人の間にあるメディアのデザインの重要性について、全く言及されていなかったのです。

一方で、人知れず自宅で出産し、その直後の危険な状態のまま、新幹線で直接病院に来た母子がいたり。あるいは、赤ちゃんを産んだら生活保護が受けられなくなるのではと誤解したお母さんが、出生届を出さずに預けてしまったという事例も。

相談や預け入れがあるのは、全国からなので、自治体の管轄内でパンフレットを配っても意味がありません。そして、データによると相談者のほぼ9割が30代以下で、約7割がインターネットで検索して電話をしてきていました。

つまり、切実な状態の人たちに、リスクや正確な制度の情報が行き届いていない現実に対して、最初の接点であるウェブサイトが有効に機能する可能性が高かったのです。

情報デザインの工夫がなされていないにも関わらず、専門家による検証報告書に記述がないことに危機感を頂いた田北さんは、すぐに熊本県や慈恵病院に掛け合います。

公式ウェブサイトに掲載すべき情報や、そのデザインが子どもやお母さんたちの心理面へも強く影響する事実を説明したところ、担当の方はデザインの必要性を理解し、共感してくれたそう。このときの深い経験から、子どもの福祉というテーマに、より携わるようになりました。

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子どもが抱える困難は、個人情報等、人権が尊重されるがゆえに一般に知られにくい現状にあります。そして、その困難を与えている側が、情報操作できる大人だったりするので。

だから、こちらから踏み込んでいかないと、見えないのです。中に踏み込んでいくと、虐待や貧困など避けて通れない課題に突き当たります。

もちろん虐待をなくすために、行政を含め努力はなされています。しかし、さらに効果的にするためには、「児童相談所に集中している役割を“まち”にひらいていかなければならない」と田北さん。

例えば、親子を一時的に引き離す役割だけでなく、子どもを親元に戻すサポートも児童相談所が担っています。つまり、当事者にとって相反する役割を両方とも同じ児相が担っている現状で、適切なケアはなかなか難しい。

そして、田北さん自身も、第三者としてある親子の間に入ったことがあったそう。その際は、近所のおじさん感覚で打ち解け合えたことが大きかったということです。

児相が、親と一緒に過ごしたいか否かを子ども自身に問う機会は少なくないのですが、実際は虐待を受けていても「親元に帰りたい」と口にする子どもは少なくないです。

子どもの権利を尊重するとはいえ、親と共依存状態にあったり、生活環境のちょっとした変化も大きな負担として感じてしまう子ども自身に判断させるのは、酷ですよね。

そういうときは特に、フォーマルな立場から子どもの権利を尊重したアプローチをする公的セクターの職員だけではない、第三者の介入が有効にはたらくと思います。

“まちづくり”に必要なデザインとは技術やセンスではなく、意識の変革。


佐賀県唐津市の廃校を活用し、ソーシャルビジネスを創出するプロジェクト会議の様子。

社会的養護をはじめ、その環境に踏み込まなければわからない当時者感覚を、いかに広く共有できるのか。そのために、「デザインの力は必要不可欠だ」と田北さんは強調します。

その強い思いから行政とデザイン、教育とデザインというキーワードで、田北さんは次の活動を見据えています。

情報デザインとは、根本的には“情報を伝えるべき相手を思いやる先に出てくる行為”なんです。その行為が蓄積した結果、専門的な技術として流通してきただけで。だから“誰でもできる技術”が、少なからずあります。

思いやる衝動が先立たずに専門的な技術を身につけ、その結果として広告デザイン等の受注産業のスキームで力を発揮できたとしても、特に福祉分野の課題は解決できません。

これから「地域教育デザイン論」という授業を始めます。それはいわゆる職業としてのデザイナーではない人のためのデザイン教育のあり方を追究していくものです。そして、その営みが一方で、デザイナーの意識改革にもつながればいいなと。

例えば、同じ行政の仕事でも、シティプロモーションや地域ブランディングはデザイナーの仕事と捉えられていても、生活保護や出生届等で手続する際の役所の窓口の書類づくりって、デザイナー自身も自分の仕事として捉えてない面があります。手続きしながら“分かりにくいなぁ”と感じながら。おかしいと思うんですよね。この現実が。

目に見えて産業として成立するとか、スマートに課題解決するとか、そういうのではなく、本来の意味で、暮らしの中で機能するデザインのあり方を見出していきたいんです。

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1月15日までクラウドファンディングに挑戦中! 『みんなの力で児童相談所のホームページをデザインしたい!』


最近の杖立での会議の様子。夜な夜なミーティングをしながら、企画をしかける。

デザインとは思いやり。広報誌『かぞく』の編集も含めて、その考え方が、田北さんの活動の根底にあります。

デザインの力でコミュニケーションが広がり、家族の中はもちろん、身近な人、まちの人に頼れる状況が生まれれば、解決しようとする人々の輪も広がっていくはず。みなさんも気持ちを伝える工夫から、デザインをはじめてみませんか。

(Text:松井祐澄)