(c)Omitama Football Academy
オリンピックと並ぶ世界最大のスポーツの祭典、ワールドカップ。ブラジルでの熱戦は、ドイツの優勝で幕を閉じました。
日本代表は残念ながらグループステージ敗退となってしまいましたが、普段はサッカーやスポーツにあまり関心のない方も、眠い目をこすりながら日本代表のプレーに一喜一憂したのではないでしょうか。もしそこにあなたの地元で育った選手が出ていたら、応援にもよりいっそう力が入るかもしれません。
2013年の4月、茨城県のちょうど真ん中に位置する、小美玉市という水田と蓮畑が広がる自然豊かな街に、「3年以内に日本一、日の丸を背負う選手を3人輩出する」という大きな目標をかかげる、民間初となる全寮制の女子中学生のサッカーアカデミーが誕生しました。
設立わずか2年ですが、茨城県女子ユースU-15サッカー選手権大会で初優勝。将来の日本代表につながるJFAエリートプログラムに選出された選手も誕生し、注目を集めています。
このアカデミーが注目を集める理由は、一流アスリートを育てる取り組みだけではありません。子どもたちの夢の実現を目指すと同時に地域の活性化に貢献する、一見かけ離れた2つのチャレンジに同時に挑んでいるところにあります。
今回は、地域の人たちと連携をはかりながら、「未来のなでしこジャパン」を育てようと日々チャレンジをつづける、「小美玉フットボールアカデミー」のスクールマスター松下潤さんに、その“両立の秘訣”を伺いました。
「小美玉フットボールアカデミー」スクールマスター松下潤さん
世界一となった女子サッカー最大の課題解決へ
日本初、民間の全寮制中学女子フットボールアカデミーが誕生
アカデミーの選手が暮らす寮は、北関東を中心にホームセンターを展開する「ジョイフル本田」の創業者、本田昌也さんのご自宅だった建物。空き家となったご自宅を「この街を元気にしたいから、若い子たちが利用できるようになるのなら」と市に寄付したところから、この挑戦は始まります。
建物の活用方法について、旧知の仲であった本田さんから相談を受けた筑波大学名誉教授の森岡理右さん(現・小美玉フットボールアカデミー校長)は、なでしこジャパンがワールドカップで優勝したあとだったこともあり、女の子のサッカーアカデミーをつくってはどうかと提案したのです。
発起人は本田さんと森岡さんの2人。本田さんの寮の提供がなければ始まらなかったし、森岡校長のアイデアがなければ始まらなかった。じゃあ誰がやるの?となった時に、その当時つくばにいた僕が担当してやりますということで、スタートすることになりました。
「こうしてあらためて見ると本当に大きいですね」と松下さん。寮の裏にある広い芝生の庭では、朝練をする選手もいるとのこと。
森岡教授が「中学生女子」のアカデミーを提案したのには、女子サッカーの抱えるある問題が背景にあります。
小学校までは男子に混じってサッカーをしている女の子も、中学以降は体格差もあり男子チームでプレーすることは難しくなります。しかし、中学校の女子のチームの数は極端に少なく、多くのサッカー少女は中学校進学を機にサッカーをつづけることを断念してしまっているのです。
なでしこジャパンの澤穂希選手もワールドカップ優勝後、「一番の願いは、中学生がプレーできる環境の整備」と話し、「私の契約金を抑えてでも、中学生年代の女子チームをつくるようにお願いしてください」とスポンサー企業に訴えかけたほど。中学生年代の環境整備は女子サッカーにとって切実な課題なのです。
なでしこジャパンは結果を出したし、人気もあるけれど、実際に女子サッカーをやれる場所は全然ない。あれだけ有名になっても、中学校に上がるとき「どうしよう」って路頭に迷っている子どもたちの数って、ほとんど変わっていないじゃんって。
僕たちも、建物利用=中学生の女子でやる必要はなかった。男子の高校生でも良かったんですよ。でも、世の中が一番求めているのは女子の中学生だろうと。
実際に地方に行けば行くほど、サッカーを続ける環境は少なくなります。このアカデミーには、茨城県以外に、福島、長野、北海道など全国各地から18人の選手が集まっていますが、ほとんどの選手は地元にチームがないのだそうです。
福島県出身の紺野真優選手は「(地元には)全力でサッカーをする場所がなかったので来ました。最初はホームシックになったけど、今はみんなと練習や勉強ができて楽しい」と話します。本格的にサッカーをつづけるためには、親元を離れるという苦渋の決断をせざるを得なかったのです。
親元を離れて暮らす選手にとって、松下さんは“父親”代わり。選手とスタッフは「家族」、寮はとてもアットホームな雰囲気です。
地元を愛し、地元に愛される「地元のヒロイン」を育成する
milk、egg、lotusなど、寮の部屋には茨城の名産の名前がつけられている
選手が共同生活を送る寮の各部屋には、「milk」「egg」「lotus」など茨城の名産品の名前が付けられています。これは、茨城県出身の選手はもちろん、県外の選手にも第2の“地元”茨城の良さを日常生活の中で感じてもらい、誇りを持ってほしいという松下さんの願いからです。
茨城は卵の生産量が日本一なんですよ。茨城の中でも小美玉市が1位。ここで食べている卵は練習場の近くの養鶏場さんから直接仕入れています。乳製品の加工も盛んで、ちょっと高級なヨーグルトも有名です。
ここで長く活動していくので、地元にお金を落としたいし、地元のものを使いたい。食費が一番のコストなのでなるべく押さえつつ、でもスポーツ選手の口に入るものなのでなるべく良いものを。
と、野菜は地元の直売所で、お米も小美玉市産のコシヒカリを、地元のお米屋さんから購入しています。食を通じ地元の方と接点をつくることにより、応援してくれる人たちの輪は自然に広がっていきます。
取材中、寮母のみのりさんがお米を取りに行くというので、同行させていただきました。お米屋さんに入ると、「優勝おめでとう」「次の試合いつ?」とお店の方やお客さんが次々と話しかけてきます。街の人たちみんなで“娘”の成長を温かく見守っている。そんなことを感じさせる一幕です。
お世話になっているお米屋さんのご主人
「いいね!」を積み重ねることで地域の信頼を得る
設立に動き始めてからわずか2年。この短期間に、どうしたらこれほど良好な地域との関係を築くことができたのでしょうか。
スポーツという目に見えないものを、見える化する。地域が課題として持っているものに対し、僕たちができることを提供してきた結果が、今につながっているんだと思います。
と松下さんは振り返ります。
この地域で僕自身が宇宙人として扱われたら、たぶん受け入れられない。出身は長崎だし、つくばにいたし、小美玉にいる理由がないですよね。
だから、ここの人たちに認めてもらうためには、僕自身からいろんなことを企画して接点づくりをする。できることをとりあえずやってみて、「それ、いいね!」ということが増え始めて、ようやく認められつつある、今はそんな段階ですね。
そんな「いいね!」の一つが、松下さんが企画した「プレ・すぽ~つ教室」です。
2012年にスタートした頃、小美玉市の人たちは実際のところ僕らに何ができるのかなと思っていたと思うんです。そこで、小美玉市のスポーツ教室として、「プレ・すぽ~つ教室」を企画しました。
これは、「跳ぶ」とか「投げる」とか「蹴る」とか「転がる」とか、スポーツの種目の枠を超えて色々と体験してもらう教室です。最終的には、投げるのが好きな子であれば野球だったりハンドボールだったりと、自分がどんなことが好きで、何に向いているかを見つけることを目的にしています。
幼稚園生、小学校1・2年生それぞれ30人を募集したところ、予想を遥かに上回る130人の応募がありました。これほどたくさんの応募があるのは、小美玉市でははじめてのこと。教室も大好評で、受講者からは継続してやりたいという声が多く上がりました。このことを機に、松下さんは小美玉市の人たちの信頼を一気に得るのです。
(c)Omitama Sports Club
「独りよがりになりたくない。それが地域と一緒にやっていくということ」
その後、「プレ・すぽ~つ教室」はアカデミーと並行して行っている総合型地域スポーツクラブ事業「小美玉スポーツクラブ」で引き継ぎ、一番人気の教室となっています。スポーツクラブでは、プレ・すぽ~つやサッカー以外にも、大人のバレエ、ヨガ、野球、フロアホッケーなどを開催し、毎年種目を増やしています。
増やす種目についても、独りよがりにはなりたくないんです。小美玉市はどんな種目がやりたいか市民にアンケートをとっているのですが、その結果をうかがいながら、地域が何を欲しているか、それに対して僕たちができることは何なのかを常に考えています。
ただ、自分たちが苦しくなってもしょうがないので、自分たちがやりたいと思うこととも照らし合わせながら、増やす種目を検討しています。
今年から新設されたフロアホッケーは、大学でアイスホッケーをやっていたスタッフの発案。
彼はプレ・すぽ~つなど他の教室も担当していますが、その中に自分のやりたいこともちょっと乗っけていってもらえたらいいなと思っています。
地域のニーズ(needs)、自分たちのできること(can)とやりたいこと(wish)。以前山崎亮さんの講義を聴いたことがあるということもあり、小美玉スポーツクラブの活動は実にコミュニティデザイン的です。
将来はフリースクールも!?
松下さん自身も筑波大学時代はプロを目指すサッカー選手でした。教員になりたいという希望ももっていたため、大学では教職を専攻。ちょうど日韓ワールドカップの頃、教育実習に行きます。
教室は楽しいけど、職員室は刺激がなかったんです。お互い高め合っている感じがしなくて。新しいことに挑戦しづらいし、常に変化することを求める自分には向いてないなと教員になるのはやめました。
でも逆にその時、「自分で学校をつくろう」という夢が生まれました。大学のサッカー部の追い出しコンパで「自分で学校つくります」って宣言したんです。
大学卒業後はサッカークラブのコーチを経て、つくばFCでコーチをしながらクラブの運営にも携わります。そんな松下さんのところにアカデミーの話が舞い込んだのは前述の通りですが、引き受けたのは学校をつくりたいという思いがあったからだと言います。
いつかは学校をつくりたいっていうのがずっとあった。アカデミーはクラブチームよりはより学校に近づくということで、迷わず僕にやらせてくださいと言いました。
スポーツを通じて、教育的なことと地域が良くなることがミックスされたことができればいいですね。夢を持ったサッカー少女の成長と地域の活性化をうまくリンクさせていくことが、今の僕の仕事だと思っています。
「自主性のある子を育てたい」と話す松下さん。まずはこのアカデミーを成功させることに全力で取り組むとしながらも、将来的には野球などの他の種目、スポーツだけでなくアートなども取り入れたフリースクールができればと夢は広がります。
松下さんが描く将来の小美玉市のビジョン。松下さんたちが蒔いた種が、どのような芽を出すか楽しみです。
無敗で茨城県U-15サッカー選手権大会を優勝。
来年こそは「日本を驚かせる」
小美玉フットボールアカデミーは、一年目の昨季、茨城県2部リーグを無敗で制し、一部に昇格しました。今季は茨城県女子ユースU-15サッカー選手権大会において、5戦5勝、25得点無失点と圧倒的な力を見せつけ初優勝。彼女たちの活躍を新聞などを通じて知った地元の人に、「小美玉のヒロイン」を応援する雰囲気が広がってきています。
紺野真優選手 将来はなでしこジャパンに入って、ワールドカップやオリンピックで優勝したい。
河部真依選手 将来は海外で活躍できる選手になるのが目標です。
そんな地元のヒロインの夢を地域の人たちが育み、やがてそのヒロインが日本や地域の人たちを元気にする存在になる。創立2年目にしてすでに良い循環が生まれつつあるアカデミーの、今後の目標を松下さんに伺いました。
日本一になりたいですね。そして、日本一になったチームをもっと詳しく覗いてみると、こういうことをやっていたから日本一になったんですねって思ってもらえるような。そんなことがやれたらいいなあと。難しいとは思いますが、それができたら本当に奇跡ですね。
サッカー、スポーツというと少し特殊なことのように感じるかもしれませんが、地域のニーズと自分たちにできること、やりたいことの重なった部分をひとつひとつ実施していくという松下さんのやり方は、どんなプロジェクトにもヒントになります。
まずは自分にできることをやってみる、すべての奇跡はそこから始まるのではないでしょうか。
(Text: 山田智子)