あなたのキャリアに“一貫性”はありますか?一般的に、経験職種が多いと企業側から「飽きっぽいのでは」「長続きしないのでは」と思われて、転職の際の評価は低くなりがちです。でも、さまざまな職種を経験していることは、本人にとっても本当に「良くないこと」なのでしょうか。
「ご当地キャラプロデューサー」としてキャラクターデザインやコンサルティングを行う犬山秋彦さんは、「自衛隊員」「ライター兼イラストレーター」「東京ディズニーランドのキャスト」というかなり変わった職歴の持ち主です。キャリアに一貫性は全くと言っていいほどありませんが、それまでの経験がご当地キャラプロデューサーとしての仕事に活きているといいます。
父親に入れられた自衛隊生活で、イラレのスキルと人脈を手に入れる
犬山さんが高校を卒業した平成7年は、就職氷河期のまっただ中。仕事は見つからず、かといって大学へも進学せず、しばらくはぶらぶらと過ごしていたそうです。
見かねた父親から無理矢理ハローワークに連れて行かれた犬山さんは、ゲーム会社の求人を目にします。「短大卒以上」という条件を満たしていないにも関わらず応募したところ、その無謀さを社長に買われて見事採用に。しかし、試用期間で辞めてしまったといいます。
犬山デザイン製作所の犬山秋彦さん
高卒ニートでスキルも対人能力もなかったので、ついていけなかったんです。その後半年位予備校に通ったりしながら自堕落な生活をしていたんですが、また父親に怒られまして。「自衛隊で修行してこい」と無理矢理入隊させられてしまいました。
自衛隊での生活は厳しく、同期生とともに夜な夜な脱柵(柵を越えて脱走すること)の相談をしていたそう。しかし、一ヶ月もすると次第に体力がつき、日常の規則にも慣れてきました。
研修を終えて配属になったのがそんなに体力を使わない通信部隊だったんです。夜勤では電話がかかってきたときに取り次ぎをするだけで、基本的に暇。だから、ノートパソコンを購入して、「パソコン通信」で外の人と交流したりイラストレーターで遊んだりしていました。
イラレはゲーム会社のときに使って気に入り、いつか買いたいと思っていたんですよ。当時はノートパソコンもイラレも高価で、全部で60万以上しました。自衛隊に入っていなければ買えませんでしたね。
自衛隊にいる間にイラレのスキルを身につけ、ネット上で人脈を築いた犬山さん。4年の任期を終えて自衛隊を退職した後は、フリーのライター兼イラストレーターとして働くことに。運送業や建築業へ転職する人が多い中、異色のキャリアチェンジでした。
でも、一本あたりの報酬がどんどん下がっていく時期で、どん詰まり感があったんです。デジタル化できるものはやがてタダになっていく。ライターやデザイナーの仕事は買い叩かれてしまうと思いました。
その頃ちょうどサンリオの社長の本を読んだんですが、同じことが書かれていたんです。住んでいた大崎にサンリオの本社があったから、興味があって。そこには、「これからは手に触れられるものしかお金にならないんじゃないか」とありました。イラストだと複製されてしまうけど、着ぐるみだとそこに行かないと会えないし、触れることができない。だからサンリオピューロランドなんだ、と。
そこに説得力を感じて、「じゃあ僕も着ぐるみで行こう」と思ったんです。それで、さっそく「スパンキー」というキャラクターを考えて、業者に発注しました。
個人で着ぐるみを発注し、勝手に商店街を練り歩く
ちょっとワイルドなスパンキー
キャラクタービジネスは、投資をしながらヒットするのを待つので時間がかかる。着ぐるみだったら日銭が稼げるから、スタートしやすいのではないか。そこには犬山さんなりの勝算があったといいますが、いきなり作ってしまうというその行動力には驚かされます。
「個人が着ぐるみを発注する」なんて前例がなかったそうで、業者の方も面白がって格安で製作してくれました。でも、実際に届いてみたら、すごく大きくて。3畳一間のアパートに住んでいたんですが、半分以上が着ぐるみという状態になってしまって、ものすごく後悔しました。
でも、ひとまず着ぐるみをかぶって町をうろついてみたら、意外と評判良かったんですよ。「何のイベントですか」って聞かれて、「いえ、特にイベントではなくただ歩いてるだけです」って言うと、けっこうみんな笑ってくれて。
それで自信をつけて、家から近い戸越銀座商店街に「公式キャラクターにしてくれませんか」って売り込みにいきました。当時は青年部で、いまは商店会長になっている亀井さんという方が対応してくれたんですが、びっくりしつつも面白がってくれて、商店街のイベントに呼んでくれるようになったんです。「出演料は払えないけど、現物支給で良ければ」って。参加する度に、マフィンとか目覚まし時計とかもらいました。
それだけでは生活ができないので、犬山さんは同時期に新しくアルバイトも始めました。選んだのは、東京ディズニーランドの警備員の仕事。「仕事をしながら裏側を覗き、暴露本を書こう」という算段だったといいます。
それが、始めてみたらディズニーのこだわりに感心してしまって。着ぐるみの造形やゲストを退屈させないための仕掛けは、着ぐるみ活動の参考になるなと思いました。その後、警備員からキャストになって、子ども相手の接客ノウハウも学びました。それまでは着ぐるみかぶっておきながら、子どもが苦手だったんですよ(笑)
そうしてしばらく経った頃、戸越銀座商店街の若手の間で「公式キャラクターを作ろう」という機運が高まり、犬山さんの元に連絡がきました。犬山さんは数パターンのデザインを考えて提案しましたが、最終的には「スパンキーでいいのでは?」という結論に。デザインを可愛らしく変更し、「スパンキーの弟分」という設定で、「戸越銀次郎」というキャラクターを生み出しました。
戸越銀座商店街の公式キャラクター、戸越銀次郎
ただ、商店街の年配の方々はキャラクターに反対だったんです。だから、「とりあえず1年活動して、何らかの成果が出たら公式にする」ということになりました。
最初にお祭りに参加したときもあんまり歓迎されなかったんですが、子どもたちからは大好評で。子どもが喜んでると両親やおじいちゃんおばあちゃんも嬉しいでしょう。それで年配の方も心を開いてくれるようになって、一年後には晴れて公式キャラクターに認定されました。
銀次郎の評判が良かったことから、隣町の大崎駅西口商店会でも「大崎一番太郎」というキャラクターを製作。「山手線の始発駅」という大崎の特徴を活かし、色は山手線の緑色、おなかには山手線の位置を示すマークを入れました。JRもこのキャラクターを気に入り、大崎駅開業111周年イベントで一番太郎のイラストを使用。ポスターも貼り出してくれました。
銀次郎も一番太郎も、半分ボランティアのようなものです。でも、面白いことができるし、商店街からイベントチラシの製作依頼が来るなど、キャラクター経由で仕事をもらうことが多いんですよ。
活動を続けるうちにゆるキャラブームが起きて執筆依頼が増え、昨年は『ゆるキャラ論』(ボイジャー,2012)という本を出版しました。地域や企業からキャラクターについてコンサルティングの依頼を受けたり、広告代理店との研究プロジェクトに参加したりもしています。副次的な効果がたくさんありましたね。
以前犬山さんがライターとして活動していたときは「自分にしか書けない専門分野」がなかったため買い叩かれてしまいましたが、ご当地ゆるキャラとして長年活動していて、かつ文章を書けるという人はほかにいません。「さんざん遠回りをして、専門分野を手に入れました」と犬山さんは笑います。
自分でデザインをして、自分で着ぐるみをかぶって子どもたちと遊んで、自分で記事を書いて。今まで培ってきたものが全部、ゆるキャラプロデューサーとしての仕事に結びついていると思います。
それまでの経験がいつか役立つときが来る
犬山さんのお話を聞いて、「ぐるんぱの幼稚園」という絵本を思い出しました。この絵本の主人公は、職探しの旅に出たゾウのぐるんぱ。さまざまな職場に活きますが、ぐるんぱが作るものはいつも大きすぎて追い出されてしまいます。しょんぼりするぐるんぱですが、最後に辿りついた子どもがたくさんいる家では、今まで作ってきた大きなドーナツやピアノは大喜びで迎えられました。ようやく自分が活かせる場所を見つけたぐるんぱは、幼稚園を開くのでした。
無駄な経験なんてひとつもない、今はわからなくても、いつかどこかで役立つときがくる。そう思わせてくれる絵本です。
最初から「これ」という目標や目的がある人は、それを追究していけばいい。でも、そういうのがない人は、いろんなことに手を出してみるといいと思います。
来るもの拒まず引き受けて、取捨選択を人任せにしてしまうのも一つの手ですよね。人から頼まれるということは、そこにニーズがあるということだし、自分にならそれができると思われたわけでしょう。その人が勘違いしている可能性もあるけど、そこから道が開けることもあるから、乗っかってみてもいいのではないでしょうか。
仕事やキャリアの話になると、「こうあるべき」「こうするべき」とよく言われますが、これくらい柔軟に考えてみてもいいのかもしれませんね。
傍から見るとバラバラのように思える職歴でも、いつか自分にしかできない仕事につながっているかもしれない。そう考えると、わくわくしてきませんか。
【おまけ:犬山さんの年表】