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「ねばならぬ」の抑圧から、自分を開放しよう。”格差社会への処方箋”「パトリアルキー」についてソーヤー海が考えた。

ハロー、ソーヤー海だよ! ソーシャルジャスティスに続いて、今回は安納献さんと鈴木重子さんをゲストに3人で「パトリアルキー」について考えていこうと思う。

このパトリアルキーをみんなで理解して変えられたら、気候変動、戦争、男女差別、格差社会のあらゆる問題を解決する方法が見つかると思うんだ!

で、この言葉に聞きなれない人がほとんどだと思うけど……、語源は「父親による支配」。「父親」は人種の長や首長と言い換えてもいい。日本語だと「家父長制」と訳されて、法的な解釈や使い方をされることが多いんだけど、実はもっと深い意味があるんだ。

僕たちのNVCやソーシャルジャスティスの共通の先生であるミキ・カシュタン(Miki Kashtan)によると、いまだに戦争や男女差別、いじめとかがなくならないのは、パトリアルキーが根底にあるからだと言っていて……。そこそこ複雑な話だけど、ぜひみんなにも、一緒に考えてもらいたい。

「抑圧的な影響を与える構造」としてのパトリアルキー

鈴木重子(以下、重子) パトリアルキーのもともとの意味は、家父長制=「男性がトップになっていろいろなものを支配すること」。それによって、家族や国家、社会にヒエラルキー構造が起こる。

ソーヤー海(以下、海) 男尊女卑、年功序列、長男相続とかはパトリアルキーの特徴とも言える。その始まりはさまざまな仮説があって、紀元前4000年とか、クルガン系侵略者によるヨーロッパ侵略(紀元前3000年ごろ)とか、農業と畜産とともに確立されたという話とかがある。

で、パトリアルキーでは「人間はそもそも悪い生き物だから、悪い部分が出てこないように押さえつけるべき」と考える。これはいまの司法制度(=悪いヤツは逮捕して罰する)や育児(悪いことをしたら叱る)も同じだよね。

重子 そう、いまの社会にもつながっていて、その影響は日常生活のありとあらゆるところに現れている。

例えばこの間、海岸を散歩していたら、70代ぐらいの男の人が向こうから歩いてきたのね。挨拶したら会話が始まったんだけど、その人は私が頼んでいないのに、なぜかいろいろなことを教えようとする。話しているうちに時間がすぎて、私は用事があるから早く会話を切り上げたいんだけど、「もう行きます」ってなぜか口にできない。

周りの女の人にこの話をしたら、「うんうん、それってすごくよくある!」ていう声をたくさん聞いたの。相手が年上の男性だと、聞きたくないのに、なんだかよくわからないけど、とにかくひたすら黙って話を拝聴しなくちゃいけないような気持ちになってしまう。もし話を遮ったり意見を言ったりすると、とても失礼な感じになる。話す相手が同じくらいの年か、年下の女性だったら、もっと簡単に意見を言えるのに。

でもこれって変だなって思うんです。そういうマインドセットが、特に女の人にとってどれほど重荷になっているか。

 難しいのが、男性だけじゃなく女性であっても同じ構造になり得るということ。

重子 そうなの。パトリアルキーは、いまでは「男性による支配」という語源を超えて、性別に関係なく、力のある者や集団が全体に抑圧的な影響を与える構造のことを指すようになってる。だから例えば、女性の上司が男性の部下にセクハラするのもパトリアルキーの起こす現象だと言える。

 僕は中学生ぐらいから涙が出なくなっちゃって、自然に泣くことが難しいんだ。人間の感情表現をひとつ失くしてしまった。それは、おそらく社会や周りから「男は泣くな」「強くなれ」って、弱さを見せないようにプレッシャーをかけられたから。

男性はそうやって、経済力とか、立場とか、運動力とか、いろいろな形の「強さ」を身につけることがその人の価値だと教育される。これもパトリアルキーのひとつの症状だと思う。


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パトリアルキーは伝染していく

安納献(以下、献) 私の父親はフィリピン出身で、母親が日本人なんだけど、そういう背景を持つと、とてもとても悲惨な経験を味わいます。小学生の頃はカタカナの名前を名乗っていたんですが、そうするとそれだけでいじめに遭うんですよ。

重子 いじめって、「自分が気に入らない人やものがあれば、身体的・感情的な暴力を使って圧迫すればよい」と考えるから起きるのであって、そこにはパトリアルキーの影響が現れていると思う。

私も幼稚園のときに、ある男の子からものすごくいじめられたのね。でも後になって聞いたのは、その子のお父さんが家庭内暴力をおこしていたそうで。つまりお父さんが家族にやっていたことを、その子は自分より弱い女の子にやっていたんです。

パトリアルキーって、そうやって伝染していく。自分がいるグループのなかで、さらに弱いものや小さいものに向かって暴力をふるうことで、自分の安全や心地よさを確保しようしてしまう。


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 もうひとつ僕の例を挙げると、僕が講演などで一緒に登壇する人たちはだいたい男性なの。女性がいるとしたら司会で、だいたいは若い人。変だよね? 女性だけじゃなくて、子どもや若い男性だって登壇していいのに。

政治家も経団連にいる人たちも、社会で力のあるポジションにいる人はだいたい年上の男性。女性になにか不具合があるわけじゃないのに、日本では1945年(※)まで女性は投票すらできなかった。でも子どもの頃からそんな世界観を当たり前のものとして植え付けられていて、深く考えないし疑問にも思わず、何となくそうなっている。しかも、僕は別にその世界観を維持しようと思っていなくても、いつの間にか自分がその一部になってしまっている。

そして立場の弱い人は常に上の人を持ち上げる役になるのが当たり前になっている。で、自分も持ち上げてもらう役=ピラミッドの上に行くことが人生のゴールになっている。

(※)女性参政権が法的に認められたのが1945年。その後初めての選挙が行われたのが1946年。

 さらに、「男女平等」と言ったところで、「同じピラミッドを登るゲームに女性もちゃんと参加しているのが男女平等である」という世界観があるから、女性が男性のように企業戦士や強い政治家になることが「男女平等」ということになる。

重子 「女の人は男の人の世界で立派だと言われてることをやらないと、立派だと認めてもらえない」みたいな。

 難しいのは、みんなの例を見てもわかるように、そんなふうに根本的に我々が住んでる世界のOS自体がパトリアルキーになってしまっていること。「社会ってそういうものでしょう?」って叩き込まれると、「そうするしかなかった」というように見える。

「魚に水の話をするのは難しい」っていう例え話があるけど、自分自身がパトリアルキーを自覚するのはとても難しくて、「これはパトリアルキーだ」と指せないくらい、自分が体験していることはすべてパトリアルキーだと思う。

日本にも年上の人を敬う文化があるけど、誰かを崇拝することと、その人の言いなりになることは、区別したほうがよくて。

重子 そう、NVCのものすごく基本的なことのひとつだけど、相手の経験や役割に対しては「リスペクトする」けど、それは「あの人は偉いから、自分はそう思わないけど仕方がない」って自分の大切なものを犠牲にして従うという意味ではないんです。

支配するたびに増す権力、そして自然からの分離

 ミキ・カシュタンはパトリアルキーについてものすごく深い考察をしているんだけど、簡単に説明すると、パトリアルキーの中核には「大自然からの分離と大自然を支配しようとする意図がある」と。

母性的な社会では我々は大自然の一部であって、支配する必要もなく、生きるために必要なものが流動的に動き回っていた。だけどパトリアルキーになった時点で自然から分離してしまい、支配しようとする。

すると例えば、「泣く」という自然が与えてくれた感情と切り離され、他者との感情とも切り離され、命とも切り離される。支配する側は支配するたびに服従する人が増えて、支配者の権力が増えていき、その結果、「パトリアルキーが生まれて以来、富と権力の集中の流れは止まったことがない」とミキは言っている。


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 続けてミキは、パトリアルキーに対比するものとして愛を掲げていて。彼女は、「愛は、帰属すること(belonging=つながっていること)と自由の文脈では拡大し、羞恥心と服従の文脈では収縮する」って言ってるんです。例えばある二人の間に、つながっているという感覚や自由を感じていると、お互いに愛情は深まっていく。だけどそこに恥や、どちらかがどちらかにしたがっているという感覚があると、愛情は減っていく。

重子 人間同士じゃなくても、国とか土地とか組織とかにも当てはまるかもしれない。

 羞恥心は、「私のこれが知られてしまったらこの人に嫌われるかもしれない、この集団に属することができない」というときに湧くもので、つまり、つながっているという感覚の対極にあるもの。

NVC的な観点から言うと、羞恥心は善悪の考え方から生まれる。例えば、「バターをたっぷり塗ったトーストを食べること」が善とされるグループのなかでは、「そんなパンを食べるのはイヤだ」と思うことは悪になり、それを罪悪感として感じる。さらに、「バターを塗ったパンを食べない私は悪い存在だ」と羞恥心として感じる。つまり、行為が悪い場合は罪悪感、行為を行った私はダメな人間だと思ったときは羞恥心になる。

そしてたいていの場合、善悪の価値観はグループで共有される。しかも多くは、グループのなかの偉い人が、何が良くて何が悪いかを決める。これが支配と服従のメカニズム。例えば日本という国では、消費税を払うことは良いことで、払わないとは悪であり、払わないことにまつわる罪悪感や羞恥心が生まれる。そして、善悪と、それとセットで罪悪感と羞恥心があると教育されるわけです。

「ねばならぬ」の囚われの身

 ミキとは別の研究者は、1000年近く自然と調和して生きてきた人たちが、干ばつなどで生命の危機に晒された結果、自然発生的にパトリアルキーの文化が生まれ、ほかのパトリアルキーの文化を駆逐し始めたのが、事の発端だと言っていて。

例えば北米大陸にキリスト教の宣教師がやって来たとき、原住民が子どもたちを大切にあやしているのを見て、聖書の一説を引用しながら「鞭を使わないと子どもは腐る」と言って、子どもを親から引き離し、寄宿舎の学校に入れて、体罰を与えながら教育した。これはまさにパトリアルキーの文化に乗っ取られた瞬間だと思うんだよね。

 そういう、人を支配するメカニズムは、親子関係で特に大きく現れて。例えば、片づけをしない子どもに、大人が「片付けもできないなんて恥ずかしい」って言ったり。でも子どもにとっては片付ける必要性はない。それは大人が「ねばならぬ」に囚われているとも言えるよね。

だけど親=自分より権力のある人が何度も言ったり、愛情や食料などの資源をコントロールされたり、罰を与えられたりするうちに内在化して、自分が部屋をきれいにしたいからではなく、自分より強い人たちを恐れるから、片づけてしまう。

そんなふうに力関係のバランスが悪いときは、言われたことにしたがうか抵抗するか、選択肢が二つしかない。そう考えると、子どものイヤイヤ期って、ある意味で非暴力・不服従だよね。だけどある程度大人に合わせないと生きていけないから、自分の本音をどんどん抑えてしまう。どんな内容であれ、親に言われるからやってしまう。

 そういう厳しい環境は子どもたちにものすごいトラウマを植え付ける。本当は自分だってやりたくないのに、「ここでは誰が強いのか」「その人は何を求めているのか」が生きる判断基準になってしまう。常に誰かのせいにして、「悪いヤツを罰すれば治る」と考える。

そしていくら物質的に豊かになっても、恐れで人を動かしてしまい、心の傷が癒されないまま大人になって権力のポジションに入り、それを社会の制度にしてしまって、世界中に広めてしまう。

重子 子どもがイヤがったときに大人が怒りたくなるのは、大人が子どもの頃にそうやってしつけられたからだと思う。よく考えたら、暴力的になる必要なんて別にないのに。

 トラウマの連鎖だよね。そういう、良い結果が出ていない神話を僕たちは生きている。でもこれだとやっぱりどこかで居場所や自分の全体性を感じられない。

これはとても構造的な問題で、男女平等とか平和活動とか環境保全とかいじめの問題をいくら扱っても、根本的な部分を変わらない限りは解決しない。悪者をいくら変えようとしても、「悪者がいる」という構造は変わらないから。

(鼎談ここまで)

(編集: 岡澤浩太郎)
(編集協力: スズキコウタ)

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