「こんなことをやってみよう!」とビジョンを描いて動き出すとき、“できない理由”を考えてしまったり、他の人から突きつけられたりして、うまくいかなかったことはありませんか?
でも、“できない理由”って、逆手にとれば“活動資源”になるのかもしれない。
「NPO法人cambio(以下、cambio)」の代表・後藤高広さんのお話を聞いていると、そんな思いが生まれてきます。
今回、取材へ向かったのは兵庫県の内陸部、多可町。大阪市内から車で1時間半ほどでたどり着き、古くから播州織や酒米「山田錦」などの産業が発展してきた小さなまちです。
このまちで障がい者就労支援を行うcambioは、さまざまな地域課題(=「できない」)を資源に変え、障がいのある人の社会復帰・地域参加にいかしています。
まずは、代表的な事業から紹介しましょう。
町内の捕獲鹿ほぼ全頭をつかったドッグフード「TASHIKA」
「TASHIKA」は、国内産では珍しい、完全無添加の手づくりドッグフード。多可町で捕獲された害獣の鹿肉に、国産野菜やビール酵母などを配合してつくられています。鹿の解体からパッキングまで全工程を町内の工場で製造しているのもこだわりの一つ。
2014年にスタートしてから、犬の健康を第一に考えた安心・安全な国産ドッグフードとして徐々に人気が高まり、今では東京や大阪など都市部の顧客が多いそう。
このドッグフード、実は3つの地域課題にアプローチしています。
後藤さんが障がい者就労支援の事業のテーマとして地域課題に着目したのは、長い間障がいのある人と一緒に働いてきた経験からでした。
まちの「できない」をつなぎあわせたTASHIKAはどのように生まれ、まちでどのような存在になっていったのでしょうか。
NPO法人cambio理事長・株式会社エスジーユー代表取締役。
障がい者を雇っていたことをきっかけに2011年にNPO法人cambioを設立し、障がい者就労継続支援事業を開始。2014年からは多可町の捕獲鹿を加工したドッグフード「TASHKA」を製造。現在はさまざまな地域から地域課題に関する相談が寄せられ、アドバイザーとしても活躍中。
福祉とは無縁ながら、社員の約半数が障がい者だった
後藤さんは、金属加工などを行う「株式会社エスジーユー」の2代目経営者。親族が代々営んできた播州織の会社が倒産後、父親が決死の覚悟で立ち上げた会社で、当時高校生だった後藤さんは料理人になる夢を諦め手伝ってきたそう。苦しい生活も経験しながら軌道に乗せ、今年で32年目を迎えました。
エスジーユーでは20年ほど前から、障がいのある人を社員として雇っていました。その数は最も多い時で12名。全体の約半数を占めるほどでした。
後藤さん 従業員募集をすると「精神障がいがあるけど雇ってもらえないか」という話が多かったんですね。僕らは偏見もなければ知識もない。「うちの工場で働いていただけるならどなたでも!」と、どちらかというとありがたく受け入れ、本人の適性に合う仕事を任せていました。
当時はまだ、精神障がい者のための福祉制度が充実しておらず、働く場所がなく貧困に陥りやすい現実がありました。後藤さんが社員として雇い始めると、役所からも「障がいのある人の社会復帰に協力してほしい」と依頼があり、その数は徐々に増えていきました。
転機となったのは、兵庫県に“福祉事業所への業態転換”を依頼されたこと。当時、北播磨地域(多可町を含む5市1町)には障害者就労継続支援A型事業所(最低賃金を保証する雇用型事業所)が一つもなかったのです。
後藤さん 「A型事業所と同じことをされているので、A型として運営していただけないでしょうか?」と県の担当者が足繁く来られました。当時僕は福祉のことを全く知らないので、何がAで何がBなのっていう話で。「全く困っていないので現状でいいです」と返答していたんです。
ただやっぱり、精神障がいのある方は、季節の変わり目や心配事がある時に、突然調子が悪くなることがあるんですよね。すると昨日までできていたことができなくなったり、不安がどんどん増して休みがちになったり。「何とかしてあげたい」という思いで、通信教育で福祉を2年間勉強し、2011年にNPO法人を立ち上げ、A型事業所の運営を始めました。
その際に、障がいのある従業員に意向を聞いたところ、「障がいをわかってもらった上で働きたい」という声が多く、大半の人が「A型事業所に移りたい」と希望したそうです。
北播磨地域にA型事業所ができたことで、それまでB型事業所(非雇用型の職業訓練所)へ通っていた人がステップアップをしたり、ひきこもりの人が社会復帰をしたり、生活保護を受けていた人が貧困から脱したり。cambioは地域で大事な役割を担うようになりました。
B型事業所設立へむけ、地域課題の“鹿肉”に着目
後藤さんはしだいに、B型事業所の必要性を感じるようになりました。
後藤さん 精神障がいのある方は、休みがちになった時に「クビになってしまう」と不安になる傾向がある。さらに安心してマイペースに働けるB型事業所もつくりたいと考え、スタッフと一緒にいろんな事業所を見学しました。
兵庫県が定めるB型事業所の平均目標工賃は、現在約16,000円/月。ところが見学した事業所は、その半額程度のところが多かったそう。「障がいがあるからここまでしかできない」という仕事の質にも違和感を覚えた後藤さんは、「批判する前に自分でやってみよう!」とB型事業所を立ち上げることに。
後藤さん 僕らは、「工賃をちゃんともらって働く喜びを得ること」「高いクオリティを目指すこと」に注力することにしました。
このとき閃いたのが、まちの課題であった“捕獲鹿”を資源とし、「良質なドッグフード」というプロダクトをつくることでした。
後藤さん 精神障がいのある方って犬を飼っていることが多いんです。自分の大切な存在に、自分でつくったものを食べさせてあげたいっていう人間の心理がありますし、それが商品として世に売れていくことは自信につながると思いました。
わが家にも犬がいますが、国産のドッグフードには手づくりで無添加のものがあまりなくて、海外のものを買って与えていたんです。この自然豊かなまちの地の利をいかせば、大手さんにはつくれないドッグフードをつくれるし、障がいのある人の地域参加にもなると考えたんです。
ちょうどその頃、多可町では駆除した鹿肉を有効的に活用できず、困っていました。商工会の会員として鹿肉製品の販売にも携わっていた後藤さんは、ドッグフードに加工する可能性を探ってみることに。すると、知れば知るほどドッグフードとして活用する道が開けたといいます。
後藤さん 人間の味覚に合わせると、山で止め刺しをしてから2時間以内に工場へ持ち込んで放血し、内臓を取り出して新鮮ないいお肉だけをつかいます。でも犬は肉食だから、一番栄養のある内臓も食べるし、放血の必要もない。ドッグフードに加工すれば、廃棄や制限を最小限にして活用できることがわかりました。
後藤さんは、当時の町長に「障がい者就労支援でドッグフードをつくりたい」と提案するやいなや、犬の健康を第一に考えたドッグフードをつくるべく、専門的な知識を求めて国立大学の先生を訪ね、アドバイスをもらいながら研究と試作をスタート。約1年半かけて、現在のTASHIKAのレシピを開発しました。
旧給食センターの調理設備をいかし、工場に改装
良質なドッグフードをつくるには「自社で鹿を捌いていい個体・いいお肉を目の前で判断しながらつかっていくべき」と考えた後藤さん。そのために、解体施設も備えた大きな場所が必要でした。
そこで着目したのが、多可町加美区の旧給食センター。町内の給食センターが一つに統合された後、この施設は活用できていない状態でした。後藤さんは町役場へ赴き「貸してほしい」と直談判。それを機に多可町による跡地活用の公募が行われましたが、手をあげたのは後藤さんだけでした。
給食センターの設備をなるべくそのままいかしながら改装し、2014年にcambioの障がい者就労継続支援B型事業所として、TASHIKAの工場がオープンしました。
利用者は現在10名で、障がいの種別はさまざま。B型事業所では同一賃金が一般的ですが、cambioでは「特別技能給」という形で査定のしくみをつくっています。仕事の成果だけでなく、「遅刻しない」「体調管理ができる」なども評価対象として、働く人たちのモチベーションアップを大事にしています。2020年度の平均工賃は49,877円/月。ここで自信をつけ、一般就労へステップアップする人もいるそう。
工場の横には、猟師が24時間鹿を持ち込める解体施設をつくりました。行政とも連携し、ここで駆除鹿の頭数管理をできるようになり、猟師の負担も大きく減ったといいます。今では、多可町で駆除される年間約300頭の鹿ほぼ全てが、TASHIKAとして生まれ変わり、その命をつないでいます。
「後継者不足」という新たな地域課題にアプローチ
cambioが理念として掲げるのは、「障がいのある人の社会参加」「地域課題を解決する」という二つの柱。まちの課題を同時に解決するTASHIKAの事業は地域で注目を集め、後藤さんの元へはさまざまな相談が寄せられるようになりました。
現在は、多可町に隣接する西脇市にもB型事業所を開設し、「後継者不足」という新たな地域課題にアプローチしています。
きっかけは、後藤さんの子どもたちが在籍していた兵庫県立西脇工業高校の食堂が閉鎖していると知ったこと。「なり手がいないからできない」という現状を変えるべく、cambioとして引き受けることになりました。
「なり手がいない」という課題は、食堂に限らず地域一帯で深刻化していました。西脇市内には、社長も従業員も高齢になり、後継者不足に悩んでいる会社が多く、後藤さんの元へは「仕事はあるけど、体がしんどいから請負先を探している」という相談が続々とやってきたそう。
後藤さん 急に「後継者おれへんからやめます」っていうのは、今までお世話になった親会社やお客さんに迷惑をかけてしまう。事業を誰かに継承して気持ちよくやめたい、と考えている方も多いです。
そういう仕事には、長年培ってこられたシンプルな技術が多いんです。障がいのある人に携わってもらいやすい仕事なので、僕らが事業を受け継いでいくことに可能性を感じました。大手メーカーの下請けで生活用品をつくる仕事も多く、お店で自分がつくったものを見る機会も持てる。すでに確立している仕事だからプライドを持って働けるんじゃないかと。
“cambio=変化”を大切にして「ないと困る存在」を目指す
後藤さん 僕は“できない理由”を考えないですね。ビジョンが見えていて、実現のためにどうしたらいいのか、“できる理由”を考えて努力するんです。
「障がいがあるからできない」ではなく、ここでの仕事を通じて自分たちの存在意義を感じてほしい。地域課題にアプローチすることで、地域において“ないと困る存在”になりたいですね。そうすれば、障がいを隠す必要もなくなると思うんです。
cambioとはイタリア語で「変化」の意。障がいのある人の採用面接では「障がいを理由にクビになった」など過去の辛い話を聞くことが多く、「辛いことを振り返っても仕方ない。一緒に環境やチャンスをつくり、変わっていこう」という思いで名付けたそう。
辛い過去やできない理由にとらわれず、現状を変えていくことが大切だということ、それこそが本当の意味での自立だということを、後藤さん自身も青春時代に身をもって知っていたからこそ、生まれた名前なのかもしれません。
「できない」から存在意義が生まれる
cambioの3つの拠点では、「全員が使命感を持って働いている」という印象を強く受けました。そのモチベーションは、地域や社会から必要とされている、すなわち自分自身の存在意義をしっかりと感じていることにあると感じました。まさに、地域課題に着目したからこそ得られたものではないでしょうか。
変えられないものを「できない」と嘆くのではなく、受け入れた上で“できる理由”を見つければ、存在意義が生まれる。今回の取材ではそんなことを学んだ気がします。
少子高齢化が進む小さなまちには、地域課題やそれに付随する“できない理由”が多いイメージですが、後藤さんは「小さなまちだから行政との距離が近く、企画が通りやすい」とも。小さなまちでくすぶっている人こそ、それらを活動資源に変え、“ないと困る存在”をつくっていってほしいです。