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“自分の手で染める”藍染めの農作業服=「ノラふく」! 服飾デザイナー・あまづつみまなみさんに聞く、未来につなげたい衣(ころも)とは

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(撮影:安木崇)

この記事は、「グリーンズ編集学校」の卒業生が作成した卒業作品です。編集学校は、グリーンズ的な記事の書き方を身につけたい、編集者・ライターとして次のステージに進みたいという方向けに、不定期で開催しています。

みなさんは「誰かの顔が思い浮かぶ服」を着たことはありますか?

私はあるワンピースを着ると、何人もの大切な人たちの顔が浮かびます。藍染めの伝統を守り続けるご夫婦の温和な顔、その伝統を次の世代に残したいと話すデザイナーの真剣な顔、そして、その服を着て一緒に田植えをし、稲刈りをした仲間の笑顔。今回はそんな一着の服にまつわるお話を紹介します。

そのワンピースとは、淡路島の服飾デザイナー・あまづつみまなみさんと、滋賀県で自然によりそった暮らしをたのしむ集まり「ノラノコ」が一緒につくった、藍染めの作業服「ノラふく」。ともに田畑を耕す仲間のためにデザインされたものです。

「民族衣装のように、そこに暮らす人と空と大地が生み出した衣(ころも)として、100年、それ以上残っていく。そういうものをつくりたい」。そう話すあまづつみさんに、「ノラふく」に込める思いを伺いました。
 
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あまづつみ まなみ
1969年生まれ。兵庫県南あわじ市出身。神戸ファッション専門学校を卒業後上京し、「45rpm」ほか数社でパターンと企画を経験。夫婦でパターンメーカーを運営した後、2005年横浜でオリジナルブランド「CHAR*」を立ち上げる。2007年に一家で淡路島へ移住。海まで徒歩3分の自宅兼アトリエ兼ショップで暮らす。今年2月には、CHAR*の「島のふく」や「ノラふく」を取り扱う新たなショップ「萌蘖(ほうげつ)」を神戸市元町にオープン。中学生と高校生の2人のサッカー少年の母。

農作業をみんなで楽しむための服

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「ノラふく」を着て稲刈りをする様子(撮影:黒越啓太)

「ノラふく」の物語は、「ノラノコ」を主宰する亥川聡さんと智子さんご夫婦と、あまづつみさんとの出会いからはじまります。

亥川さんは仲間とお米づくりを進めるうちに、「農作業用の服を自分たちの手でつくりたい」と思うように。そこで、以前から知り合いだったあまづつみさんに、相談を持ちかけたのです。

孤独な作業になりがちな農業をみんなで楽しくするために、象徴になるような服がほしい。そんな亥川さんの思いに共感したあまづつみさんは、「ノラふく」の製作を二つ返事で快諾。ご自身も淡路島から滋賀へと通いながら、活動に参加するようになりました。
 
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刈り取った稲は稲架掛けにしました。

服をデザインするために、動きやすさ、脱ぎ着のしやすさなどの意見を取り入れつつ、メンバーと打ち合わせを重ねていたあるとき、あまづつみさんにとあるイメージが浮かんできます。

それはフランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーが描いた「落穂拾い」のような光景。刈り入れ後の畑に残った麦の穂を拾い集めるその様子は、まさに人と自然の営みによって生まれる美しく力強いものでした。

このとき、服づくりでずっと表現したかった「自然の豊かさ」と、着飾る服ではなく作業服として人の営みに近い「ノラふく」がつながったんです。

そして、「稲の黄金色にはきっと鮮やかな青が映える」という亥川さんの言葉もヒントとなり、古来から続く藍染めでその色を表現してみることに。

私の故郷である淡路で暮らしていると、自然界からもらう色が圧倒的なグリーンで。グリーンから、あの海につながるブルーを、ノラふくで表現してみたいと思ったんです。

でも、既成の緑色の生地を使ってみても、なんか違うんですよね。そんなとき黄金色と青色というイメージから、藍染めしかないと。

さらに藍は虫除け効果もあり、汗もなどの肌荒れにも作用することから作業服にぴったり。こうして藍染めの農作業服というコンセプトが固まっていきました。
 
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あまづつみさんが好きな淡路の空と海の景色

正藍染の紺屋「紺喜染織」

とはいえ、「ノラふく」は滋賀で自然とともに暮らす仲間たちのための服。「全部、滋賀で完結するのが一番」と思ったあまづつみさんは、滋賀県内で藍染めができる場所を探し回ります。

しかし、いざ探してみるとほとんど残っておらず、唯一見つかった紺屋もまさかの廃業寸前。一度はあきらめかけましたが、仲間の協力もあって奇跡的に、滋賀に残る数少ない正藍染の紺屋「紺喜染織(こんきせんしょく)」さんとのご縁をもらいます。
 
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滋賀県湖南市の紺喜染織

湖南市にある紺喜染織の創業は明治10年! この地で江戸時代中期から続く紺屋業を、現在は4代目の植西恒夫さんと妻の和代さんが、60年以上にわたって営んでいます。

明治時代、日本を訪れた異国の人々は、街のいたる所にあふれる藍染めの美しさを、「Japan Blue(ジャパンブルー)」と表現しました。

それほど人々の生活に身近で欠かせないものだった藍染めですが、今では海外の安価な藍の輸入や、日本人のライフスタイルの変化によって需要は減少。紺屋として生計をたてていくことはなかなか難しく、紺喜染織でもその跡を継ぐ人はいないそうです。

藍がとても大切だった時代から、昔ほど必要とはされなくなった今日。その変化を目の当たりにしながら、長年藍染めの伝統を守り続けてきた恒夫さんについて、あまづつみさんはこう言います。

お父さん(恒夫さんのこと)は大変さを知るからこそ、複雑な思いがあるのかなって。「紺屋はもう職には無理や」と言うけど、本当は葛藤というか、引き継ぐ人がいてほしいと思ったこともあると思うんです。

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紺喜染織の植西さんご夫婦。いつも藍染めの服がお似合いで、お父さん、お母さんと慕われています。

だからこそあまづつみさんとの出会いは、植西さんの心にもう一度、ポッとあたたかい火を灯すような出来事だったのかもしれません。

あまづつみさんのやる気や、純粋に藍染めが好きだという気持ちは、技を教えることに頑なだった植西さんとの距離を少しずつ近づけていきました。今では「若い人らが来てくれると、わしらも元気になる」と、若々しい笑顔を見せています。

「自分たちのやり方でやってみたらいい」という愛

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あまづつみさんに、「もうベテランさんやなぁ」と声をかける植西さん

「ノラふく」を自分の手で染めようと、あまづつみさんは毎月1、2度は淡路島から滋賀に通い、ノラノコの仲間とともに植西さんから藍染めを教えてもらっています。

はじめて行った時は、お父さんが怖くて怖くて。どこの馬の骨かわからん奴がきたっていう感じでした。でも、染めさせてもらうとえらい気持ちよくて、感動して。「お父さん怖いけどここや!」と(笑)

惜しみなく技や知恵を伝授してくれたり、大切な藍の甕(かめ)を使わせてくれたり。自分たちのやり方でやってみたらいい、という大きな愛を感じます。

今では、自分で着るノラふくを自ら染めたいという人を対象に、植西さんの協力を得ながらワークショップを開き、より多くの人が藍染めを体験できる場を開いています。
 
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ワークショップの様子。藍の染料は空気に触れた瞬間に青色に変化します。思わず歓声が上がることも!

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夏の暑い日には裸足で水洗いをしました。

藍染めとの出会いから、“自分の服”をつくるまで

今でこそ地元の淡路島や滋賀の里山を愛するあまづつみさんですが、地域の閉鎖的な雰囲気への戸惑いや、自由と都会への憧れから「淡路島を出たくてたまらなかった」のだそう。

幼い頃からおしゃれに興味があったこともあり、ファッションの世界で働くという夢を叶えるために島を出ることを決意し、服飾の専門学校を経て上京。その後は大好きだったアパレルブランド「45rpm」で、デザインに沿って型紙を起こすパタンナーとして働き始めます。

憧れの世界で忙しくも刺激的な日々を過ごしていたある日、デザイナーの井上保美さんのもとで、その後ノラふくにつながる「藍染め」に初めて出会います。

井上さんのデザインに沿って、藍染めの生地や糸を扱ううちに、次第にその藍色に魅せられていったあまづつみさん。「なんて美しい色だろう」と感動したことを、今でも鮮明に覚えているそうです。
 
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薄い青から濃い青まで、様々な表情を見せる藍の青(撮影:米倉由賀)

その後、26歳のとき、同じくファッション業界で働いていた夫と結婚。自宅で子育てしながら外注先としてパターンづくりをしていましたが、少しずつ時間的にも収入的にも限界を感じるようになります。

そんな日々のなかで、ある一言があまづつみさんを救います。それは、シュタイナー教育を取り入れる幼稚園の園長からかけられた、「お母さんがお母さんらしくあることが一番大切」という言葉でした。

それまでは、子育てなんかようせえへん。どうやって育てたらいいんやろうってしんどかった。でも、自分にできることは服を作ることやなって。「よその服ばっかり作っとらんで、自分の服をつくろう!」という意欲が湧いてきたんです。

そして2005年、36歳のときに服飾ブランド「CHAR*(ちゃー)」を立ち上げます。あまづつみさん自身の経験をいかして、「子どもたちに優しい素材を身につけさせたい。母親たちにもそうあってほしい」と、自然素材にこだわった衣服を提案。お母さん同士の口コミから、CHAR*の評判は広がっていきました。
 
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コットンやリネンなど、自然素材の衣服がそろうCHAR*のショップ。メンズラインもあります。

こうして新しく始めた仕事が順調に進んだ一方で、「子育てとのバランスについて悩むようになった」というあまづつみさん。次第に、実家のある淡路島に移住したいという気持ちが強くなっていきました。

心の中では「淡路がええな」って思いながら、仕事のこともあって「淡路には住まれへん」っていうのを繰り返していました。でも、帰省したときに、自然のエネルギーを感じながら活き活き遊ぶ子どもたちを見てたら、育児も仕事も全部がうまくいくような気がして。

そして2007年、一家で淡路島に移住。両親や親戚の助けもあり、さらなる飛躍を遂げたCHAR*は昨年10周年を迎え、淡路島でしかできない服づくりを続けています。
 
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茶会の衣装としての「ノラふく」。凛とした空間にも映えます。(写真:KaO nakanaka)

兵庫県南あわじ市津井。淡路島の西側・瀬戸内海に面したところに、あまづつみさんの自宅兼アトリエ、お店はあります。

築75年の古民家をリノベーションし、豊かな自然と愛する家族に囲まれながら服をつくっています。淡路島に拠点を移してから、あまづつみさんの服づくりの原動力だった子や母への愛情は、とりまく自然界への愛情へと、より大きなものになりました。

2012年にスタートさせた新たなライン「島のふく」は、淡路島や淡路島の南に浮かぶ沼島からインスピレーションを受け、島の光、風、海を、そのまま形に。母から子へ、人間から大地へ循環していくことを願った衣服です。その願いが、少しずつ「ノラふく」へとつながっていきます。
 
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昨年のノラノコ稲刈り。機械は使わず手で刈りました。「ノラふく」は思い思いの着こなしで(撮影:安木崇)

ノラノコには平日は大阪や京都で暮らし、週末だけ滋賀に通うメンバーもいます。田んぼや畑仕事のための作業着といっても、デザインは今の時代にそうように。もっと今の人の暮らしに近い、洋服に近いところで、藍染めを表現できたらいいなと思って。

そんな思いから「ノラふく」では、それぞれの「農のある暮らし」にそうよう、街の雰囲気も取り入れたワンピースやつなぎ、子ども服など、今では8種類を展開しています。
 
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ノラふく・パンツ(左)とプルオーバーシャツ(右)

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ノラふく・ワンピース(左)とつなぎ(右)(撮影:黒越啓太)

藍染めの伝統を未来につなぐ

全国各地に受け継がれてきた伝統や、その土地の魅力があります。それを過去から未来へどうつないでいくのか。どの地域においても、課題になっているのではないでしょうか。

それは植西さんが守り続けてきた藍染めもそう。受け継いできた唯一無二の技にマニュアルはなく、人から人へ、伝わってきたものです。

お父さんは藍染めを生業として、昔から同じやり方で受け継いでいる。違う方法もあったかもしれないけど、長いこと、自分が若い時から何十年と。それって、すごいことやと思うんです。それを未来につなぐパイプがないとあかん。

「藍甕(あいがめ)に何をなんぼいれたとか、温度がなんぼとか、測ったことない。そんなもん勘や。これがわしの色や」と植西さんはいいます。

「そういうところを未来につなげていかないと。」あまづつみさんには、強い覚悟があります。

そのためには、まず需要が必要。それがなくなったら結局続かない。生計が成り立たなくてお父さんが先に続いていかないと言うなら、そこをなんとかしたい。

藍染めにしても、昔の人と私たちはまったく違う生活を送っているし、つくっている私も違う人間。リアルなファッションとして残し、受け入れられたら、さらに広まっていくと思うんです。ノラふくがそのつなぎ役となって、伝統の橋渡しができれば。今、私は、そのポジションにいると思っています。

古いものの素晴らしさや、長く受け継がれてきたものの尊さに気づいているからこそ、あまづつみさんは“新しい形”を生み出すことに迷いはありません。
 
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植西さんが代々守ってきた藍甕

あまづつみさんが衣服に関わる仕事について、24年がたちました。淡路島に戻り夫婦で、また滋賀で仲間たちと一緒に、自ら田畑を耕しながらの服づくりは、東京にいた頃のそれとは「まったく別物」となりました。

今の服づくりは、自分を体現している感じがします。子どもたちの未来につながることがしたいと、ずっと思ってきたことを。私に何ができるかといったらやっぱり服を作ることやから。服で、それを表現し続けたいと思っています。

昨年からは、植西さんから蓼藍(たであい)の種を譲り受け、ノラノコの仲間とともに畑で藍作を始めました。今年はいよいよ、自分たちの手で育てた藍での藍染めに挑戦です。
 
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蓼藍は一年草。昨年4月に種まきをし、8月に一番藍を、9月に二番藍を刈り取りました。

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収穫した藍の葉を乾燥させたもの

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葉と茎をより分ける作業。その後、乾燥した藍の葉に水をかけながら発酵させ、「すくも」とよばれる染料に。それぞれの工程に手間と時間がかかります。

服の向こうに大切な人の顔が見えることで、その人たちを大切に思う気持ちと同じように、その服への愛情が湧いてきます。服を通して浮かんだ一人ひとりの思いを着ているような、あたたかさと着心地の良さを感じます。それってとても幸せなことだと「ノラふく」が教えてくれました。

みなさんも、そんな一着に出会ってみませんか?

(Text:國領美歩)