東日本大震災から4年。「私にできることは何?」と、多くの方が一度は自問自答したことでしょう。
東京都の西荻窪で天然酵母のパン工房とパン教室「happyDELI」を営む梶晶子さんも、そのひとりです。
梶さんが教えるパンづくりは「ポリパン」と呼ばれ、必要な道具はポリ袋とフライパンのみ。手軽で失敗が少ないと評判で、しかも精神医学の専門家が認めるほどの高い癒し効果があるのだとか。
そんなポリパンを被災地に届けようと、パン教室を開催したり、ツアーを企画したりと、梶さんはパンづくりを軸に様々なアプローチをしてきました。これまでのパン教室の参加者は実に400人を超えます。その癒し効果は抜群で、中にはポリパンがきっかけで学校に行けるようになった女の子もいると言います。
でも最初からそのような活動を目指したのではなく、ポリパンの手法も、必要に迫られて偶然生まれたものなのだとか。
梶さんを家にお招きして、キッチンでパンをつくりながら、ポリパンにまつわるストーリーを聞きました。
「ポリパン」体験 〜 一次発酵まで 〜
袋に材料を入れてシャカシャカ振るだけ!
お話の前に、まずはポリパンづくりをスタート!
材料の小麦粉、砂糖、塩、酵母をポリ袋に入れます。
袋の中に息を吹きかけて膨らませます。
生地がひとかたまりになるまでシャカシャカと振ります。
生地がまとまったら少しこね、ポリ袋を結んで準備完了。あたたかい場所に置いて、ここから約3時間発酵させます。
「え、準備はこれだけ?」と思ってしまうほど簡単で、キッチンも汚れません。では発酵を待ちながら、ポリパン開発までのストーリーを聞きましょう。
道具が足りない…偶然生まれたパンづくり手法
もともとは大学の中にある交換留学の事務所で働いていた梶さん。しかし14年前、お母様が亡くなられたことをきっかけに、昔からの夢だった喫茶店を開きます。
そこで売っていたパンが好評で、お客さんからの要望に応える形でパンが中心のお店へと徐々にシフトしていくことに。そのうち、公民館などでパンづくりを教える機会も増えていきました。
あるコミュニティセンターでパン教室を開催したとき、たくさん人が集まってくださったのは良かったのですが、ボールなどの道具が足りなくなってしまって。ちょうど粉をポリ袋に入れて用意していたので、そこに水など他の材料も入れたら良いのでは?と思って試してみたんです。
なかなか材料が混ざらずに苦労しましたが、試行錯誤を繰り返すうちに、空気を入れて振るという方法を思いつきました。その方法だととてもよく混ざることが分かり、「ポリパン」の手法が確立したんです。
大人も子ども誰でも楽しめるパン教室は、初級からインストラクターコースまで、不定期で開催中。
偶然生み出されたこの方法、実は製パン理論の観点から見ても、とても理にかなっているそうです。
私はパンづくりの修行をどこかでしたわけではないのですが、先日お会いした製パン理論の権威の方から「この手法は素晴らしい、家庭製パンを変える」というお言葉をいただきました。専門知識がなかったからこそ、斬新な発想ができたのかもしれません。
梶さんがこれまでに出版した書籍は、合計5冊。手軽さが話題となり、天然酵母パンの魅力を広める役割も果たしています。
さらにポリパンは、精神医学の専門家からも高い評価を得ているそうです。
もともとパンづくりは、とても癒し効果が高いと言われています。パン生地は赤ちゃんの肌のように柔らかく気持ちよくて、その膨らむ様子を見ていると、何かを育てたりケアしたりしている感覚になり、脳内ホルモンの影響で優しい気持ちになれるそうです。焼ける香りには、アロマ効果もあります。
その上、ポリパンは手軽で失敗が少ないので、成功体験になりやすいのです。精神疾患の治療では陶芸をするそうですが、焼き上がるまで日数がかかります。
でもパンはその場でできあがり、おいしくいただくこともできる。精神科の専門の方から、ポリパンは「陶芸を上回る行動療法的な効果があるかも」と言われました。
「ポリパン」体験 〜二次発酵まで〜
小分けにして丸めてフライパンに並べるだけ!
約3時間経過すると、生地のかさが2倍になりました。
袋を切り開いてその上で生地を分割します。丸く形を整えて、フライパンの上に並べます。
蓋をして、さらに1時間ほど待ちましょう。
その間に、梶さんの東北での活動のお話を聞きます。
トラウマに苦しむ少女とその家族を救ったポリパン
ボランティアとして何度も被災地に足を運ぶ梶さん。梶さんにとって東日本大震災は「人生において、自分にできることはなんだろう」と深く考えるきっかけになったそうです。
ちょうどポリパンの手法が確立されて、最初の本を出版したタイミングと重なったこともあり、ポリパンを被災地の方に広めたいと、すぐに行動に移しました。そして訪れた大槌町では、こんなできごとがあったのだとか。
ポリパン教室に小学生の女の子とそのお母さんが来ていました。女の子は震災のトラウマから1人で学校に行く事ができず、お母さんが終日学校に付き添うか、お休みをする毎日。お母さんも心身ともに疲弊してしまっていました。
そんな中親子で参加してくださったのですが、その女の子が大人よりもとても上手にパンづくりができて、他の参加者からも「すごいね」とたくさん褒められて。そしたら、なんと次の日からひとりで学校に行けるようになったのです。
パンづくりの効果を目の当たりにしたその子のお母さんは、「私もポリパンを勉強したい」と講師養成講座に通い始めました。そして1年後にお父さんからは、「パンづくりに出会わなければ、私たち家族はどうなっていたか分からない、ポリパンに救われました」とお礼の言葉が届いたのだとか。
気仙沼でのパン教室の様子。ポリ袋をシャカシャカ振るだけでも、笑顔になれてしまいそうです。
ポリパンに救われたのは、この家族に限りません。
参加された方の中には、最初はお話をしていてもうつむいたり涙目になって言葉につまってしまったり、精神的に不安定な方がたくさんいました。
でもパンをつくる事に熱中したら元気になって、回を追うごとに笑顔が増えていって。質問も活発になり、みなさんどんどん生き生きとしてきました。
地元の食材をつかってオリジナルのパンをつくったり、卒業生が独自にパン教室を開催したり、パン教室で出会った人たちが新たなコミュニティ事業を展開したり、ポリパンはパン教室の枠を超えてどんどん広がっています。
「ポリパン」体験 〜焼きあがりまで〜
そのままフライパンで焼いて完成!
さて1時間後、フライパンをのぞくとパン生地が2倍に膨らんでいました。
そのままフライパンで強火で30秒、弱火で3分焼くことを表裏それぞれ2回繰り返し、完成です。とっても美味しそうに焼きあがりました!
パンづくりを通して、世界中を笑顔に
最後に、梶さんに今後への想いを聞きました。
ポリパンは簡単で道具や材料もすぐ揃うものばかりなので入口のハードルが低いにも関わらず、多幸感を得られます。なので、もっといろいろなところでたくさんの人に広めたいです。
例えば鬱症状や認知症の方の治療補助や、学校の家庭科での食育、企業で忙しくてストレスが溜まっている社員向けの保養プログラムなどを考えています。
普及活動を本格化させるために、今は「ポリパン協会」発足の準備中なのだとか。さらに梶さんの想いは、世界へも向かっています。
以前、縁があってカンボジアの小学校でポリパン教室をしました。手軽なので国境を越えても喜ばれてうれしかったのですが、多国籍企業がこぞって進出して経済が急成長している一方で、貧しさから働かされ学校にも行けない子供がいる現状を目の当たりにしました。
2014年に開催したカンボジアでのポリパン教室。43人の小学生が参加して、みんなでシャカシャカしました。
今すぐ何かを計画しているわけではありませんが、いつか、現地の材料を使ったポリパンの商品開発など、現地の人のためになることができたらいいですね。
これからもお店の名前のとおり、世界中の人にパンづくりを通して笑顔と幸せをお届けしていきたいなと思います。
実際にポリパンづくりを体験してみて、驚くほど簡単なのに楽しくて美味しく、そして誰でも手軽に始めることができるので、多くの可能性を感じました。東北をはじめ、たくさんのところで笑顔を生み出していることにも納得です。
「パンづくりを通して、世界中を笑顔に」。梶さんは、求められていること、そして自分のできることを考え、試行錯誤を繰り返しながら、このような活動に辿り着きました。
どんな活動も最初から完成形ではありません。誰かのために今の自分ができることをしてみる。それを続けてみると、また新しい発見があり、さらに求められることをする、し続ける。そうすることで無限の可能性があると、梶さんのお話を伺い、強く感じました。
あなたが今、誰かを笑顔にするためにできることはなんですか?
(Text: namai hitomi)