大人になった今でも、ふとした瞬間に思い出す幼い頃の記憶。楽しい思い出もあれば、切なかったり悲しかったり、誰しも胸にそっと秘めている出来事が、ひとつやふたつあるのではないでしょうか。
多感な子ども時代だからこそ、記憶や思い出が楽しく愛情に満ちたものであってほしい。
今回取材した写真家の酒井咲帆さんは、2009年にまちの写真屋さん「ALBUS(アルバス)」を立ち上げ、子どもの目線に立った家族写真の撮影や夏休み恒例行事「子ども店長」を企画するなど、写真をツールに、子どもたちに寄り添う活動を行っています。
独立する前は、九州大学の子どもプロジェクトに携わり、子どもの気持ちを大事にした場づくりを仲間とつくってきた、いわば子どもサポーター。
今、自然体の親子写真を撮る酒井さんの家族写真に改めて価値を抱き、撮影に訪れる人たちが増えています。
アルバスオーナー・写真家。株式会社アルバス 代表取締役。2006〜’09年、九州大学USI子どもプロジェクトに所属し、子どもの居場所づくりの研究に携わる。‘09年「アルバス写真ラボ」をオープン。
ごはんも食べられる”まちの写真屋さん”
2009年当時、国内で“まちの写真屋”として新たにオープンしたのは、ALBUSだけだったといいます。デジタル化が進む時代、写真現像プリント専門店が経営難を理由に激減している中でのスタートでした。
場所は、福岡市中央区。警固本通りと呼ばれる飲食店などが並ぶにぎやかな通りから、少し外れた路地に佇む真っ白な建物。
デリ&レストラン「trene(トレネ)」が入ったおしゃれな空間の一角に、写真現像プリントの受付とカメラ道具などを販売するコーナー、2階に写真館と表して撮影スタジオ兼ギャラリーがあります。
ALBUSの受付と販売コーナー。家族写真は撮影料とデータ、台紙か額が付く基本プラン22000円〜
一眼レフやフィルム好きな若い世代の人が中心に集うALBUSでは、大人の写真スクールをはじめ、ものづくり、社会問題など働いているスタッフ自身も知りたいテーマについて継続的に学ぶワークショップも開催されています。
とはいえ、飲食店と写真スタジオが同居するのは、ちょっと珍しい経営スタイル。その組み合わせは、どうやって生まれたのでしょう?
treneのオーナーがたまたまご近所に住んでいたことが始まりだったかもしれません。すでに2店鋪の飲食店を経営されていて、いろんな相談にのってもらえるお姉さんみたいな存在で。
現像が上がるのを待っていただく間、ごはんやお茶をのんびり楽しむ方もいますし、いつもキッチンからフライパンを振って料理を炒める音やいい匂いがする中で作業しているので、ゆったりした気持ちでいられます。
「あぁ、よかったなぁ」って、日が経つにつれて、その想いが強くなっています。
撮影は、ペットを連れて来たり、お気に入りのおもちゃや着替えの衣装などを持ってこれる自由なスタイル。
なるべく自分自身の持ち物、きっとそれがこれからも思い出をつくっていくことになるだろうと想像できるものと一緒に写しながら、撮影する瞬間も「思い出に残るような時間にしたい」と考えているそうです。
『いつかいた場所』より
酒井さんご自身も写真家として活動し、『いつかいた場所』という写真集も出版しています。
10代の終わりに目的のない旅をする中で、たまたまバスから降りた富山の小さな村で子どもたちとの出会いがありました。子どもだった彼らは、現在、20歳を越えて結婚した人も。人生の移ろいと、その背景に映る村の風景が対話する作品です。
また、太宰府市の観光協会と太宰府天満宮が発行するフリーペーパー「太宰府自慢」の撮影にも携わっている酒井さん。今年は太宰府天満宮をテーマにした「神さまはどこ?—know without knowing」という写真展を、同天満宮にて4ヵ月というロングスパンで開催しました。
「神さまはどこ?—know without knowing」
当初は神職さんから記録写真という形で依頼を受け、撮り始めたもの。約4年の間に、自然、神事、人といった神社の日常と対峙することで、いろんな切り口の写真が生まれ、せっかくだからと写真展の企画が持ち上がったのだそう。
普段はあまり見られない、神職さんたちの人懐っこい笑顔や献身的な仕事ぶり、何百年と鎮守の森を守り継ぐことの大変さを目の当たりにして、まさに「撮影は、神さまの居場所を探す行為だった」と振り返ります。
「子どもプロジェクト」を通じて福岡へ
もともとは兵庫県出身の酒井さん。大阪の専門学校で写真を学んだあとは、大阪の写真屋カメラのナニワ(株式会社ナニワ商会)の系列事業である「ナニワ感動メディア研究所」の立ち上げに携わります。
研究所のギャラリーでさまざまな企画展を2年間担当した後、福岡へ来たのは24歳のとき。きっかけは九州大学で行われていた「子どもプロジェクト」のアートディレクターとの出会いでした。
「子どもプロジェクト」とは、大学にとって子どもたちを究極のユーザーとして捉え、「子どもの感性」をキーワードに実践的な活動や研究を行うというもの。
その中で酒井さんは、多くの人が普段なじみの少ない公共の場を使って、絵本や本の力を借りながら「子どもと大人がともに共有できる居場所をつくる」ことを目的とした活動に加わります。
酒井さんが好きな絵本の一部
プロジェクトの軸になったのが、「絵本カーニバル」。いつでもどこでも出張できるようにと、組み立て用の板と段ボールだけで簡単に展示ができ、帰るときはその段ボールに本類を収納してトラック一台で持ち帰れるような仕組みをつくりました。
絵本はすべて目を通して、開催する場所や主催する人が何を伝えたいかなどを考え、絵本を細やかに選書します。
絵本たちは、地域の公民館や美術館、図書館、酒井さんの母校、九州大学の子ども病院など、あらゆる場所へ旅をして、子どもたちを笑顔にしていきました。プロジェクト自体は2009年3月に役目を終えましたが、絵本カーニバルのバトンは地域に引き継がれ、現在も開催されています。
ALBUSというアルバムに描く家族の風景
そんな酒井さんが、商売は不慣れなまま、場をつくりたい一心でスタートさせたALBUS。普段のプリント業務やカメラマンとして撮影を請け負う日々の中、大事に向き合っている仕事のひとつが家族写真です。
真っ白な壁と木の床以外、何もないスタジオの空間で、家族の姿だけを写すスタイルがALBUS流。この瞬間は2度と戻らない家族の時間だから、子どもが退屈したり不安に思ったりしないように気をつけながら、撮影を進めていきます。
寝転がったり、手をつないだり、家族それぞれのスタイルで楽しむ撮影時間
撮影中は、”家族であること”を実感できる時間をつくりたいと思っています。お母さんとお父さんに手をつないでもらったり、家族全員で写り方を考えてもらって家族写真を一緒につくってみたり。
いつか子どもが大人になっても”子どもの時間”を思い出せるように記録してあげたいという親の優しさと、そんなことお構いなしに連れて来られて、ひたすら写真に写されることを求められる子ども。
写真に写ることだけが目的にならず、家族であることの温かさのようなものが伝えられたらいいなって。そうやってわたし自身も、出会う子どもたち一人ひとりに同じだけの愛情を持ちながら、その時間を大事にしています。
環境や周りの大人たちの影響が、子どもたちの成長に大きく関わることを実感し、意識を持ち続けてきた酒井さん。
話を聞いているうちに、子どもたちに眼差しを向けることは、大人であるわたしたち誰もが社会の中でともに意識し、育んでいくべき共通のものであること、みんなに子どもを守る役割があるのだと、改めて気づかされました。
夏休みの人気行事「子ども店長」
ALBUSを始めた年から、酒井さんは、毎年8月の毎週1回、2組ずつ計8人の子どもたちを迎え、店長の仕事を体験してもらう思い出づくりの企画を行っています。
知らない子たちがペアになって、11時から両親が迎えに来る15時まで店長役を勤めます。掃除から始まって、お店を開けたら「いらっしゃいませ」と元気よくお客さんを迎えたり、スタジオ撮影では撮る方も撮られる方も両方を体験。
被写体を見る目線の高さを変えながら、自分が気持ちがいいと思う角度を探したりして撮影の仕方を練習したら、午後からは、使い切りカメラをぶら下げて、いざ、ご近所の探検です。
子ども店長たちとご近所探検の様子
銀行に行って入金してもらったり、本屋さんやパン屋さんなどへお店巡りをします。
みなさん「今年も来たね」って快く協力していただいていて、すぐ近くにある焙煎屋さんでは、コーヒー豆を煎っているところを見学したり、話を聞かせてもらったり、写真を撮るのも忘れて目を輝かせている子どもたちを見ると、うれしくなります。
マスターも話上手で、子どもの心に残るようなお話をしてくれるんですね。「ここでは100分の1個わるい豆を見つけて、手で取ってるんだよ。もし君がおいしいコーヒーを飲みたいなら、大変なことでもそんな風に丁寧にやっているお店を見つけて行くといいよ」って。
最後は、撮ってきた写真を自分たちでプリントして、子どもたちの一日の様子も含めてアルバムにします。
子どもたちとのコミュニケーションで大切にしているのは、何が大事なのかを伝えること。今日は何をするのかミーティングをして、何のためにその仕事をしているのかを、その都度、丁寧に伝えることを意識しているといいます。
6年目にもなると、子どもたちに自分たちの仕事をどう伝えるかということが徐々にうまくなってきて、今年は今までで一番上手に説明できました(笑)
大人にとっても大事なことは何かということを確認できるいい機会なんです。
酒井さんやスタッフにとっても、毎年、こうして子どもと触れ合うひと夏は、純粋に楽しみでもあり、かけがえのない宝もののような学びの時間になっているようです。
夢は保育園を開くこと
ALBUSとはラテン語で「白い」という意味。洞窟に白い石灰で書かれていた記録という言葉が記憶となり、転じて「アルバム」の語源にもなっているのだそうです。
真っ白なアルバムにいろんな色を重ねながら、いつの日か、多様な人々が一緒に集える保育園を開きたいという夢も胸に秘めている酒井さん。
今年新しくしたお店のロゴマークは、そんなALBUSのあり方に共感を抱くデザイナーの中川たくまさんが手がけ、家のかたちになりました。
写真って関係性を映し出す道具だと思うんです。普段は自分以外の家族を見ているけれど、撮った写真の中には、自分も含んだ家族の姿がはっきりと見える。
写真を残すことも大事だけれど、残すことよりも今、生きている間に穴が開くほど見つめてもらって何かを感じてほしいし、撮っている間も家族の絆を確かめられる機会になればいいなと思って、シャッターを切っています。
酒井さんの想いやその優しい気持ちに触れていると、カメラは日々変化する子どもや自分の成長を映す魔法の道具であり、写真はその瞬間の気持ちや愛情が伝心する温かな生き物のようで、以前よりなお大切なものに思えてきました。
パソコンや携帯電話の画面で画像を眺めることが多い今、紙焼きした写真を手にして、じっくりと想いを巡らす時間ほど贅沢なものはないかもしれません。
子どもや家族との関係性を見つめ直せたり、自分にとって何かしらの発見や変化を見つけられる機会に。みなさんも大事な人を連れて、まちの写真屋さんや写真館へ足を運んでみませんか。
(Text:前田亜礼)