自分たちの身の回りや生活の中にあるデザインや建築。その人たちはいったい今、何をデザインしようとしているのでしょうか?
そんなことを多くの人たちに伝え楽しむことを目的に、2005年福岡でデザインイベント「DESIGNING?」は始まりました。
この春に10年目を迎え、いったん終了となりましたが、単なる展示やトレードショーではなく、「福岡のマチを巻き込み、マチを”自分ごと化”する人を見つけるための土壌をつくり出す」という大きな役割を果たしたという評価の声も多くあります。
今回はこのイベントの仕掛け人である、「リズムデザイン」の井手健一郎さんに、DESIGNING?の10年間を通して見えたことを、伺いに行きました。
1978年福岡県生まれ。建築家。2000年に福岡大学工学部建築学科卒業後、渡欧。1年間で西ヨーロッパを中心に14カ国97都市を訪れる。
帰国後、2004年に自身の事務所「rhythmdesign|リズムデザイン」設立。 以降、「Think,seamless|翻訳的に思考する」ことをベースに、建築やインテリアの設計、リノベート、リサーチ、ワークショップなどのプロジェクトを手がけ、現在では国内外でプロジェクトが進行中。2005年より「まちを伝え楽しむ」ことを目指したデザインイベント「DESIGNING?|デザイニング展」の企画・プロデュースをつとめる(共同主宰)。代表作に、今宿の礼拝堂、飯塚の住宅などの建築設計、KYOYA薬院ビル、ハイアット・レジデンシャルスイート・福岡[現:ザ・レジデンシャルスイート・福岡]などのリノベート、(株)パルコ初の自主編集ショップ『onceA month / ワンス・ア・マンス』のインテリアデザイン、アッシュ・ぺー・フランス(株)場と間事業部が企画するインテリアの合同展示会『BAtoMA』の会場デザインなど。
http://www.rhythmdesign.org/
DESIGNING?の10年を振り返る。井手さんが選ぶ思い出のプロジェクト5選
まずはDESIGNING?をご存知ない方のために、思い出に残る展示5つを井手さんのコメント付きでご紹介します。
(1)「2005 DESIGNING? / OpeningReception」
第1回目のデザイニング展オープニングイベント。「人が集まる場所をつくる」というコンセプトで、あえて会場での催しは何も用意しませんでした。会場には出展者だけでなく沢山の人たちが集まってくれて「場をつくる」ことの意義を感じることができたプロジェクトです。
(2)「2008 DESIGNING? / Index at 天神イムズ」
デザイニング展2008のメイン会場(天神イムズ|イムズプラザ)。デザイニングが初めて「不特定大多数」の人々が行き交う場所で場をつくりました。来場者との対話の中で「全ての人はプロの生活者である」ということに気づかされたプロジェクトです。
(3) 「2010 DESIGNING? / Opening Party at 福岡パルコ」
この年に福岡市天神にオープンした「福岡PARCO」にて開催した、一夜限りのナイトパーティ。営業終了後に一度閉店したパルコの1階部分のみを2時間限定で再度開放してパーティーを行いました。
(4)「2012 DESIGNING? / FIND FUKUOKA 」
ロンドンを拠点に活動しているVahakn Matossian(バハカン・マトシアン)とFabien Cappello(ファビアン・カペッロ)とのプロジェクト。会場は工事中の建物の中。2人が福岡へ滞在しながら、まちを巡り、その過程で手に入れた素材や技術を使って、ものづくりワークショップを開催しました。
(5)「2013 DESIGNING? / Main-Site 」
デザイニング展2013のメイン会場。福岡市中心部にある警固公園(2012年末にリニューアルオープン)の中に、杉の足場板を利用して、セルフビルドでパブリックな舞台装置をつくりました。会期中はトークイベントやワークショプ、映画の上映会などが開催され、カフェやライブラリーが登場しました。
建築的な思考でものごとを伝えることの面白さと葛藤
ざっと振り返ってみましたが、そもそも井手さんがDESIGNING?を始めようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか? その原点は、幼少の頃までさかのぼります。
お父さんが大工さん、お母さんが建築金物屋の娘という両親を持つ井手さんは、子どもの時から、建築というものが身近にありました。
おもちゃは、お母さんのお店にある建築資材の車輪や戸車だったり、お父さんが家を建てる時にできるオガ屑の山に、屋根からダイビングして遊ぶような毎日で、小学校に入るとお父さんの現場を手伝い、子供でもできる仕事を手伝いながらアルバイトのようなことをしていたとか。
子ども時代に、見ていた風景で印象に残っているのは、お父さんという一番身近にいる人が、家をほぼほぼひとりでつくり上げるという、職人の一貫したクリエイティビティや建築の面白さ。そして、なにより家ができ上がるまでの”プロセス”でした。
その後、中学を卒業し、お父さんに弟子入りして大工になることを決めていましたが、お父さんのススメで進学し、大学の建築学部を卒業します。
中学を卒業して父親の弟子にしてくれと申し出ましたが、「お前は機会があるんだから学問をしなさい」と言われて。
当時、高校、大学と決められた道を進むことに、意味を感じられなかったんです。それよりも、父親と同じように、早く家をつくれる職人になりたかった。
「大工になりたい」という10代の若者にとって、「学問」としての建築は興味を持てるものではなかったようですが、大学3年生の後期で出会った「日本建築史」の先生との出会いが、井手さんが進むべき道を照らすことに。
その名のとおり、建築の歴史を教える授業ですが、その先生が数寄や茶室が大好きで、半年かけてゆっくりその話をするような先生でした。
ある日、そんなに茶室の話をするなら、「先生の一番好きな茶室は何?」と聞いてみると、京都の大徳寺にある孤篷庵・忘筌(ぼうせん)だというので見に行ったんです。それが僕の琴線にふれて。
茶室には、色やカタチのように目に見えるデザインだけではなくて、小さく凝縮された空間にさまざまなもの(コンセプトや思想など)表現されている。そうか、建築は色・カタチだけの話でなくて、その先を考えることなのかと。建築的志向の面白さに触れた最初の瞬間でした。
大徳寺・孤篷庵 Wikipediaより
大学を卒業した井手さんは、近現代の日本の「建築」という世界が影響を受けている、ヨーロッパの街や建築を見てまわろうと、単身14カ国97都市をバックパックで回ります。
そこで出会ったのは、生活の中でマチや家を自分たちでつくることを楽しみながら本質的に豊かな暮らしを目指す、ヨーロッパの人たちの在り方や姿勢でした。
ホームステイ先の家族のお父さんが、夏休みに入ったらいきなり外壁を壊してお気に入りの玄関ドアや窓を取り付けたり、子供たちが庭で石を積み上げたかと思うと3日後には家のような石造りの小屋ができていたり、広場は定期的にマーケットになり人々で賑わっている。
そんな、日常的に自分の家や、マチを使い倒して、楽しみをつくり出していることが、とても印象的だったのだとか。
井手さんが、ヨーロッパを放浪していたときの一枚。3ヶ月ホームステイしたイギリス/ブリストルのホストファミリーと、その友人たちとのランチ風景。ヨーロッパの人々の暮らしを楽しむ姿が見て取れる一枚。
ヨーロッパでこれらの風景を見て、夢を持ち帰った井手さんは、建築家のアトリエに入ることになります。しかし、そこで待っていたのは、意外な現実でした。
日本で設計アトリエにはいってみて感じたことは、家を建てたいお施主さまが目指すデザインと、施工の専門者が考えるデザイン、そして我々設計の専門者が考えるデザインには、大きな溝があるようだ、ということでした。
なんとか建築家は努力して、施主の要望を実現していきますが、どうしても距離がある感じ。閉塞感ともいうのかな。
なぜそうなるのかと考えたときに、施主とデザインをする建築家の間に、「共通言語」がないことや、情報格差、デザインそのものを理解しようとする「デザイン的思考」の不足がそれを生み出しているのではないだろうかと。
つまり、お互いの「前提」が共有できていない。なので、僕ら建築家は、いいものをつくるのは当然として、その周辺のこと(デザインそのものを理解してもらうような活動)も、やっていく必要があるなと思い始めたのがその頃です。
マチを「自分ゴト化」して、デザインを楽しむイベントDESIGNING?の誕生
その後、井手さんは、2004年に建築とリノベーションを提供する「リズムデザイン」という設計事務所を友人のパートナーと共に立ち上げます。その名前は、同時期に、映像や、グラフィックデザイナーたちと組んで活動していたプロジェクトを引き継いだものでした。
アトリエ時代にも感じていた、「デザインを提供する専門者の側と、それ以外の人たちとの溝を埋めたい」という思いを持っていた井手さんは、独立と同時にさっそくDESIGNING?の企画書をつくり、協力者を探すべく、先輩や師匠を訪ねて回ります。
当時、デザインイベントは東京以外ではあまり開催されておらず、福岡でもその気運は高まっていませんでしたが、実際に開催する人はいなかったそう。
結果、「面白そうだからやってみようよ」という協力者たちの賛同を得て、第1回から47会場100組以上のクリエイターや企業が参加するイベントとしてスタート。福岡初のデザインイベントDESIGNING?の誕生です。
独立した当初は、特に仕事があって独立したわけではなかったので、僕たちには時間だけはたくさんあったんです(笑)
ヨーロッパを回ったときに見たような、誰もがマチを自分ごと化して、自分たちで楽しみをつくりだすような状況がつくれたらと思っていたので、プロやアマチュアの線引きをせずに、みんなで話し合い、考えて、つくっていくような活動にしていけたらと思っていました。
いざはじめてみると、かなりのリアクションをいただき、そして意図せずそれは自分たちの仕事の幅を広げることにもつながりました。
DESIGNING?第1回の公式ガイドブック
10年続いた秘訣は、「おわりを決めること」「規模にとらわれないこと」「前提を共有すること」
1回目を成功で終えた、DESIGNING?でしたが、その後どうやって10年ものあいだ続いてきたのでしょうか。また、独立したての会社と並行して、マイプロジェクトを継続させることは大変ではなかったのでしょうか。
井手さんに話を聞くと、「10年続いたことは偶然です」という意外な答えが。
最初から、イベントの継続を目的とはしませんでした。続けることにこだわるあまり、縛られてしまうのは本末転倒だと思っていたからです。
6年目のトークショーにゲストでご出演いただいたグラフィックデザイナーの長友啓典さん(K2)に、ここまで来たならば「10年は続けなさい」と言われて。そこで初めて10年という終わりを決めてやってきましたね。
このとき、「あと4年」というイベントの終着点を意識したという井手さん。終わりを決めたことで、このプロジェクトに関わる人たちが、本当に好きなことを深く伝えるようなイベントにしようと舵を大きく切ったそうです。
最初の成功体験があったので、最初の数年は、イベントを大きくしなければ、ある意味「事件」にしていかないと、届かないというプレッシャーはありました。
しかし、それだけでは、広く遠くは届くけれども、結局誤解なども大きくなり、本来伝えたかったことが、蒸発してしまうということに気づいたんです。
せっかくさまざまな職種を横断してできたチームだったにも関わらず、「WHY?」の部分、「なぜそれをやるのか?」という個々の価値感が見えなくなっていたんですよね。
でも、終わりの時間を決めたことで、「何を伝えたいのか?」という軸がみえてきました。そこから本当に好きな人や、モノを、見ている世界を深く共有できたのです。
DESIGNING?のコアメンバーのみなさん
マイプロジェクトを10年続けてきて見えたことと、これから
立ち上げた会社と並行して、10年マイプロジェクトとして続けてきたDESIGNING?。そこから井手さんが得たものは、仕事や季節的な行事とは別に、毎年同じ時期に“定点”を持つことで、自分の考えの変化や、成長を図る機会でした。
過去のイベントの時に考えた内容やプロセスが蓄積され、その後さらに同じイベントというアウトプットを出すために、さらにまた1年インプットしていく。計画し、実行し、更新する。この10年の繰り返しが、井手さんにとって大きな財産になったのです。
もちろん毎年、アウトプットしていくことのプレッシャーもありますが、毎年自分を高め、仲間たちと共同作業していくということは、多くの成長を自分にもたらしてくれたと思うのです。
これは、10年続けたからこそ得られる感覚なのかもしれませんね。
インタビューの最後に、「これからどこに向かいますか?」と聞いてみたところ、一時的なイベントではなく、持続的なプロジェクトとして、「都市計画のようなパブリックな土俵の上で試してみたい」と思いを語ってくれました。
例えば、それぞれの地域が持つ都市計画を、誰にもわかりやすいようにビジュアル化して、みんなで意見を出しやすくしたり、アイデアを出して、それを実現するデザイナーとマッチングできたりするようなことをできたらいいなと思っています。
その根底にあるのは、もっと自分たちのマチをよくするためにコミットできるようなイベントというイメージです。
日本はまだまだ社会実験が足りないと思うんです。いろんな国で、マチのルールを書き換えるときには、社会実験をやって、トライアンドエラーをやることも多いんです。日本はそれがないから、失敗ができない(笑)
イベントは、ある意味パブリックな場所で、社会実験ができるということなので、こうしたプロジェクトを通して、みんなで考えて、どんどん社会実験をしながら、マチにフィードバックしていくみたいな活動をこれからも続けていきたいと思います。
震災後、福岡には移住者も増えて、活気が満ちてきています。きっとDESIGNING?のようなプラットフォームがあることで、この土地に地縁がある人も、そうでない人も、自分たちの土地に愛着を持ち、それぞれの価値観を共有しながら、自分たちが暮らすマチを自分ごと化する(できる)人が増えていくのかもしれません。
この先そんな人々が、有機的につながっていくことで、多様性のある、面白くて本質的に暮らしやすくて豊かなマチがつくられていくことでしょう。
(Text: 須賀大介)