「関西でデザイン関係の仕事をしたい」と考えたとき、大阪や神戸などに職場や拠点を持つことが多いと思います。
そんななか、生まれてから一度も奈良を出て暮らしたことがない上村恭子さんは、結婚し、子どもが生まれてからもずっと奈良で暮らしながら、夢だったイラストレーターの仕事を続けています。
「なんかやる気にならなくてねえ(笑)」「まあ、ありかなあと思ってねえ」と控えめに語る上村さんですが、その力の抜け具合に、奈良で仕事をつくっていけるひとつのヒントがありそうです。奈良市在住、1児の母。脱力系フリーランスの働き方をうかがいました。
1977年奈良市生まれ、36歳、子どもや女性をモチーフにした和タッチのイラストを描くイラストレーター。1歳の子どもとだんなさんとの3人家族。
大阪にしか仕事がない。困ったなあ。
上村さんが、芸術短大で専攻していたのは日本画でした。ただ、次第に「日本画をこれからも仕事として続けていくのは難しいし、できれば好きなイラストを描いていきたい」と思うようになります。
ひとまず、定職には就かずにアルバイトをしながらイラストレーターを目指そうと、奈良市内のうどん屋で働くことにしました。ところが、うどん屋が繁盛店だったため思ったより忙しく、出版社や印刷会社へイラストの売り込みに行くのもままならない日々が続きます。
その頃はまだネットもなくて、メールで送って売り込むこともできませんでした。それに仕事をくれる会社といったら大阪にある会社しか思いつかなくて、「まず誰でも知っている雑誌といったら『関西ウォーカー』やろう!」と直接編集部にイラストを持ちこんだんです。
そしたら、幸いいくつかお仕事を頂けて。1カット数千円の小さな仕事でも、初めての仕事だからうれしくて気合い入れましたね。
イラストタッチを決めた、「夏の麺特集」
そのとき受けた仕事のひとつに「夏の麺特集」がありました。これが、上村さんのその後のタッチを決めることになるのです。「和テイストで描いて欲しい」というオーダーに応えた上村さんは、筆ペンでイラストを描きながら大学時代の専攻が役立っていると感じ「自分は和テイストが好きなんだな」ということに気づきます。
そしてさらに、筆タッチで描いたうどん屋の看板が、後々の大きな出会いを運んでくることになろうとは!その話題に移る前に、印刷会社時代の話に少しお付き合いください。
情報誌に提供した「夏の麺特集」のイラスト。これが自分のタッチの発見に。
あきらめて就職したら、チャンス到来。
定職に就かずにイラストレーターを目指すのも、社会人をやりながら目指すのもそんなに差はないなあ。それやったら一回、就職してみるのもありやなあって思ったんです。それでマックも買ってデザインもやり始めました。
その後、契約社員として就職した印刷会社で、デザインや印刷の基礎を知るとともに、ある会社と縁ができます。
それは「丸山繊維産業」という蚊帳をつくっている奈良の会社で、地場産業だった蚊帳づくりが下火になったこともあり、会社として新しい商品づくりを模索している時期でした。そうしてある日、印刷会社の営業から声がかかります。
上村さん、絵も描いてるんやろ?こんど丸山さんとこが「ならっぷ」っていうブランドを始めるんやけど、ロゴマーク描いてくれません?
それをきっかけに、その後も商品企画に関わるようになった上村さんはデザイン力が認められ、なんと丸山繊維産業に正社員として働くことになったのです。
特にふすま地のブックカバーが好評で、商品のイラストも手がけながら商品企画の仕事を任されることに。ところが、上村さんはまた、もんもんとし始めます。
その頃、結婚することになって、これからどうしようか悩んでしまったんです。仕事も面白いし、正社員だし、そのまま続けたい気持ちも大きかったんですけどね。
当時はブックカバーを一品ずつ手づくりしていたんですが、それがけっこう忙しくて「あれ、私イラストがやりたかったのにつくることばかりになっていないかな?」って感じたんです。
振り返ってみると、一度フリーランスをやめて就職したことで、印刷や入稿データの知識と商品企画の実務まで身に付いていました。正社員を辞め、その経験をもとに再びフリーランスの道を選ぶことにしました。
ただ、そこで一気に「独立」のスイッチが入らないのが上村さんらしいところ。しばらくは職業訓練校で、自分に足りないと思っていたウェブデザインやマーケティングを勉強することに。
「ならっぷ」で企画から手がけた茅素材のブックカバー。
「禅の友」の表紙イラストに採用。
デザインを勉強しながらマイペースでイラストを描こうと考えていた上村さんですが、仕事の方から寄ってくるのか、思わぬところから依頼が来てしまうのです。
旦那さんの実家がお寺で、お義父様が曹洞宗の役職に就いていらした方で。軽い気持ちで「何か仕事ないですかねえ?」と聞いたら「表紙のイラストの仕事をもらってきたから」と。それがお寺で檀家さんなんかに配布される雑誌「禅の友」だったんです。
書店などに並ぶ雑誌ではないですが、発行部数は相当あって、もう、「ありがとうございます〜」みたいな。それでありがたいことに原稿料もそれなりにいただけまして…。
さらに実績にもなって、他からお仕事の紹介ももらえるようになりました。2年間やらしてもらいましたね。でも定期的に仕事と収入があったら他に熱が入らなくてねえ(笑)
期せずして定期収入を得た上村さんですが、その表紙の仕事が終わるとしばらく仕事がなくなります。ここで、「うどん屋の看板」の登場です。以前働いていたうどん屋で描いたイラストを目にとめた女性から、文化財関係のイラストを描いて欲しいと連絡が来たのです!ほら、また仕事が寄ってきた!
仏教系機関誌「禅の友」の表紙を手がけたことが、安定した収入を継続して得られるきっかけになりました。
現在の働き方のつながった「びっくりうどん」の看板。
うどんがくれた縁で、「フルコト」に参加。
東大寺転害門の近くにある「フルコト」は、奈良にゆかりのあるオリジナル商品をつくる女性クリエーターが集まって運営されているお店です。今や全国区の人気がある「奈良旅手帖」もここで買うことができます。
その「フルコト」のメンバーのひとり、デザイナーの金田あおいさんが文化財関係のチラシに使うイラストを探していたとき、ふと見かけたうどん屋に飾ってある上村さんの筆タッチの絵を発見!スグに連絡を取ったのでした。
それが縁で金田さんに誘われて「フルコト」に参加することになりました。でも、私イラストは書けるものの、まだ売り物として並べる商品はないし、どうしようかなと思って、手始めに「フルコト」のウェブを整えることにしたんです。ウェブデザインは「フルコト」の中でも私しかできないことだったんで。
それでメンバーの自己紹介ページをつくろうと、「奈良の話を載せるから聞かせて!」って聞きにまわりました。興味のない人が見たら「ちょっと意味わかんないんですけど!」ってなるくらいマニアックに語ってもらいました(笑)
正社員を辞めた後、職業訓練校で学んだウェブデザインとマーケティングの知識を発揮した上村さんは、その後、奈良を題材にしてオリジナルの花札を売り出しました。ここでは、印刷会社で身につけた印刷の知識と丸山繊維産業で身につけた商品企画の知識が、とても自然に点と点が結びつくようにいかされていきました。
本格的に商品づくりに挑戦した花札は、奈良の花、奈良の名所をちりばめた大和寧楽花札
今から約1300年前に奈良でまとめられた『古事記』。 そこに書かれてある物語や歌謡をもとに、わかりやすい言葉とイラストでつくった、かるた。
現在、子どもを育てながら仕事をしている上村さんですが、週一回フルコトのお店の当番をするときはお客さんが子どもの相手をしてくれたり、近所の人がやってきてあやしてくれたりと、保育園に預けなくても全く差し支えがないそう。お店がある意味「みんなの縁側」になっているのかもしれません。
旦那さんも「面白いことならやっていいよ」とお店に参加することを快諾してくれたそうです。
イラストの仕事も「フルコト」から情報発信することで、苦手な営業をあまりする必要がなくなり、作品を見てタッチを気に入った人と、メールや電話でやりとりできるようになりました。その結果、奈良から出る必要がなくなったというわけです。
選んでもらう人から、選ばれる人に。
ここまで話を聞くと、なんだか運良くイラストレーターになれたように思いますよね?「でも」と思うのです。マイペースな上村さんにとって「無理をしなかったことが一番の努力」なのかもしれないと。
仕事を欲しい一心で「何でも書けます!」という姿勢をとるのは簡単。ただそうなれば、発注する側からすれば、誰でもよくなってしまいます。
自分の得意で好きな和テイストのイラストで、それが一番求められる場所からのアプローチを大切にしていった結果、上村さんにしか頼めない仕事がやって来ることになりました。さらに、それは古都奈良という土地の周りにある仕事のニーズとも合っていたのです。
まわり道は長かったかもしれませんが、上村さんは「選ばれる人」になっていたのですね。