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“最後の”大堀相馬焼の魂を蘇らせる。地震で割れた陶器のカケラを使ったアクセサリー「Piece by Piece」

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ものづくりからはじまる復興の物語」は、東日本大震災後、東北で0からはじまったものづくりを紹介する連載企画です。「もの」の背景にある人々の営みや想いを掘り下げ、伝えていきたいと思います。

みなさんは、「伝統工芸品」に対してどんなイメージを持っていますか?「古くさい」「格式張っている」と感じる人もいるかもしれませんし、greenz.jp読者なら「素敵!」と思う人も多いかもしれませんね。

福島県双葉郡浪江町の伝統工芸品「大堀相馬焼」の窯元に生まれた松永武士さんは、ずっと、大堀相馬焼のことがあまり好きではなかったといいます。しかし、原発事故によって浪江町が立ち入り禁止となり、大堀相馬焼が存続の危機に立たされたことから、心境に変化が生まれます。

松永さんは、震災時に割れてしまった最後の大堀相馬焼のカケラを、新たな製品として蘇らせる試みを始めました。

大堀特有の素材が採れなくなり、生産ができなくなった

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器全体に広がる地模様の「青ひび」、相馬藩の御新馬を筆で描いた「走り駒」、保温性に優れた「二十焼」構造。この3つが大堀相馬焼の大きな特徴です。江戸時代の元禄年間に浪江町大堀で陶土が発見されてから、大衆向けの民窯として親しまれ続けてきました。

しかし、2011年3月、状況は一変します。地震と津波により、建物が倒壊。多くの作品が粉々になりました。また、そこに追い打ちをかけるように原発事故が発生。福島第一原発から10km圏内にあった浪江町は立ち入り禁止区域となりました。

大堀相馬焼の青ひびをつくり出す青磁釉は、浪江町で採れる「砥山石(とやまいし)」を原料としています。採石が不可能になったため、大堀相馬焼は新たな生産ができない状況に陥りました。

それまで、地元にも大堀相馬焼にも関心がなくて、東京の大学へ進んで学生起業をして、海外で活動していたんです。やりがいは感じていたけど、そこはぼくがいなくても回ると思いました。いま、ピンチなのは福島。ぼくにしかできないことが福島にあるんじゃないかと思い、2012年の春に帰国しました。

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明治43年に開窯した「松永窯」4代目の松永武士(まつながたけし)さん

最後の作品のカケラを、シルバーアクセサリーに埋め込んで

松永さんの実家には、震災時に割れてしまった陶器のカケラがたくさん眠っていました。大堀の陶土と砥山石でつくられた最後の作品たちです。これを「瓦礫」として処分してしまうのは忍びない。最後の大堀相馬焼に宿る魂を、新しい製品として蘇らせることはできないか。
 
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松永さんは、シルバーと革のアクセサリーを製作している「AJINA」という工房を見つけ、職人の川上健さんに「大堀相馬焼のカケラを使った製品を一緒に製作してほしい」と直談判しました。

川上さんは、素材そのものの魅力を最大限に引き出したものづくりをすることと、デザインから仕上げまで一貫して手づくりすることにこだわった職人です。元々、チャリティー製品をつくって東北に50万円以上の寄付をしていたこともあり、松永さんの提案を快諾してくれました。
 
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「AJINA」代表兼職人の川上さん

2人は話し合いを重ね、カケラを使ったシルバーアクセサリーを開発。ブランド名は、「Piece by Piece」にしました。カケラを重ねて、一歩ずつ復興に向けて歩んでいこうという想いを込めています。
 
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大堀相馬焼の破片がアクセントになった「走り駒 シルバーマネークリップ」

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「走り駒 シルバーネックレス」。裏には走り駒を刻印しています。左を向いた馬には、「右に出る者はない」という意味があります。

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小さくても存在感のある「走り駒 シルバーカフス」。

製品はすべて、色・柄が異なる一点もの。大堀相馬焼が持つ伝統の重厚感と、繊細なシルバーが組みあわさった製品は、どれも今風でとてもお洒落です。

それまで大堀相馬焼を古くさいと感じていた松永さんは、見慣れていた製品がかっこよく生まれ変わる過程を見て感激したそう。ほかの窯元からも、「うちの破片も持っていけ」と言われるようになりました。

マネークリップやネックレスは、ファッション雑貨としてこれまで大堀相馬焼に興味がなかった層にも届けることができます。「Piece by Piece」の製品を通して、大堀相馬焼の魅力や現状を知ってもらえたらと思っています。

この状況だからこそ、できることはある

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震災後、窯元の多くは廃業を選択しました。しかし、残った窯元は300年以上続いた伝統を絶やすまいと、県の研究機関に依頼して青磁釉の代替釉薬を開発。以前と全く同じとはいかないものの、大堀相馬焼の生産を再開することができました。

これまで密集していた窯元は二本松やいわき、白河、東京と、さまざまな場所に散らばりました。でも、だからこそできることはあると思います。それぞれの土地で得た知見を持ち寄って共有すれば、更にいいものができるんじゃないでしょうか。むしろ、伝統工芸の中で、そんなことができるのは大堀相馬焼だけ、という見方もできます。

土地を失ってしまったからこそ、なんでもできる。いや、やっていかなくちゃいけない。伝統工芸品って、人々から受け入れられ、売れてきたからこそ続いてきたものです。そこを履き違えて、「歴史があるから」「復興だから」とただ守ってもらおうとしてはだめですよね。大堀相馬焼の基本は押さえつつ、新しいことに取り組み、自分がほしいと思えるものをつくろうと思います。

震災以降、故郷に一度も帰れていないという松永さんは、その心境を「18歳までの記憶に、ぽっかりと穴が空いてしまったよう」と表現します。もっと見ておけばよかった。自分でもつくってみればよかった。そうした後悔を未来へ向かう原動力に変えて、松永さんは新製品の開発に邁進しています。
 
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いま、改めて思うのは、日本のものづくりは素晴らしいっていうこと。きちんとその魅力を伝えれば、もっとたくさんの人に届けることができるはず。でも、東北の人は控えめだし、自分たちの良さを伝えることが苦手。だから、伝えることが上手なほかの地域の人たちに手助けしてもらいながら、日本のものづくりの魅力を、浪江町の魂を伝えていきたいと思います。

震災をきっかけとして生まれた伝統と革新の製品「Piece by Piece」。あなたも製品を身につけて、その魅力を伝えるひとりになりませんか?