演奏者数5008人、観客数68万人…。1991年から始まり昨年で23回目を迎えた「定禅寺ストリートジャズフェスティバル(JSF)」は、総勢930人の市民ボランティアスタッフに支えられ、まちぐるみで運営している世界でも稀なフェスティバルです。
毎年9月に行われる2日間にわたる音楽祭のステージは、ケヤキ並木の定禅寺通りをはじめとした仙台の街中。“まち”というステージで、ジャズやロック、スカ、ゴスペルなど、様々なジャンルの音楽が演奏されます。
このフェスティバルの中でも特にユニークな試みが、当日楽器を持って集まれば誰でも自由に参加できる市民のためのステージ「JSFスウィングカーニバル」。音楽によるまちづくりを推進するヤマハの「おとまち」チームの協力により、2011年に始まりました。
音楽で、まちはどう変わるのか。
「おとまち」のプロジェクトを通して音楽によるまちづくりの可能性を探る連載、第2回。JSF実行委員会の日下邦明さん、復興支援でJSFに関わり、現在はヤマハ「おとまち」スタッフを務める木村真介さん、「JSFスウィングカーニバル」のナビゲーターをされたアルトサックス奏者の多田誠司さんにお話を伺いました。
左から木村真介さん、日下邦明さん、多田誠司さん
まちにあらゆるジャンルの音楽が溢れる2日間
ケヤキ並木の定禅寺通りをはじめ、ビルの入り口や商店街、公園、広場など仙台のまちなかが、この日だけのステージに変わるJSF。
“ストリートジャズ”とは、19世紀の終わり頃のアメリカ南部にルーツをもつジャズの自由な精神と表現を受け継ぎながらも、仙台・定禅寺から新しい音楽とその文化を発信していこうという想いが込められた造語です。
まちのステージでは、津軽三味線が始まったと思えば次はブラジル音楽、ロック、そしてジャズコンボ、シャンソン、さらには沖縄ポップス…と、ジャズばかりでなく、あらゆるジャンルの音楽が演奏されています。
昨年のポスター。音楽を愛する世界中の人々が心をひとつにして、争いのない平和な未来を築いていこうという祈りがこめられています
日下さん 音楽フェスティバルって、普通はある程度ジャンルを絞ってやるものが多いですよね。でもJSFでは、ジャズフェスと言いながら、ビジュアル系のバンドも出てくるんです。
木村さん 去年も、僕の隣で見知らぬじいちゃんとばあちゃんが演奏を見ていたんですが、じいちゃんがびっくりして、「あれなんだ?帰るか?」と言って(笑)。ばあちゃんが、「わざわざ千葉から来たんだってさ」と言うと、じいちゃんは「そうか、じゃ見てくか」ってビジュアル系のバンドの演奏を見届けて、拍手していたんです。そういうのって、なかなかない光景ですよね。
定禅寺通りのジャズ・コンボ用ステージ。写真は2009年開催時の様子
ミュージシャンが演奏をしていれば、見慣れた街並もステージになり、演奏者と観客が同じ目線で向き合う。あちこちでそんな場が生まれ、まちじゅうが音楽に包まれます。
このJSFが始まったきっかけは、1987年の地下鉄開業と商業ビルのオープンにありました。当時、東北地方では初の地下鉄開業。駅の出入口の場所によっては人の流れが変わるため、出入口をできる限り増やしてもらおうと、定禅寺通り界隈の店主たちが集まって会合を持ったのです。
それを母体に、のちに仙台の冬の名物となるイルミネーションイベント「SENDAI光のページェント」を開催。さらに定禅寺通り界隈のビル企業、地権者、8つの町内会で「定禅寺通街づくり協議会」を発足させました。
日下さん 企業や行政が主導してやっているのではなくて、あくまで市民が面白がってやっている。そこがすごいなと思います。
スタジオホールをもつ商業ビルのオープン時に、現在のイベントの原型となる「定禅寺通りジャズフェスティバル」が屋内イベントとして開催されたのち、5回目からJSFに発展していきました。
日下さん 仙台を代表するピアニストの榊原光祐さんが、「海外では、地下鉄の駅や街角でミュージシャンが演奏している。音楽って本来、野外でやるものなんじゃないか」と言うんですね。もともと面白がってまちづくりを市民みんなでやろうという人たちですから、すぐに「やってみようよ」という話になったのだそうです。
勾当台公園噴水脇滝前ステージ。写真は2009年開催時の様子
当時の仙台は、政令指定都市になったばかりの頃。「定禅寺ストリートジャズフェスティバル(JSF)」の始まりには、「自分たちの手で、このまちを楽しくしていくんだ」という意気込みがありました。
日下さん 僕は、JSFの14回目から実行委員として参加しました。出身は仙台ですが、20年ほど仙台を離れていて、こんな音楽祭があることを知らなかったんです。その後、仙台でイベントプロダクションを立ち上げたことをきっかけに、関わるようになりました。
最初は仕事かな?と思って参加したけど、ボランティアだったんです(笑)。でも、楽しくなってずっと続けていて。それから10年も経つんですね。
集まった人全員が観客ではなく“参加者”になる
参加者は子どもから大人まで幅広い。ひとりで来る人はもちろん、友人たちと一緒に参加する人も
「定禅寺ストリートジャズフェスティバル(JSF)」のなかで、楽器を持ち寄って誰でもアンサンブルに参加できる「JSFスウィングカーニバル」が生まれたのは、東日本大震災があった2011年9月のこと。
愛用の楽器を抱えて会場に向かうと、ゲストミュージシャンやホストバンド、そしてもちろん集まった人たちも含めて、数百人の大合奏に参加できます。演奏経験は一切関係なし。そんなプログラムが「JSFスウィングカーニバル」です。
木村さん 「おとまち」リーダーの佐藤雅樹が仙台出身で、ご家族から「いい音楽祭があるから絶対に見ておけ」と言われて久しぶりに故郷に戻ったら、まちが音楽に染まっていて驚いたのだそうです。そこで、ヤマハで参加自由型のステージをつくりたいとJSFの実行委員会に提案しました。
初めての試みだったので、じっくり3年かけて話し合い、震災後にようやくJSFが主催、「おとまち」協力で実現したんです。
より多くの人が気軽に参加できるように、ヤマハは200個以上のパーカッションを無料で使えるように用意するなど、楽器の貸し出しも含めて協力しました。参加者の中には、震災以降楽器を手にとっていなかった方もいました。
JSFスウィングカーニバルで、音楽指導などのナビゲーター役を務める多田誠司さん
多田さん 僕は、ナビゲーターとして2回目から参加していますが、結構みんな楽器を持っているものなんですね。押入れの奥にしまいっぱなしだった楽器とかね。ブルースハープや尺八、ピアニカを持ってきたり。ありとあらゆる楽器を持ち寄って大合奏したんです。中には鼻笛の人もいました。(笑)
「仙台人の気質って引っ込み思案だと思っていたら、俺にもやらせろといった感じでこぞってソロに挑戦するのに驚いた」と日下さん
当日は、手を挙げてくれた参加者20人に、ソロのパートをアドリブで演奏してもらいます。
多田さん まず、「ソロやりたい人?」って聞くでしょ。そのあと、「やったことがない人?」って聞くのね。その中から選ぶ(笑)。あとは楽器のバランスもあるから、「フルートがいないからお前来い」みたいな感じでわりと強引に(笑)。でも、みんなちゃんとやるんですよ、自分の番が来ると。
木村さん ソロを吹く瞬間は、固唾をのんで見守ります。一音吹くまで、どんな演奏か分からない。ソリストが出てきて、一瞬静まり返って「ぷぅ」って音を出す。「頑張れ、最後までいけるか?」ってハラハラドキドキしっぱなし。そこはうまく多田さんがまとめてくださるから全体としてはちゃんと音楽になっていて。次の人に渡ったら凄腕で、今度はうわあーと大歓声が挙がったり。
上の写真の女性は、一昨年参加したときは恥ずかしがって“おそるおそる”といった感じでしたが、昨年も来ているのを多田さんが見つけて「上がっておいで」と声をかけました。すると、多田さんと堂々と渡り合った演奏を披露。ホストバンドの音を消して、サックス同士でバトルをしました。女性の「負けるもんか」という気迫が伝わってくる一枚です。
多田さん このときは感動しましたよ。よっぽど一年間頑張ったんだろうね。
演奏曲は2曲。希望する人にはヤマハが楽譜を事前に郵送します。2013年は「上を向いて歩こう」と「ウォーターメロン・マン」でした。
多田さん 初めて参加する人はアドリブをさせられるとは思ってもいないだろうけど、手掛かりは提示してあげる。ブルーノートスケールという、6つの音を何か吹いていればちゃんと音楽にはまる音階をヒントとしてあげて、「このなかから音をチョイスして吹いてみな」ってところから始めるのね。
でも、子どもたちには、「とにかく全部やってみな」って。自作の楽器をパフパフ、ジャンジャン、ガラガラ、なんでもいい。するともう会場は大爆笑で。その子にとっても、すごくいい経験だったと思う。
自作の楽器を持ってきてくれたお子さん。音が鳴るたびに、会場は大盛り上がりに
「JSFスウィングカーニバル」では、演奏する人たちのことを“演奏者”ではなく“参加者”と呼びます。500人が来たら、500人が参加してひとつの音楽になる瞬間が生まれるのです。
観客のつもりが、いつのまにかパーカッションを渡されてその大合奏に参加している、なんてことも。演奏する側と聴く側を分けることなく一体化させて、ひとつの音楽として昇華させていく。それが「JSFスウィングカーニバル」の醍醐味です。
ジャンベの前に座ったおばあちゃん。最初は戸惑っていても、やってみればとても楽しそうな笑顔に
心の拠り所となる“お祭り”で、人とまちはつながる
実は、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル(JSF)」が市からもらっている補助金は、仙台七夕まつりなどと比べて桁がひとつ少ないのだそう。でも、「もともと市民が立ち上げて勝手にやっていたものだから、それでいい」と日下さんは言います。
JSF実行委員会の日下邦明さんは、本職はイベントプロデューサー。仕事をしながらも、ボランティアとしてJSFに関わり続けています
日下さん いただいた補助金は広報費として使っていますが、僕たちはそれ以上求めていないんです。個人的な意見ですけど、回を重ねても、少し不良っぽいところを残しておきたいなって。
主要なまちの道路を通行止めにして、小さい椅子を持って来て、昼間からウイスキーを飲んでいる。それって不良じゃないですか(笑)でもそんな不良っぽさがすごく魅力的なんですよね。
23年間も市民の力に支えられて、多くの笑顔を生んできたJSFですが、「課題はまだある」と日下さんは続けます。そのひとつが、「演奏者も観客も実行委員も参加者となり、市民みんなでつくりましょう」というコンセプトを掲げているのに、「演奏したい」と言っている人をお断りしなくてはいけない状況があること。
日下さん 昨年は733バンドが参加したんですが、応募は1200バンドくらいで、500のバンドにはごめんなさいと伝えてなくてはいけない。だから参加自由型のアイデアをヤマハさんからご提案を受けたときには、「これだ!」と思ったんですね。
誰でも演奏できる「JSFスウィングカーニバル」なら、参加できなかったバンドメンバーも一緒に演奏して、みんなでつくれる!って。
音楽を演奏するのが大好きな市民と、音楽を聴くのが大好きな市民に支えられ、運営もボランティアによって成り立っています。ヤマハの「おとまち」グループも、企業としてというよりも、ひとりの市民として参加しているのです。
木村さんは、東北芸術工科大学の復興組織「FUKUKOU LIVE」メンバーとして「JSFスウィングカーニバル」に関わっていましたが、のちにヤマハで仕事を始め「おとまち」所属になり、いまではJSFの実行委員も務めています
木村さん 「何をしていようとどこにいようと、その時だけは仙台に帰ってくる」みたいな、特別な思いのある“お祭り”になるといいなと思っています。
もともと、市民みんなでつくったフェスです。企業や行政が仕掛けたイベントではない。仙台に暮らす人の心にしっかりと根を張って、ずっと続いていくお祭りになったらいいなと。
イベントは予算がなくなったらできないけど、お祭りはそうじゃない、と木村さんは続けます。
木村さん 僕は出身は京都で、JSFに関わるようになってから仙台に移住したんですが、幼い頃は転々としていたので、故郷といえる場所がないんです。でも、「第二の故郷は?」と聞かれたら、迷いなく「仙台」と答えますね。きっとこの“お祭り”が、そういう気持ちにさせてくれたんだと思います。
当日配布するフライヤーやウェブサイトなど、実行委員会が公式に出している文書すべてに書かれている言葉があります。
「ステージは街です」
「あらゆるジャンルの音楽で溢れます」
「市民みんなでつくっています」
そしてJFSを参考に、高知や弘前、宇都宮や高崎など、日本各地でも音楽フェスが続々と立ち上がっています。
多田さん 今、音楽ってすごく軽い時代じゃないですか。みんなMP3でしか聴かない。大きなオーディオで聴くこともないし、ましてや生の音を聴く機会なんてほとんどないと思うんです。そういう環境のなかで、「生の音楽ってこんなに生命力があるんだ」というのを伝えたい。
僕は音楽からたくさんのものをもらいましたから、今度は恩返しとして、いろんな人に贈りたいと考えています。だから、ナビゲーター役をやらないかと声を掛けていただいたときは、嬉しかったですね。
生の音楽をからだ一杯に受け止めながら、自分も大合奏に参加して、先入観を持たずにアドリブを吹いてみる。この「JSFスウィングカーニバル」には、大きな意義を感じているんです。
五感すべてで受け止める生の音楽は、絶対違う。聴くよりも参加したらもっと違う。それが、500人もの大合奏だったら…。
まちづくりに参加したいと思っても、きっかけを見つけることは難しいもの。
でも、お祭りだったら友人と一緒にボランティアに参加してみることだってできます。見知らぬ人同士が心を一つにしてひとつの曲を合奏できたなら、まちの結束も強くなるはずです。
JSFは、毎年9月に開催されています。ぜひ足を運んで、自分の耳で生のライブを聴いてみたり、参加者として演奏してみたりしませんか?