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スーツを脱いで、地下足袋を履こう!脱サラして自立した農業を目指す「矢口農園」 [野良的生活のススメ]

矢口農園

特集「野良的生活のススメ」は、“野良”な生活、“野良”な働き方を探求する連載企画です。自由気ままに人間らしく、自然のリズムと共に生きる人々の知恵やアイデアを掘り下げ、野良的な感性をみなさんの元へ届けます。

食は一番大事だから。

開口一番、矢口滋さんは言い切りました。その自信を持ったきっぱりとした口調に食べ物をつくる人の自負がにじみます。

東京からわずか一時間。住宅地と畑が入り混じる神奈川県綾瀬市と横浜市青葉区に3.7ヘクタールの畑を持つ「矢口農園」。土いじりが好きな矢口さんは、自ら起業した車の部品メーカー「ヨコハマテクノス」の社長業の傍ら、家の近所に畑を借り、趣味で30年以上野菜をつくってきました。

平日はスーツ、週末は地下足袋に履き替え、土を耕す毎日。「繁忙期の夏は明け方3時起きだった」と笑います。それでも続いたのは、「できあがった野菜を手にした時の感触が何ともいえなくて。大地を相手にするというのは良いものですよ」。飄々とした農家の佇まいに、ときおり起業家の鋭い視線が混じります。

週末農業に憧れる人は多い。でも農業一本で自活するのは、知恵も勇気も必要で、生易しいことではありません。「野良的生活のススメ」の第二弾としてご紹介するのは、脱サラから自立した農業を始めた矢口農園のストーリー。

農業は面白い、やりがいのある仕事

新耕法でネギの苗を植える矢口さん
新耕法でネギの苗を植える矢口さん

農地法改正により企業の農業参入が緩和されたのをきっかけに、2011年矢口さん(現在は会長)は会社の一事業としてファーム事業部を立ち上げました。オートバイや自転車までが捨てられた荒れた耕作放棄地を借り受け、一から畑に整備して、有機農業を始めます。その推進役となったのが、今井大輔さんでした。

今井さんはアルバイトがきっかけでヨコハマテクノスに入社。矢口さんが「似た者同士」と分析する企画力と行動力で農業ビジネスを軌道に乗せて来た会長の秘蔵っ子です。昨年、ファーム事業部から株式会社アローレインボーとして独立し、農業ベンチャーとして会長の志を引き継ぎます。
 
アローレインボウを立ち上げた今井大輔さん(撮影:たけいしちえ)
アローレインボウを立ち上げた今井大輔さん(撮影:たけいしちえ)

土地を持つことに執着する人は多いのに、持っている土地は休耕地として放っている。これでは日本の農業は発展しないよね。若い人がやりたがらないし、ますます自給は厳しくなる。ずっと“ものづくりの原点”として、農業をビジネスにしなきゃいけないと思っていました。本気でやればものすごく面白い仕事だけれど、わかっていない人が多い。(矢口さん)

日本は法制度上、既存農家を保護しているので、土地を持たない新規就農にはハンデがある。その状況を打開するために、独自の販路を開拓していますが、つくり手が販売まで手掛けているところはまだまだ少ない。その上、天候に左右される収穫。それが農業の難しさでもあり、醍醐味でもあって、うまくいった時はうれしい。ハードルは高いけれど、だからこそやりがいのある仕事。 (今井さん)

ふたりの言葉からは、共通して、現在の農業政策に対する危機感と逆境においてこそ奮い立つ不屈のチャレンジ精神が感じられます。

50〜60品目もの野菜を栽培

色とりどりのカリフラワー(撮影:たけいしちえ)
色とりどりのカリフラワー(撮影:たけいしちえ)

畑を見回すと、めずらしい野菜がたくさん。むらさきほうれん草、辛味大根、色とりどりのブロッコリーやカリフラワーなど、年間50〜60品目もの多品種栽培に挑戦しているそうです。「他がやっていないことで差別化する。多品種栽培によって、一年を通じて、収穫があることもメリット」と話す今井さん。

「オレンジ白菜ってご存知?」と矢口さんが濃い黄色をした白菜を見せてくれました。肥料は豚糞を使った有機堆肥を使用。除草剤も使用せず、手をかけた白菜は葉の部分が多く、芯まで甘くて、ふわふわ。「塩昆布と混ぜるだけでも美味しいよ」。

常に新しい技術や品種に目を向け、取り入れる。情報収集力があり、進取に富んだ気質がうかがえます。この日いただいた採れたてのネギと旬の里芋は、ねっとりして甘く、からだの中に吸い込まれるようでした。

直接販売によって消費者とつながる

川崎市・宮崎台にある直売所。週末にはけんちん汁を振る舞うことも
川崎市・宮崎台にある直売所。週末にはけんちん汁を振る舞うことも

矢口農園の特徴のひとつに直接販売があります。一般の農家のように市場に卸さず、川崎市宮前平にある直売所と都内のファーマーズマーケット、個人宅配、レストランなどに販売しています。

うちはしゃべれる農家。今、スーパーで味を伝えながら売ることってないでしょう。直売所やファーマーズマーケットでは、味、鮮度、価格の違いをひとりひとりに話しながら売っています。減農薬、有機肥料で育てているので、甘みがある分、傷むのも早い。カットした白菜は一日で黒くなるので、それをわかった上で買ってほしい。

良い農産物をつくる農家はたくさんあるけれど、売ることまでやっているところは少ない。でも普通に市場に卸すと3分の1の値段になってしまいます。農家が自立して採算をとるために、直販は必要な手段です

つくり手から直接買うと、旬のもの、新鮮な野菜の見分け方、調理法など、食べ物に関する知識も増えてきます。それだけではなく、既存の流通に頼らず、新たな経済システムをつくろうとする農家をサポートすることも意味するのです。これからの展望について今井さんは次のように語ります。

矢口農園の野菜が食べられる直営の野菜レストランやマーケットを開きたい。農家が農産物の生産だけでなく、流通、加工、販売まで手掛けることを6次産業化というんですが、これからはそうならないと

自立した農業を目指して

荒れた農地もふかふかの土に。除草剤も使用していない(撮影:たけいしちえ)
荒れた農地もふかふかの土に。除草剤も使用していない(撮影:たけいしちえ)

話を伺うと、日本の農業の実情は知らないことばかり。でも経営という視点では、農家も一企業と変わらない。サラリーマンから農家への転身は大きな決断だったのではという問いに「一番の変化は痩せたこと(笑)。意識はあまり変わりません」という今井さん。

農業経営者としてのその顔は、企業の農業参入という道なき道を開拓し、農協に頼らず独自の販路を確立し、多角経営に乗り出そうとするフロンティアスピリットにあふれていました。こうしたたくましさこそ、野に出て働くことに求められるのでしょう。

“野良”とは、都会の人が思い描くような牧歌的なスローライフではなく、自立のために創意工夫のできる、独立起業家の精神なのかもしれません。矢口さんのように週末農園とはいかなくとも、庭やベランダで土を相手にしてみる。あるいはまず、野良的生活をしている人と話してみる。自分の中の“野良”を探し、育てることで、忘れていた自立の力がよみがえってくるかもしれません。