みなさんは、「震災瓦礫」と聞くと何を想像しますか?痛ましい震災の爪痕、進まない復興の象徴、全国各地での受け入れ問題…あまり良いイメージは持っていないのではないでしょうか。
でも、瓦礫の一つひとつは、かつて誰かの暮らしの一部だったもの。見方を変えれば、その土地の大切な思い出が詰まったカケラたちです。岩手県陸前高田市では、瓦礫をポジティブな製品に変えて販売し、地元の人の収入源を生み出すプロジェクトが行われています。
製品の名前は、「瓦Re:KEYHOLDER(ガレキーホルダー)」。震災の年の夏に生まれたこの製品は、2年で約7万個売れ、今年6月にはその売上で老若男女が集まるカフェもオープンしました。
本来だったら捨てられてしまうものが、現地の人の収入につながる
このプロジェクトの発起人は、北海道出身の中田源さん。中田さんは2011年7月、北海道のリフォーム会社「株式会社Hand Made」の復興支援担当社員として、陸前高田へ移住しました。中田さんは、何もなくなってしまった被災地に残された瓦礫の山を見て、「これを使って何かできないか」と考えたといいます。
改装中のカフェにて、中田源さん
ベルリンの壁が崩壊したとき、地元のお土産屋さんが壁のかけらをパッケージングして販売していたそうです。本来だったら捨てられてしまうものが商品になる。それが発想の元となっています。
瓦礫に対する考え方は千差万別です。かつて誰かが大事にしていた宝物だったり、遺品だったりする一方、処理には時間がかかるし、いつまでもあると気が滅入る。だったら僕は、目の前の仕事を失った人の収入の手段として活用できたらと思いました。
でも、“よそもの”である中田さんが瓦礫を活用することに、抵抗感を覚える地元の人もいるかもしれません。中田さんは1か月ほど瓦礫撤去や物資の支給などのボランティア活動に専念し、地元の方と親しくなっていきました。毎日話をしていると、やはり仕事がなくて困っている人が多いことを実感したといいます。
「やっぱり必要なんじゃないか」と思い、地元のおばちゃんに「瓦礫を使って製品をつくることが地元の人の仕事になればと考えているんですが、どう思いますか?」と聞いてみました。そしたら、「いいんじゃない?」と応援してくれて、どんどん人を紹介してくれたんです。それが励みになって、まずはやってみることにしました。
市の建設課から許可をもらって瓦礫の山からカラフルな破片を拾い、高圧洗浄をかけて磨き、形を整えます。それを3枚重ねてキーホルダーにしたものが「瓦Re:KEYHOLDER」です。
「瓦礫」という言葉から受ける印象とは裏腹に、明るくポップな色使い。仕事を失った主婦や障がい者の方々が製作しています。
はじめの頃は否定されたこともあったそうですが、コンセプトに共感してくれた方々の応援もあり、全国で販路が広がっていきました。見た目のカラフルさからか子どもに人気があり、「お年玉を削って買いました」「ランドセルにつけています」と手紙が届くこともあるそうです。瓦礫を使ってフォトフレームがつくれる子ども用工作キット「瓦Re:きっとフォト」も開発し、好評を博しています。
まちをつくっていく時に必要なのは、様々な人が集まり対話できる場所
「瓦Re:KEYHOLDER」「瓦Re:きっとフォト」は、販売開始から2年で約7万個売れました。ひとつ10gなので、700kgの瓦礫を処理したことになります。売上から材料費や工賃などを払って残ったお金は、今後の展開のために貯金してきました。
そこで貯まったお金と助成金を活用し、今年7月、陸前高田の仮設商店街「再生の里ヤルキタウン」にカフェをオープンしました。
震災から時が経った今でも、周りからはネガティブな話がたくさん聞こえてきます。仮設住宅での暮らしもストレスが溜まりますよね。陸前高田ではいま、みんなで集まって他愛ない馬鹿話をしたり、自分の夢や希望を語ったりできる場所がすごく必要とされていると感じていました。
それがひとりよがりな考えじゃないか確認するために、地元の人に街頭アンケートをとってみたんです。そうしたら、「集まる場、対話する場」を求める声が多くて。これからみんなでまちをつくっていくためには、やっぱりそういう場が必要なんですよね。「間違っていない」と思い、実現するために動き出しました。
中田さんは場所を探し、仲間と一緒に2か月かけて改築。プレハブとは思えないおしゃれな空間に仕上がりました。名称は、「ハイカラごはん職人工房」です。
この店は、瓦Re:KEYHOLDERを買ってくれた7万人の人のお金で建ちました。みんなの力が集まってできたものなんです。その人たちが「遊びにきたい」と思える場所にしたいとも思いました。
復興にはまだまだたくさんヒトモノカネが必要です。でも、進歩がないものに対してずっと関心を寄せ続けるのは難しいでしょう。先が気になるプロジェクトを仕掛けて、多くの人が自然な形で関われる仕組みをつくりたいと思っています。
「場がある」という強みを活かし、地元住民向けの勉強会や郷土料理のリデザインなども実施。8月には地元の米崎リンゴを使った「りんごエールりくぜんたかた」を発表し、評判を呼んでいます。
若い人が挑戦しやすい土壌をつくる
札幌出身でありながら、陸前高田の未来を考え、自分にできることに挑戦し続けている中田さん。その根底にはどんな想いがあるのでしょうか。
陸前高田には大学や専門学校がないから、みんなある程度の年になると外へ出ちゃうんですよね。20代30代が少ないんです。でも、やっぱりその地域で生まれた人が文化や歴史を継承して、まちを盛り上げていかなくちゃいけない。
そのために必要なのは、若者が働ける場所や、チャレンジできる場所。よそものの自分たちにできるのは、色々な取り組みを試して、若い人が新しいことに挑戦しやすい土壌をつくることじゃないか、と考えています。
でも、田舎は地縁が濃い分、しがらみもつきもの。大変なことも多いと思います。
都会と田舎で大きく違うことは、「向き合う人の多さ」です。都会だと、合わない人とは一緒に仕事しなくてもいいんですよ。いくらでも代わりがいるから。こっちは絶対的な人数が少ないから、一人ひとりと向き合わないといけない。
それには、相手の話をしっかり聞くこと、自分の譲れないラインを知ること、一つひとつの仕事を丁寧にしていくことが大事です。大変だけど、そういう経験っていまの時代にとても大事なことだと思っています。
瓦礫の中から光る素材を拾いあつめるように、陸前高田というまちや人に真摯に向き合い、その力を集めて物事を形にしていく中田さん。今後の展開も楽しみです。