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布草履から果樹園づくり、6次産業まで!女川町の高齢者に居場所をつくる「コミュニティスペースうみねこ」

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ものづくりからはじまる復興の物語」は、東日本大震災後、東北で0からはじまったものづくりを紹介する連載企画です。「もの」の背景にある人々の営みや想いを掘り下げ、伝えていきたいと思います。

「がんばれ東北」「負けないで」応援メッセージが刻まれたタペストリーが壁を彩る小さな部屋で、談笑しながら手を動かす女性たち。製作しているのは、全国から支援物資として届けられたTシャツを材料とした布草履です。

ここは、宮城県牡鹿郡女川町にある「コミュニティスペースうみねこ」。被災した人がものづくりを通して収入とやりがいを得るために建てられた、みんなの集会所兼作業所です。

この場所を運営する八木純子さんには、「全ての人の居場所と役割をつくりたい」という想いがありました。

全国から届いたTシャツを使って、布草履を編む

八木さんは女川町出身。保育士を20年務めた後、石巻で小さな学習塾を経営していました。2011年3月、地元を襲ったあまりにも大きな災害を前に愕然としたものの、すぐに「何か自分にもできることがあるんじゃないか」と思い、行動を開始。炊き出しや託児サービス、おもちゃの寄贈手配や高齢者のデイケアサービスなど、その時期その時期に必要な活動をボランディアで行ってきました。

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八木純子さん

震災から3か月が過ぎた頃から、八木さんは「いつまでも人からいただくのではなく、被災者が自ら立ち上がるための活動をしないといけない」と感じるようになり、人を集めてものづくりを始めました。

ちょうど、避難所から仮設住宅に移りはじめた時期です。これから必要になってくるのは、“コミュニティ”と“収入”。みんなで集まって何かをつくり、それがちょっとした収入になってわくわくする気持ちを味わえたらと考えたんです。

選んだのは、支援物資として届いたTシャツで編む布草履。せっかく送ってもらったものを無駄にしたくなかったからです。また、材料費がかからないこと、高齢者でもつくることができることもポイントでした。

通常の布草履は手や紐を使って編むのですが、女川独自のものにしようとかぎ針で編んでいます。かぎ針で編むと凹凸が大きくなって、足つぼスリッパみたいに足の裏を刺激するんですよ。

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布や柄は全てつくり手さんのセンスにお任せしています。落ち着いた色味で渋めのもの、カラフルでポップなもの、ひとつとして同じものはありません。つくり手さんたちは、「どんな柄にしようか」と楽しみながら編んでいます。購入者からメッセージが届くことも多く、製作の励みになっているのだそう。

病気を抱えた人から、「手術をするときに布草履があれば勇気づけられる、元気になって戻って来れると思えるから、どうか送ってください」と頼まれたり、布草履を送った幼稚園から、園児が自分で「ばあちゃんの布草履ごしごしごし、黒い汁出ろ出ろ出ろ」って一所懸命洗っていたと教えてもらったり…。「自分のつくったものがこんな風に求められ、大事にされるなんて」って、みんなじいんとしていました。

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いつでも「ただいま」と帰ってきて安心できる場所

2012年6月、布草履の売上と助成金を活用し、女川町鷲神浜地区につくり手さんが集まる作業所「コミュニティスペースうみねこ」を建てました。布草履を編むだけでなく、お茶っこをしたり、小さな講習会を開いたりできるスペースです。みんなが鍵を持ち、共同で管理をしています。

もともと女川にあった集会所は流されてしまったので、その代わりに地域の人がふらっと集まれるたまり場になれば、と考えました。

自分の居場所、「ただいま」って帰ってきて「いつでもここにいていいんだ」と安心できる場所って、誰にとっても必要だと思うんです。

八木さんが震災前に経営していた学習塾もそういう場所でした。勉強を教えるのではなく、やる気を育てるという方針だったといいます。

震災後に塾があった建物を見に行ったら、貼り紙がしてあったんです。そこには、生徒たちの名前と、無事であることが書かれていました。試行錯誤しながらの運営でしたが、生徒たちにとって大事な居場所になっていたんだな、と思いました。

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子どもたちが気軽に立ち寄れるように、「うみねこ」でもたい焼きの販売もはじめました。東北を支援したいとやってきたたい焼き屋さんに指導を受け、おばあちゃんたちが丁寧につくっています。せっかくなら女川独自のものにしようと、女川の特産品であるサンマを象った「サンマ焼き」も開発。好評を博しています。

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果樹園の整備でおじいちゃんたちが生き生きしはじめた

お母さんたちは、布草履づくりから始まって、サンマ焼きの販売にコミュニティスペースの運営にと、どんどんやりがいを見つけて楽しんでいます。

でも、そこで取り残されたのがお父さんたち。家にひとり籠ってしまう人がたくさんいたので、お父さんたちのための活動を始めることにしました。

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その活動とは、果樹園づくりです。何かを栽培すると、昨日は実がひとつだけだったのに、今日は3つ、明日は5つと日々変化していきます。

八木さんは、「被災者には“今日と違う明日”を楽しみにする気持ちが必要だ」と考えたのだといいます。ほとんどすべての家屋が流された女川町高白浜を開墾し、イチジクの苗を植えました。

現在、4人のおじいちゃんが樹木の世話をしています。そのうちの一人は、津波で船を流され漁を続けられなくなってしまった、70代の漁師さん。生きる目的を失いかけていましたが、いまでは果樹園づくりに夢中になっています。防鳥ネットを張るときなど、漁師の経験が役立つんですね。網の扱いはお手のもので、器用にぱぱっとつくってくれました。自分の特技が活かせるとあって、嬉しそうにしていました。

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イチジクが収穫できたら、サンマ焼きの中に入れるなどして、女川名産スイーツをつくる予定です。先日、高白浜で唯一津波から残った倉庫を加工場兼カフェとして再生する為の資金を「READYFOR?」で募集したところ、目標金額を超える197万5,000円の寄付が集まりました。女川町初の6次産業化を目指し、「うみねこ」のメンバーたちは邁進しています。

どんな人にも役割がある

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「絶対に、みんな何か“できること”を持っているんです」。そう、八木さんは強いまなざしで語ります。自分の好きなこと、得意なことがみんなに喜ばれ、求められること。それは格別の喜びです。女川のおじいちゃんおばあちゃんたちは、「うみねこ」の活動を通して元気を取り戻していきました。

超高齢化社会を迎えようとしているいま、高齢者の生きがいやコミュニティづくりが叫ばれています。一人ひとりに合った役割を与え、居場所をつくる「うみねこ」の活動は、全国のお手本になるかもしれませんね。