greenz.jpの連載「暮らしの変人」をともにつくりませんか→

greenz people ロゴ

復興への当事者意識、持ち続けていますか? 本設へと歩みを進める陸前高田「りくカフェ」

s_riku-1

岩手県・陸前高田市の高台にあるコミュニティカフェ「りくカフェ」。地域の奥様たちが中心になって、おいしいコーヒーを用意したり、生協の移動販売車を呼んだり、週末にはジャズコンサートを開いたりと、今では多くの人が立ち寄る憩いの場になっています。

「“ハコ”だけ用意しても、コミュニティを形成するのは難しいんだと思います」。

そう話すのは「りくカフェ」の建築を手がけた、成瀬・猪熊設計事務所の猪熊純さん。ともに携わる成瀬友梨さんは、「街づくりの専門家や、熱意のある企業の方々、たくさんの協力者がいて恵まれていました」と言います。

地元で被災した当事者の復興に、東京に事務所を構えるお二人や、同じく東京を拠点とする専門家や企業はどうかかわり続けているのでしょうか。本設の建設を控え、ますます活気づく「りくカフェ」には、距離や立場を越えたコミュニティ形成と支援のヒントが詰まっていました。

仮設から本設を目指す、陸前高田のコミュニティカフェ

riku-2
りくカフェを運営する中心メンバーの皆さん。赤いエプロンを着ているのが、リーダーの吉田和子さん

りくカフェは2012年1月、仮設の建物で運営がスタートしました。仮設の建物の利用には期限があるため、この冬から一般的な建築物・本設の着工を予定しています。その資金の一部を、現在クラウドファンディングのCAMPFIRE「『りくカフェ』を仮設から本設へ!」で集めています。目標金額に達成した今も、まだまだパトロンが増えています。

りくカフェの発端には、猪熊さんと成瀬さんのほかに、街づくりを専門とする東京大学准教授の小泉秀樹先生、現地の運営メンバー代表を務める陸前高田の吉田和子さんらがかかわっています。

小泉先生は以前から東北地域とつながりがあり、調査や相談を受けるために震災の1週間後から現地に通っていました。緊急の時期を脱した4月頃、随分前に知り合っていた吉田さんを訪ねると、ご友人が多い吉田さん宅に全国から集まる支援物資を、彼女は自宅を拠点に周囲の人に配っていました。そこにはすでに、地元の人たち同士のコミュニティが生まれていたのです。

民間でそういうことが早く始まっていたことに、小泉先生はすごく感動したそうなんです。でも、「自宅だから招くのが知っている人に限られる。もっと広い公共的な場所があれば」という課題もありました。

先生と同じく東大の教員で、東北にもお手伝いに出向いていた成瀬さんは、当時をそう振り返ります。

そんな折、吉田さんのご主人で歯科を営む正紀さんや、同じエリアで内科を開業する鵜浦章さんらから「使える土地はある」と聞いて。そこで先生と地域の皆さんで「コミュニティカフェをつくろう」という話が生まれ、私たちが建物の設計を打診されました。

s_riku-3
猪熊純さん(左)、成瀬友梨さん。東京・荻窪の成瀬・猪熊建築設計事務所にて。手前にあるのは、りくカフェ本設の模型

同じ時期、猪熊さんと成瀬さんは、何か自分たちの専門性を活かしてできることはないかと、企業向けの支援計画の企画書を作成していました。「義捐金だと、どう使われたのかが見えにくい。もっと直接的な支援ができないか」と複数の企業から聞いていたため、建物プラスそれを運営する人的コストなどのソフト面を合算した支援を提案していたのです。

でも、その時点では特定の場所も人も決まっておらず、企業も僕らもなかなか実行に移せずにいました。そんな折、成瀬が小泉先生から「場所も人もある、きみたちが設計してくれるならあとは建設資金だけ。企業への企画書をつくっていたよね?」と話を受けて(笑)。そこから一気に、企業への提案が具体化しました。

「社会実験の場」として企業にかかわってもらう

僕らがラッキーだったのは、震災以前から「HOUSE VISION」という勉強会に参加していて、企業の中でも何か新しいことをしよう、視野を広げようという思いの強い方々とつながりがあったことです。

と、猪熊さんは続けます。HOUSE VISIONは、グラフィックデザイナーの原研哉さんが立ち上げた、新しい住まいのかたちを探る研究会。ここで猪熊さんらが知り合った、住友林業やYKK APの担当者を通して、両社をはじめ複数の企業から協力を得ることになりました(※メンバー・協力企業については「りくカフェとは?」からご覧になれます)。

s_riku-4
今は34㎡と狭く、トイレも屋外設置ですが、地域の人が気軽に立ち寄れる憩いの場になっています

ここで興味深いのは、実質的には支援なのですが、「形としては『社会実験』として企画が通っている」という点です。成瀬さんは、企業からの支援について、こう話します。

企業の方々も、もちろん支援したい気持ちはあるものの、大変な場所はほかにいくつもあるので「なぜ陸前高田なのか」という説明がつきにくいんです。そこで見方を変えて、木材や断熱材、エアコンなど自社のリソースを使って「コミュニティスペースがどう成長するか」という社会実験をするという切り口で、社内に話を通してもらいました。

そうすると、無料で場所が用意されて実験ができ、知見を貯められる、という筋が通る。ひとまず仮設で、期間が限られていたことも奏功しました。

同じように大学からも、小泉先生と成瀬さんは東大から、猪熊さんは教員を務める首都大学東京から、それぞれ研究費を確保。昨年7月から活動に加わった、コミュニティガーデンの研究者である千葉大学准教授の秋田典子先生も、自身の研究費を充てているそうです。

s_riku-5
着手して約1年、形になったハーブガーデンの前で。お庭は同じ敷地内の医院や歯科(後ろの建物)と共有。とれたハーブを使って、カフェでハーブティーやクッキーを出したいという話も挙がっているそう

加えて、内閣府「新しい公共支援事業」の助成金を確保するなどして、“ハコ”を用意するだけでなく、人件費などソフト面まで賄えるだけの運営の目途が立ったのでした。

新しい企画が次々と! りくカフェが皆の実験場に

でも、一番色々と“実験”を試みているのは、運営メンバーの皆かもしれない、と猪熊さん。つい数カ月前、グーグルカレンダーの使い方をレクチャーしたところ、東京でそのページを開くたびに初めて見るイベントや企画が増えているそうです。

ひとつのターニングポイントになったのは、昨年秋の東京への視察ツアーでした。にぎわっているといっても、現場では当然ながら人の少ない日もあれば、ここからどう工夫をしていくべきかと悩むことも。そこで、東京で同じようにコミュニティスペースを運営している団体を訪ねることでヒントになればと、猪熊さん・成瀬さんが視察を提案したところ、一気に実現へ。

s_riku-6
東京・洗足にある「洗足カフェ」にて、同カフェの皆さん(右列手前から4名)と交流。りくカフェのメンバーは、たくさんの刺激を受けたようです

何を感じるかはメンバー次第ですが、例えば私たちなら必ず内装やデザインが気になるので、そういったところも見てもらえたらと。そこで、「内装について」「音楽について」などの項目を挙げた感想シートを用意して、使ってもらいました。

生協の移動販売車が毎週寄るようになったのも、販売用のお弁当を地元のレストランに作ってもらう企画も、東京へのツアーを機に生まれたそう。委託販売をしている物販の取り扱い数も、どんどん増えています。

最初から具体的に本設への移行を目指していたわけではなく、「仮設の期限が来るころに役目を終えることもあると思っていた」とお二人は言いますが、1年も経たないうちに関係者の皆が「本設がほしいね」という気持ちになっていたそうです。

s_riku-7
ロゴを制作したのは、世界的に活躍する「ビジュアルデザインスタジオWOW」のアートディレクター、大内裕史さん。奥様が陸前高田の出身で、偶然りくカフェを訪れた際に猪熊さん・成瀬さんと知り合い、協力を得る運びに。

震災から2年半、地域の「健康」を守る拠点になれたら

東日本大震災から、2年半が経ちました。猪熊さん、成瀬さんとも出身は東北ではないものの、りくカフェの縁から定期的に陸前高田に通う中で、「まだ復興したとはとても言えない」と感じているそう。

りくカフェがある高台のエリアは病院や歯科が並び、通院帰りの人も多いのですが、接点のない人たちが一体どうしているのか……。特に東京にいると、それはなかなか見えにくい問題です。震災の発生から時間が経った分、経済や生活の先行きの不透明さに、心身の健康を害してしまうケースも問題になっているそうです。

そんな状況の中、仮設から本設へと、いわば場の“バージョンアップ”を控えているりくカフェは、建物だけでなく活動そのものも試運転から本格始動へ踏み出そうとしています。あくまで中心は地元の皆さん、としながらも、成瀬さんは「今後は『健康』というテーマでブランディングできれば」と話します。

本設にはキッチンを設けるので、主婦業の長い運営メンバーが得意の料理を振る舞ったりもできます。それから、孤立しがちな子育てママをサポートしたい、といった意見も挙がっていて。できることを探りながら、りくカフェが地域の健康を守る拠点になれたら、より意義のある場所になるかなと思っています。

s_riku-8
9月に行った、コミュニティガーデンのハーブを使った料理教室の様子。こうして集まって楽しい時間を共有することは、心の健康に大いにつながります

猪熊さんは、りくカフェに接する世代を広げることに関心を寄せます。今の常連さんは、やはり運営メンバーに近い世代や通院途中の高齢の方が中心ですが、イベントには20-30代や、親と一緒に子どもや中高生も来ているそう。

例えば中高生も“たまり場”を必要としているんじゃないか、そういう場はあるのかな、といったことが気になっています。でも、これも運営メンバーの意向や地元の距離感が大事なので、強制はせず、りくカフェに合った自然な着地点を見つけたいですね。

世代の話を含めて、今後どのように広がりを持たせていくか、そもそもそんな問題提起をするべきなのか。それは現場ではなく僕らの課題、と猪熊さんは話します。その言葉には、被災地のコミュニティカフェを支援するというスタンスではなく、携わる一員としての当事者意識が強く表れています。

さまざまな立場の人が、できることを持ち寄って軌道に乗った、りくカフェ。寄付金や助成金により、本設の建設費の約7割は集まっているものの、現状だと設計を少し縮小する必要がありそうとのこと。本稿ライターも微力ながらエントリーしましたが、まだ受け付けているCAMPFIREへの参加は、改めて復興への当事者意識を持つ機会になるのではないでしょうか? もちろん、本設・りくカフェへの訪問もぜひ!