「無形文化」と聞くとき、皆さんはどんなものを思い浮かべますか?昔話でしょうか。それとも、遠い国の風習でしょうか。思い浮かべて「無形文化」は、次の世代に伝えていった方がいいと思いますか?伝えていくならば、どうやって伝えていったらいいのでしょう?そんなことを考えるイベントが3月22日におこなわれました。
主催したのは、フィリピン・ルソン島北部山岳地方の先住民カリンガ族を対象として、無形文化を次世代までつなげていくことをミッションに活動を行う「EDAYA」。3月20日〜30日の11日間、ほぼ毎日イベントを行い、EDAYAの活動の報告と、
EDAYAの活動と重なる部分のあるさまざまな団体とのコラボレーションイベントを行いました。
3月22日は「無形文化」をキーにしたトークショー。EDAYAの山下彩香さんがホストとなり、歌舞伎などの伝統芸能で使う道具類の制作の技などを未来に継承する活動を行う「伝統芸能の道具ラボ」主宰の田村民子さん、東北地方に伝わる鹿踊「行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)」の伝承者で公益社団法人全日本郷土芸能協会の小岩秀太郎さんをゲストに迎えて、「無形文化」についての熱いトークが繰り広げられました。
左から田村民子さん、フィリピン・カリンガ族の民族衣装を着た山下彩香さん、鹿踊の衣装を着た小岩秀太郎さん(写真提供:伝統芸能の道具ラボ、撮影者:村上千博)
このトークショーの目的は三つ。一つ目は、無形文化というものにそれぞれの立場からアプローチする三人が、無形文化の魅力をどうとらえているかを話し合うこと。二つ目は、無形文化の本質は一体何か、どういった部分を残したいのか、を話し合うこと。三つ目は、無形文化の継承者をどう育てていくかを話し合うことです。
それぞれが継承したいと思っている無形文化の現状
イベントでは、まずそれぞれが継承に取り組んでいる無形文化の説明と現状が紹介されました。
・フィリピン・ルソン島北部山岳地方の先住民カリンガ族の無形文化
山下彩香さんからは、カリンガ族の無形文化の現状が説明されました。
昨年12月に「EDAYA JOURNEY」プロジェクトと題して現状を確認しにいった旅の様子
カリンガ族はマニラからバスで7時間、さらに12時間夜行バスに乗って、その後ジープニーに乗り、最後に道路から数時間歩いてようやく到着できるような、山奥に住んでいる人々。かつては病気になればシャーマンを呼んで村にいるどの精霊が悪さをしたのかを見極め、ヒーリングの儀式を行っていました。
しかし、この地方にキリスト教が普及されたことで、シャーマニズムは廃れて悪魔信仰のように見なされるようになりました。その他にも、ゲリラによって村を離れなくては行けなくなったり、近代化によってさまざまな情報が都会から入ってきたり、お金を稼ぐために村を離れたりすることで、儀式は減り竹楽器の制作や音楽の演奏などと言ったカリンガ族の無形文化は失われつつあります。
開場には、カリンガ族の暮らしのわかる展示も。
実際、山下さんが2012年の末に現地で調査をしに行ったところ、調査できた17つの村のうち、伝統的な音楽の演奏ができたり、楽器が制作できたりして伝承者が残っていた村はわずか8つの村のみ。つまり、カリンガ族の伝統音楽は今、現在の継承者から次世代に手渡されるか、そのまま途絶えてしまうかの瀬戸際にあるのです。
カリンガ族の伝統音楽を演奏する様子などの動画とともに山下さんから説明がありました。
・歌舞伎の道具
田村民子さんからは、歌舞伎の道具を制作する伝承者が少なくなってきているという説明が。田村さんはもともとライター。歌舞伎のことを専門に取材をして原稿を書いている仕事をし、歌舞伎の大道具さん、小道具さんなどの裏方の取材をしていたそう。取材で彼らの仕事について深く知るうちに、それぞれの分野で道具の制作を伝承する人が減り、伝統が廃れていきそうにあることに気付いたそうです。
べっ甲について説明する田村民子さん
例えば、かつらの髪を結い上げる床山さんの仕事をとってみても、髪を束ねるための水引のような紐「元結(もっとい)」の質がだんだん落ちてきているそうです。また、かつらを結う作業をする際に、かつらを載せる台も作る人もいなくなっています。
床山さんの仕事ぶりを動画で見ながら田村さんの説明を聞きました
道具を作る職人さんは、現業が忙しかったり、積極的にどんどん外部とコンタクトを取るというタイプではなかったりして、伝統を継承するための取り組みに手がつけられていないそうです。そこで田村さんは現在、道具の現状調査や作れなくなった道具の復元などに取り組まれているそうです。
・鹿踊と郷土芸能
小岩秀太郎さんからは、まず鹿踊についての説明がありました。
写真提供:西村裕介
鹿踊は岩手や宮城に多い芸能で、60もの団体が行なっています。小岩さんは鹿踊に使う頭(かしら)のレプリカを見せながら、
例えば鹿頭がなぜこういった形になったのか、なぜこういった踊りなのかには全部意味が込められています。同じように郷土の芸能とその有り様には一つ一つ意味が込められています。その意味がわかると、もっと郷土が好きになれるのですが、ほとんどの人は知らないのではないでしょうか。
と話しました。
とはいえ、日本は比較的恵まれており、ユネスコが無形文化遺産の保護に関する条約を2003年まで採択しなかった一方で、日本では1954年の文化財保護法改正で、重要なものを無形文化財として認定し、保護を始めたそうです。
テーブルの上にあるのが、鹿踊の頭のレプリカ。本当は神社で魂を入れていただくため、安易に持ち出せないそう。(写真提供:伝統芸能の道具ラボ、撮影者:村上千博)
正しい判断をしながら変えるのであれば、
無形文化は変わっていっても良いのではないか
小岩さんは、日本が比較的早い段階から保護に取り組んでいることを評価しつつも、「無形文化財」になってしまうと、形を変えてはいけないような雰囲気になると指摘し、正しい判断をしながら変えていくことの重要性を話し合いました。
小岩さん 無形文化、とくに郷土芸能は暮らしの中に根ざしたものであるし、変わっていっても良いのではないでしょうか。
田村さん 歌舞伎や能も、スーパー歌舞伎、スーパー能など、新しい形のものが出てきています。歌舞伎や能に関しては、見ている人の中にある程度のコンセンサスがとれているので、そこから逸脱していなければ変化していっても大丈夫なのではないかと思います。
コーディリエラ地方の伝統的な楽器をモチーフにした、EDAYAのアクセサリー
一方、山下さんは、フィリピンは多民族国家であり、カリンガ族といったような少数民族の人々の歴史は蔑ろにされがちで、より多数派の民族の歴史を教科書では学んでいるという現状を紹介。また、カリンガ族の歴史の書物・映像記録がないために、なかなかコンセンサスがとれない状況だということを説明しました。
山下さん カリンガ族の文化はコンセンサスすらとれない状況なのに、彼らの生活はどんどん変わっていきます。楽器を作る技術を残すために、EDAYAではその技術をアクセサリーに使うことによって残す試みをしていますが、もともと楽器は農業が終わった後に作っていたもの。アクセサリー作りのために日中ずっとやってもらえば伝承の技術は残りますが、残し方が違います。技術の奥にある魂の部分をどうやって残していったらいいのか悩みます。
田村さん べっ甲も、国際取引はワシントン条約で禁止されているなど入手が難しくなっているので、現在では主に別の素材で作られたものを使っています。
でも、そういう代替素材で作る時に「べっ甲のイミテーションを作ろう」という気持ちでやってしまったら、結局はべっ甲の方が良いものだと認識されて、作る人はやる気を出すことができません。ニセモノを作るのではなく、「平成の本物を作る」という気持ちでやらないといけないと思います。今時点での本物、伝統のあり方を、どう考えるかが重要なのではないでしょうか。
鹿踊で使うわらじも、今は舞台ではゴム製のものを使っているそう。
ここで小岩さんは、日本でも地域の郷土芸能が廃れそうになったこともあることを指摘し、文化の継承に関する意見をのべました。
小岩さん その芸能がなくなってしまいそうな時に「やっぱり残していきたい」「こう残していきたい」と思う人がいるかどうかが肝心なのではないでしょうか。1人でもいいから、そういう心を持ち、何を残すべきかをきちんと判断できる人がいれば文化は継承されると思います。
山下さん 小岩さんのように考えて文化を継承する人が、カリンガ族からもっと出てきたらいいなと思うんです。すべての人がどうでも良いと思っているなら、それは廃れていく運命にある文化なのだと思います。でも、少なくとも子供たちに、村の長老から伝統を教わる機会を作ることは重要です。カリンガではどんどんその機会が減っているのですが、そういう機会を通して、将来的に自発的に文化の継承を考える子供がでてくる、そうなればいいなと思っています。今はそのための種まきの時期ですね。
田村さん 足が長い方がかっこいいと日頃は思っても、お能を舞う時にはやっぱり胴長短足の方がぴったりきます。自分の文化をしっかり継承することって、自信や自己肯定感に繋がると思うんですよね。
無形文化を継承することの大切さを再確認して、トークショーは幕を閉じました。
現在、EDAYAでは、カリンガ族の無形文化を次世代に継承するプロジェクトのためのファンドレイジングを実施中。現在の継承者から次世代に手渡されるか、そのまま途絶えてしまうかの瀬戸際にある無形文化を継承するために、支援をしてみてはいかがでしょうか。