greenz.jpの連載「暮らしの変人」をともにつくりませんか→

greenz people ロゴ

【オピニオン】都市を操るサバイバル思考 ー 伊藤洋志@ナリワイ

Creative Commons, Some Rights Reserved, Photo by World of Good

Creative Commons, Some Rights Reserved, Photo by World of Good

東京は人が住むところ!

伊藤 洋志(ナリワイ代表)

「東京は人の住むところじゃない」というのは、いまや誰でも一度は聞いたことがあるフレーズではないだろうか。ともすると「最近の若い者は」という、いつの時代も同じことを言われていたフレーズかもしれない。

そもそも、都市は何のためにつくられたのか。よくよく考えると、もともとはサバイバルするために形成されたものである。人が一箇所に集まったほうが水道、ガス、電気などのインフラも効率よく整備できるし、物の交換も容易だ。都会と書くからには、人が集まる場所でもある。映画「七人の侍」でも、農民は野武士の略奪に対抗するために都に浪人を探しに行く。田舎の農民がサバイバルするために都市に出て行ったのである。人が集まり出会う、それも大いにサバイバルに貢献する。人は一人では生きられない。

聞くところによると、平野が広がる国ではどこを都市にしたらいいか決められず、井戸も効果的に掘れないことが起きているという。日本のような国は、地形条件から必然的に都市をつくれる地域が決まりやすい。山ばっかりで狭い国というものあながち悪いことではないようだ。

かようにもともとサバイバルのためにつくられたはずの都市がなぜ、いまサバイバルの対象になっているのか?一言でいえば人が集まりすぎると、住む場所も足りなくなり値段が上昇して生活維持費がとても高くついてしまうからだと言えるだろう。例えば、東京の家賃がたとえば一人2万円ならどうだろうか?ずいぶん住みやすいのではないか。0円だったら?かなり余裕、むしろ怖いものなしだろう。だからこそ、いま「0円ハウス」なのだろう。ここで大事なのは、その気になれば0円で住むことができるのだという発想と実行力である。都市化が進みすぎて、残念ながらサバイバルのために生まれた都市でもひと工夫が必要になってきた。といったところで、都市でサバイバルするための思考のヒントを4つ紹介しよう。

食のサバイバル思考ー食は自給できるという発想を持つこと。

都市においては食料が供給されているので今のところは安心とも言える。だが、実際にはそれが家計を圧迫したり、災害などで物流が停止した場合いっきに困窮する。完全自給しなくてもよいから、食べられる植物を育てておいたほうがよい。それは、自分が育てて食料を得ることができるという感覚を鍛える訓練になるだろう。お手軽なのはヨモギ。繁殖力が強く、新芽は茹でておひたし、汁物に使えるらしい。

nariwai_yomogi

精神のサバイバル思考ー情報の食休みを持つこと

都市は多様な価値観、情報が渦巻く場所。そこがいいところでもあるが、あまりに多くなってくると情報の波に溺れやすい。情報も精神の食べ物とすれば、たまに胃腸を休ませないといけない。お勧めするのは銭湯、ゆっくり体を動かす何か。広い湯船に浸かれば何も考えない時間をつくれるはずだ。ゆっくり体を動かす何か、とは何か体操でもいいし、太極拳でもいい。ゆっくり体を動かすとき人はあまり考え事をしないですむ。個人的には四股踏みがおすすめ。

nariwai_sento

拾い物のサバイバル思考ーものを拾えば消費を操れる

都市は物の交換場所でもあったが、ゴミ処理にお金がかかるようになったことが示すように、すでに物があふれている。必要なものは急がなければ拾えるものだ。まず、拾ってみる。そうすると、下手に物を買わなくなる。都市というジャングルは高度に消費を促す仕組みに満ちている。

拾ったもの、オイルヒーター

拾ったもの、オイルヒーター

拾ったもの、麻の蚊帳。いま買うと高い。

拾ったもの、麻の蚊帳。いま買うと高い。

避難のサバイバル思考-困ったら疎開できる場所をつくる

天変地異に騒乱戦争。都市に住めなくなる状況は常にある。そのときに、避難できる場所を各個人が作っておければよい。地方出身なら、実家であろうが、そうでない人も今のうちからそういう場所をつくっておければよい。縁のあるところに足しげく通って絆を深めておくのもよい。

価値観のサバイバルー都市的ではないやり方を肌で感じる

都市は密集することより完成したが、真逆の方法論で成立している社会もある。そういう真逆の価値観に触れることが逆に都市でのサバイバルに役に立つ。たとえば、モンゴルの遊牧社会では人々は分散していなければならない。インフラもないが、逆に自由な面もある。

たとえば、交通の自給。3歳の女の子でも、車よりも早く馬で草原を疾走する。家畜は、自然に生えてくる草で養う。馬も車と違って、代々引き継がれ外から買う必要はない。ジムなんてないが、日常がトレーニングになっているから、足腰も強いしへんに腰を痛める人もいない。ふつうに生きているだけで、ゆるがない生存能力を身につけられる。こういう社会が身近なモンゴルの都市住民は、庭の菜園で野菜作ったり、薬草を育てたりしている。

都市でサバイバルするためには、逆に都市じゃない場所へ行き違う価値観を肌で感じ、都市に欠けている要素を補完しなければいけない。車は便利だがずっと乗っていると足腰が弱る、たまに鍛えるために自分の足で走る、そういったことが必要だ。

都市の真逆の遊牧社会に行ってみると都市をサバイバルするヒントが。

都市の真逆の遊牧社会に行ってみると都市をサバイバルするヒントが。


伊藤洋志(いとうひろし)
nariwai_ito
健康的な仕事をつくる集団ナリワイ代表。自らのナリワイとしてはモンゴル武者修行ツアー、ナリワイギャラリーの運営など準備中を含めて5つ。京都の茶の湯ゆかりの大徳寺近くに町家を借りてゲストハウスをつくる企画も進行中、泊まりたい人はご一報ください。

ナリワイ
http://nariwai.org/
モンゴル武者修行ツアー 
http://www.furowork.net/mongolia/

green drinks Tokyo x Zippo ライタープレゼントキャンペーンの情報を見る!

5月のgreen drinks Tokyo「Urban Survivability 〜都市をサヴァイヴする力!〜」に行く!