与那国探訪記(4)
久部良の漁港から日本最西端の西崎を背に、台湾との国境をめざし20キロほど走ったあたりで船は止まった。空は台風が北上したことで真っ青に澄み、はるか水平線には綿のような入道雲が見える。しかし、風は4メートルを超え、波も場所によって異なるが3〜5メートル。その風と波が大きなうねりとなり、わずか10メートルほどの小さな船体を木の葉のように持て遊ぶ。
「今日は海も荒れているし、暑いからみんな家でテレビ見てるさ」と、玉城正太郎さんはカジキの餌となるカツオを仕掛けに付けながら陽気に語る。
カジキ漁はまず、餌となるカツオやキメジ(キハダマグロの幼魚)の捕獲から始まる。ハンドラインに小さな疑似餌をつけ、ゆっくりと船を走らせその仕掛けを流す。すると、もの数分でカツオが針がかりする。正太郎さんは、そのカツオを右手に持ち、慣れた手つきでカジキ針をカツオの上顎に通し、目の窪みに通した針金に固定し海に放り投げる。カジキ釣りは荒れる海のなかで、しかも淡々と始まった。
- 餌となる生きたカツオを手早く海に放り込む。カジキ漁の始まりだ
その日は決して釣れそうな日ではなかった。しかし、正太郎さんは台風前に釣れたポイントを丁寧にゆっくりと流している。80メートルほど出された道糸(釣り用糸の一種)の先で、カツオはときに水面上に飛び出しながら、キラキラと南の強い陽射しを反射させている。「カジキが追いかけてきたら、黒く見えるから教えてよ」と正太郎さん。
出船したのが午前7時。すでに6時間以上経過しているが、アタリらしいアタリはシイラの一匹だけ。南海の陽射しはまさに射るように鋭く、足のつま先から手の先までジリジリ焼き尽くされてしまうようだ。そのなかをゆっくり、ゆっくりとトローリングする。まさに忍耐のひとことだ。
その後1時間ほど流しただろうか。重くなるまぶたと闘いつつ、意識が朦朧としてきたころだった。仕掛けを連結する細い棒が激しく動き出した。あきらかに魚の気配だ。すると、短く「ピシッ」という音を発したかと思うと、道糸がスルスルと伸びていった。そして出きった道糸を見計らって正太郎さんはカジキとのやり取りを始めた。その後、数十分のやり取りでカジキを船の淵まで寄せる。
優に4メートルを越える、鮮やかなコバルトブルーの魚体が浮かび上がる。正太郎さんは道糸を片手で抑えながら、揺れる船のうえから、もりを打ち込む。それでもカジキは暴れ、船体に体当たりをする。もりについているロープを左手で固定すると、今度は金属バットを持ちカジキの頭めがけて鋭く振り下ろす。そして、ようやくおとなしくなったカジキを船横の扉から一気に持ち上げる。1対1の激しい格闘。予想以上に壮絶だった。
- もりを打ち込まれたカジキ。血を流しながらも抵抗を試みる
- 手もとに寄せ金属バットでしめる。そのあと、ツノを持ち船内へ
港に帰ると、その日カジキは1本も上がっておらず、港では大勢の仲間たちが待っていた。「釣れたらうれしいし、釣ったら楽しい。カジキはなまやさしい魚ではないけれど、カジキを釣って港に帰ると、そりゃあ気持ちいいのさ」と正太郎さんはいう。
- 170キロのカジキと正太郎船長。これでも中くらいサイズ
まさに命がけの死闘。船上の狂喜と港での喝采。与那国の漁師たちがカジキに魅了される理由が少し分かった気がする。