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与那国探訪記(3)

与那国探訪記(3)

本州が梅雨明けする7月の19〜21日にかけて、日本のジャス界で異才を放つサックス奏者の坂田明さんと、巨魚が踊る日本最西端の島、与那国島に行ってきました。前回のブログに引き続き、今回はその話の第3弾。

台風が台湾上空を北上していた。南から吹くその巻き風が市場のトタン屋根を小刻み叩く。ゆっくりと進む上空の厚い雲。その下に雨を伴う黒い雨雲が急ぎ足で北の彼方に流れてゆく。すると突然、「500円。600円。いないか?」と威勢のいい掛け声とともに競りがはじまった。

80キロ、50キロとタッグの張られた、カジキにしては小ぶりなものが並べられている。与那国の島で漁獲されるカジキは、その8割以上がクロカワカジキ。残りはシロカワカジキ。カジキは例年3月から4月にかけて、最初の群れが回遊してくる。その後、群れの入り具合により好不調はあるが、10月頃まで漁期は続く。カジキのサイズは小さくても50キロ。大きいものになると250キロを超えるようなものまで漁獲される。その中で、大きいサイズは熊本へ直送され、小さいサイズは島内で消費される。タッグが張られ競りにかけられているのは島内消費用のクロカワカジキだ。しかも、そのカジキの競りは驚くことに島の女性たちが行なっている。今まで様々場所で魚市場の競りを見てきたが、女性が仕切る競りを見たのは初めての経験だ。

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カジキはすばやく解体され、商店や旅館などに卸される
手早くカジキのツノと尾っぽを切り落とす

与那国島にはサンアイ・イソバという女性酋長が納めていたという言い伝えがある。彼女は怪力無双の女傑であったといわれ、祖納集落の南側に広がる中央部の台地、サンアイ村に住み、四人の兄弟を各地区に配置し島を統治していた。また、南帆安に残る美田やさんばる牧場は、彼女によって開拓されたものであるという。自ら額に汗して荒地を開墾したサンアイ・イソバ。平穏な暮らしを築くための行動力と指導力は、今なお与那国島の人々の心に刻まれているという。

久部良漁港で元気に競りを行なう女性たちを見ていると、その言い伝えは単なる伝説ではないのではないか、という確信めいたものが頭をよぎる。いずれにしても、久部良には屈強なカジキの一本釣り漁師と、その漁師にも負けない女性たちが互いに力を合わせ、今を生きていた。(つづく)

朝8時から始まる競りは女性が中心となって行なわれる