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堕落的な生活から、株式会社の設立へ! 奈良から豊田市へ引っ越して”ママノ輝ク場ヲツクル”、おにきりえさんの移住と起業ストーリー

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「(株)eight」の共同代表のひだかちひろさん(左)とおにきさん(右)ふたりが手でつくっているのは無限大を表し、数字の8を横にした形でもある“∞”

この記事はグリーンズで発信したい思いがある方々からのご寄稿を、そのままの内容で掲載しています。寄稿にご興味のある方は、「採用について」をご覧ください。

パートナーの転勤が突然決まったら、どうしますか? あなた自身も仕事をしていて、転勤に伴う引っ越しで、辞めなければいけないとしたら?

奈良で、女性のキャリア支援や親子絵本料理教室、小学生によるご当地お弁当の開発を手がけてきた「COLOR」のおにきりえさん(以下、おにきさん)。

greenz.jpでもその活動をお伝えしましたが、プロジェクトが波に乗ってきたタイミングで、ご主人の転職により2013年12月、愛知県豊田市へ引っ越すことになりました。

そして、現在は「ママノ輝ク場ヲツクル」をコンセプトに「(株)eight」を立ち上げ、共同代表として新しい事業にチャレンジしています。

仕事にも生活にもようやく慣れてきた奈良を離れ、縁もゆかりもない豊田へ。そんな状況のなかで、どのように新しい「人脈」「仕事」をつくりあげてきたのでしょう。

起業のいきさつを尋ねるうちに、おにきさんがママのキャリア支援をする先にある「子どもたちの自立」についても伺うことができました。
 
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「COLOR」は、三重から奈良に移住して起業して「ずっとやっていこう」と思っていた活動でした

突然!? と思いきや二人三脚で叶えたパートナーの転職

まずは、おにきさんの引っ越しのきっかけである、パートナーの転職にまつわる話から。

奈良から豊田市への移住は、実はおにきさんにとって突然の話ではなかったそうです。奈良に来るまでも、東京、三重とパートナーの転勤に伴って引っ越しを重ねてきた経験から、「この先も、また引っ越すかもしれない・・・」という安住の地がない感じに嫌気がさしていました。

そんな時、パートナーのご実家のある福岡の会社からキャリア採用の話をもらい、定住への期待感からその転職を応援することに。

福岡の会社には、結局ご縁がなかったものの、それをきっかけにパートナーは転職に前向きになったといいます。転職会社に登録したところ様々な会社からオファーを受ける状況になりました。

おにきさんは過去に「キャリア支援」の仕事をしていたこともあり転職活動を応援してきたそうです。そして最終的に決まったのが豊田市にある某自動車メーカーでした。

おにきさん 夫が自分のやりたいことができる環境に行けることは、私にとっても嬉しいことだったので、転職活動を応援していた時、自分も一緒に引っ越すことになるということは全然頭にありませんでした。

「転職が決まった」と知ってしばらくしてから「私も豊田市に行くんだ! どうしよう、今の仕事~!」と我に返ったんです(笑)

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引っ越しを繰り返しているからこそ絆の強いおにきファミリー

奈良を離れる寂しさを感じつつ、前向きになれた

奈良では、360度山が見渡せる雄大な景色に囲まれて過ごしていたというおにきさん。「こんな素晴らしい環境で育った人に悪い人はいない!」という印象を持っていたせいか、たくさんの人とのご縁に恵まれ「COLOR」で活動の幅を広げてきました。

そして、いざ豊田市へ引っ越しすることが決まり、走りなれた奈良の道を車で通っていたとき、ふと初めてその道を土地勘なく運転していたことを思い出し、思わず涙が溢れてきたといいます。

「せっかく慣れてきたのに…」という寂しさ。しかし、いつまでも感傷に浸っていた訳ではなく、「奈良でのご縁を大切に新たな地でまた一からがんばろう!」と気持ちを切りかえ、前向きになれたそうです。

代表として運営してきた「COLOR」は、おにきさんの引っ越しに伴って活動を終えたわけではなく、親子絵本料理教室は一緒に活動していた方たちが続けてくれています。豊田市に引っ越してからも女性のキャリア支援を続けていきたいと思っていたというおにきさん。すぐに活動を開始したのかと思いきや・・・。

おにきさん COLORという屋号は持ってきてはいたものの、奈良に初めて来たときのように「開拓しよう!」と積極的に動くことはありませんでした。

「どうしようかなー」と思いながら、こども園に途中入園しなかった下の子と2人で毎日ゴロゴロしながら、タブレットでゲームをするという堕落的な生活をしていました(笑)

そんな生活から、どうやって株式会社を立ち上げることになったのでしょう? 「いたって自然な流れでしたが、それにしてもすごいスピード感でした」というおにきさんに、そのいきさつを聞いてみました。
 
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奈良で、西に夕日が沈んで後ろを振り返ると月が登っているという360度見渡せる雄大な景色に毎日癒されていました。

堕落的な生活をしていたのに、株式会社設立!?

最初のきっかけは、たまたま知人に「AsMama」という「子育てシェアサービス」を展開する会社の説明会を紹介され、足を運んでみたことだそうです。

「AsMama」とは、“ママ同士が1コイン(500円)で気兼ねなく子育てをシェアできる”をコンセプトにしている会社です。(greenz.jpの過去の記事はこちら

仕事で帰りが遅くなり、気兼ねしながらママ友に子どもを預けた経験のあるおにきさんは「こんなんあるんだ! めっちゃいいやん!」と感激し、そこで自分も役に立ちたいと「ママサポーター」に手を挙げ、イベントのお手伝いに行きました。

そこで、同じように「AsMama」に興味を持って参加していた豊田市在住のママに出会います。

そのママは豊田市の職員でありながら「ラヴィドファム」という「女性が結婚・出産後もひとりの人として自分らしく生きることを応援する団体」を立ち上げたメンバーの一人でした。

初めて豊田でママ友ができたことに有頂天になったおにきさん。彼女の家に行ってみると、他のママも何人かいて「ラヴィドファム」の打ち合わせをしていました。
 
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「ラヴィドファム」の会員のママたちと。

その後「ラヴィドファム」の会員になり、少しずつ活動をお手伝いしていたときに、ひだかちひろさんと出会います。

彼女も会員で“ママのプチ起業を応援する「ママながら塾」”を主催していました。「ママたちのアイデアを企業に提案して収益が出るような仕組みをつくりたい」と言うのを聞き、おにきさんは奈良でやっていた女性のキャリア支援の経験を話しました。
  
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「(株)eight」設立は、ひだかちひろさんとの出会いがきっかけでした。

考え方や取り組みに共感したひだかさんはすぐにおにきさんを誘いました。ひだかさんの熱意が伝わり、おにきさんの起業へのモチベーションが上がり、2014年10月8日「eight」を創業することになったのです。

その後ひだかさんがプロジェクトに参加していた豊田青年会議所でのご縁で、女性の活躍を推進したいという企業経営者の方から出資を受け、株式会社を設立。「どこまでできるかわからないけど、やってみよう」という気持ちで法人化に踏み切りました。

おにきさん 奈良にいた時に「奈良ですごくがんばってやっていたけど、豊田市に行ってもやれると思う?」と聞かれたことがあるんです。

その時は、奈良でやれたのは、奈良の人たちが本当に素晴らしくて、応援してくださったからで、豊田ではきっとすごく難しいと思っていました。でも実際に来てみたら、いろんなご縁をいただいて、「あれよあれよといううちに、会社になっちゃいました」という感じです。

ママのキャリア支援の先にある”子どもの自立支援”

「“働く”を通してママが自分サイズで輝く場をつくる」を理念にかかげている「(株)eight」。女性が男性と対等に社会に出て働くことを応援し、女性の活躍の場をとにかく増やしていく…。

おにきさんに話を聞くまでは、そんなことをイメージしていました。でも話を聞いていくと、いつの間にか話題は、「子どもの自立支援」の話に。

そこで、「自分で考え、自分の人生を切り開き、人の役に立つことに喜びを感じる、そんな子どもたちが増えるような仕事をしていきたい」という、おにきさんが仕事をする上での大切なテーマがもうひとつ見えてきたのです。
 
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「COLOR」の「小学生によるご当地お弁当商品化プロジェクト」で子どもたちと打合せをするおにきさん

実は以前、おにきさんは仕事で大学生のキャリア支援をしていました。そこで危機感を覚えたのは、“いい子”すぎる大学生が多いということ。

おにきさん めっちゃいい子で、真面目。言われたことはきちんとできる。学歴も申し分ない。幼いうちからある意味生きやすい環境を親から与えられて育っていくから、社会に出てはじめて、厳しい人や理不尽な人に出会い面食らうんです。

それまで草食動物しかいない場所で育ってきても、社会に出たらゴリラもいれば、ライオンや蛇もいる。自分で考えて生きる力がついていないと、うつ病の診断書を持ってきて休み、辞めることになる。社会復帰が難しくなると、実家に帰ることになる(最初から実家を出ない人もいますが)。

親が生きているうちは結婚しなくても生活できる。それが晩婚化・少子化につながっていると思うんです。

少子化の今の時代「過保護・過干渉」になってしまう親御さんが増え、それが、子どもたちの自立を妨げている原因になっていることが研究やデータから分かってきたといいます。(内閣府調査リンク先8-9ページを参照

おにきさん お母さんが忙しくないと、子どもは自立しないと思うんです。

お母さんが自分の人生に子どもの人生を重ねてしまうと、「転ぶと危ないよー」から始まって「こっちの塾に行ったほうが、(親にとって)いい学校に行けるよー」「あの子とは結婚しちゃ駄目だよー」と、レールを引きすぎてしまう。

お母さんたちが生きがいを感じて忙しくなれば、子どもは自然と自立すると思うんです。だから「ママノ輝ク場ヲツクル」ことが大事なんです。

さらに、歴史が色濃く残る奈良で生活していて、先人たちが残した建造物、文化遺産などを日々目にし「日本人の能力ってすごい」と感激していたおにきさん。

日本人の素晴らしいDNAが途絶えてしまうことは、その子にとっても辛いし、社会的にも問題。そうなる前に「私にできることが何かないかな」と使命感が芽生えていきました。

「子どもの実力を発揮する」ことでママの子離れを促す

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小学生たちは、声をからしながらお弁当を販売し実力のあるところを見せてくれたといいます。

おにきさんは「ママノ輝ク場をツクル」の他に、「(株)eight」でも奈良で実施していた「小学生によるご当地お弁当商品化プロジェクト」のような「子どもが実力を発揮する」企画をしていきたいと考えています。

そのプロジェクトでは、小学生が企画から製造、販売までを主体的に考え実行し、実力を見せてくれたのだとか。

それまで一人で乗ったことのなかった電車で移動する姿や、一日中声を張り上げてお弁当を売り切る姿を見たママたちからは、「こんなにできるなんて、根性があることがわかりました」「今まで体験させてこなかったことを、させるようになりました」という感想を聞くことができたのです。

ママたちが、子どもたちの実力を見て驚くと、「もう子離れしなきゃいけない」という気持ちになり、ママが自分自身の人生と向き合うことで「ママが自分サイズで輝く」ことにつながる。そうして、ママと子どもの人生が、良い方向に転がり始めていく。

それは何より、おにきさんにとっての原体験でもありました。

おにきさん ひとり目の子を産んだ後、育児休暇をとっていたんです。その時は仕事に復帰するというゴールがあったので、一生懸命に育児に取り組めたし、とても楽しかった。

でも、ふたり目の子を産んだときには、奈良への転勤もあって仕事を辞めていて。ゴールが見えず「私って何のために生きているんだろう」と虚しさを感じて、夫や子どもに辛くあたってしまうこともありました。その経験もあって、働くことは私にとって絶対に外せないと言い切れます。

この世に生を受けた以上は、社会の役に立ち続けたい。仕事をすることは、私にとってすごく楽しくて生きがいです。お金をいかに稼ぐかよりも、まず家の外に出ていないと、精神状態がおかしくなるので働いています(笑)

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「(株)eight」でママたちのキャリア支援のために忙しい日々を送るおにきさん。

豊田市へ移住し、「(株)eight」を軌道に乗せようと日々全力投球しているおにきさん。移住の壁を越えた彼女に新しいチャレンジの機会が訪れようとしています。

「3人目のお子さんの新しい命が宿っている」という喜ばしいニュースが、この記事を書いている最中におにきさんから届いたのです。

おにきさん 豊田市では、こども園への預け入れが生後6か月からなので、それまで育児と代表取締役の両立をどうしていこうか今から気になっています。

でももう一人の代表取締役である、ひだかちひろさんや、「(株)eight」で共に働く仲間がいるという心強さもあるので、現在のポジションで妊娠と出産をすることで、新しい働き方、新しい組織づくりに自らがチャレンジできることにワクワク感を感じてもいます。

今回の私のように、自然なタイミングで出産をしても女性が働き続ける社会になるためには、男性(夫)の働き方も見直す必要があると思うので、そちらにも今後働きかけていきたいですね。

新しい命と共に、あらたなチャレンジに果敢に立ち向かうおにきさん。これからも彼女のライフスタイルに注目していきたいと思います!
 
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いつも誰かの応援をしているおにきさんの周りには、たくさんの仲間がいます

(Text: 木浦幸加)
 

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木浦幸加(きうら・ゆか)
1979年、愛知県生まれ。結婚後7年名古屋市で暮らし2013年12月に、豊田市の中山間地・旭地区へY(嫁)ターン。人口3000人を切る同地区で、「自分の暮らしは自分で作る」を実践するIターンの友人たちに刺激を受けながら「どう生きるか」考える日々。豊田市のまちといなかをつなぐ「おいでん・さんそんセンター」コーディネートスタッフ、旭地区情報誌“シットルカン”編集長、山里合唱団「こだま」メンバー、2児の母。農的暮らしをベースにしながら暮らしの糧を得るための多様な小仕事を研究する『地域スモールビジネス研究会』に所属し、2015年7月『豊田で見つけたミライの山里暮らし~里co(さとこ)』という本を会として出版。ライターとして執筆、自身の暮らしも紹介している。
おいでん・さんそんセンター http://www.oiden-sanson.com
里co http://sb-ken.com/