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「9.11」の真相が明らかに?!映画『ZERO:9/11の虚構』が読み解く真実とは…

(C) TELEMACO.

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「9.11」から9年、あの事件から始まったイラク戦争は終焉を迎えようとしています、いったい何のための戦争だったのかは曖昧なまま。そして、「9.11」の跡地グラウンド・ゼロには新しいビルが建てられようとしています、実は多くの謎をあとに残したまま。『ZERO:9/11の虚構 私たちはまだ何も知らない』は、「9.11」に残された謎の真相を追い、その謎の背後にある何らかの「意図」をわれわれに提示しようとするのです。そこにはそれは恐ろしい秘密が…

「9.11」はオサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダによる自爆テロと定義され、実行犯たちの大半の身元も明らかになったとされています。しかし、いまだ解けない謎も残ります。そのひとつが、ツインタワーが倒壊した“スピード”だとこの映画は指摘します。高々と聳え立つツインタワーがたて続けに物凄いスピードで崩れ、あっという間に瓦礫の山に変わってしまった光景は、今も瞼に焼きついている人も多いことでしょう。しかし、あの光景には不自然な点があり、何らかの別の力が関与していたのではないかと疑問を呈する人々がいるのです。

その疑惑の向かう先はいわゆる「陰謀説」。平たく言えばアメリカ政府によってコントロールされた「テロ」だということです。私もそんな「陰謀説」なんて…と思っていたのですが、次々に疑問を呈さざるを得ない事実を突きつけられると、だんだん「もしかしたら…」というゾッとするような恐怖に襲われるようになりました。

マイケル・ムーアは『ボウリング・フォー・コロンバイン』でアメリカ国民を支配する“恐怖”について描いてみせました。9.11がテロであろうと、連邦政府による陰謀であろうと、共通するのは、それが恐怖によって人を支配しようという戦略ということです。映画の終盤に、イラク戦争に対するデモで「報復より検証を」というプラカードを持った人が映ります。これは「恐怖に駆られて戦争に突入することに何の建設的な意味もない。恐怖の源泉を突き止めることを優先するべきだ」ということだと理解できます。

この映画で語られていることには眉唾なことも多くありますが、このような陰謀説が次々に出てくるのは、9.11の検証がちゃんとなされていないからだということは確かです。テロならばテロとしてできる限りの情報を開示し、わからない部分はわからないとした上で、最も蓋然性の高い推論をなるべく多くの人が納得する形で出す。その上でどのような対応をとるべきか議論するのが本来のあり方なのではないでしょうか。この映画が主張するのは、そんな当たり前の問題への対処法なのです。

ただ、この映画に多用されるテロップにはかなりの違和感がありました。それは、このテロップを使って見るものの疑惑を煽るという手法が、彼らがターゲットにしている「テロ」の首謀者と同じく「恐怖」を利用するものだからです。この映画の全編にわたって行われるテロップによる疑惑の強調は「国がこんなことしていたら怖いだろ!」という感情の押し付けに見えます。

つまり、この映画は大げさに言えば、「映像のテロリズム」ともとれるということです。この映画がさまざまな重要な事実を提示していることは確かですが、同時に観る者は新たな「テロとの戦い」を強いられることにもなるのです。それを是とするか否とするかは観る人次第。論理ではなく感情に訴える論法には警戒しつつ、見るべき事実はどこにあるのかを見極めるそんな能力が問われているように思えます。

ある意味では、この映画はさまざまなレイヤーが存在することで簡単には理解できなくなってしまった現実を写す鏡といえるでしょう。この映画を通して何を見るか、それはこの現実をどう生きるかという問題につながるのかもしれないのです。

『ZERO:9/11の虚構』(原題:Zero: an investigation into 9/11)
2007年、イタリア、105分。
監督:フランコ・フラカッシ フランチェスコ・トレント
脚本:ジュリエット・キエザ フランコ・フラカッシ パオロ・ヨルミ・ビアンキ

東京都写真美術館で9月11日(土)〜 9月24日(金)レイトショー上映