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島には、夢がある。28の離島を包括するコミュニティ財団「かごしま島嶼ファンド」で山下賢太さんが挑む、行政区を超えた“新しい自治”

みなさんは“コミュニティ財団”を知っていますか?

コミュニティ財団とは、コミュニティが抱える課題解決とコミュニティの価値創造のための財団のこと。さまざまな寄付者からお金を預かり、地域における課題を解決する事業に対し助成配分をし、分野や領域を横断した活動を行います。日本においては1991年に大阪にてコミュニティ財団が設立されたことをきっかけに、各地で広がりを見せています。

そんな中で新たに、2024年12月1日より、日本初となる離島のコミュニティ財団として鹿児島28島22自治体を包括した「一般財団法人かごしま島嶼(とうしょ)ファンド」の設立に向けた挑戦がスタートしました。鹿児島の離島ならではの地域課題を、行政区にとらわれず島内外の仲間たちとともに解決し、より多くの挑戦が生まれる海域にするための取り組みです。

今回、発起人代表で「東シナ海の小さな島ブランド株式会社通称:アイランドカンパニー)」代表取締役の山下賢太(やました・けんた)さんに、設立の背景や設立後に望む未来などについて、山下さんの人生を辿りながら聞きました。

島の風景を守るために、ありたい未来をつくる

南北600キロに広がる鹿児島県の大部分は、28の有人島が連なる島嶼(とうしょ)地域です。そこには約15万人が暮らし、豊かな自然環境と地域固有の生活文化や島独特の集落コミュニティなど、多様な文化資本や社会関係資本に溢れています。

一方で、少子高齢化をはじめとする社会課題も顕著です。海に囲まれた地理的な状況からも孤立しやすく、島嶼地域ならではの課題と常に隣り合わせ。人口500人以下の小規模の島が多く、経済合理性をはかりづらくなっているといいます。地域経済は徐々に衰退の一途を辿り、現在では学校や病院、役所などの公共施設をはじめ、あらゆる生活基盤の維持も容易ではなく、地域の担い手もますます減少しているのが現状です。

薩摩川内市・甑島(こしきしま)もその一つ。上甑・中甑・下甑の3つの島で構成され、人口は約3,500人(2025年6月1日時点)で、近い将来には1,500人程度になる(※)と予想されています。その中でも上甑島・里地区は山下さんが生まれ育ったエリアで、アイランドカンパニーの本社が置かれています。

アイランドカンパニーは2012年の創業後、商品開発や販路開拓、ホステル、飲食、空き家再生、移住支援など20にもわたる事業を展開。時には甑島を飛び出し、県内各地の離島の地域課題と向き合いながら、多くの仲間とともに島で挑戦を続けるための土壌づくりに取り組んでいます。

まずは、そんな山下さんの原点を辿っていこうと思います。

(※1)「将来人口・世帯予測ツール」のベータ版より、甑島のデータを抽出。

かごしま島嶼ファンド発起人代表 山下賢太さん

15歳の時、甑島を離れ、千葉の競馬学校に入学した山下さん。しかし、減量に失敗し16歳で夢破れ、甑島に戻ることになります。甑島には中学校までしかなく、卒業後に挫折し島に戻ってきた子どもたちをサポートする仕組みがなかった中、手を差し伸べてくれたのは島の人たちだったそうです。

山下さん 夢への挑戦に失敗し挫折した僕にとって、島で人目に触れることがとても怖いと感じていました。でも、ありがたいことに島の人たちの導きもあり、日中は二度目の中学3年生として受験勉強をし、夜中はきびなご漁で働きながら、1年間過ごしました。窮地にいた僕を島の人たちが支えてくれた経験は、今の僕の原点になっています。

その後、再び島を離れ、高校に進学。そしてしばらく経った高校3年の春、久しぶりに帰島した際に目にした港の風景に驚きを隠せなかったといいます。

自社で運営するオソノベーカリーにて

アコウの木の下で島の人たちが集まり談笑する、
漁師たちが破れた網を繕う、
魚を干物にするために干し場で魚を干す……。

自身の中で当たり前だった島の風景。そうした日常が公共工事によって一変し、更地になっていたのです。この経験が、甑島をフィールドに創業する原体験につながったと語ります。

山下さん 経済的合理性が優先される社会の中で、コンクリートで埋め立てられた港と拡幅されたアスファルトの道路を見て、「わずかな金銭と引き換えに、小さな島の暮らしと生業の風景が失われているんだ」と気づいたんです。その瞬間、決心しました。「思いだけでは守りたいものは守れない。島の風景を守っていくために、会社という仕組みを使いながら、甑島らしくありたい未来をつくっていこう」って。

高校と大学、社会人を経て、2011年に甑島へUターン。山下さんのありたい未来をつくる挑戦が、ここから始まったのです。


山下さんが6歳の頃、家族で稲刈りをしていた時の様子(画像提供:山下賢太さん)

感情のデザインと仕組みのデザイン

山下さん 日常にある暮らしが結果として、そのまちの風景になっているから、“風景をつくる側”になってみようと思ったんです。そのためには、島の人同士の助け合いや伝統的な五穀豊穣の祈りなど、プロセスを見つめる必要があります。米も大事ですが、米づくりのプロセスに価値があり、甑島の本質的な暮らしがあると感じ、風景を再生するという意味で、まずは一人で米づくりから始めました。

しかし、周囲からは「せっかく大学に進学し会社員になったのに、どうして島に戻ってきて農業をするのか?事業として成り立つはずがない!」と、ネガティブな声がほとんどだったのだとか。当時、島では20名ほどが米づくりを行っていましたが、その全てが自給用としての栽培でした。土地改良もほとんどされておらず、米どころではない甑島でつくる米に、他の地域の人が価値を感じるわけがないと否定的でした。

実際、お米の販売先はすぐに見つからず、最初の1ヶ月の売り上げは、無人販売のわずか800円だったそうです。そんな中でも米づくりの背中を押してくれた人物が一人だけいたといいます。それは山下さんの祖父・時彦さんでした。

山下さん シベリアで3年間抑留した経験があり、生きることに誰よりも苦労した祖父から「百姓(いのちを繋ぐ食べ物)は良か(鹿児島弁で「良いよ」という意味)」という言葉をもらいました。正解を選ぶように生きるのではなく、自分で選んだことが正解だったと、喜んでもらえるように努力し続けようと決心しました。

同じ時期、東日本大震災が起き「人はいつ亡くなるかわからないからこそ、持続可能な仕組みをつくらなければならない。人とのつながりや地縁が薄れていく中で、他人を思いやる社会をつくりたい」と考えるようにもなりました。そのために、自分の思い描く世界を具現化するための会社を立ち上げることにしたんです。

Uターン後の2011年、まずは一人で米づくりから。つくった米を無人販売していた(画像提供:東シナ海の小さな島ブランド株式会社)

2012年には「懐かしい未来の風景を。」をミッションにアイランドカンパニーを設立。顔の見える関係性づくりに重点を置き、お米や豆腐、島アロエといった甑島で生産された品を島外でも販売するなど、消費者と顔を合わせる取り組みを展開し、次第に山下さんとつながった多くの人が島を訪れるようになりました。

創業時に、山下さんがつくったお米を「島米」とブランド化し販売を開始した(2011年)(画像提供:東シナ海の小さな島ブランド株式会社)

さらに2013年には豆腐屋「山下商店」をオープン。山下さんの幼少期、集落に3軒あった豆腐屋が、Uターン時には1軒に減っていたそうです。早朝にボウルを片手に豆腐を買いに行く道や、お店で交わされる島民同士の会話、食卓に並ぶできたての豆腐を食べる朝の時間は、残したい島の原風景だと考え、豆腐屋を始めたといいます。山下商店では豆腐や加工品などの販売、島の日常を案内するツアーなど、日々の暮らしを観光客にお裾分けするようなスタイルで少しずつファンを増やしていきました。

山下さん 過去の文脈を深掘ることで、未来につくりたい風景が見えてくると思っています。人も自然の一部です。自然界のバイオリズムの中で、島も人も、上向くこともあれば下向くことだってあります。ただ、必ず波があるので、現在のリズムを知るには過去の文脈を深掘ることが鍵になります。時には島の人やその家族にヒアリングしたり、資料を読み込んだりと、様々なアプローチを繰り返すことで、一つひとつの風景らしさが生まれてくるんです。仕組みだけでは解決できない、人びとの“感情のデザイン”が必要だと感じています。

山下商店は、築100年の古民家をリノベーション。主に店頭と移動販売にて直接とうふを島の人に手渡ししている。そこで普段聞けない困りごとを聞いたり、日用品を届けたりもしているという(2013年)(画像提供:東シナ海の小さな島ブランド株式会社)

2013年に商品開発した「とうふ屋さんの大豆バター」。 とうふと同じように一つひとつ手づくりで瓶詰め。慌ただしい朝をスローに。誰もが健康的で豊かな朝を迎えてほしいという思いから製造が始まった(画像提供:東シナ海の小さな島ブランド株式会社)

観光名所を一切めぐらず、島の暮らしや風景、建築をめぐる「しまなび」。「島には何もない」のではなく「すべてある」と解釈し、昔から続く暮らしをいかした観光地づくりを目指したという(画像提供:東シナ海の小さな島ブランド株式会社)

その後、徐々に事業の幅を広げていき、一つの転機となったのが「KOSHIKI FISHERMANS Fest」。このイベントは「甑島の豊かな海を次世代に」を合言葉に、買う、食べる、学ぶ、を楽しめる、全国初の漁師に会いに行く参加型フェスとして、2016年から2018年まで3回にわたり、開催されました。

漁業は、漁師の後継者不足や鮮魚流通の課題に加え、野菜のように生産者の名前や顔がわからず、生産者と消費者の距離感が遠いという現状にあります。このイベントでは、漁師が獲ってきた魚をお客さんが自分で焼いて食べるだけでなく、焼き上がるまでの時間を漁師と一緒に飲んだり食べたりすることで漁業の魅力を知ることができる。そうすることでお互いの顔がわかり、両者が漁業に対する価値を再認識できるような場を設計したのです。

山下さん 「助けてください」と課題にフォーカスするのではなく、イベントに参加して楽しんだ結果、課題が解決していたという“仕組みと感情のデザイン”を意識しています。

甑島の漁師さんたちは、市場での価格決定権がないのに多くの手数料を払わなくてはいけないという課題も抱えていました。市場に水揚げする選択肢しかない場合、需要と供給のバランスによって収入が決まってしまうのです。このフェスがきっかけとなり、今後お客さんと直接取引する仕組みができれば、甑島漁協とフェス事務局に手数料を払うだけで済むんです。この取り組みには、漁師さんに価格決定権を取り戻した上で、お客さんと直接取引していく選択肢を増やそうという意図もありました。

一回目のフェス開催後、島の漁師たちからは次の開催を望む声が多く寄せられたそう。漁業の未来を諦めかけていた漁師たちの変化は、「島を理由に未来や夢を諦めたくない」という山下さんの思いをさらに大きくし、甑島だけでなく、鹿児島の島全体を巻き込む動きにつながっていくのです。

KOSHIKI FISHERMANS Fest(2017年) イベントに臨む漁師たち 参加者に魚を焼きながらコミュニケーションを楽しんだという(画像提供:東シナ海の小さな島ブランド株式会社 )

KOSHIKI FISHERMANS Fest(2018年) 島外からも多くの人がイベントを目がけて足を運んだ(画像提供:東シナ海の小さな島ブランド株式会社)

KOSHIKI FISHERMANS Fest(2018年) 。イベントが終わり、島を発つ参加者を全力で見送ったという(画像提供:東シナ海の小さな島ブランド株式会社)

トップランナーとして、挑戦を諦めない場所づくりを

2019年7月。令和の時代のはじまりに、鹿児島離島の人びとと民間や行政、あらゆる垣根を越えたパートナーシップを育てながら、鹿児島離島の新たな価値を生み出していくプロジェクトに挑戦する実践型コミュニティ「鹿児島離島文化経済圏」(通称:リトラボ)が設立されました。

甑島だけでなく鹿児島離島全体の未来を展望し、鹿児島県の離島地域おこし団体連携支援事業にアイランドカンパニーとして応募し、リトラボを企画したといいます。その原点はアイランドカンパニーを創業した当初に遡ります。

山下さん 実は、米づくりを始めた時期にウェブサイトを立ち上げようとしたんです。でも、当時は売り上げが少なかったので、その資金がなくて…。その時県内のあるWeb制作チームからウェブサイトを制作すると連絡があり、「お金は要らないからお米を届けてもらえないか?」と、ご提案いただきました。彼らは私の取り組みに共感してくださり、自社のWebサイトを立ち上げることができました。今でも感謝しています。その時の僕は、お金を理由にやりたいことを諦める寸前でした。人の優しさに救われましたし、自分の心をちゃんと伝えることで、お互いにとってウィンウィンなものを一緒に実現できる仲間たちがいることを知りました。

知恵がない、技術がない、仲間がいない、お金がない…。

事業や活動の範囲が広がり、離島の仲間が増えていくにつれ、創業当初の自身と同じようにさまざまな理由で離島での挑戦を諦める人が多くいることを知っていった山下さん。その中で、島や自治体という枠組みではなく、その枠を越え、連携し合うことで挑戦を諦めない場所をつくりたいと思うようになったそうです。

山下さん 「大丈夫だよ」「あなたは一人じゃないよ」「いつも応援しているよ」と言える人が島の外に一人でもいたことは、僕自身も今まで頑張ってこれた原動力の一つです。その中で「島を越えて頼り合える社会をどうつくっていくか?」ということを考えるようになり、次は私が誰かを支える番だと思いました。実際に島で地に足をついて奮闘している僕らだからこそ、当事者として同じ目線に立ち、血の通った関わり合いができると思いましたし、一緒に動く仲間は、それまでのチャレンジの中で出会ってきた信頼する人たちに、まずは声かけをしました。

2019年7月29日に鹿児島市にて開催された「セイルミーティング」を皮切りにリトラボの活動が本格的にスタート。冒頭、山下さんより「支援する側・支援される側ではなく、みんな一緒になって価値をつくっていく仲間になろう」と呼びかけがあったといいます。同じ目線に立つ者同士が集まる熱量が高い場をつくりたいという思いを込めたのだとか。

2019年7月に開催された第一回セイルミーティングの様子(画像提供:鹿児島離島文化経済圏)

セイルミーティングには、離島出身者・学生・企業・行政・団体など、枠を越えて95名の参加者が集ったという(画像提供:鹿児島離島文化経済圏)

山下さんからリトラボの設立について参加者へ説明があった(画像提供:鹿児島離島文化経済圏)

山下さん これからの地域づくりは、島に学ぶ時代だと思っています。離島に暮らす私たちは遅れた存在なのではなく、最も先立って進んでいる課題の先進地におけるトップランナーです。僕らの生き方や暮らし方、過疎地域での事業を学びに来る時代がきたと感じています。だからこそ、新しい船出の帆を掲げるという意味でセイルミーティングという名にしたんです。

セイルミーティングを重ねるごとに見えてきたのは、若者の減少や生産者不足、販路開拓など各島の固有の課題に対し、他の島々や企業との協力が不可欠だということ。さらに、一つの物事に対して、課題が複雑に絡み合っていることも明らかになってきたといいます。そこで現場の課題の解像度を高めるために、各島でフィールドワークを行ったというのです。

山下さん 島の課題と向き合いながら島を支える当事者たちの現場に足を運び、当事者の言葉や背景を理解することで、仲間意識を高めることにもつながりましたし、より実効性のある連携が生まれてきたと思います。

そこから、各島に不足する資源を隣の島や本土の企業と補完し合う仕組みづくりや、新会社の設立、島外出身者やファンも巻き込んだイベントといったことまで活動の輪を広げていきました。

硫黄島で開催したフィールドワークの様子 。硫黄島は店舗が少なく、地理的条件のみならず、経済的側面からも隔絶性の高い場所だという(2019年)(画像提供:鹿児島離島文化経済圏)

種子島で開催したフィールドワークの様子。島外で暮らす家主より10年限定で借りた空き家をゲストハウスに手がけた「あずまや」を訪問(2019年)(画像提供:鹿児島離島文化経済圏)

甑島で開催された、次世代の離島人材を育成するフィールドワーク「リトラボカレッジ」の様子 。アイランドカンパニーが行っている商品開発、古民家再生事業などの取り組みを視察し、参加者で意見交換を行った(2022年)(画像提供:鹿児島離島文化経済圏)

人とのつながりや取り組みが広がっていく中で、新たに浮き彫りになる課題もあったといいます。それは島々にめぐる、「補助金」の見えない境界線。離島は国土防衛の観点から補助金が投入される傾向にありますが、特に奄美群島などの島々は、戦後の米軍統治時代への補償的な意味合いから、島ごとに国からの補助金の差が生まれている現状があったのです。一方で、県や国からの補助金や受託事業に依存することには限界があるため、自分たち発の、持続可能な経済活動への転換が必要なのでないかという次の道筋が見えてきたのです。

「思いのある若者の挑戦が生まれる海域にしたい」
「挑戦してきた先輩たちがその次の世代の挑戦を支えていく連鎖を島の中に生み出したい」
「そんな良質な関係性の中で経済活動が生まれ、次のチャレンジにつなげていきたい」

山下さんはそんな思いを胸に、さらに次のステージを見据えるようになるのです。

本土の仲間たちのサポートのもと鹿児島市の商業施設で開催された「&island」(2022年)(画像提供:鹿児島離島文化経済圏)

「&island」ではトークイベントも開催され、各島で奮闘する事業者の声を直接聴ける機会となった(2022年)

山下さんら事務局がリトラボメンバーのもとへ訪れ、ラジオ形式でインタビューを行った。写真は屋久島での様子(2023年)(画像提供:鹿児島離島文化経済圏)

平時も有事も、誰一人取り残さない支援を届けるために

新たなステージへのきっかけは、2024年1月1日の能登半島地震でした。石川県で能登半島地震が発生し、離島における「災害支援の遅れや行政区ごとの支援格差」が頭をよぎったといいます。さらに、過疎地域や離島の状況は報道されづらく、届くべき支援が届かないのではないかと危機感を強く感じたそうです。

山下さん あの日、本当なら1年の始まりで夢や希望が溢れる時だったのに、一瞬でそれらが止まってしまいました。また、半島という地理的な条件・立地、さらにいくつかの行政区分が存在していたという理由で、支援の遅れや格差が出てしまったという事実を耳にしました。

大規模な災害が離島で起きたら、さらに大変な状況になりかねない。支援したい人の気持ちがあっても、手立てや受け皿がないと支援の手が届かず、自分たちが生まれ育ち、暮らしている島の未来を諦めざるをえない日が来てしまうのではないか。そんな危機感が芽生えました。

その瞬間、頭に浮かんだのはこれまでリトラボを通じて出会った仲間たちの顔。自身が成長し、会社やリトラボが発展していく過程にも仲間の存在があったことを思い出し、普段は地域の課題や夢に向かい合って一緒に活動しながら、災害が起きた時にはお互いに頼り合い、支援のための資金調達ができる仕組みを整える必要があると強く思ったのだとか。

「人と人とのつながりを大事にしてきたからこそ、一人ひとりの小さな力を合わせて大きな力に変えていけるのではないか?」

そのような気づきから、山下さんは海域を包括するコミュニティ財団が存在することで、行政区に縛られない支援や人の動きが生まれることに期待し、コミュニティ財団の設立を決意。リトラボを通じて出会った島の仲間や関係者、自治体や企業へ直接足を運びヒアリングを重ね、2024年12月1日に鹿児島県内の28の島、22の自治体を包括する日本初の地域包括型コミュニティ財団「一般財団法人かごしま島嶼ファンド」(以下:島嶼基金)の設立に向けた挑戦がスタートしたのです(※)。

※2023年度休眠預金等活用事業「コレクティブインパクトを生み出すローカルファンド創生事業」に採択され、設立に向けた助成を受け、設立の準備を進めている。

島嶼基金の寄付先として、島の「環境」「文化・教育」「産業振興」の3つのテーマへの挑戦を最初の3年間の強化分野に設定。「環境」では島独自の風景や資源を守り活かすこと、「文化・教育」では島の伝統や芸能の継承と地域住民の教育の充実、「産業振興」では地域に根ざした経済活動の確立をはかることを目指しています。資金のみならず、人と人のつながりを活かした伴走型の支援を行い、支援そのものが地域内外との新たなつながりを生む仕組みづくりにも取り組んでいくそうです。さらに、寄付者の名前を冠し、寄付者の思いや支援したいテーマを反映する冠基金も設ける予定だとか。

山下さん 離島という言葉は、1950年代に法律の中で「本土から離れた島」と定義され、つくられたものです。本土とは異なる位置づけを表し、島に暮らす人びとに対しヒエラルキーを感じさせる言葉だと感じていました。それを踏まえた上で、リトラボではそうした隠れた意味すらも一つの強みに変えていこうという意図で、あえて「離島」を使ってきたんです。

でも、今回のプロジェクトでは、島嶼(とうしょ)と呼ぶことにしました。そこには、鹿児島県内28の島に焦点を当て、島の大きさや人口にかかわらず、「すべての人が等しく大切にされるべきである」というメッセージが込められています。「島嶼」とは広範囲の大小さまざまな島が含まれている言葉です。大きい島も小さい島も同じように一人ひとりの思いを大切にし、その思いに資金を投じて共に走っていく財団を目指していきたいとの思いからです。

2025年2月に開催された「島祭Shimasai 2025」にて 財団設立の発表が行われた際の集合写真(画像提供:かごしま島嶼ファンド)

鹿児島県庁にて記者会見をした際の様子。現地へ出向けなかったメンバーたちはオンラインより参加(2025年4月)(画像提供:かごしま島嶼ファンド)

鹿児島県知事を訪問した際の様子(2025年4月)(画像提供:かごしま島嶼ファンド )

島嶼基金の大きな特徴ともいえるのが、エリアパートナー制度。南北600キロの鹿児島県を、地域の特性や人口規模を考慮して8つのエリアに分割し、各エリアに島の課題と向き合いながらチャレンジを続けるエリアパートナーを配置しています。島内だけでなく島外にいる他のエリアパートナーのチャレンジが継続できるように伴走支援をしたり、島嶼基金を活用したい人と事務局をつないだり、島内外へPR活動をしたり、さまざまな役割を担います。エリアパートナーには、リトラボで出会った信頼のおけるメンバーを配置。そのバックサポートに各島の若手メンバーを配置することで、次世代のリーダー育成にもつながり、挑戦の循環を生み出すような工夫もしています。

山下さん エリアパートナーとなったメンバーも、島に戻れば、いち島の事業者でありプレイヤーです。さらに、周囲にはそのメンバーを支える若い世代がいて、その人たちがメンバーの背中を見ながら、島の中で新たなプレイヤーとして育っていくのです。僕らは人と人とのつながりを大事にしている財団です。ただ、それは今つながっているメンバーだけではありません。各島の若い世代も挑戦しやすい土壌を育てること、後に彼らが僕らの意思を引き継いで島嶼基金を担い、またその次の世代を支えるような循環を生み出せたらと考え、この制度を設計しました。

また、どういう思いで基金が生まれ、誰がどう関わっているのか。そのプロセスが透明化されることが信頼につながり、結果的に応援する人が増えていくのではないかと話す山下さん。さらに「支援する人・される人」ではなく「ともに未来をつくる仲間」として、挑戦者・寄付者・財団が対等な関係性と、参加型のイベントを企画していきたいと言います。失敗や困難に直面したときにも「一人じゃない」と感じられる、相互に支え合えるコミュニティ、すなわち、行政区とは違う“新しい自治”が生まれると考えているそうです。

エリアパートナーの仕組みについて(画像提供:かごしま島嶼ファンド)

島嶼基金への寄付賛同を呼びかけるフライヤー。県内外問わず、多くの人から寄付があり、情報公開1ヶ月で500万円を超えたという

島には、夢がある

次の世代における希望の一人として名前が挙がったのが古賀愛深(こが・なるみ)さん。大学時代、旅行雑誌の編集者になるために仲間と旅行情報サイトを立ち上げ取材活動をする中で、地域に根ざした暮らしを営む人びと々の姿が魅力的に映り、「村づくり」に興味を抱いたといいます。大学在学中の2020年1月からアイランドカンパニーにインターンしたことがきっかけで、現在は社員として旅と暮らし事業部(ホステル運営等)に従事しながら、リトラボや島嶼基金の事務局も担っています。

古賀さんにとって、村とは「お互いの顔がわかり、かつ、それぞれの生業や表現を尊敬する関係性を手触りで感じることができるもの」だそう。さらに、各自が異なる能力を持ち、自然とお互いに支え合うことが理想だと語ります。

古賀さん 島嶼基金には、それぞれの島で自分を表現し、生きる人たちが集まっています。限られた環境の中でみんなが協力し合い活路を見出しながら、たくましく生きている姿に、私は大きな尊敬の念を抱いています。それは甑島で暮らし、さまざまな島の人たちに出会うようになってからなんです。

以前、「大学を卒業したのに、どうしてこんな島で働いているのか?」と島外の方に聞かれたことがあって、ショックを受けました。島にいることが「夢がない」など、ネガティブに捉えられている気がして。でも、リトラボや島嶼基金を通して「島には夢がある」と誇りを持って取り組む人たちと出会い、私自身も島で生き、暮らしていることに対して誇りを持ち、自分の役割を感じられるようになりました。

鹿児島の島々の仲間たちと同じ時間を共有したことで、5年前以上に島という地域を自分ごととして捉えられるようになったという古賀さん。社会課題が顕著といわれる島で暮らし、働くことに誇りを持っていると胸を張って語る姿は、まさに次の世代の希望と感じるものでした。

かごしま島嶼ファンドのクリエイティブスタッフの古賀愛深さん。リトラボや島嶼基金では、山下さんと各島をまわり、仲間たちのヒアリングやコミュニケーションを重ねてきたという

山下さんが24歳で甑島へUターンしてから15年。自分の信念に従い挑戦し続けていく中で今、「次のフェーズに入っているという実感がある」と語ります。それは、島嶼基金を含め、一人では叶えるのが難しいことに挑戦しているからだといいます。それを踏まえて、島嶼基金を設立した後に描いている展望を聞きました。

山下さん 僕は、少子高齢化や過疎化、限界集落といった課題が進行する中でも、島や限界集落で新たに生まれる子どもたちは、決して不幸な存在ではないと考えています。島や集落そのものではなく、それらを支える現在の「仕組み」が限界であることを前提に、次の世代が挑戦する時までに、支援の仕組みや資金、仲間、技術を揃えていきたい。そして「一人じゃないよ」「でも、その夢の1歩目はあなたから始めるんだよ」と、次の世代へ僕らなりの愛情表現として島嶼基金を通して伝えていきたいです。その先に若者たちが自分の人生に真剣に向き合い、今まで以上に島で気軽に何かに挑戦できる海域になっていけるように取り組みを進めていきたいと思います。

僕自身、最初は一人の挑戦から始まって、少しずつ仲間を増やし、みんなの力を借りて、なんとかここまで進むことができました。だからといって、自分と同じような苦労を次世代も経験したほうがいいと思ってはいません。いつの時代も苦労はつきものだからこそ、僕らの苦労の先にある、新しい時代の苦労をしてほしいと思っています。

アイランドカンパニーが運営する「FUJIYA HOSTEL」前にて

「Islands have a dream.ー島には、夢がある。ー」

たった一人から始まった挑戦は、時が経つにつれて一人また一人と仲間が増え、今では島や自治体、組織といった枠を超えた大きなうねりを生み出しています。そんな今だからこそ、胸を張ってこの言葉を発する山下さん。彼に続くように、鹿児島の海域では挑戦の連鎖が続いています。

島にいるからこそ、夢を諦めるのではなく、トップランナーとして挑戦を続ける島の人たちの姿勢は、人口減少などの課題に直面している日本の多くの地域にとって、希望になるのではないでしょうか。

既存の枠や仕組みを超え、次の世代や時代を見据えた島嶼基金の新しい挑戦を、一人でも多くの人に知ってもらい、応援してほしいです。

(撮影:福留敦巳)
(編集:村崎恭子、増村江利子)

– INFORMATION –

「かごしま島嶼ファンド」設立へ向け、設立賛同寄付キャンペーンを実施中!

島嶼基金は、共に走る、さらなる仲間(しまの応援団)を必要としています。

みなさんも、島嶼基金の設立を応援しませんか?


寄付は、個人でも法人でも受け付け可能。2025年7月18日までにご寄付をいただいた方のみ、設立発起人としてお名前を財団公式サイトに掲載させていただきます。

【かごしま島嶼ファンド 寄付サイト】
https://congrant.com/project/island_fund/14746

【かごしま島嶼ファンド公式インスタグラム】
https://www.instagram.com/kagoshima_islands_fund/

【かごしま島嶼ファンド公式note】
https://note.com/kagoshimafund

【かごしま島嶼ファンド 設立準備会(事務局:山本)】
Email:kagoshima.island.fund@gmail.com