祖国を追われ、難民となっている人たちは、世界中に1億2000万人以上いると言われています(UNHCR調べ)。その背景には複雑な国際情勢や長い歴史が絡み合っており、理解は容易ではありません。問題の背景を理解することは重要ですが、それよりもまず、難民の人たちの置かれている状況や抱えている心情に思いを馳せてみるのはどうでしょうか。
映画『ザ・ウォーク~少女アマル、8000キロの旅~』は、アートとファンタジーのような要素とフィクションを織り交ぜたアプローチを用いて難民問題を描き出すことで、難民問題への入口にふさわしい作品になっています。頭で考えるだけではなく、心で感じることで、同じ地球の上で生きている難民の人たちについて少しでも知り、想像をめぐらせられたら。そんな願いが込められています。
難民の子どもたちが感じる痛みや苦しみが、そのまま伝わってくるよう
映画のモチーフとなっているのは、『The Walk』というアート・プロジェクト。これは、シリア難民の少女をかたどった”リトル・アマル”と呼ばれる身長3.5メートルの操り人形が旅をするプロジェクトです。2021年に旅を始めてから、アマルは17ヵ国166の都市を訪れ、200万人以上の人びとと出会い、数千万人の人びとがオンラインで彼女の旅を見守ってきました。このプロジェクトは世界中の難民の子どもたちの緊急支援のための寄付を募っており、これまでに100万ドルの資金を集めてきました。
この映画には、アシルという実在のシリア難民の少女も登場します。ある日アシルはアマルの旅についての話を聞きます。トルコの国境を超えられないアシルにとって、アマルの自由な旅は夢のようなもの。映画は、アマルになりきって国境を超えてさまざま体験をするアシルの空想シーンを重ねながら展開していきます。
さらにこの映画には、アマルと一緒に旅をする人形遣いである、シリア難民のムアイアドとパレスチナ出身のフィダの過去の暮らしや苦しい思い出を再現したシーンもたびたび登場します。こうした、ドキュメンタリーとフィクションが溶け合うような構造により、難民の人たちを多面的に捉え、観客の想像力を揺さぶる仕掛けになっている点も、この作品の大きな魅力でしょう。
アマルは、シリアからトルコへ、そして地中海を越えてギリシャからヨーロッパへと旅をし、歩き続けます。このように、アフリカ大陸からヨーロッパへと逃れる難民たちの多くがたどるのが地中海ルート。古ぼけた小さなボートに難民たちはすし詰めになって危険な航海へと乗り出し、子どもも含めたくさんの人たちが海で命を落としています。
旅を続けるアマルが目にするのは、命の危険を冒してでも逃げざるをえない過酷な状況と、それにもかかわらず、たどりついた先にも居場所がないという厳しい現実。実際に命懸けで旅をした難民の子どもたちは、難民の置かれている悲惨な境遇を自分の言葉で語ります。
アマルをはじめとした子どもたちによって語られることで、その感情がより心に迫ってきました。難民の40%が18歳未満の子どもたちと言われています。年端もいかない子どもたちは、難民である自分たちが置かれている複雑な背景を理解することは難しいかもしれません。でも、だからこそ、子どもたちが口にする言葉は、私たちへの問いとして深く響くものがあります。
アマルは、移民や難民に対する排斥運動にもぶつかります。運動について詳しい説明がなくても、その映像には難民の人たちにぶつけられている憎しみがリアルに映し出されています。そこで伝わってくるのは、アマルの恐怖、とまどい。
「怖い」
「どうして?」
「やめて」
社会状況や思想信条など、背景はまったくわからなくても、自分に向けられた憎しみは深く突き刺さってくるのです。
そんなアマルの感情は、まさにたくさんの難民の人たちが実際に直面している思い。その一端に触れることで、社会課題としての難民問題ではなく、同じ人間が傷つき、苦しんでいるという事実に少しでも近づけるのではないでしょうか。
厳しい現実はあるものの、アマルの旅からは希望への光も見出すことができました。各地で元気いっぱいの子どもたちからにぎやかな出迎えを受け、フランスでは欧州議会からパスポートを受け取ります。
欧州議会の対応は、基本的人権という、ヨーロッパで生まれ、人間が普遍的なものとして育んできた尊い価値観を改めて思い出させ、感動的ですらありました。トランプ大統領率いるアメリカで外国人への排斥が強まっているからこそ、EUには、そしてもちろん日本にも、これまで以上にすべての人の基本的人権を尊重してほしいと心から願います。
アマルの一歩一歩は、世界中の難民が生きようとしている歩みの象徴
アート・プロジェクト『The Walk』は、「これまでに試みられた中で最も野心的なパブリックアートプロジェクト」と評されました。アートが、社会的なメッセージを伝えるうえで大きな役割を果たせることは、この映画作品そのものからも深く実感できることでしょう。
この映画の主役とも言える“リトル・アマル”は、アートの持つ力の象徴と言えます。彼女を制作したのは、南アフリカの人形劇団ハンドスプリング・パペット・カンパニー。人の2倍以上という大きさや、大きな真ん丸の瞳など、その迫力に最初は圧倒されますが、映画が進むうちに、人形の造形に人形遣いによる巧みな動きが加わって、彼女に感情があるかのように見えてくるのが不思議です。繰り返し映し出される大きな靴の力強い一歩一歩は、難民の人びとの生きようとする力をシンボリックに表現しているように見えました。
そして、アート・プロジェクトの重要なポイントでもある“歩く”という行為にも、深い意味を感じ取ることができます。インターネットを使えば、一瞬のうちに世界中の出来事を目にできる時代です。だからこそ、実際に歩くという行為の末に、現地で感じ、行動することでもたらされるものの力を感じ取ることができました。
この映画を通して、そしてアマルやアシルを通して、難民問題にニュースなどで触れたとき、一人ひとりが生きている人生の問題なのだと想像がめぐらせる気持ちが広がっていきますように。いまも世界の難民は増え続け、問題の解決には遠い道のりが待ち受けています。でも、アマルが一歩一歩、足を進めたように、私たち一人ひとりがほんの少しずつでも心を動かし、その次には行動に移していくしかない。改めて、そう実感しています。
(編集:丸原孝紀)
(メイン画像:©JEAN DAKAR)
– INFORMATION –
2025年7月11日(金)アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー
監督:タマラ・コテフスカ
配給:ユナイテッドピープル
80分/イギリス/2023年