【6/25オンライン開催】めぐる社会のつくりかた〜 循環をデザインする仕事とは?

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10年間続いてきたのは“暮らしの延長”に場を開いたから。神戸市長田区「したまちのえきロッケン」が新たに始めた、仲間とともにまちの文化を支える仕組み

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迎えてくれるあったかい笑顔と、美味しそうなご飯の匂い、寛いだ表情でおしゃべりする人の姿。

「したまちのえきロッケン」の扉を入ると、そこはまるで誰かの家のリビングのような空気に包まれています。

入ってすぐのキッチンカウンターに並ぶのは、できたてのお惣菜。この日の日替わり店主さんが、ビュッフェ形式のランチを提供していました。どんどん品数が増えていき、美味しそうなにおいが広がります。

その向かい側には、ラックいっぱいに色とりどりの古着や、お土産などが販売されています。古着を手に取って見る人もいれば、お隣のテーブルでランチを囲んで談笑する人の姿も。一番奥にはフローリングの小上がりがあり、アップライトのピアノやテーブル、椅子が並びます。

神戸市長田区。JR新長田駅から続く長い商店街の一番南に位置する六間道3丁目商店街に、「したまちのえきロッケン(以下、ロッケン)」はあります。

レンタルスペース、カフェ、ギャラリー、チャリティーショップなど、いろいろな機能を持つこの場所を運営するのは、合田昌宏(ごうだ・まさひろ)さん、三奈子(みなこ)さんご夫妻です。

前身は、2015年にお二人がこの場所で始めたレンタルスペース「r3」。赤ちゃんからお年寄りまで多様な人が集い、出会い、語らう場としてまちの人に親しまれてきました。2024年、その場所をリニューアルして再出発したのがロッケンです。

リニューアルにあたり、これまでのレンタルスペース事業に加え、寄付で集めた古着の販売やまちの地場産業と連携したお土産づくり・販売をスタート。さらに、ロッケン全体の収益の一部が地域に寄付され、まちの文化や活動を守るために使われる「まるごとチャリティショップ」という仕組みを始めました。

ロッケンにはいつも、いろいろな人が集い、それぞれの時間を過ごしています。みなさんのやりとりには一朝一夕には決して生まれない心地よいリズムが感じられて、お二人がこの場所でどんな時間を重ねてきたのかを知りたい気持ちが、むくむくと湧き上がります。これまでのことや、今感じていることについて、じっくりとお話を伺いました。

合田昌宏(ごうだ・まさひろ)〈写真右〉
合同会社r3共同代表、Creative unit DOR共同代表。神戸の大学の環境デザイン学科を卒業後、地元工務店の設計部を経て、2001年に大学時代の友人と独立。2007年より中古物件のリノベーションを中心に行うアートアンドクラフトのプランナーを担当。近年、大学の非常勤講師や神戸六甲ミーツ・アートではテクニカルディレクターも務める。様々なものづくりのプロジェクトに携わり、地域の担い手として活動している。
合田三奈子(ごうだ・みなこ)〈写真左〉
2004年に新長田に移住。レンタルスペースであり、カフェであり、ギャラリーでもある「したまちのえきロッケン」を運営し、自身もイベントなどを主催している。実業団でのバレーボール選手や、長男出産後は子どもと共にフィットネスのインストラクターをするなどの経験をもつ。5人の子育てと親の介護と並行して鍼灸専門学校に通い、2025年国家試験に合格。人と人をつなぎ、夢を形にする手伝いと、みんなが健康でご機嫌に働ける仕組みを探求している。

偶然が重なり始まった、六間道商店街での場づくり

JR新長田駅から徒歩10分ほどのところにある六間道商店街は、神戸の下町として有名なエリアです。大正〜昭和にかけて、海沿いの重工業地帯に近かったことからも発展し、かつては多くの人が往来していたそう。しかし、阪神・淡路大震災で大きな被害を受け、人口流出が進むとともに商店街には空き店舗も増えていきました。

道幅が六間(=10.8m)あることからその名前がついたと言われる六間道商店街。1960年に設置され、かつては写真手前側にも続いていた商店街3丁目のアーケードは、劣化が進み、2018年に撤去された

今から21年前、合田さんたちがこのまちで暮らし、場を開くようになったのは偶然の流れだったといいます。長男の出産を機に、神戸市内の昌宏さんの実家を出ることにしたお二人。古い家をDIYしながら自分たちらしく面白く暮らしたいと思っていましたが、当時DIY可の賃貸物件は少なかったそう。いろいろな物件を見る中で一目惚れしたのは、六間道商店街のすぐ近くにある4軒1棟の文化住宅で、お風呂がない家でした。

引っ越してきた頃の六間道商店街は、“やんちゃなまち”と言われることも多かったそう。「暮らす家が見つかってから近所を散歩していたら、中学生のときカツアゲにあった場所を通りかかって。「昔カツアゲにあったところや、ここで子育てするのか!」って、後から気がついたんです」と昌宏さんは笑う

昌宏さん 家にお風呂がないのでつくらないといけない。でも、仕事から帰った後のDIYでは作業が進まず、1年ぐらいかかったんです。幸いこの地域にはお風呂屋さんの文化が残っているので、生まれたばかりの長男を連れて毎晩のように銭湯に通ううちに、まちの人とのつながりが生まれました。

三奈子さん 銭湯に赤ちゃんを連れて来る私たちが、もの珍しかったみたいです。それに、この辺りは下町らしい人間味のあるまち。買い物をするにしても、生まれたばかりの息子を抱っこして商店街を歩いていると、すれちがう人が声をかけてくれるんです。本来なら家まで数十分で着くところを、まちの人たちとお喋りしながら何時間もかけて家に帰るのがルーティーンになり、やがてまちに知り合いがどんどん増えていきました。

銭湯での一コマ。まちの人が自然に子どもたちに声をかけてくれる(画像提供:したまちのえきロッケン)

そんな中で三奈子さんは、商店街の中に事務所を置く子育て支援のNPOと出会い、子どもと一緒に通うように。そこで「やってみない?」と声をかけられ、親子フィットネスのインストラクターをしたり、ママ友たちと一緒に週に一度子連れカフェを開いたりするようになりました。

そして2014年、そのNPOが事務所を移転する際に、三奈子さんはスペースの運営を引継ぐことを決意。その場所でコミュニティスペース「wina(ワイナ)の森」を始めました。初めての場づくりへ向けて研究を重ねる中で見つけた「日替わり店主」の仕組みを採用し、カフェや寺子屋、スポーツ、バーなど、まちの人たちの「やりたい」で毎日のタイムテーブルがつくられ、子育て世代を中心にたくさんの人が集まる場となりました。

「winaの森」には「ワイワイ仲良く集まって、みんなの夢を叶える場所に」という自分たちの願いを込めた。壁や内装は、みんなで絵を描いた(画像提供:したまちのえきロッケン)

大阪市中崎町のcommon cafe(2023年8月末に営業終了)が「日替わり店主」の仕組みでお店を運営していると知り、創始者の山納洋さん(写真右)にお話を聞きに行ったというお二人。山納さんは、大阪ガスネットワーク株式会社の社員でありながら、長年場づくりに携わっている。取材当日は嬉しい再会となった

地域ではちょうど、商店街活性化への機運が高まっていた頃。しばらくして、商店街の空き家プロジェクトの一環で借り手を募集するも見つからないままになっていた空き店舗をまとめて借り、「健康wina」「寺子屋wina」「レンタルwina」と目的ごとに場所を分けて運営。そのとき気づいたのは、一つの場所を多目的に使うからこそ、人のつながりが生まれるということでした。

三奈子さん 場所を分けると、目的のためにしか人が集わない気がして。同じ場所で、あーでもない、こーでもないと言いながらいろんな人が集まって運営する方が、場所として充実していたように感じたんです。

第2のリビングのように場をひらく

お二人は、より広いスペースで、人が出会い、語らい、新しいことが生まれる場を持ちたいと考えるように。ちょうど物件の契約が切れるタイミングで、子どもたちの小学校の校区内にある現在の物件を購入し、2015年5月にレンタルスペース「r3」をオープンしました。

「r3」の店名は「rokkenmichi-reuse-renovation」の3つの頭文字“r”から。ここで人が出会い、新たなことが生まれ、まちの活気が少しでも戻ることへの願いを込めました。

建築からプロダクトまで、さまざまなものづくりをしてきた昌宏さん。r3を設計する際、キッチンの流しには大きな金だらい、照明には空き瓶をつかうなど、リユース素材を用いている

空間の真ん中に、本物の木をそのままの形で据えた。木の周りには人が集う空気が生まれる

筆者が8年ほど前にはじめてr3を訪れたとき、赤ちゃんだった4人目のお子さんを抱っこした三奈子さんが笑顔で迎えてくれました。手前のキッチン&カウンターでは日替わり店主さんがバル、奥の板間では子どもたちの体操教室という風に、普段絡み合うことの少ない事柄が一つの空間で同時進行する様子が、なんとも居心地のよかったことを覚えています。

その心地よさは、この場所が、5人の子どもを育てる合田さん一家の暮らしの延長線上にあるからなのかもしれません。

三奈子さん ここは「第2のリビング」という感覚でまちに開いてきました。子どもの習い事や仕事の打ち合わせをしたり、仲間がつくるご飯を家族で食べに来たり、家でできないことをここでする、という使い方をしています。商売をしている感覚も、目指す形もなく、私たちも都合の良いように使うし、ここに来るみんなもそれぞれ自分に合った使い方をしてくれています。同じ使い方をする人がいないのが、見ていて面白いです。

ランチのあと、自然と打ち合わせが始まる

特別な目的のためでも、商売のためでもない。そんなお二人の場の開き方は、地域で「場を持つ」ことへのハードルをうんと低くしてくれるように感じます。r3を皮切りに、六間道商店街の近辺には、介護付き多世代型シェアハウス「はっぴーの家ろっけん」を運営する首藤さんや、下町ゲストハウス・バーを運営する池田さんご夫妻を始め、合田さんと同世代や若い世代の人たちが、アートや介護福祉、子どもに関わることなど、このまちに暮らしながら生活の延長に人が出会いつながる場を開いています。

取材当日は、4年前から日替わり店主をしているみかさんによる「みか飯」のランチの日。インタビュー前、合田さん夫妻と取材チームでランチをいただきなから机を囲んだ

みんなでつくる「まちの総合案内所」へリニューアル

第2のリビングとして大切にしたい思いを真ん中に、場づくりをしてきたお二人。r3が地域の人の居場所として親しまれる一方で、合田さんたちはこの場所を続けるべきかどうか悩んだ時期があったそう。

昌宏さん 2020年、コロナ禍によって人が集まることが制限されたときに、今までやってきたことが否定されるような気持ちになったというか……このままの形で続けていくか悩み、賃貸や売却でこの場を手放そうと考えたことがあったんです。けれどなかなか後継の人と出会えずにいたところ、2023年、r3が「下町芸術祭」の総合インフォメーションを担当することになりました。

下町芸術祭とは、2015年から2年に1回、神戸市の下町エリア(長田区・兵庫区南部)で開催している地域の芸術祭。「多文化共生」をテーマに掲げ、まちの人がコーディネーターやディレクターとなり、古民家や福祉施設、工場など、地域のさまざまな場所を舞台に、現代アートの展示やパフォーマンスの公演が繰り広げられます。

2023年の下町芸術祭の開催期間中、総合案内所のr3を多くの人が訪れた(画像提供:したまちのえきロッケン)

昌宏さん r3が下町芸術祭の説明会場や、ボランティアチーム「こて隊」の拠点になり、この場所を中心に下町芸術祭が開催されました。そのとき、今このまちのいろいろな場所で起きているいろいろなことを説明する“総合案内所”のような場所が必要だなあ、と感じたんです。一つの場所を通して、そこにいるみんながまちのことを案内できるといいなあ、と。

継承されてきた伝統や文化も、新たに生まれている場やコトも、まちの人の言葉で案内できる場にしようーー。合田さんたちは、お母さん、介護士、アーティストなど、まちに暮らす仲間6人に声をかけ、リニューアルに向けての作戦会議を始めました。地域の歴史や文化のことも学びながら、この場所のあり方を考えたといいます。

そして2024年5月、新たに生まれたのが今のロッケンです。

ロッケンには、大きく6つの機能を持たせました。カフェ、ギャラリー、イベント、縁着(古着)の販売、レンタルスペース、お土産。r3時代からの飲食やレンタルスペースに加え、地元で製造業を営む6人の職人さんの協力を得て誕生した「下町の手仕事みやげ」や、家庭で不要になった衣類を寄付で譲り受け、店頭で販売する「縁着(古着)」が物販として始まりました。

下町の手仕事みやげは、地元の職人さんと企画してつくった廃材、再生紙、鉄、皮やガラスなどの素材を加工した小物。六軒のロゴマーク同様、全て六角形の形にこだわってつくられている

寄付された縁着(古着)の販売コーナーには、小物や子ども服も多く並ぶ

そして新たに採用したのが、「まるごとチャリティショップ」という仕組み。ロッケン全体の収益の一部が寄付金となり、地域の文化として古くから根付いてきた地蔵盆などの行事や、新たにまちの文化として動き出している下町芸術祭などの活動をサポートします。

まるごとチャリティショップの仕組みを決めたのは、リニューアルのほんの数ヶ月前だったそう

この仕組みにしたのは、このまちだからできるチャリティショップの形があると感じたから。

三奈子さん 神戸の古着チャリティショップ「FREE HELP」の代表・西本さんにお話を伺って、その仕組みや考え方に共感しました。ロンドンにはバス停ごとにチャリティショップがあると聞いたとき、六間道ではバス停ごとに「場」があるイメージだなと思って。今、このまちにはいろんな分野で場づくりがされている状況がある。だったらロッケンでの収益の一部でまちの活動を応援できるって、私たちが思い描くチャリティの形かな、と思ったんです。

リニューアルからの1年間で、地蔵盆や下町芸術祭など、地域の活動に定期的に寄付金を届けることができました。縁着(古着)の寄付を通じてロッケンに来てくれる人もいて、まちの中で「チャリティ」を考え、気軽に関わるきっかけもつくり出せています。

はじめての寄付は商店街の地蔵盆に。存続が難しくなっている状況を知り、商店街に関わる人たちと一緒に、お地蔵さんのまつり方をレクチャーしてもらった。寄付金は、80年前につくられた祠の修繕にも活用された

ロッケンのロゴマークや手仕事みやげ、活動紹介のフライヤーなど、全てのデザインに使われているのが六角形。この形にこだわる理由について伺うと、昌宏さんは、額に入れて飾っている1枚の絵を見せてくれました。

昌宏さん 僕たちも、偶然この絵を見せてもらって知ったのですが、昭和50年代この商店街に人工芝を敷き、ベンチやプランターを設置して、商店街を公園化する「グリーンピア六間道」という取り組みをしていたそうです。決してぼくたちが新しいことをしているのではなく、まちにはそんな歴史があって。ロゴマークにはそのとき使われていたシンボルマークを継承しました。

昭和50年代に描かれた六間道商店街のイメージ図。数年前、老朽化によるアーケード撤去の会議が開かれた際に昌宏さんが描いた撤去後のイメージ図は、偶然にもこの絵とほぼ同じだった。この絵を見て、かつて六間道商店街にこの光景が広がっていたと知り、とても驚いたそう

六間道商店街3丁目と5丁目の交差点には「グリーンピア六間道」当時のシンボルマークの石が残っている

リニューアルで生まれた変化

これまでは二人で相談しながらやって来た運営を、リニューアルを通して仲間と一緒にできるようになったことは、合田さんたちにとって、とても心強く大きな出来事だったそう。運営に限らず、ライブやイベント出店など「ロッケンチーム」としてまちを飛び出していくこともあるのだとか。

メンバーのみなさんにとっては、運営に関わるようになった1年間はどんな時間だったのでしょう。

日替わり店主のみかさん(左)と、下町のお土産づくりにも携わっているフッチーさん(右)。みんなで話すと笑いが絶えない

4年前から日替わり店主として関わっているみかさん。かつては月1〜2回のランチ営業だったのが、下町芸術祭やリニューアルを経て、いまはお惣菜の販売や居酒屋、夜定食なども始めました。

みかさん 最初は、お客さんが来なくて「どうしよう」って、不安なときもあったんです。でも、そんな日はお客さんやなっち(三奈子さん)たちと深い話ができたりする。いつからか、自分にとってお金ではない形の収入になっていると思うようになりました。4年前は読んでもわからなかった場づくりの本も、今読むと言葉がストンと入ってくるようになっていて。

普段は木工機械を主とした機械屋さんを営んでいるフッチーさんは、1年前からロッケンで月1回、コーヒー屋を続けています。出店のきっかけは、自分の中にある変化を感じたからだそう。

フッチーさん ぼくの仕事は同業種間のやりとりが多いから、リニューアルに向けて集まる会はすごく新鮮で。違う分野の人と“分かり合えない会話”をするって、理解が難しいこともあるから、関わるうちに自身の視野の広がりを感じたんです。手段はコーヒーじゃなくてもよかったんですけど、何か手を動かしながらいろんな人と話すことがしたいと思って、ここで出店させてもらうようになりました。

インタビュー中には、初めてロッケンを訪れた方に、みかさんやフッチーさんが声をかけて紹介する様子や、急な雨に気づいたカフェのお客さんが、外の縁着(古着)ラックを中にいれる姿が。2人が開いてきた場は今、みんなでつくる場になっています。

遠方から訪ねてきた方に、ロッケンのことや長田のまちのことを紹介するフッチーさん。7人のメンバーで運営するようになったことで、それぞれの視点でまちや場について紹介する光景が生まれている

これまでの出会いやつながりを深めていく

この10年間で、アーケードがなくなり、マンションが増え、まちの風景は大きく変わりました。そんな中、いろいろなやり方で場を開く人や、まちの人を巻き込んで行うイベントも生まれています。

まちの性質が変化してきていると感じる中で、合田さんたちは今、次のステップを探っているところだそう。影響を受けてきた人に会いに行ったり、今までつくったものを見に行ったり、この数ヶ月間は原点に戻るような時間をとっていると言います。

三奈子さん この場所が10年間続いてきたのは、子育てとともにあったから、かな。子どもたちが成長したとき、「ここが故郷やねん!」と誇らしげに言えるようなことを残したいと思って場づくりをしてきました。

これからは子どもたちの世代がまちをつくり、仲間とプロジェクトをまわしていく。そのときに「私たちのときはこうだった」という話はできるけど、もっとたくさんの人に聞いた方が情報は新鮮で選択肢が広がる。そのために、人と人がつながる場をやっているのかもしれません。

次の10年を見据え、やっていきたいことを伺うと、偶然にも二人ともから「肩書きを変えようと思っている」という言葉が。

昌宏さん 今まで、まだ世にないものを新しくつくりだすという意味で「つくる人」という肩書きでやってきているんですが、これからは、「つくらない人」に変えようかと思っています。場所やプロダクトをつくり始めてから27年が経ち、もう、世の中いろいろなものが飽和状態だと感じていて。今までにつながってきた人や、つくってきたものがたくさんあるので、そのメンテナンスや、そこからの派生で何かできるんじゃないかなって。今までつくってきたものを大事にする方にシフトしていきたいなと思っています。

「決して守りに入るわけじゃない。変わらず攻めの姿勢ではいたい」と話す

三奈子さん わたしは「つなぐ人」と言ってきたのですが、これからは「深堀りする人」に変えていこうと思っています。

これまで本当にたくさんの人とつながらせてもらって、その人の夢を一緒に歩んできて。実は今年、鍼灸の国家試験に受かったので、これからは一人の人の深いところ、「ここ」ってところに鍼を打つように関わりたいと思っていて。ここに携わる人も家族も、健康でゆるやかに続いていってほしいので。これまでいろいろな人とつながるために使っていたエネルギーを、一人の人と深く関わることに使いたいなと感じています。枠は狭くなるけれど、深くなる。そんな10年にしていきたいですね。

インタビューに参加した4名で撮影していたら、次々と仲間がロッケンに現れ、写真に写るメンバーがどんどん増えて賑やかに!

今まで、場を持つことは、ハードルが高いことのように感じていました。お店を持ったり、家開きしたりするのは、楽しい半面、かなりの忍耐力や努力もいるのでは、と。でも、「何年間続けようとかは考えたことがなくて。子育てとともに、気がつけば子どもも場所も10年経っていた感じかな!」という三奈子さんの言葉に、心の中にすーっと風が通ったような軽やかな気持ちになりました。

目的や目標は一旦横において、自分たちにとっての「第2のリビング」を続けていくうちに、いつの間にか自然と「訪れる人にとってのリビング」のような空間に育っていく。暮らしの延長に「場」を置くことこそが、ゆるやかに場づくりを続けていくコツなのかもしれない。ロッケンで過ごすみなさんのあたたかいやりとりを見ながら、そんな風に感じました。

(撮影:藤田温)
(編集:村崎恭子)