「日本はあんなに小さな島国だから、耕す土地もないのだろう。だから遠いアマゾンの森を壊してまでつくる大豆が、そんなに欲しいんだね」
1989年からアマゾンの森林破壊に抗議し、先住民族の声を世界に届けてきた、カヤポ民族の長老 ラオニ・メトゥティレ。2007年と2014年の来日時に通訳を務め、この呟きを直接聴き、受け止めたのが、30年以上にわたりブラジルの都市の貧困地区・ファベーラや先住民族保護区をフィールドに取材を続けるジャーナリスト、下郷さとみ(しもごう・さとみ)さんだ。
東京での生活を経て、千葉県鴨川市の山あいに移住して約20年。薮を切り拓くことからはじめ、自らの暮らしをつくりながら、年に1〜2度はブラジルを訪れ、取材や現地のプロジェクトに取り組んできた下郷さん。
その里山暮らしを知っているからこそ、日本には豊かな土壌があり “耕す土地もない” わけではないことを、痛いほどわかっている。人々が土地に根ざした暮らしから離れ、耕作放棄地だらけになっているという、現実がある。
だからこそ、ラオニ長老に言われたその一言がずっとずっと忘れられずに胸に刻まれ、下郷さん独自の視点へとつながっていった。
「アマゾン先住民族の村は “里山”だ」
2015年、初めて先住民族保護区の村に入った下郷さんが感じたというこの感覚。そのメッセージに触れ、え?どういうこと?という疑問と驚きが湧きあがる。アマゾンといえば遥か彼方の土地、気候も暮らしも文化も何もかもが私たちとは程遠いイメージが瞬く間に思い浮かぶからだ。
でも、もしそうなのだとしたら、アマゾン先住民族の暮らしには私たちが地球とのつながりを取り戻して生きていくヒントが、思っていたよりもうんと身近なものとしてちりばめられているのかもしれない。
そんなワクワクを胸に、千葉県鴨川市へ下郷さんを訪ねた。
石川県金沢市出身。大学卒業後、情報系出版社を経て、1988年からフリーランスのジャーナリストとして活動。1992年から約2年、ブラジル・サンパウロ市郊外の貧困地区で保育や教育支援のボランティアに携わったことをきっかけに、以降は都市の貧困地区やアマゾン先住民族の土地をフィールドに、さまざまな民衆運動の取材・執筆を続けている。アマゾン南部の先住民族を支援する特定非営利活動法人熱帯森林保護団体に協力し、2007年と2014年にはカヤポ民族の長老ラオニ・メトゥティレ氏の通訳を担当。2014年から同NGOの支援プロジェクトコーディネーターも務めた。2023年のはじめに同NGOを離れた後もアマゾン先住民族の最前線を取材し、テレビ・雑誌・講演などで発信。2024年にはヤノマミ民族のリーダー、ダビ・コペナワ氏の通訳も務めた。
著書に『平和を考えよう』(あかね書房)、共著書に『抵抗と創造の森アマゾン』『ブラジルの社会思想』(共に先住民族に関する章を執筆/現代企画室)、『コロナ危機と未来の選択』(コモンズ)など。
国連データとテクノロジーを味方に
世界へと発信する先住民族のいま
“先住民族” と聞いて思い浮かぶのは、どんな人々だろう?
森の中での伝統的な暮らしを今なお営むカヤポ民族のラオニ長老のような人々もいれば、都市を拠点に活動するヴァンダ・ウィトトさんのような現代的なリーダーもいる。実際には、“先住民族” とひとくくりにはできない、多様性とグラデーションがある。
私たちは彼らに、自分たちの「こうあってほしい」というイメージを押し付けがちだ。自然の中で暮らし、伝統的な食事をし、民族衣装を着て歌い踊っていてほしいのだ。しかし実際には、私たちと同じ今を生きる彼らはスマートフォンやSNSを駆使し、自分たちの声を直接世界へと届けている。
2023年7月、アマゾン先住民族保護区で開催された大集会を現地で取材した下郷さんは、国連・先住民問題に関する常設フォーラム(UNPFII)などでも言及されてきたとされるこの “国連の報告” を、多くのリーダーたちが引用し、自らの実感や体験と重ねながら訴える声を聞いた。
そしてその目の前には、その様子をスマートフォンやカメラで撮影し、衛星インターネットで世界へリアルタイム発信する多くの若者たちの姿があったのだ。
国連のデータは先住民族の存在価値を認め、力強く支える。気候変動への早急な対応が求められる中、彼らが伝統的に守ってきた叡智に世界中からの注目が集まっている。一方で、違法な森林破壊や金の採掘など、土地や権利の侵害は止まらない。民族を超えた団結を促す大集会も活発化し、テクノロジーを駆使した新たな闘いがはじまっている。
自らの目で彼らのリアリティを見つめ、その声に耳をすませる。そんな下郷さんのジャーナリズムの原点は、貧困地区・ファベーラの人々と関わった時間の中にある。
モノクロームだった景色がカラーになった
ファベーラでの原体験
ブラジルとのご縁が始まったのは、1992年のこと。日本と行ったり来たりしながら関わり続け、気づいたら30年以上経っていたと、下郷さんは笑う。
リオデジャネイロの丘の上に象徴的に建つコルコバードのキリスト像。その足元にある小さなファベーラ「サンタマルタ」での体験が、自らの原点になっている。
下郷さん 初めてサンタマルタを訪れた1998年当時、麻薬組織が入り込んでいて、すごい緊張感で。周りからも「リオのスラムは怖い」とさんざん聞かされていたし、案内をしてくれた支援者でさえ、ファベーラの住人に対してひどくネガティブなことばかり言っていました。
だから、その日はすごくいい天気で綺麗な青空だったのに、目の前に見える世界がなんだか命がないみたいに、モノクロームに見えたんです。
でも2年後、そのファベーラにまた行く機会があって。その時は住民組織の人とつながって、住民自身に案内してもらったんです。そうしたらね、2年前に見たモノクロームの景色が、総天然色に、カラーに見えたんですよね。お金も何もないから、住民自身が手弁当で一生懸命やってるんだけど、意見もはっきり言うし、いきいきとした活動がそこにはあって。同じ路地が、すごく活気に溢れて見えて、 いろんな人と立ち話したりね。
目から鱗が落ちた、自分の原点みたいな体験だった。
どういう目線で見るかによって、見えるものって全然違うんだなって。それを実体験できたのは、自分の中ですごく強烈だったんですよね。
以来、サンタマルタは下郷さんにとって、ブラジルを訪問するたびに里帰りするような大切な場所になった。ファベーラの住民と関わる中で身につけた、徹底的な現場主義。いつでも当事者と直接、ハートでつながる姿勢。鋭い視点とあたたかい眼差しの両面をたたえた下郷さんの目は、ファベーラの住民運動や環境問題など、ブラジルの現代におけるさまざまな歪みを取材し続け、やがてアマゾンの森の中へと向けられていくことになる。
初めてのアマゾン行きで感じた
「この世界、知ってる」という肌感覚
2005年に、東京での生活から一転、鴨川へ移住。初めての田舎暮らしに試行錯誤しながらも、ご近所さんたちと積極的に関わり、助けを借りながら、棚田や畑、味噌や醤油づくり、養蜂や馬との暮らしまで、さまざまなことに挑戦。きっと、下郷さんの “ジャーナリスト気質” が大いに発動し、長老たちの知識や思い出話を引き出したのだろう。そこには、戦前〜戦後すぐの鴨川の、そして日本の農村の原風景が見えてきた。
下郷さん この辺りに電気が入ったのは昭和30年代くらい、1960年前後ですよね。薪と木炭を使っていたところに、燃料革命で灯油やプロパンガスが入ってきて。ここで時代がすごく変わったんです。
それ以前の暮らしの話を聞くと、 本当にすべて人力。小さい耕運機が昭和30年代の終わりに世に出たそうだけど、それ以前はみんな牛を使って耕していたんですって!
すべて自分のからだでやる。全部手でつくる。材料は全部、身の周りから調達する。つい最近まで日本の農村ってこんな暮らしだったんですよね。
鴨川で体感した里山の暮らし。里山とは「壊さない程度に周囲の⾃然に働きかけて、⼈間が居場所と糧を得る場所」だと、下郷さんは定義する。
下郷さん 2015年、NGOの支援活動に協力してアマゾンの森林の奥にある先住民族保護区の村に初めて入ったんです。最初はすごく緊張してたんだけど、不思議と「この世界、知ってるな」みたいな気分になって。
「ああ、ここも里山だ」って、そう思ったんですよ。
アマゾンと日本の農村が特別に似てるっていうことじゃなくて、たぶん人類共通。自然環境はそれぞれ違うけど、やっぱり自然と向き合って、その恵みを得て生きている。人類が辿ってきた歴史であり、今でもそういう暮らしを営む人たちが地球上にいるっていうことなんですよね。
アマゾンの自然環境に最も適した農業技術「焼畑」のいま
近年、たびたび話題になるアマゾンの森林火災。農地や牧場を開拓するための違法な野焼きが大きな問題となっている一方、アマゾン地域の伝統的な焼畑農業にも異変が起きている。
下郷さん アマゾン地域では4,000年くらい前から農耕生活が始まったと言われていて、村に行くと、みんな本当にお百姓さんだなと実感します。狩猟採集もするけれど、主食のキャッサバ芋など、主な食料は畑でつくっています。
焼畑はアマゾンの自然環境に最も適した持続可能な農業技術だって、見ていてすごく理解できるんですよね。要は、土づくりを必要としない農業技術。堆肥がつくれない環境で、草木を焼いてその灰を肥やしにするという方法が、すごく理にかなっている。
でも、どこの村でも長老たちが言うんです。ここ10〜20年で気候が変わって、これまでは湿った森で自然に消えていた火が、今ではどこまでも燃え広がって、雨季になるまで1ヶ月も2ヶ月も燃え続けてしまう。だから、昔のような焼畑がもうできなくなってしまったって。
アマゾン地域では、約9割が違法とされる森林伐採による森林破壊が乾燥化を進め、さらに火災の大規模化を招くという悪循環が起きているのだ。
下郷さん ある日、協力していたNGOへメッセージが届いたんです。「そんなわけで消防団が必要だ。支援してくれないか」って。
先住民族自身からの支援要請に応えるかたちで、下郷さんはNGO代表とともに現地に入り、消防団の立ち上げから9年間に渡って併走した。
下郷さん シングー川の流域で、カヤポ民族とジュルーナ民族が合同で、2015年に消防団事業を立ち上げました。森林火災って、起きてしまうと消す手段がほとんどないので、火事を起こさせない焼畑の火入れの技術を消防団メンバーが習得して、村人が火を入れる時には立ち会って厳重にやるんです。
30代の3人のリーダーが中心となって動かしたこのプロジェクト。下郷さんは、民族の気質の違いや個性を尊重しながら支援を進めた。
下郷さん 自然環境やコミュニティのことは彼ら自身がいちばんよく知っているわけです。支援とは、当事者である彼ら自身が主体的にプロジェクトを動かせるように後押しし、最終的には資金調達も含めて自立できるようにすること。
ブラジルでは、当事者が主体的につくり上げていく運動のあり方を「プロタゴニズモ」と呼びます。社会運動シーンで常に耳にする言葉で、直訳すれば「主役主義」。
耳を傾け、対話を重ね、信頼関係を築きながら、若い彼らを斜め後ろから支えて応援するのが私の役割だと、いつも考えていましたね。
2023年はじめに下郷さんがプロジェクトを離れる時には、彼らは自ら新たなスポンサーを見つけ出すところまで育っていた。誰かにやってもらうのでも、やってあげるのでもなく、自分たちが主役。そのプロセスを応援するのが、下郷さんの変わらない信念だ。

木の実の殻で作った極小ビーズをつなげた首飾り。金属がなかった時代は、硬い動物の骨を針のように尖らせたもので穴を開けていたとか。アルマジロのペンダントトップは別の種類の木の実で作られている。カヤビ民族の美しい手仕事だ
“違いを認める” から “同じを見つめる”へ
ファベーラとアマゾンに関わって見えてきたこと
ブラジルのファベーラからはじまって、アマゾンの森の中と鴨川の棚田を行ったり来たり。地球規模のダイナミックな旅路を経て、下郷さんの視点は大きく転換していく。
下郷さん いま、「多様性を尊重しよう」「違いを認め合おう」って、よく言われますよね。でも本当は、一人ひとりが違う存在で、多様性や違いはあって当たり前。それに「違いを認め合う」はどうしても「マジョリティがマイノリティを認めてあげる」という構図になりがちです。
ファベーラもアマゾンの村も、私が生きる社会とは環境が大きく違う。けれど、深く関われば関わるほど、その当たり前の違いの中に「ああ、同じだな」という共通点が、立ちのぼってくる気がするんです。
下郷さん ファベーラでも、人情とか、親が子を思う気持ちとか、ふるさとへの愛着とかね。そういう人の気持ちって共通しているし、アマゾンの村に行っても、自然と向き合って生きる人の生き方は共通してる。人類はどんな民族も同じ原点を持っているんだなって思うんです。
そして誰もが、幸せを望んでいるんですよね。
そういう、「同じだ」という感覚が、立ちのぼってくる。同じところに目がいく。だからこそ、リスペクトし共感し合える気がして。違いを理解してあげましょうではなくってね。それが、ファベーラやアマゾンに深く関わって見えてきたことですね。
ああ、そうだ。その通りだと、下郷さんの話を聴きながら胸が熱くなる。「ああ、同じだな」と感じられるとき、私たちの想いは通いはじめる。どんなに遠い存在だとしても、何かひとつでもそう感じられる手触りがあれば、その距離はぐっと近くなる。
茅葺き屋根でつながる アマゾンと日本
消防団事業を進める中で、下郷さんは現地の若者たちにたびたび日本の話をしたそうだ。彼らにとって、これまで出会ってきた先住民族以外の人々は、ブラジル人や欧米のキリスト教文化圏の人たち。初めて出会うのが布教活動にやってきたキリスト教宣教師ということも歴史的に少なくなかった。
下郷さん 彼らにとって、キリスト教を文化の根底に持たない世界との出会いは、本当に稀です。先住民の世界観は、キリスト教の世界観とは全く違う。彼らは数的にも文化的にも圧倒的なマイノリティであり、唯一絶対の神を知らない野蛮な民だと思い込まされてきました。
いや、そんなことない。世界は広くて、あなたたちと同じアニミズムの世界観を共有する人がいっぱいいる。私たちもそうだよって話すと、すごく興味津々に聞いてくれます。
シンメトリーが美しい、シングー川上流域の村の大きな総茅葺(かやぶき)住居。茅の葺き替えは、村人総出で行われる。
下郷さん 本当に「結(ゆい)」で、みんなで作業して。この家の主人一家は、ご馳走をたくさんつくって、みんなに振る舞ってね。
「結」と言えば、日本の農村にもかつては同じような風習があった。下郷さんは福島県の会津にある「大内宿(おおうちじゅく)」の写真を見せて、若者たちに語りかけた。
下郷さん 時間がつくり出す価値は、お金では絶対に買えないし、工業的につくれるものでもない。あなたたちの暮らしには、まだまだそれが残っていて、自給自足の暮らしが成り立っている。そういう自然がある。世界を見回しても、こんな場所ほかにないんだよって。
私たちは大部分を失ったあとで、その価値に気づいた。だからこそ、あなたたちには自分たちの文化の価値をちゃんと知っておいてほしい!写真を見せながらそう伝えるんですけどね。押し付けになっていなければいいんだけれど。
遠く離れた日本の茅葺き屋根の話は、きっとアマゾンの若者たちを勇気づけたはずだと、私は思う。自分たちの文化をリスペクトできることは、彼らの自尊心を育み、アイデンティティを奮い立たせるはずだから。
科学とは、文明が進んだ人々のものなのか?
先述の “国連の報告” によれば、「世界人口のわずか約5%を占める先住民族が、地球の生物多様性の約80%が存在する土地を効果的に管理し、保護している」という。気候変動や環境破壊が深刻化する中で、先住民族の伝統的な暮らしや自然観にこそ、未来への鍵があるのではないかと注目されている。科学者たちも彼らに学び、共同プロジェクト等も増えているという。
しかし、だ。
先住民族は、何千年、何万年も前からその土地で自然と向き合い、生き延びてきた。そこへ突然現れた人々が、「君たちには文明がない。だから教えてあげる」と彼らの理屈を押し付けてきた。アマゾンだけの話ではない。世界中で、所有の概念を持たない先住民族が土地を追われる悲劇が繰り返されてきた。
文明とは何なのか?優れている、劣っているとは?
下郷さんは自身の経験から、こんな話をしてくれた。
下郷さん 先住民の人たちと一緒に原生林に入るとね、彼らが何を見て、何を観察してるのかがわかる。やっぱりすごい観察眼があるんですよ。観察して、分析して、その情報を共有する。 そこから導き出されるものを人間が知恵として利用する。その一連の営みって「科学」そのものだと、ハッと気づいたんです。
それを彼らの言語世界では「呪術」って表現したり、私たちの文明社会もそう分類するのですが、根っこにある営みは「科学」以外の何でもない。文化人類学者のレヴィ=ストロースは『野生の思考』の中で、それを「具体の科学」という言葉で説明しています。
下郷さん 過疎の農村で田舎暮らしをしていて実感するんです。自然は一切、人間の思い通りになんて動いてくれない。自然は人間に対して無関心だと、しみじみと身に染みてわかります。
だからこそ、人類は物語を必要とするんです。人間にはどうにもならない自然を人間の側に引き寄せて折り合いをつけるために、切実な願いのなかから物語や神話を生み出してきた。そう思うと、人類ってなんて愛おしい存在なんだろうって。それが事実かどうかを問うことは全く無意味で、人間が必要とした物語、それでいいと思うんですよね。
今日種をまかないと、 実りは絶対にない。
そうした人間と自然との関係性を身をもって感じているから、アマゾン先住民族の村でも、鴨川での暮らしの中でも、そのリアリティを冷静に見つめてきた。
雨季の前にさまざまな準備を重ねてこそ、受け取れる豊かな恵みがある。その一つひとつのリアリティを失い、自然との関わりを失って、「自然とは」「スピリチュアルとは」と頭だけで語るようになれば、それは自分の願望の投影になってしまう。彼らのそのリアリティを見つめずに、勝手に理想化して感動を消費してはならないと、下郷さんは常に自戒していると言う。
下郷さん 一人ひとりが自分のリアリティを持たなければ、自然とのつながりは取り戻せない。別にアマゾンまで行かなくても、ちょっとした田舎でもいい。 草刈りなんてすごくいいですよ。1メートル前に進めば、1メートルきれいになるんです。
自然と向き合って生きる人間はみんなリアリスト。リアリティの中からこそ、スピリチュアリティが生まれてくると、私は思っています。
先住民族に託されたメッセージを、
彼らのリアリティを、伝え続ける
2023年7月には「先住民族大集会」、2019年8月には「全国先住民族女性マーチ」など、さまざまな現場を取材してきた下郷さん。スマートフォンやドローン、SNSを駆使してアマゾンの違法伐採を告発する若者たちや、国政に挑戦した先住民族リーダーの選挙戦を追ったNHKのドキュメンタリー番組にも、企画段階から協力した。
現地のリアリティを伝え続ける。そこにあるのは、 “同じ” を見つめ、そこに心惹かれる、下郷さんのジャーナリズムのあり方だ。

約100民族、2,000人が集結した「全国先住民族女性マーチ」。全国の先住民族保護区総面積の9割以上がアマゾン地域に集中する一方で、そこに住む先住民族の数は全体の4割程度。土地への権利が保障されないままの人たちが全国にいる(写真:下郷さとみ)
下郷さん 2019年に始まった「全国先住民族女性マーチ」の発起人の一人は、NGOの支援活動で通ってきたシングー川上流域の30代の女性リーダーでした。毎年4月に首都ブラジリアで開かれる、20年近く続く大規模集会とは別に、あえて女性だけの集会を企画したのはなぜ?って、当日現場で聞いてみたんです。
大集会の舞台で発言するのは、どうしても男になりがちで、男同士でマウントの取り合いをしてると。どの民族が表に立つかを争っていたら、本当の敵を見失ってしまう。そんなことしてる場合じゃないでしょ!って。
私たち女は、民族の垣根を超えて連帯できる。それが私たちのやり方よ。どこでも同じだね、わかるわかるって、彼女と頷き合ったのだけれど。
このエピソードを笑い話にしてしまうのも、女性のおおらかさと強さの象徴だ。ただ、先住民族社会では伝統的に政治や決めごとは男性の役割。女性のリーダーも増えているとはいえ、教育の機会はまだまだ限られている。
下郷さん 私たちは確かに、男と比べてポルトガル語はつたないかもしれない。でも、近年の気候の変化で川の水が減って、魚が獲れなくなって、子どもたちに今日何を食べさせよう?この先どうなるの?そんな心配事を生活の中で肌で感じているのは、私たち女。そのリアリティから出てくる言葉には人を動かす力があると、私たちは信じてる、って。本当にその通りだと、胸にしみました。
2023年7月には、アマゾンの先住民族保護区の村で開かれた大集会へ。ラオニ長老の呼びかけによって、全国から54の民族、1,000人が集まり、下郷さんは唯一の外国人記者として取材。忘れられない光景がたくさんあった。

先住民族だけでなく、NGO関係者やドキュメンタリー作家なども集まった大集会。「私たちに何ができるのか。彼らの真剣なメッセージをどう届けるのか。そんな問いを共有しながら、それぞれができることで貢献しようと励まし合えた大切な時間でした」(写真:下郷さとみ)
下郷さん 思い切って行って、本当によかったですね。いろんな民族のリーダーたちが私の顔を見て、どこから来たの?って。日本から取材に来たって言うと、 せきを切ったように、こんな酷いことが起きている、日本の人に絶対に伝えてほしいと、もう止まらなくなって、本当にたくさんの人たちからメッセージを託されました。

ムンドゥルク民族のリーダー、アレッサンドラ・コラップさん「金の違法採掘に使われる水銀によって、水俣病のようなひどい病気がアマゾンに広がり、私たち民族が被害を受けている。金を買う前に、金はどこから来て何をもたらすのか考えてほしい」(写真:下郷さとみ)

農業開発などにより居住地を追われ、民族存続の危機にあるグアラニ・カイオワ民族のリーダー(中央)の切実なスピーチの後には、シングー川流域のキセジェ民族が獲ってきた魚やワニを振る舞い、歌を贈り、みんなで歌い踊る感動的なひとときがあった(写真:下郷さとみ)
下郷さんが受け止めてきた、彼らのリアリティ。テレビや雑誌、大学などでの講演を通じて、下郷さんは彼らに託されたメッセージを伝え続ける。生き生きと自分の言葉で語る彼らの姿が、私たちの暮らしと重なってゆく。
子を思う親の気持ち、生まれ育った土地を奪われる苦しみ、悲しみに打ちひしがれる人々を励ます姿。心のこもった料理や、輪になって歌う歌が、胸の痛みをふと和らげてくれることもある。
“同じ” に目を向けていけば、私たちはもっとオープンに、多くのことに感動し、想いを寄せ、感謝の中で生きていけるのかもしれない。
自分の足元からはじめ、考え続けることが
アマゾンへとつながってゆくから
2024年春、ヤノマミ民族のリーダー、ダビ・コペナワさんが「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」に招かれて初来日。下郷さんは通訳として12日間同行し、寺社や神域の山などにも案内した。アニミズムの世界観を共有する文化や風景に触れてほしいという願いからだった。

欧米とは違う日本の建物に興味津々のダビさん。「鉄が最小限しか使われていないね。ヤノマミの神話では地面の下にあるものを掘り起こしてはいけない。かつて偉大な精霊が悪いものを封じ込めたから。掘り出せば、それが世界に蔓延して病を引き起こし、森がなくなる」(写真:下郷さとみ)
鋭い観察眼で自然を見つめ、時には神話を語り出す。彼もまた日本の風景に “同じ” を見出し、親しみを感じてくれたに違いない。
下郷さん アマゾンのために自分に何ができるか?講演会でそういう質問が出たんです。ダビの答えはこうでした。「自分の日々の生活を見つめ直して、小さなことから始めていく。まず自分の足元から。それがアマゾンへもつながっていく。」
アマゾンの森がなくなっていくこと。そして日本の農村が荒廃していくこと。30年にわたりブラジルと関わる中で、この問題の根っこはつながっていると、下郷さんは気づいた。
下郷さん アマゾンの森が失われて乾ききった荒涼としたところから帰ってくると、日本の土壌ってなんて豊かなんだろうって思うんです。黒くて、いい匂いがして、 有機質がたっぷりで、何を蒔いても育つ。でも、それが耕作放棄地になり、人がいなくなっている。
「日本はあんなに小さい島国だから、耕す土地もないのだろう。だから遠いアマゾンの森を壊してまでつくる大豆が、そんなに欲しいんだね」っていうラオニの言葉は、アマゾンを救うためだけじゃなくて、私たち自身の “食の主権” の問題。日本では食料も飼料も安い輸入品に頼り続けてきた。いま、農産物の価格が高騰してはいますが、生産者は既に持ちこたえられずに倒産の危機です。安さだけを価値に置けば、本当に食の主権を失ってしまう。食や生命に関わるものは、安さだけで価値判断されてはダメなんです。
そう思うと、やっぱり自分の足元から、自分の生活が何の上に成り立っているのかを見つめて、少しずつでも変えていく。問題意識を持つことがとても大事なんですよね。
アマゾンの長老やリーダーたちが訴える、一貫した「森を守れ」のメッセージ。それは直接的な言葉であるだけでなく、私たちの生き方へも警鐘を鳴らす。森が失われて困るのは自然ではなく、私たち人間。その影響を真っ先に受けるのが、彼ら先住民族なのだ。
それでも、彼らの命は “死んだら終わり” ではない。
森に還り、姿を変え、命は循環していく。
下郷さん ラオニもダビも、一緒にいると、神話とか伝説とか、物語を語りはじめるんですよ。その話はとっても長くて起承転結がない。登場人物もすごく多くて、次から次へと出てくる。それは人間だったり、森の精霊だったり、動物だったり、ありとあらゆるもの。でも、そのうちいなくなっちゃって、この先、伏線回収があるのかなと思ったら、最後まで出てこない(笑)それを、本当に素直な気持ちで、耳を全開にして、考えずに聴く。
まるでね、行き先を告げられずにカヌーに横たわって、川の流れもどこに行くのかわからない。どっちが川上か川下かもわからない。ただ流れに身を委ねて、でもどこかには行き着くんだろうって。
長老たちが語る姿をかたわらで見ていると、語り部の素質って、記憶力ではない気がして。語ってる長老の目の前にスクリーンがあって、そこに映る物語を私も一緒に見ているみたい。語るたびに、物語の世界を生き直すことができる能力。単に記憶から引き出しているのではない、物語が本当に生き生きとしているんです。
…… あれ、何の話してたんだっけ?
彼らの紡いできた果てしない物語。人類に伝えるメッセージ。それはとても大きくて、掴めないもののように思える。それでも、遠く輝く星のように、その言葉を目指して進んでいけばいい。
自分の足元から。一緒に歩く仲間たちの “同じ”を見つめ、励ましあって進む。人類だけではない。自然とも、地球とも、共鳴しながら。
企画:小倉奈緒子、佐藤有美
編集:増村江利子、廣畑七絵