自分が暮らす地域のできごとや、防災・災害情報、歴史について。
そんな身近な情報を、みなさんはどのように集めていますか?
市町村が発行する広報誌やSNS、近所の人との世間話など、いろいろな手段があるなかで「コミュニティFMから」という方もいるかもしれません。
コミュニティFMは、FM用周波数を用いて市区町村単位の地域に向けて放送するラジオ放送局です。放送エリアが限定されるので、地域の特色をいかした情報発信に適していると言われており、マスメディアでは取り上げない地域情報が放送されたり、住民参加型で番組がつくられたりするのも特徴の一つ。防災や災害発生時の情報伝達を目的に設立する地域もあり、現在は全国に341の放送局があります(令和5年12月1日時点)。
「コミュニティFMを、地域の方に身近に感じてもらいたいです。困っていることも嬉しいことも、声にすることで共感してもらえたり、助け合えたりする。そんな積み重ねは、もし災害が起きたとき、自分たちの支えになると思っています」
そう話すのは、和歌山県橋本市でコミュニティ放送局「FMはしもと」を運営する向井景子(むかい・けいこ)さん。FMはしもとは、紀北地方(和歌山県北部)の1市3町に向けて放送しています。大切にしているのは、放送局が地域の人にとって身近であること。マイクを通して誰でも気軽に発信できるようになってほしいと、向井さん自ら地域に出てたくさんの人とつながり、まちの人を巻き込みながら情報を発信しています。
紀北地方は今、人口減少が急激に進んでいる地域。また、近い将来に発生すると言われている南海トラフ地震の発生時には甚大な被害が想定されています。そんな中、地域に特化したコミュニティFMがあることは、人びとの暮らしの安心にどのようにつながっていくのでしょうか。今年で設立11年目となるFMはしもとが地域で担う役割について、向井さんにじっくりと伺いました。
FMはしもと株式会社代表取締役。11年間の専業主婦期間を経て、平成24年に株式会社FMはしもと設立、翌年コミュニティ放送局FMはしもと開局。自身も歴史や防災に関わる番組でパーソナリティーを担当している。
「素人」でスタートした放送局
FMはしもとの放送エリアは、和歌山県北部に位置する橋本市・九度山町・かつらぎ町・高野町の1市3町。「紀北地方」と言われるこの地域は、温暖で雨量が少ない気候から、1年間を通じて果樹栽培が盛んです。また、高野町には2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界文化遺産に登録された真言密教の聖地・高野山があり、周辺地域にも古くからの文化が残ります。
向井さんに開局のきっかけを伺うと「すこし特異なケースかと思うのですが」と、当時を振り返りながら話し始めてくれました。
向井さん もともと、放送局を立ち上げようとしていたのは義父だったんです。私も後から知ったのですが、当時県議会議員をしていた義父は、仕事を通じてコミュニティFMの存在を知り、個人的に放送局を見に行ったりしていたそうです。地域に密着した情報を発信したい気持ちはあったものの、放送局の立ち上げには何千万円もの費用がかかるので、諦めていたようです。
コミュニティ放送の開局には、自前で配信用アンテナを建てたり、放送機材や施設を準備したりする必要があり、当時は資金面でのハードルが高い状況でした。しかし数年後、そんな状況が好転します。
向井さん 地元高校の開校100周年記念式典に義父が実行委員として関わり、いろいろな人と会う中で「コミュニティ放送局をつくりたい」という思いを話したら、地域の中で賛同してくれる方や、資金援助をしてくれる方が何人か出てきてくれたんです。そこからはトントン拍子に資金集めの目処がつき、義父のまわりに放送のアドバイスをしてくれる仲間も集まりました。
そうして、いざ会社設立準備へ。そのとき、当時専業主婦だった向井さんに「代表取締役をしないか」と相談があったそうです。
向井さん それを聞いた時におもしろそう! と思ったんです。私自身、結婚を機に橋本市に引っ越してきたので、地域にはまだ知らないこともあって。自分にできることでお手伝いしたいという気持ちが湧きました。そうして、義父が会長、私が代表取締役という形で動きはじめたのが始まりです。
向井さんが放送局のブログを開設して、番組を一緒につくるパーソナリティーを募集すると、子育てを通じて知り合った友人や紀北地方の出身者など、予想を上回る人数が集まってくれたそう。今では、スタッフ5名に加えて、中高校生を含む約70名が番組づくりに参加しています。
向井さん 私自身が11年間専業主婦をしていて、ラジオに関して全くの素人だったこともあり、たくさんの仲間が立ち上げに協力してくれました。最初は分からないことばかりでしたが、続けてこられたのは本当にみんなのおかげです。
誰でも話せるラジオ放送局に
たくさんの人と一緒につくられているFMはしもとの番組。パーソナリティー自身が楽しみながら続けられるよう、放送局から内容を提案することはほぼなく、それぞれが伝えたいテーマをもとに番組をつくります。そのため、番組表には実に多様なジャンルの番組が。例えば、子育て情報や音楽、歴史に詳しい地域の方によるお話や、真言密教の聖地・高野山の僧侶の方の番組など。中学校・高等学校放送部の枠があったり、小中学校の合同音楽会の音源が放送されたりすることもあります。
同じ地域にいても、近くの学校でどんなことをしているかは意外と分かりませんが、子どもたちの声が聴けるのもコミュニティFMならでは。学校とのつながりはどのように生まれているのでしょう?
向井さん 小中学校の音楽会を放送したのは「新型コロナウイルスの影響で保護者が音楽会を観られないので、音源を放送できないか」という先生からのご相談をきっかけに実現しました。そのご縁で関係性が続き、つい先日は近くの小学6年生の学習発表会の収録にも行かせてもらいました。地域について調べ、まちの人にインタビューしたことをまとめた発表の様子を冬休みに放送したのですが、放送までの間は子どもたちと出会うたびに「いつ放送するの?」と声をかけてくれました。
地域に出てマイクを向けると、子どもも大人もマイクから逃げていってしまうことが多いんです。「失敗したらどうしよう」「恥ずかしいから」と。でも、ラジオで話すことや、放送局の敷居を低くして、地域の人にラジオをもっと身近なものとして感じてもらいたいと思っていて。マイクを向ければ誰でも話してくれるような地域になっていけばいいなあと思っています。

「ラジオはインターネット配信もしていて、県外の方がメッセージを送ってくれることも多いです」と向井さん
リスナーからは「定年後、ラジオを聞くことでやっと地域に目を向けるようになった」「最近は新聞の文字が読みにくくなってきたので、ラジオをかけている」と声をかけられることもあるといいます。また、放送を続ける中で、パーソナリティーの方にも変化が生まれているそう。地域イベントの司会をするようになったり、「ラジオで話すようになったら、進んで情報を探すようになった」「日常生活で起きた失敗も、いいネタができたと思うようになった」と笑顔で話してくれたりするそうです。
災害時にはラジオを“声の伝言板”に
日頃から地域の情報を取り扱い、狭い範囲で情報を発信するコミュニティFMは、災害時に力を発揮すると言われています。
兵庫県ニューメディア推進協議会がまとめた「災害時における情報通信のあり方報告書」(平成8年)では、1995年に発生した阪神・淡路大震災の教訓を次世代にいかすための5つの提言に「災害直後の『安全情報』を提供する体制の整備」「被害の状況を的確に把握するための情報収集能力の強化」などの項目が記され、コミュニティFMの活用の必要性についても触れられています。
実際に阪神・淡路大震災では、兵庫県が日本初の臨時災害放送局「FM796フェニックス」を立ち上げ、「今日はどこに給水所がくる」「ここのトイレは使わないで」といったことから、支援物資の過不足などのきめ細かい情報を発信し、被災地で暮らす人にとって非常に重要な情報源になったそうです。
向井さん コミュニティ放送局は申請時間外には放送ができないため、FMはしもとは災害時に備えて24時間放送にしています。スタジオの耐震性を高め、放送ブース内には耐震マットを敷いています。停電時用の発電機は、ガソリンよりも管理しやすいカセットコンロ式のものを置くなど、災害時に放送を続けられる備えありきで対応を考えてきました。
防災や気象情報にまつわる番組も長年意識して続けている取り組みの一つです。
向井さん 和歌山地方気象台の方や、防災士の方へのインタビュー番組は数年間続けています。例えば、防災士の方は「外出時の備え」「ペットとの避難」など、毎回テーマを設けて話してくれます。気象台の方による、気象情報についての解説や天気についての話はアーカイブに残しています。私自身が災害時に局内の指揮をとり、情報発信できるように学びたい気持ちで始めた番組ですが、知れば知るほど、みんなが知っておかなければならないと感じているんです。
お話の中で、向井さんは「放送局の敷居を低くしたい」「誰でもマイクに向かって話してほしい」と繰り返していました。それは、普段から思っていることを声にできる風土は、いざというとき自分たちの支えになると感じているから。
向井さん 災害発生直後、行政は行政にしかできない仕事で手一杯になるので、できる限り自分たちで支え合わないといけないと思っています。例えば「おむつやミルクが足りない」といった誰かの困りごとをラジオで発信したときに、自転車や徒歩で行けるくらい近所の人が届けてくれたら、それがいいと思うんです。
また、私たちパーソナリティーの取材力だけでは地域の情報を集めきれないので、みなさんから寄せられる情報が大切で、「どこの道が通れない」などの情報を、みんなで共有して支えあっていくことが大切だと思っています。
わたしはこれを「声の伝言板」と呼んでいます。声にして発信すること・残すことで、助けてくれる人がいるかもしれません。だから、普段から些細なことでもマイクに向かって話してもらったり、気軽にリクエストを送ってもらえたらと思っています。それが、のちのち自分たちの支えになると思うんです。
ラジオを通して話をすることや、リクエストを送ることに苦手意識を感じてしまう人もいるかもしれません。ただ、初めてのことと経験があることではハードルの高さが全くちがいます。普段からラジオを聞き、マイクを通して話すことが身近であれば、いざというときも自分の困っていること・共有したいことを声にする後押しになるのではないでしょうか。
電源があって、操作方法さえわかれば聞くことができるラジオは、子どもから大人まで気軽に利用できるメディアの一つ。特に災害時は停電や家の損壊など何が起きるか分からず、状況によって各人が必要とする情報収集ツールも変わります。だからこそ、情報を収集するための手段も多様であることの大切さを感じます。

放送エリア1市3町の2024年度の合計人口は約8万800人。実はFMはしもとは、アンテナを2つ立てている珍しい放送局。開局当初に許可がおりた最大20ワットの放送範囲では、標高800メートルの場所にある高野町には電波が届かなかったため、開局3年後に補助金の利用と、高野町・FMはしもとで資金を出し合いアンテナを増設した
みんなが集まる、まちのラジオ放送局へ
開局から11年が経ち、FMはしもとは地域の人にすっかり浸透しています。まちで「ラジオ聞いているよ」と声をかけてもらうことや、無料配布しているステッカーを貼った車を見かける機会も増えました。これから地域でどのような存在になっていきたいですか?向井さんに伺うと、笑顔でこう教えてくれました、
向井さん どれくらい時間がかかるか分からないのですが、将来的には、カフェのようにみんなが集まる放送局にしていきたいなぁと思っています。地域の方が気軽に来て、ちょっとお茶を飲んで、ラジオにも出演していくようなイメージです。リスナーの方も「今、あの子が出演しているからメッセージ送ろう」というように、ラジオを通してコミュニケーションが生まれると嬉しいです。
目をつむっていたら隣の人のこともわからないような時代ですが、聞き耳を立てていたら知っていて良かったことってたくさんあって。集まって話すことって大切だなって思うんです。
今年は阪神・淡路大震災から30年目の年。コミュニティ放送局は、阪神・淡路大震災のあと各地に続々と増え、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震などの際にも「情報」とともに「安心」を届ける役割を担い、大きな力を発揮したと言われています。
ラジオをつけると、子どもたちの声が聞こえる。
まちの人の、嬉しいことや困りごとが聞こえてくる。
地域の知らなかったことを知れる。
声を通して、近くに暮らす人の気配を感じられるコミュニティ放送局は、日常では地域と人をつなぎ、災害時には必要な情報と安心を届けてくれます。
紀北地方で生まれ育った筆者は子どもの頃から、学校や地域で南海トラフ地震発生時の備えについて学ぶ機会が多く、何度も聞いた「いつか来る」という言葉は、頭の隅っこにずっと残っています。今は故郷を離れて暮らしていますが、大切な人たちがいる場所の防災に、どう関わっていくことができるかは、はっきりとした答えがでない問いでした。
だからこそ、FMはしもとのことを知って、ラジオを通して顔が見える関係性が地域に育まれ、いざという時に情報を得られる手段になっていることに、安心しています。そして、向井さんのお話を伺いながら、インターネットラジオで放送を聴いたり、リクエストを送ってみることも、私が今できる故郷との関わり方の一つかもしれないと感じています。
みなさんの暮らす地域や故郷には、コミュニティFMがありますか? カフェに行ったついでにお話しするように、気軽に、気楽に、気張らずに参加してみてはどうでしょう。コミュニティFMがなければ、まちの人が主体となって地域の情報を伝えあう方法を考えてみるのも面白そうです。今いる場所で、自分に合った地域とのつながり方や声の届け方を探してみませんか?
(撮影:佐伯桂子)
(編集:村崎恭子)